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第十三章 疑念と願いのあわいで
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リディアの心は、波のない湖面に小石を投げ込んだように、静かに、けれど確かにざわめいていた。
(あの言葉……“君は、何を背負って私の元に来た?”)
ヴァルトの低く響いた問いが、何度も胸の奥で反芻される。
それはあまりにも静かで、優しく、そして逃れられないほどに鋭かった。
けれどその後、彼は何事もなかったかのように普段どおりだった。
「書類の整理が丁寧だね。……もし私が散らかしても、笑ってくれるだろうか?」
「どうでしょう。机の上にパンくずを散らかしたら、たぶん怒ります」
「では、花びらなら許される?」
「香りによります」
そんな冗談めいた会話すら、いつものことのように交わしてくる。
――それが、リディアにはつらかった。
(なぜ何も言わないの……? 信じてる? それとも、すでに見限ってる?)
疑念が胸の奥に棘のように刺さる。
その夜、ヴァルトの書斎の一隅で、彼の命で資料整理をしていたリディアは、ふとした拍子に引き出しの奥に指を入れた。
「……あら?」
束ねられた古い書簡の間から、一通の手紙がこぼれ落ちる。封筒の角が黄ばんでおり、誰かの手で何度も開かれたことを示していた。
何気なく開いたその手紙に、リディアの手が止まる。
――そこには、リディアの父とヴァルトの名が並び、互いに協力し合うことを誓った文面があった。
国家転覆を企てた貴族たちの名。彼らの野望を未然に防ぐため、父とヴァルトが密かに手を組んでいたという記録。
リディアの指先が震える。
(そんな……父は、ヴァルトと……共に戦っていた?)
これまで抱いていた“父を裏切った仇”という認識が、雪解けのように溶け落ちていく。
「うそ……うそ、でしょう……?」
自分が信じてきた物語が崩れていく。
あれほど“仇”として憎もうとした相手が、実は――父の信頼を得ていた男だったなんて。
リディアはそっと手紙を胸に抱えたまま、ふらりと立ち上がった。
そのまま、庭へ。夜の風がドレスの裾をなびかせる。
目の前に広がる薔薇園で、ふとヴァルトが背を向けて立っていた。
「……どうしたんです、こんな夜に」
「君こそ。こんな時間に、花と会話でも?」
「いえ、花は気まずい相手なので……本当のことを言うと、静かに泣ける場所を探してたんです」
「泣くのかい? ……なら、私の背中を貸そう」
「その背中は、国家の未来を担ってるので遠慮しておきます」
ぎこちなく笑い合うふたり。
けれど、リディアの笑みに、どこか涙が混じっていることを、ヴァルトは気づいていた。
「……もし、私がずっと嘘をついていたら、どうしますか?」
「嘘の種類による」
「……刺し違えるタイプです」
「それは困る。私も君も、嘘をつかねば生きられぬ世界にいる」
そう言って、彼はリディアに一輪の小さな花を差し出した。
それは、昼間、侍従が「雑草だ」と言って引き抜こうとしていた野の花だった。
「雑草でも、好きで咲いた花なら、大切にしてやるべきだろう?」
「……そんなこと言うと、また私が好きになってしまいますよ」
「構わない。私は……君がどうしようと、咲くならそれを見守る」
リディアは胸がぎゅっと痛くなった。
(こんな人を、私は……)
(どうして――好きになってしまったの?)
夜の薔薇園に、ため息のような風が吹く。
リディアの中で“願い”が静かに芽吹いていた。
――せめて、この想いだけは本物でありたいと。
(あの言葉……“君は、何を背負って私の元に来た?”)
ヴァルトの低く響いた問いが、何度も胸の奥で反芻される。
それはあまりにも静かで、優しく、そして逃れられないほどに鋭かった。
けれどその後、彼は何事もなかったかのように普段どおりだった。
「書類の整理が丁寧だね。……もし私が散らかしても、笑ってくれるだろうか?」
「どうでしょう。机の上にパンくずを散らかしたら、たぶん怒ります」
「では、花びらなら許される?」
「香りによります」
そんな冗談めいた会話すら、いつものことのように交わしてくる。
――それが、リディアにはつらかった。
(なぜ何も言わないの……? 信じてる? それとも、すでに見限ってる?)
疑念が胸の奥に棘のように刺さる。
その夜、ヴァルトの書斎の一隅で、彼の命で資料整理をしていたリディアは、ふとした拍子に引き出しの奥に指を入れた。
「……あら?」
束ねられた古い書簡の間から、一通の手紙がこぼれ落ちる。封筒の角が黄ばんでおり、誰かの手で何度も開かれたことを示していた。
何気なく開いたその手紙に、リディアの手が止まる。
――そこには、リディアの父とヴァルトの名が並び、互いに協力し合うことを誓った文面があった。
国家転覆を企てた貴族たちの名。彼らの野望を未然に防ぐため、父とヴァルトが密かに手を組んでいたという記録。
リディアの指先が震える。
(そんな……父は、ヴァルトと……共に戦っていた?)
これまで抱いていた“父を裏切った仇”という認識が、雪解けのように溶け落ちていく。
「うそ……うそ、でしょう……?」
自分が信じてきた物語が崩れていく。
あれほど“仇”として憎もうとした相手が、実は――父の信頼を得ていた男だったなんて。
リディアはそっと手紙を胸に抱えたまま、ふらりと立ち上がった。
そのまま、庭へ。夜の風がドレスの裾をなびかせる。
目の前に広がる薔薇園で、ふとヴァルトが背を向けて立っていた。
「……どうしたんです、こんな夜に」
「君こそ。こんな時間に、花と会話でも?」
「いえ、花は気まずい相手なので……本当のことを言うと、静かに泣ける場所を探してたんです」
「泣くのかい? ……なら、私の背中を貸そう」
「その背中は、国家の未来を担ってるので遠慮しておきます」
ぎこちなく笑い合うふたり。
けれど、リディアの笑みに、どこか涙が混じっていることを、ヴァルトは気づいていた。
「……もし、私がずっと嘘をついていたら、どうしますか?」
「嘘の種類による」
「……刺し違えるタイプです」
「それは困る。私も君も、嘘をつかねば生きられぬ世界にいる」
そう言って、彼はリディアに一輪の小さな花を差し出した。
それは、昼間、侍従が「雑草だ」と言って引き抜こうとしていた野の花だった。
「雑草でも、好きで咲いた花なら、大切にしてやるべきだろう?」
「……そんなこと言うと、また私が好きになってしまいますよ」
「構わない。私は……君がどうしようと、咲くならそれを見守る」
リディアは胸がぎゅっと痛くなった。
(こんな人を、私は……)
(どうして――好きになってしまったの?)
夜の薔薇園に、ため息のような風が吹く。
リディアの中で“願い”が静かに芽吹いていた。
――せめて、この想いだけは本物でありたいと。
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