12 / 30
第十二章 剣と花と裏切りと
しおりを挟む
春の空がどこまでも高く澄みわたり、王城では年に一度の“剣技披露の式典”が華やかに開催されていた。
咲き誇る花々の香りと、甲冑の金属音。絢爛なドレスを纏った貴婦人たちの囁きが、風に乗って流れてゆく。
「見てごらんなさい、あれがヴァルト公爵よ……まるで伝説の騎士のよう」
「まぁ!お剣さばきも、まなざしも、全部が鋭くて素敵……うっとりしちゃうわ!」
観客席のあちこちから、感嘆とため息が飛び交う。
――その中心にいたのは、もちろんヴァルト・ラインハルトだった。
濃紺の礼装に身を包み、金の刺繍が剣の動きに合わせて閃く。舞うように、けれど獣のように鋭く、相手の剣をいなしていくその姿は、まさに武と美の化身だった。
リディアは、式典の中央席でその姿を見つめていた。
(なんて……美しいの)
気づけば、周囲の貴婦人たちと同じように、彼女も呼吸を忘れていた。
だが――ふと彼の視線が、ほんの一瞬、こちらへと向いた。
刹那、まるで世界に二人きりになったように感じた。 あの孤独なまなざし。どこか哀しげな光が、彼の瞳に宿っていた。
(ヴァルト……)
歓声が響くなか、リディアの胸だけが静かに、鈍く疼いていた。
その裏では、別のざわめきが蠢いていた。
「聞いた? 公爵に取り入ってるあの女……」
「……あの麗しい顔の下に刃を隠してるんじゃないの?」
それらの噂が、自分を中心に回っていることなど――とっくにリディアは気づいていた。
(……“気づかれないふり”をしているのも大変よね)
だが、もうそのふりも限界だった。
式典のあと。彼女が花園の回廊を歩いていたときだった。
「……君は、何かを背負って私の元に来たのかな?」
不意にかけられた低い声に、リディアは立ち止まった。
振り返れば、ヴァルトが一輪の白い花を指先で弄びながら、そこに立っていた。
風が、二人の間をすり抜ける。
「その質問、まるで……おとぎ話の魔法使いのようですね。“何を求める?”って」
「答え次第では、君を薔薇の茨で囲むかもしれないよ」
「それは怖いですね。……でも、花言葉によっては嬉しくもあるかも」
冗談めいたやりとりの裏に、緊張が走っていた。
リディアは、笑いながらも手が冷えているのを感じた。
彼のまなざしは、責めてはいなかった。ただ、真実を求めていただけだった。
「……私は」
声が、震えた。
言ってしまえば終わってしまう。けれど、言わなければ、もっと取り返しがつかなくなる気がした。
(私は……あなたを欺いた女。愛されるに値しない悪魔)
(でも、なぜか今は……あなたのことを)
「私は、あなたを……」
その言葉の続きを、リディアは飲み込んだ。
――言えなかった。いや、言わなかった。
その瞬間、ヴァルトは手にしていた花を彼女に差し出した。
「この剣技披露の記念に。貴族たちには薔薇を配っているが……君にはこの一輪を」
それは、花びらが欠けた小さなマーガレットだった。
「……選ばれなかった花ですね?」
「いや。選ばなかったんじゃない。摘んだ時、風で欠けた。それでも、美しかったから」
リディアはその花を受け取った。
胸の奥に、また一つ罪が積み重なった気がした。
――剣と花と、そして裏切り。
まだ、リディアの刃は抜かれていない。 けれど、もうそれを抜ける日が来るのかどうか、自分でもわからなかった。
咲き誇る花々の香りと、甲冑の金属音。絢爛なドレスを纏った貴婦人たちの囁きが、風に乗って流れてゆく。
「見てごらんなさい、あれがヴァルト公爵よ……まるで伝説の騎士のよう」
「まぁ!お剣さばきも、まなざしも、全部が鋭くて素敵……うっとりしちゃうわ!」
観客席のあちこちから、感嘆とため息が飛び交う。
――その中心にいたのは、もちろんヴァルト・ラインハルトだった。
濃紺の礼装に身を包み、金の刺繍が剣の動きに合わせて閃く。舞うように、けれど獣のように鋭く、相手の剣をいなしていくその姿は、まさに武と美の化身だった。
リディアは、式典の中央席でその姿を見つめていた。
(なんて……美しいの)
気づけば、周囲の貴婦人たちと同じように、彼女も呼吸を忘れていた。
だが――ふと彼の視線が、ほんの一瞬、こちらへと向いた。
刹那、まるで世界に二人きりになったように感じた。 あの孤独なまなざし。どこか哀しげな光が、彼の瞳に宿っていた。
