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第5章:謎の優しさ、文官の素顔
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「……痛っ」
思わず声が漏れました。
王宮の石畳ってどうしてこんなに滑るんでしょうか。
私はうっかり足元を踏み外して、庭園の通路で転んでしまったのです。
ドレスの裾が絡まって、片膝を打ち、見る間に小さな擦り傷が――痛い痛い、でも泣いてる場合じゃなくて!
「ドジっ子さま……大丈夫ですか」
聞き慣れた声。
振り返ると、やっぱり案の定、ジーク様がそこに立っていました。
「あなた、どこにでも現れますね! 私が困ってる時限定で!」
「運が良かったですね。庭園巡回中でしたので」
「それ、ほんとですか? 今までの統計とか見せてほしいです」
「統計資料は機密です」
ちょっと待って、冷静に返されると余計ムズムズしてくるんですけど!?
そして次の瞬間――
「じっとしていなさい」
ジーク様が、ポケットから布を取り出して、私の傷にそっと当ててくれました。
手つきは驚くほど丁寧。
無駄がなくて、迷いがなくて。しかも、薬まで常備してるなんて……!
「……なんでそんなに手慣れてるんですか?」
「乙女が転倒するのは想定済みです。王宮では月平均4.6件の報告があり、備えておくべき事象です」
「なにそのリアルな数値!?」
統計魔ですかあなたは。
「でも、あなたの一途な行動にはいつも尊敬します。素敵です」
「えっ……!」
でも、痛みがじんわり和らいできて――それ以上に、なぜか胸があたたかくて。
冷たいはずなのに、優しい。
厳しいくせに、触れ方があまりにもそっとしていて。
なんだか、うれしくなってしまったのは、私の心が勝手に動いたせいでしょうか。
* * *
「……ありがとうございました」
すこし照れながらそう言うと、彼は無言でこくりと頷きました。
その仕草さえも、なんだか不器用で。
こういう人なんだな、って、少しだけわかった気がしました。
「あなたって、もしかして、怒るより先に心配する人です?」
「感情の優先順位は業務によります」
「またそんな業務的な答えを……!」
「でも、ちゃんと大切な相手も見ています」
「ジーク様って……面白い方!」
笑えてしまったのです。
彼の言い回しの不器用さも、どこか愛らしくて。
(もしかして、私……この人のこと、ちょっと……)
――いやいや、それは違う。だって私は、公爵様を……。でもディフェンスされるのも楽しいし……。
* * *
数日後。
文官室の前を通りかかった時、偶然にもジーク様と二人きりになりました。
廊下の静けさが、なんとなく気まずくて。
「……あの、ちょっと聞いてもいいですか?」
「なんでしょう」
「公爵様って、誰にでもあんな風に優しいんですか?」
ほんのり含ませた意図を、彼は即座に察したようで。
「兄上は“役割”をこなす人です。笑顔も、言葉も、礼節も。完璧に設計された外面社交術です」
「じゃあ……私が感じたあのときの微笑みも、設計だったんですね」
「……はい。たくさんの乙女の涙を見てきました」
静かに、でも確かに答えたその言葉が、私の胸をちくりと刺しました。
完璧で、麗しくて、でも――それは“誰にでも向けられる微笑”だと、はっきり言われてしまったから。
だけど。
すぐ隣で、目を伏せたまま続けた彼の言葉が、さらに強く、私の胸を打ったのです。
「ですが、私は……あなたがあの笑顔で傷つかないようにお守りしたかったのです」
「……え?」
その言葉は、兄の代理でもなく、職務の一環でもなく――
“私のため”だと、確かに聞こえました。
「貧乏男爵家の令嬢でも、心くらい本気ですから」
「……知っています。そこが堪らないほどいじらしい……。あなたの素敵な笑顔を守ります」
「笑顔を、ですって……!」
まっすぐに向けられた瞳。
それは、“ただの文官”のものではありませんでした。
* * *
その日以来、ジーク様を“敵”とは思えなくなってしまいました。
気づけば公爵様に手紙を書こうとしても、筆が止まり。
贈り物を選ぼうとすれば、どこか物足りなく感じる。
(私は、何をしたいんだろう……頭にジークの顔しか浮かばないよ)
あの日の言葉がずっと胸の奥に残っていて、あの眼差しが焼き付いていて―― 困るんだ。
思わず声が漏れました。
王宮の石畳ってどうしてこんなに滑るんでしょうか。
私はうっかり足元を踏み外して、庭園の通路で転んでしまったのです。
ドレスの裾が絡まって、片膝を打ち、見る間に小さな擦り傷が――痛い痛い、でも泣いてる場合じゃなくて!
