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【終章】花咲く季節に
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春が、完全に訪れました。
雪解けの水が川を満たし、町には若葉の香りが漂っています。
ルーシェの港から少し離れた丘の上――そこに、私たちの新しい家があります。
「もう少しで、薬草園の完成だな」
腕まくりをしたアシェル様が、スコップを手に微笑みました。
私は手に持った苗の根を土に埋めながら、頷きました。
「ええ、次はセージとミントを並べます。風が通る場所の方がいいですもの」
「さすがだ。土の匂いだけで、春の居場所を見つけるんだからな」
その言葉に、私は少し笑いました。
王都にいた頃には、彼がこんな穏やかな表情を見せることなど想像できませんでした。
庭仕事をする宰相なんて、きっと昔の彼なら鼻で笑っていたでしょう。
「昔の私は、本当に無粋だった」と彼は照れたように呟きます。
「今は違うんですか?」
「君が選ぶドレスの色を、誰よりも楽しみにしている」
その返しに思わず笑ってしまい、スコップの音が軽やかに響きました。
*
午後の風が吹くころ、庭のハーブが少しずつ香りだしました。
青いセージ、白いカモミール、そして小さな忘れな草。
それぞれが、まだ柔らかな陽に光を受けています。
「この花は何?」
アシェル様が摘んだ花を眺めながら尋ねました。
「リンドウです。悲しみから立ち上がるという意味があるのですよ」
「リンドウの庭……。やはり君の名づけだったか」
「ええ。この庭みたいに、誰かの再生を手伝える場所にしたいと思って」
私が言うと、彼は少し俯き、そして静かに顔を上げました。
「君は、本当に強くなったね」
「強く、というより……大切にしたいものをようやく見つけたのです。
この庭も、あなたも、そして私自身も」
春の風が吹き抜け、花々がそっと揺れました。
アシェル様が私の髪に触れ、指先で撫でるように整えます。
「僕の方こそ、君に救われた。
もしあの夜、君が去らなければ、僕は何も変わらずにいただろう」
「でも、あなたは変わられた。
それは、私が去ったせいではなく、あなた自身の選択だと思います」
言葉に彼は小さく笑いました。
春の陽を受けるその笑顔は、あの宰相ではなく、ただの穏やかな男の人でした。
*
夕暮れが近づくころ、庭の花々がオレンジ色に染まりました。
鳥がさえずり、小さな虫たちがゆっくりと羽を震わせています。
私は摘み取ったセージを手に、彼の隣に立ちました。
「この花、今日の記念に残しましょう。
“尊敬と再生”、そして“新しい始まり”の象徴ですから」
「君と一緒に育てられて光栄だ」
彼がそう言って微笑んだあと、しばし沈黙が訪れました。
静かな沈黙――心地よくて、言葉がいらないほど満たされる。
「ねえ、アシェル様」
「なんだ?」
「あなたの色も、今は好きです」
彼は驚いたように目を見開き、それから照れくさそうに笑いました。
その笑顔を見つめながら、私は続けます。
「あなたの緑は、昔は私を閉じ込めた色でした。
でも今は、私を包む春の色なんですね。
――ようやく、そう思えるようになりました」
風に揺れる花の間で、二人の手がそっと重なりました。
あの夜のように震えていない。
互いの温もりを確かに感じられる手でした。
「ありがとう。君の色が、俺の人生を変えた」
「お互いさまです」
笑い合う声が、夕日と共に庭に広がりました。
その音を、風が運び、小鳥たちが拾いました。
*
夜、灯をともした部屋で二人で温かいハーブティーを飲みました。
セージとカモミール、ほんの少しのミント。
この香りが、私たちの物語を包んでくれた香りです。
「君の入れるお茶は、不思議と心が落ち着くな」
「きっと、いろんな思い出の味が混ざっているからですよ」
彼は頷き、窓の外を見つめました。
夜空には満開の花のように星が散らばり、海を静かに照らしています。
「君と出会ってから、人生の香りが変わったよ」
「私もです。
……一度は枯れかけた花が、もう一度咲くなんて思いませんでした」
アシェル様が笑い、私も笑いました。
小さなティーカップが触れ合い、心地よい音を立てました。
*
そして、翌朝。
薬草園の花々は一斉に開きました。
どこまでも広がる香りの中、私はアシェル様の隣に立ちました。
「見てください。セージが満開ですね」
「まるで祝福しているみたいだ」
「……ええ。多分、そうなんです。
“花咲く季節に恋ははじまる”って、こういうことなのかもしれませんね」
朝の光が二人を包み、ハーブの香りが風に乗りました。
リンドウの花びらが陽に透けて、青く輝きます。
