【完結】二十五歳のドレスを脱ぐとき ~「私という色」を探しに出かけます~

朝日みらい

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【終章】花咲く季節に

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 春が、完全に訪れました。  
 雪解けの水が川を満たし、町には若葉の香りが漂っています。  
 ルーシェの港から少し離れた丘の上――そこに、私たちの新しい家があります。

「もう少しで、薬草園の完成だな」

 腕まくりをしたアシェル様が、スコップを手に微笑みました。  
 私は手に持った苗の根を土に埋めながら、頷きました。

「ええ、次はセージとミントを並べます。風が通る場所の方がいいですもの」

「さすがだ。土の匂いだけで、春の居場所を見つけるんだからな」

 その言葉に、私は少し笑いました。  
 王都にいた頃には、彼がこんな穏やかな表情を見せることなど想像できませんでした。  
 庭仕事をする宰相なんて、きっと昔の彼なら鼻で笑っていたでしょう。

「昔の私は、本当に無粋だった」と彼は照れたように呟きます。

「今は違うんですか?」

「君が選ぶドレスの色を、誰よりも楽しみにしている」

 その返しに思わず笑ってしまい、スコップの音が軽やかに響きました。



 午後の風が吹くころ、庭のハーブが少しずつ香りだしました。  
 青いセージ、白いカモミール、そして小さな忘れな草。  
 それぞれが、まだ柔らかな陽に光を受けています。

「この花は何?」  
 アシェル様が摘んだ花を眺めながら尋ねました。

「リンドウです。悲しみから立ち上がるという意味があるのですよ」

「リンドウの庭……。やはり君の名づけだったか」

「ええ。この庭みたいに、誰かの再生を手伝える場所にしたいと思って」

 私が言うと、彼は少し俯き、そして静かに顔を上げました。

「君は、本当に強くなったね」

「強く、というより……大切にしたいものをようやく見つけたのです。  
 この庭も、あなたも、そして私自身も」

 春の風が吹き抜け、花々がそっと揺れました。  
 アシェル様が私の髪に触れ、指先で撫でるように整えます。

「僕の方こそ、君に救われた。  
 もしあの夜、君が去らなければ、僕は何も変わらずにいただろう」

「でも、あなたは変わられた。  
 それは、私が去ったせいではなく、あなた自身の選択だと思います」

 言葉に彼は小さく笑いました。  
 春の陽を受けるその笑顔は、あの宰相ではなく、ただの穏やかな男の人でした。



 夕暮れが近づくころ、庭の花々がオレンジ色に染まりました。  
 鳥がさえずり、小さな虫たちがゆっくりと羽を震わせています。  
 私は摘み取ったセージを手に、彼の隣に立ちました。

「この花、今日の記念に残しましょう。  
 “尊敬と再生”、そして“新しい始まり”の象徴ですから」

「君と一緒に育てられて光栄だ」

 彼がそう言って微笑んだあと、しばし沈黙が訪れました。  
 静かな沈黙――心地よくて、言葉がいらないほど満たされる。

「ねえ、アシェル様」

「なんだ?」

「あなたの色も、今は好きです」

 彼は驚いたように目を見開き、それから照れくさそうに笑いました。  
 その笑顔を見つめながら、私は続けます。

「あなたの緑は、昔は私を閉じ込めた色でした。  
 でも今は、私を包む春の色なんですね。  
 ――ようやく、そう思えるようになりました」

 風に揺れる花の間で、二人の手がそっと重なりました。  
 あの夜のように震えていない。  
 互いの温もりを確かに感じられる手でした。

「ありがとう。君の色が、俺の人生を変えた」

「お互いさまです」

 笑い合う声が、夕日と共に庭に広がりました。  
 その音を、風が運び、小鳥たちが拾いました。  



 夜、灯をともした部屋で二人で温かいハーブティーを飲みました。  
 セージとカモミール、ほんの少しのミント。  
 この香りが、私たちの物語を包んでくれた香りです。

「君の入れるお茶は、不思議と心が落ち着くな」

「きっと、いろんな思い出の味が混ざっているからですよ」

 彼は頷き、窓の外を見つめました。  
 夜空には満開の花のように星が散らばり、海を静かに照らしています。

「君と出会ってから、人生の香りが変わったよ」

「私もです。  
 ……一度は枯れかけた花が、もう一度咲くなんて思いませんでした」

 アシェル様が笑い、私も笑いました。  
 小さなティーカップが触れ合い、心地よい音を立てました。



 そして、翌朝。  
 薬草園の花々は一斉に開きました。  
 どこまでも広がる香りの中、私はアシェル様の隣に立ちました。

「見てください。セージが満開ですね」

「まるで祝福しているみたいだ」

「……ええ。多分、そうなんです。  
 “花咲く季節に恋ははじまる”って、こういうことなのかもしれませんね」

 朝の光が二人を包み、ハーブの香りが風に乗りました。  
 リンドウの花びらが陽に透けて、青く輝きます。

 あの夜、私は“夫の色をやめた”けれど、  
 今、私たちは“互いの色で咲いています”。


【完】
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