(ヴァルト……)
歓声が響くなか、リディアの胸だけが静かに、鈍く疼いていた。
その裏では、別のざわめきが蠢いていた。
「聞いた? 公爵に取り入ってるあの女……」
「……あの麗しい顔の下に刃を隠してるんじゃないの?」
それらの噂が、自分を中心に回っていることなど――とっくにリディアは気づいていた。
(……“気づかれないふり”をしているのも大変よね)
だが、もうそのふりも限界だった。
式典のあと。彼女が花園の回廊を歩いていたときだった。
「……君は、何かを背負って私の元に来たのかな?」
不意にかけられた低い声に、リディアは立ち止まった。
振り返れば、ヴァルトが一輪の白い花を指先で弄びながら、そこに立っていた。
風が、二人の間をすり抜ける。
「その質問、まるで……おとぎ話の魔法使いのようですね。“何を求める?”って」
「答え次第では、君を薔薇の茨で囲むかもしれないよ」
「それは怖いですね。……でも、花言葉によっては嬉しくもあるかも」
冗談めいたやりとりの裏に、緊張が走っていた。
リディアは、笑いながらも手が冷えているのを感じた。
彼のまなざしは、責めてはいなかった。ただ、真実を求めていただけだった。
「……私は」
声が、震えた。
言ってしまえば終わってしまう。けれど、言わなければ、もっと取り返しがつかなくなる気がした。
(私は……あなたを欺いた女。愛されるに値しない悪魔)
(でも、なぜか今は……あなたのことを)
「私は、あなたを……」
その言葉の続きを、リディアは飲み込んだ。
――言えなかった。いや、言わなかった。
その瞬間、ヴァルトは手にしていた花を彼女に差し出した。
「この剣技披露の記念に。貴族たちには薔薇を配っているが……君にはこの一輪を」
それは、花びらが欠けた小さなマーガレットだった。
「……選ばれなかった花ですね?」
「いや。選ばなかったんじゃない。摘んだ時、風で欠けた。それでも、美しかったから」
リディアはその花を受け取った。
胸の奥に、また一つ罪が積み重なった気がした。
――剣と花と、そして裏切り。
まだ、リディアの刃は抜かれていない。 けれど、もうそれを抜ける日が来るのかどうか、自分でもわからなかった。
1
あなたにおすすめの小説
溺愛王子の甘すぎる花嫁~悪役令嬢を追放したら、毎日が新婚初夜になりました~
紅葉山参
恋愛
侯爵令嬢リーシャは、婚約者である第一王子ビヨンド様との結婚を心から待ち望んでいた。けれど、その幸福な未来を妬む者もいた。それが、リーシャの控えめな立場を馬鹿にし、王子を我が物にしようと画策した悪役令嬢ユーリーだった。
ある夜会で、ユーリーはビヨンド様の気を引こうと、リーシャを罠にかける。しかし、あなたの王子は、そんなつまらない小細工に騙されるほど愚かではなかった。愛するリーシャを信じ、王子はユーリーを即座に糾弾し、国外追放という厳しい処分を下す。
邪魔者が消え去った後、リーシャとビヨンド様の甘美な新婚生活が始まる。彼は、人前では厳格な王子として振る舞うけれど、私と二人きりになると、とろけるような甘さでリーシャを愛し尽くしてくれるの。
「私の可愛い妻よ、きみなしの人生なんて考えられない」
そう囁くビヨンド様に、私リーシャもまた、心も身体も預けてしまう。これは、障害が取り除かれたことで、むしろ加速度的に深まる、世界一甘くて幸せな夫婦の溺愛物語。新婚の王子妃として、私は彼の、そして王国の「最愛」として、毎日を幸福に満たされて生きていきます。
『影の夫人とガラスの花嫁』
柴田はつみ
恋愛
公爵カルロスの後妻として嫁いだシャルロットは、
結婚初日から気づいていた。
夫は優しい。
礼儀正しく、決して冷たくはない。
けれど──どこか遠い。
夜会で向けられる微笑みの奥には、
亡き前妻エリザベラの影が静かに揺れていた。
社交界は囁く。
「公爵さまは、今も前妻を想っているのだわ」
「後妻は所詮、影の夫人よ」
その言葉に胸が痛む。
けれどシャルロットは自分に言い聞かせた。
──これは政略婚。
愛を求めてはいけない、と。
そんなある日、彼女はカルロスの書斎で
“あり得ない手紙”を見つけてしまう。
『愛しいカルロスへ。
私は必ずあなたのもとへ戻るわ。
エリザベラ』
……前妻は、本当に死んだのだろうか?