「ドジっ子さま……大丈夫ですか」
聞き慣れた声。
振り返ると、やっぱり案の定、ジーク様がそこに立っていました。
「あなた、どこにでも現れますね! 私が困ってる時限定で!」
「運が良かったですね。庭園巡回中でしたので」
「それ、ほんとですか? 今までの統計とか見せてほしいです」
「統計資料は機密です」
ちょっと待って、冷静に返されると余計ムズムズしてくるんですけど!?
そして次の瞬間――
「じっとしていなさい」
ジーク様が、ポケットから布を取り出して、私の傷にそっと当ててくれました。
手つきは驚くほど丁寧。
無駄がなくて、迷いがなくて。しかも、薬まで常備してるなんて……!
「……なんでそんなに手慣れてるんですか?」
「乙女が転倒するのは想定済みです。王宮では月平均4.6件の報告があり、備えておくべき事象です」
「なにそのリアルな数値!?」
統計魔ですかあなたは。
「でも、あなたの一途な行動にはいつも尊敬します。素敵です」
「えっ……!」
でも、痛みがじんわり和らいできて――それ以上に、なぜか胸があたたかくて。
冷たいはずなのに、優しい。
厳しいくせに、触れ方があまりにもそっとしていて。
なんだか、うれしくなってしまったのは、私の心が勝手に動いたせいでしょうか。
* * *
「……ありがとうございました」
すこし照れながらそう言うと、彼は無言でこくりと頷きました。
その仕草さえも、なんだか不器用で。
こういう人なんだな、って、少しだけわかった気がしました。
「あなたって、もしかして、怒るより先に心配する人です?」
「感情の優先順位は業務によります」
「またそんな業務的な答えを……!」
「でも、ちゃんと大切な相手も見ています」
「ジーク様って……面白い方!」
笑えてしまったのです。
彼の言い回しの不器用さも、どこか愛らしくて。
(もしかして、私……この人のこと、ちょっと……)
――いやいや、それは違う。だって私は、公爵様を……。でもディフェンスされるのも楽しいし……。
* * *
数日後。
文官室の前を通りかかった時、偶然にもジーク様と二人きりになりました。
廊下の静けさが、なんとなく気まずくて。
「……あの、ちょっと聞いてもいいですか?」
「なんでしょう」
「公爵様って、誰にでもあんな風に優しいんですか?」
ほんのり含ませた意図を、彼は即座に察したようで。
「兄上は“役割”をこなす人です。笑顔も、言葉も、礼節も。完璧に設計された外面社交術です」
「じゃあ……私が感じたあのときの微笑みも、設計だったんですね」
「……はい。たくさんの乙女の涙を見てきました」
静かに、でも確かに答えたその言葉が、私の胸をちくりと刺しました。
完璧で、麗しくて、でも――それは“誰にでも向けられる微笑”だと、はっきり言われてしまったから。
だけど。
すぐ隣で、目を伏せたまま続けた彼の言葉が、さらに強く、私の胸を打ったのです。
「ですが、私は……あなたがあの笑顔で傷つかないようにお守りしたかったのです」
「……え?」
その言葉は、兄の代理でもなく、職務の一環でもなく――
“私のため”だと、確かに聞こえました。
「貧乏男爵家の令嬢でも、心くらい本気ですから」
「……知っています。そこが堪らないほどいじらしい……。あなたの素敵な笑顔を守ります」
「笑顔を、ですって……!」
まっすぐに向けられた瞳。
それは、“ただの文官”のものではありませんでした。
* * *
その日以来、ジーク様を“敵”とは思えなくなってしまいました。
気づけば公爵様に手紙を書こうとしても、筆が止まり。
贈り物を選ぼうとすれば、どこか物足りなく感じる。
(私は、何をしたいんだろう……頭にジークの顔しか浮かばないよ)
あの日の言葉がずっと胸の奥に残っていて、あの眼差しが焼き付いていて―― 困るんだ。
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