あの夜、私は“夫の色をやめた”けれど、
今、私たちは“互いの色で咲いています”。
【完】
雪解けの水が川を満たし、町には若葉の香りが漂っています。
ルーシェの港から少し離れた丘の上――そこに、私たちの新しい家があります。
「もう少しで、薬草園の完成だな」
腕まくりをしたアシェル様が、スコップを手に微笑みました。
私は手に持った苗の根を土に埋めながら、頷きました。
「ええ、次はセージとミントを並べます。風が通る場所の方がいいですもの」
「さすがだ。土の匂いだけで、春の居場所を見つけるんだからな」
その言葉に、私は少し笑いました。
王都にいた頃には、彼がこんな穏やかな表情を見せることなど想像できませんでした。
庭仕事をする宰相なんて、きっと昔の彼なら鼻で笑っていたでしょう。
「昔の私は、本当に無粋だった」と彼は照れたように呟きます。
「今は違うんですか?」
「君が選ぶドレスの色を、誰よりも楽しみにしている」
その返しに思わず笑ってしまい、スコップの音が軽やかに響きました。
*
午後の風が吹くころ、庭のハーブが少しずつ香りだしました。
青いセージ、白いカモミール、そして小さな忘れな草。
それぞれが、まだ柔らかな陽に光を受けています。
「この花は何?」
アシェル様が摘んだ花を眺めながら尋ねました。
「リンドウです。悲しみから立ち上がるという意味があるのですよ」
「リンドウの庭……。やはり君の名づけだったか」
「ええ。この庭みたいに、誰かの再生を手伝える場所にしたいと思って」
私が言うと、彼は少し俯き、そして静かに顔を上げました。
「君は、本当に強くなったね」
「強く、というより……大切にしたいものをようやく見つけたのです。
この庭も、あなたも、そして私自身も」
春の風が吹き抜け、花々がそっと揺れました。
アシェル様が私の髪に触れ、指先で撫でるように整えます。
「僕の方こそ、君に救われた。
もしあの夜、君が去らなければ、僕は何も変わらずにいただろう」
「でも、あなたは変わられた。
それは、私が去ったせいではなく、あなた自身の選択だと思います」
言葉に彼は小さく笑いました。
春の陽を受けるその笑顔は、あの宰相ではなく、ただの穏やかな男の人でした。
*
夕暮れが近づくころ、庭の花々がオレンジ色に染まりました。
鳥がさえずり、小さな虫たちがゆっくりと羽を震わせています。
私は摘み取ったセージを手に、彼の隣に立ちました。
「この花、今日の記念に残しましょう。
“尊敬と再生”、そして“新しい始まり”の象徴ですから」
「君と一緒に育てられて光栄だ」
彼がそう言って微笑んだあと、しばし沈黙が訪れました。
静かな沈黙――心地よくて、言葉がいらないほど満たされる。
「ねえ、アシェル様」
「なんだ?」
「あなたの色も、今は好きです」
彼は驚いたように目を見開き、それから照れくさそうに笑いました。
その笑顔を見つめながら、私は続けます。
「あなたの緑は、昔は私を閉じ込めた色でした。
でも今は、私を包む春の色なんですね。
――ようやく、そう思えるようになりました」
風に揺れる花の間で、二人の手がそっと重なりました。
あの夜のように震えていない。
互いの温もりを確かに感じられる手でした。
「ありがとう。君の色が、俺の人生を変えた」
「お互いさまです」
笑い合う声が、夕日と共に庭に広がりました。
その音を、風が運び、小鳥たちが拾いました。
*
夜、灯をともした部屋で二人で温かいハーブティーを飲みました。
セージとカモミール、ほんの少しのミント。
この香りが、私たちの物語を包んでくれた香りです。
「君の入れるお茶は、不思議と心が落ち着くな」
「きっと、いろんな思い出の味が混ざっているからですよ」
彼は頷き、窓の外を見つめました。
夜空には満開の花のように星が散らばり、海を静かに照らしています。
「君と出会ってから、人生の香りが変わったよ」
「私もです。
……一度は枯れかけた花が、もう一度咲くなんて思いませんでした」
アシェル様が笑い、私も笑いました。
小さなティーカップが触れ合い、心地よい音を立てました。
*
そして、翌朝。
薬草園の花々は一斉に開きました。
どこまでも広がる香りの中、私はアシェル様の隣に立ちました。
「見てください。セージが満開ですね」
「まるで祝福しているみたいだ」
「……ええ。多分、そうなんです。
“花咲く季節に恋ははじまる”って、こういうことなのかもしれませんね」
朝の光が二人を包み、ハーブの香りが風に乗りました。
リンドウの花びらが陽に透けて、青く輝きます。
あの夜、私は“夫の色をやめた”けれど、
今、私たちは“互いの色で咲いています”。
【完】
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