「妻は困ったやつでして」と笑うクソ夫を捨てたら、氷の公爵閣下に「その困ったところが狂おしいほど愛おしい」と胃袋ごと執着されました

朝日みらい

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第一章:困った妻

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 きらびやかなシャンデリアの光が、王宮の大夜会を昼間のように照らし出しています。
 耳を突き刺すような華やかな旋律と、着飾った貴族たちの笑い声。その中心で、私の夫であるエドワード伯爵は、今日も上機嫌にグラスを傾けていました。

​「いやあ、皆様。お恥ずかしい話ですが、うちの妻には本当に困らされておりまして」
​ 聞き覚えのある、けれど何度聞いても胸の奥がチリりと焼けるような言葉が飛んできます。
 夫の周囲には、彼のおべっか使いの男たちや、扇で口元を隠してクスクスと笑う令嬢たちが群がっていました。

​「ほう、エドワード殿。また奥方が何か?」
「ええ。先日など、領地の予算を勝手に削りましてね。あろうことか、私の愛馬の飼料まで節約しようとしたのです。挙句の果てには、厨房にこもって平民のような煮込み料理を作っている始末で……。伯爵夫人としての矜持(プライド)というものが、彼女には欠けているのですよ」

​ 夫はわざとらしく肩をすくめ、やれやれと首を振りました。
 その隣には、彼の「お気に入り」である侯爵令嬢、カトリーヌ様がぴったりと寄り添っています。彼女は私の顔を見て、勝ち誇ったような、それでいて哀れむような笑みを浮かべました。
​「あら、エドワード様。奥様はきっと、節約が『趣味』なんですのね。没落寸前のお家で育つと、染み付いた貧乏性は抜けないものですわ」

​ どっと沸き起こる笑い声。
 私はその輪から少し離れた場所で、静かに頭を下げて微笑んでいました。
 反論はしません。いえ、したところで無駄なのです。
 この社交界において、夫に逆らう妻は「悪女」と見なされます。ましてや、功績を隠蔽された亡き父の娘である私には、味方など一人もいないのですから。

​(……でも、エドワード様。あなたの愛馬の飼料を削ったのは、あなたがその代金でカトリーヌ様に贈った真珠のネックレスの穴埋めをするためだったのですよ?)
​ そんな言葉を飲み込んで、私はただ、人形のように佇んでいました。

​ ですが。
 その時、会場の空気がふっと変わったのを感じました。
 まるで見えない氷の刃が、熱狂する夜会の空気を切り裂いたような――そんな静寂です。

​「――それが、そんなに可笑しいことか?」
​ 低く、地響きのように響く声。
 人混みが左右に割れ、一人の男性が歩み寄ってきました。
​ 漆黒の礼装に身を包み、非の打ち所のない端正な容姿。けれどその双眸(そうぼう)は、北国の冬の湖のように冷たく、鋭い。
 若き改革派の旗手、シリル・ヴァン・アスタリスク公爵閣下です。

​ 夫のエドワードが、慌てて背筋を伸ばしました。
​「あ、アスタリスク公爵! これは失礼いたしました。いや、単なる身内の恥をさらして場を和ませようとしただけでして……」
「身内の恥、か」
​ 公爵は、夫のことなど視界に入っていないかのように通り過ぎました。
 そして、真っ直ぐに私の方へと歩いてきたのです。

​ 心臓が跳ねました。
 名門中の名門、この国の未来を担うと言われる彼が、私のような日陰の女に何の用があるというのでしょう。
​ 公爵は私の目の前で足を止めました。
 あまりの近さに、彼から漂う清潔な白檀(びゃくだん)の香りが鼻をくすぐります。

​「……先ほど、厨房で供された一皿を食べた」
​ 公爵の声は、囁くように静かでした。けれど、周囲の雑音をすべて消し去るほどの重みがありました。
 厨房?
 そういえば、急遽人手が足りないと言われ、私は裏方として一品だけ「あまり物の根菜を使ったポタージュ」を作りました。公式な晩餐会のメニューではなく、あくまで夜食のついでとして出されたはずのものです。

​「華美なだけの毒々しいソースをかけた肉料理よりも、そのスープは遥かに『誠実』だった。素材の甘みを引き出し、食べる者の体調を慮(おもんばか)る……そんな料理を、私は他に知らない」
​ 公爵の長い指が、不意に私の頬に触れました。
 驚きで目を見開く私に、彼はさらに顔を近づけます。

​「伯爵。君は、自分の妻がこれほどまでに『価値あるもの』をその手で生み出していることに、気づいていないのか?」
​ 会場が静まり返りました。
 夫の顔は屈辱で赤くなり、カトリーヌ様は扇を握りしめて震えています。
​「そ、そんなものは、ただの平民料理です! 閣下、あいつは……!」
「黙れ。私は君に話しかけていない」
​ 公爵は冷徹に言い捨てると、再び私を見つめました。
 その瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、焔のような熱が宿ったのを私は見逃しませんでした。

​「貴女が、あの一皿を?」
「……はい。公爵閣下。お口に合いましたのなら、光栄です」
​ 私が震える声で答えると、彼は満足そうに、けれどどこか切なげに目を細めました。
 そして、衆人環視の中で、私の右手をそっと取りました。
 手袋越しでも伝わってくる、彼の掌の熱。
 彼はそのまま、私の指先に、深く、刻みつけるようなキスを落としたのです。
​「この味を、私は生涯忘れないだろう」

​ その夜、私は初めて、誰かに自分の存在を「肯定」されたのだと思いました。
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