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第31章 火の灯る窓辺
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風邪をこじらせて、寝込んでしまいました。
……ええ、あの満月の夜、あれだけ薄着で庭をうろついたのですから当然ですわよね。
言い訳のしようがございません。
喉はひりひりと痛むし、咳は止まらないし、頭はぼうっとするし。
鼻が詰まってものの味も香りもしません。
でも、唯一よかったのは──。
レオニード様が、今夜もそばにいてくださっているということでした。
「……まだ、眠れないのか?」
その声に、わたくしは枕元でこくりとうなずきました。
布団から出るのも億劫で、声を出すのすら面倒でしたけれど、その人の気配だけは、すぐにわかります。
窓辺には、やさしい灯りがひとつ。
ランプの光に照らされたレオニード様の横顔は、どこか夢の中の誰かみたいで……なんだか現実味がありませんでした。
それでも、彼は黙ってわたくしの好きな本を手に取り、ページをめくって、読み始めてくれました。
「……“小さな鳥は、ある日、海を越えようと決めた。誰もがそれを無理だと言ったが、鳥は笑ってこう言った──『風がある限り、私の翼は空を忘れない』……”」
その声は、低く落ち着いていて、どんな薬より効きそうな気がいたします。
「ふふ……それ、子どもの頃、大好きだったお話ですわ。よく覚えていてくださいましたね」
「お前が読んでくれと、毎回せがんでただろう。忘れろって方が無理だ」
読みながら、時折そうやって冗談を交えてくださるものですから、咳き込みながらもつい笑ってしまいました。
「……こんなふうに看病されるの、初めてです」
わたくしがぽつりとそう呟くと、レオニード様は少しだけ、ページをめくる手を止めました。
「……俺もだ。誰かのために、眠れない夜を過ごすなんて、初めてだ」
それは、熱のせいではなく、心にじんわり染み込むような言葉でした。
「まあ……では、おあいこですわね」
「ふっ、そういうことにしておこうか」
わたくしの額にかかった髪を、そっと指先で払ってくださった彼は、立ち上がるでもなく、また窓辺の椅子に腰を戻されました。
窓の外には、やわらかい夜の気配。ほんのかすかに、春の気配さえ感じるような気がします。
「……レオニード様」
「ん?」
「ずっと、ここにいてくださるのですか?」
その問いは、熱に浮かされてうっかり口に出てしまったものでした。
でも、次の彼の言葉が、わたしの心をもっと熱くさせました。
「窓の灯がついている限り、お前の傍にいる」
……ああ、これは夢でしょうか。風邪の熱が見せた幻?
でも、その声があまりにも真っ直ぐで、あまりにもやさしくて。
わたしはそのまま、安心してまぶたを閉じました。
彼の声と灯りの揺らぎが、交互に、波のように、わたしを包んでくれます。
「……寝たか?」
「……寝てません」
「嘘つけ、目閉じてるじゃないか」
「“寝ようとしているだけ”です」
「……まったく、子どもか」
「子どもだったら、もうとっくに治ってますわ。風邪なんて」
「それは……たしかにそうだな」
くすっと、笑い合いました。
眠れない夜でしたが、それでも、心はとても温かかったのです。
* * *
翌朝、わたしは少しだけ熱が下がりました。
目を覚ましたとき、ランプは消えていましたが、窓辺の椅子に、たたまれた上着が残されていたのです。
それは、レオニード様のものでした。
……きっと、あのあとも、ずっとここにいてくださったのでしょう。
ふと、窓の外を見れば、遠く空に雲雀の声。
その朝、執事が一通の手紙を持ってまいりました。
差出人は、懐かしい名前──
「……クラリッサ?」
わたしの幼馴染からの、便りでした。
……ええ、あの満月の夜、あれだけ薄着で庭をうろついたのですから当然ですわよね。
言い訳のしようがございません。
喉はひりひりと痛むし、咳は止まらないし、頭はぼうっとするし。
鼻が詰まってものの味も香りもしません。
でも、唯一よかったのは──。
レオニード様が、今夜もそばにいてくださっているということでした。
「……まだ、眠れないのか?」
その声に、わたくしは枕元でこくりとうなずきました。
布団から出るのも億劫で、声を出すのすら面倒でしたけれど、その人の気配だけは、すぐにわかります。
窓辺には、やさしい灯りがひとつ。
ランプの光に照らされたレオニード様の横顔は、どこか夢の中の誰かみたいで……なんだか現実味がありませんでした。
それでも、彼は黙ってわたくしの好きな本を手に取り、ページをめくって、読み始めてくれました。
「……“小さな鳥は、ある日、海を越えようと決めた。誰もがそれを無理だと言ったが、鳥は笑ってこう言った──『風がある限り、私の翼は空を忘れない』……”」
その声は、低く落ち着いていて、どんな薬より効きそうな気がいたします。
「ふふ……それ、子どもの頃、大好きだったお話ですわ。よく覚えていてくださいましたね」
「お前が読んでくれと、毎回せがんでただろう。忘れろって方が無理だ」
読みながら、時折そうやって冗談を交えてくださるものですから、咳き込みながらもつい笑ってしまいました。
「……こんなふうに看病されるの、初めてです」
わたくしがぽつりとそう呟くと、レオニード様は少しだけ、ページをめくる手を止めました。
「……俺もだ。誰かのために、眠れない夜を過ごすなんて、初めてだ」
それは、熱のせいではなく、心にじんわり染み込むような言葉でした。
「まあ……では、おあいこですわね」
「ふっ、そういうことにしておこうか」
わたくしの額にかかった髪を、そっと指先で払ってくださった彼は、立ち上がるでもなく、また窓辺の椅子に腰を戻されました。
窓の外には、やわらかい夜の気配。ほんのかすかに、春の気配さえ感じるような気がします。
「……レオニード様」
「ん?」
「ずっと、ここにいてくださるのですか?」
その問いは、熱に浮かされてうっかり口に出てしまったものでした。
でも、次の彼の言葉が、わたしの心をもっと熱くさせました。
「窓の灯がついている限り、お前の傍にいる」
……ああ、これは夢でしょうか。風邪の熱が見せた幻?
でも、その声があまりにも真っ直ぐで、あまりにもやさしくて。
わたしはそのまま、安心してまぶたを閉じました。
彼の声と灯りの揺らぎが、交互に、波のように、わたしを包んでくれます。
「……寝たか?」
「……寝てません」
「嘘つけ、目閉じてるじゃないか」
「“寝ようとしているだけ”です」
「……まったく、子どもか」
「子どもだったら、もうとっくに治ってますわ。風邪なんて」
「それは……たしかにそうだな」
くすっと、笑い合いました。
眠れない夜でしたが、それでも、心はとても温かかったのです。
* * *
翌朝、わたしは少しだけ熱が下がりました。
目を覚ましたとき、ランプは消えていましたが、窓辺の椅子に、たたまれた上着が残されていたのです。
それは、レオニード様のものでした。
……きっと、あのあとも、ずっとここにいてくださったのでしょう。
ふと、窓の外を見れば、遠く空に雲雀の声。
その朝、執事が一通の手紙を持ってまいりました。
差出人は、懐かしい名前──
「……クラリッサ?」
わたしの幼馴染からの、便りでした。
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