噂、沈黙、誤解、そして夫の隠す真実。
揺れ動く心のまま、シャルロットは
“ガラスの花嫁”のように繊細にひび割れていく。
しかし、前妻の影が完全に姿を現したとき、
カルロスの静かな愛がようやく溢れ出す。
「影なんて、最初からいない。
見ていたのは……ずっと君だけだった」
消えた指輪、隠された手紙、閉ざされた書庫──
すべての謎が解けたとき、
影に怯えていた花嫁は光を手に入れる。
切なく、美しく、そして必ず幸せになる後妻ロマンス。
愛に触れたとき、ガラスは光へと変わる
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
「きみ」を愛する王太子殿下、婚約者のわたくしは邪魔者として潔く退場しますわ
間瀬
恋愛
わたくしの愛おしい婚約者には、一つだけ欠点があるのです。
どうやら彼、『きみ』が大好きすぎるそうですの。
わたくしとのデートでも、そのことばかり話すのですわ。
美辞麗句を並べ立てて。
もしや、卵の黄身のことでして?
そう存じ上げておりましたけど……どうやら、違うようですわね。
わたくしの愛は、永遠に報われないのですわ。
それならば、いっそ――愛し合うお二人を結びつけて差し上げましょう。
そして、わたくしはどこかでひっそりと暮らそうかと存じますわ。
※この作品はフィクションです。
『白い結婚』が好条件だったから即断即決するしかないよね!
三谷朱花
恋愛
私、エヴァはずっともう親がいないものだと思っていた。亡くなった母方の祖父母に育てられていたからだ。だけど、年頃になった私を迎えに来たのは、ピョルリング伯爵だった。どうやら私はピョルリング伯爵の庶子らしい。そしてどうやら、政治の道具になるために、王都に連れていかれるらしい。そして、連れていかれた先には、年若いタッペル公爵がいた。どうやら、タッペル公爵は結婚したい理由があるらしい。タッペル公爵の出した条件に、私はすぐに飛びついた。だって、とてもいい条件だったから!
どうしてあなたが後悔するのですか?~私はあなたを覚えていませんから~
クロユキ
恋愛
公爵家の家系に生まれたジェシカは一人娘でもあり我が儘に育ちなんでも思い通りに成らないと気がすまない性格だがそんな彼女をイヤだと言う者は居なかった。彼氏を作るにも慎重に選び一人の男性に目を向けた。
同じ公爵家の男性グレスには婚約を約束をした伯爵家の娘シャーロットがいた。
ジェシカはグレスに強制にシャーロットと婚約破棄を言うがしっこいと追い返されてしまう毎日、それでも諦めないジェシカは貴族で集まった披露宴でもグレスに迫りベランダに出ていたグレスとシャーロットを見つけ寄り添う二人を引き離そうとグレスの手を握った時グレスは手を払い退けジェシカは体ごと手摺をすり抜け落下した…
誤字脱字がありますが気にしないと言っていただけたら幸いです…更新は不定期ですがよろしくお願いします。
悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜
咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。
もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。
一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…?
※これはかなり人を選ぶ作品です。
感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。
それでも大丈夫って方は、ぜひ。
旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~
榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。
ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。
別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら?
ー全50話ー
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる