【完結】伯爵令嬢の25通の手紙 ~この手紙たちが、わたしを支えてくれますように~

朝日みらい

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第8章 嵐の夜

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 昼間から重く垂れこめていた灰色の雲が、夕方には低く鳴りはじめました。  
 グラウベル領を覆う風は冷たく荒れ、窓の外の森がざわめいています。

 ソフィが慌ただしく駆けこんできました。
「奥様! 嵐です、倉庫の屋根が飛ばされそうだと!」

 外を見ると、雪混じりの突風が木々を折り曲げ、視界を白く塗りつぶしていました。  
 遠くの丘の上で、村の小倉庫の屋根板がはがれ、子どもたちが中に避難している姿が見えます。

 胸が凍りつきました。
「あの中に、子どもたちが!」

「ですが、外は危険です、奥様!」

 わかっています、それでも足は止まりませんでした。  
 毛皮のマントをつかんで外へ飛び出すと、雪が頬を刺すように叩きつけます。息を吸うたびに肺が痛むほどの冷気。

(あの子たちを……助けないと)

 転げるように坂を駆け下り、倉庫の扉に手を掛けました。  
 吹雪の圧で扉がびくとも動きません。内側からかすかに泣き声が聞こえました。

「大丈夫! 今、開けますからね!」

 全身の力を込めて押し上げると、冷気と一緒に扉が半ば倒れるように開きます。  
 中へ滑り込んだ瞬間、頭上から木材の軋む音――。

「危ない!」

 腕を伸ばした瞬間、梁の一部が崩れ落ち、肩と背中を打ちつけました。  
 息が詰まり、痛みに足が動かなくなります。それでも、目の前の小さな身体たちを必死に抱き寄せました。

「怖くないわ、外に出ましょう。わたしが守るから」

 幼い少女が泣きながら頷き、男の子が扉の方を指差します。  
 外は吹雪。視界の向こうから誰かの声が風にちぎれて届きました。

「――クラリッサ!」

 耳を疑いました。  
 次の瞬間、雪煙を割って駆け込んできたのは、アルフォンス様でした。

 全身雪まみれで、目は凍えるように鋭く、それでいて焦燥を隠せません。  
 わたしを見るや否や、彼は木片を蹴り飛ばして近寄りました。

「何をしている! 危険だと言っただろう!」

「こ、子どもたちが閉じ込められて……!」

「馬鹿者!」

 怒声のあと、彼は梁を持ち上げてわたしの上から退け、子どもたちを外へ押し出しました。  
 吹雪の音に混じって、怒りと安堵が入り交じる声が震えていました。

「二度と俺を……恐れさせるな!」

 そう言うと同時に、彼の腕がわたしを抱き寄せました。  
 その温かさに、息をするのも忘れてしまいます。

「……すみません。でも、どうしても放っておけなくて」

「愚かだ……本当に、お前という人は」

 低い声が耳元で震えました。  
 次の瞬間、わたしの頬に冷たくも不器用な指が触れます。  
 その指先が、震えていると気づきました。

「怖かった」  
 ――それは、彼ではなくわたしが感じた言葉のようにも聞こえました。



 その後、子どもたちは無事屋敷に運び込まれました。  
 暖炉の火の前で、毛布にくるまった小さな頭たちが安堵の息を漏らします。

「奥様……本当に、ありがとうございます!」  
 ソフィが泣きながら抱きついてきました。  
 その後ろで、アルフォンス様が黙って見ています。

「怪我はないか?」

 振り向くと、彼の頬に小さな傷が走っていました。  
 わたしはつい手を伸ばし、その傷跡に指先を触れました。

「少し切れています。痛みませんか?」

「問題ない」

 短い答えのあと、彼の灰色の瞳がわたしの指先を追います。  
 そして、ふいにその手を包み込むように握りました。

「……お前の手のほうが冷たい」

 苦笑いのように呟いた声が、信じられないほどやさしかった。  
 何かを押し潰すように息を吐いて、それからそっと髪を撫でました。  
 ごつごつとした指が恐ろしく優しくて、胸がぎゅっと締め付けられます。

「二度と無茶をするな。命令だ」

「……はい。ごめんなさい」

「だが、ありがとう。あの子たちはお前のおかげで助かった」

 穏やかに告げられたその言葉に、呼吸が詰まりました。  
 泣きたくなるほど嬉しくて、でも涙より先に笑みがこぼれました。

「わたし、今夜のことをきっと忘れません」

 その言葉に、彼の唇が小さく動きました。  
 何か言いたげに迷ったあと、結局「……そうか」とだけ。

 けれどその一言のぬくもりだけで十分でした。



 夜更け。  
 嵐は去り、世界は静まり返っていました。  
 窓の外では、月の光が雪に反射して、あたり一面が銀色に輝いています。

 わたしは暖炉の前で、震える手でペンを取りました。  
 八通目の手紙です。

『嵐の夜に、彼がわたしを抱きしめてくれました。  
 彼の手の温かさを、わたしは忘れないでしょう。  
 雪の国にも、確かな灯りはあるのですね。』

 封をしながら、あの腕の重みと、胸の震えをもう一度思い出します。  
 冷たい世界の中で、ようやく触れた確かな温度。  

 それは、凍たい心に差し込んだ光のようでした。
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