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第8章 嵐の夜
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昼間から重く垂れこめていた灰色の雲が、夕方には低く鳴りはじめました。
グラウベル領を覆う風は冷たく荒れ、窓の外の森がざわめいています。
ソフィが慌ただしく駆けこんできました。
「奥様! 嵐です、倉庫の屋根が飛ばされそうだと!」
外を見ると、雪混じりの突風が木々を折り曲げ、視界を白く塗りつぶしていました。
遠くの丘の上で、村の小倉庫の屋根板がはがれ、子どもたちが中に避難している姿が見えます。
胸が凍りつきました。
「あの中に、子どもたちが!」
「ですが、外は危険です、奥様!」
わかっています、それでも足は止まりませんでした。
毛皮のマントをつかんで外へ飛び出すと、雪が頬を刺すように叩きつけます。息を吸うたびに肺が痛むほどの冷気。
(あの子たちを……助けないと)
転げるように坂を駆け下り、倉庫の扉に手を掛けました。
吹雪の圧で扉がびくとも動きません。内側からかすかに泣き声が聞こえました。
「大丈夫! 今、開けますからね!」
全身の力を込めて押し上げると、冷気と一緒に扉が半ば倒れるように開きます。
中へ滑り込んだ瞬間、頭上から木材の軋む音――。
「危ない!」
腕を伸ばした瞬間、梁の一部が崩れ落ち、肩と背中を打ちつけました。
息が詰まり、痛みに足が動かなくなります。それでも、目の前の小さな身体たちを必死に抱き寄せました。
「怖くないわ、外に出ましょう。わたしが守るから」
幼い少女が泣きながら頷き、男の子が扉の方を指差します。
外は吹雪。視界の向こうから誰かの声が風にちぎれて届きました。
「――クラリッサ!」
耳を疑いました。
次の瞬間、雪煙を割って駆け込んできたのは、アルフォンス様でした。
全身雪まみれで、目は凍えるように鋭く、それでいて焦燥を隠せません。
わたしを見るや否や、彼は木片を蹴り飛ばして近寄りました。
「何をしている! 危険だと言っただろう!」
「こ、子どもたちが閉じ込められて……!」
「馬鹿者!」
怒声のあと、彼は梁を持ち上げてわたしの上から退け、子どもたちを外へ押し出しました。
吹雪の音に混じって、怒りと安堵が入り交じる声が震えていました。
「二度と俺を……恐れさせるな!」
そう言うと同時に、彼の腕がわたしを抱き寄せました。
その温かさに、息をするのも忘れてしまいます。
「……すみません。でも、どうしても放っておけなくて」
「愚かだ……本当に、お前という人は」
低い声が耳元で震えました。
次の瞬間、わたしの頬に冷たくも不器用な指が触れます。
その指先が、震えていると気づきました。
「怖かった」
――それは、彼ではなくわたしが感じた言葉のようにも聞こえました。
*
その後、子どもたちは無事屋敷に運び込まれました。
暖炉の火の前で、毛布にくるまった小さな頭たちが安堵の息を漏らします。
「奥様……本当に、ありがとうございます!」
ソフィが泣きながら抱きついてきました。
その後ろで、アルフォンス様が黙って見ています。
「怪我はないか?」
振り向くと、彼の頬に小さな傷が走っていました。
わたしはつい手を伸ばし、その傷跡に指先を触れました。
「少し切れています。痛みませんか?」
「問題ない」
短い答えのあと、彼の灰色の瞳がわたしの指先を追います。
そして、ふいにその手を包み込むように握りました。
「……お前の手のほうが冷たい」
苦笑いのように呟いた声が、信じられないほどやさしかった。
何かを押し潰すように息を吐いて、それからそっと髪を撫でました。
ごつごつとした指が恐ろしく優しくて、胸がぎゅっと締め付けられます。
「二度と無茶をするな。命令だ」
「……はい。ごめんなさい」
「だが、ありがとう。あの子たちはお前のおかげで助かった」
穏やかに告げられたその言葉に、呼吸が詰まりました。
泣きたくなるほど嬉しくて、でも涙より先に笑みがこぼれました。
「わたし、今夜のことをきっと忘れません」
その言葉に、彼の唇が小さく動きました。
何か言いたげに迷ったあと、結局「……そうか」とだけ。
けれどその一言のぬくもりだけで十分でした。
*
夜更け。
嵐は去り、世界は静まり返っていました。
窓の外では、月の光が雪に反射して、あたり一面が銀色に輝いています。
わたしは暖炉の前で、震える手でペンを取りました。
八通目の手紙です。
『嵐の夜に、彼がわたしを抱きしめてくれました。
彼の手の温かさを、わたしは忘れないでしょう。
雪の国にも、確かな灯りはあるのですね。』
封をしながら、あの腕の重みと、胸の震えをもう一度思い出します。
冷たい世界の中で、ようやく触れた確かな温度。
それは、凍たい心に差し込んだ光のようでした。
グラウベル領を覆う風は冷たく荒れ、窓の外の森がざわめいています。
ソフィが慌ただしく駆けこんできました。
「奥様! 嵐です、倉庫の屋根が飛ばされそうだと!」
外を見ると、雪混じりの突風が木々を折り曲げ、視界を白く塗りつぶしていました。
遠くの丘の上で、村の小倉庫の屋根板がはがれ、子どもたちが中に避難している姿が見えます。
胸が凍りつきました。
「あの中に、子どもたちが!」
「ですが、外は危険です、奥様!」
わかっています、それでも足は止まりませんでした。
毛皮のマントをつかんで外へ飛び出すと、雪が頬を刺すように叩きつけます。息を吸うたびに肺が痛むほどの冷気。
(あの子たちを……助けないと)
転げるように坂を駆け下り、倉庫の扉に手を掛けました。
吹雪の圧で扉がびくとも動きません。内側からかすかに泣き声が聞こえました。
「大丈夫! 今、開けますからね!」
全身の力を込めて押し上げると、冷気と一緒に扉が半ば倒れるように開きます。
中へ滑り込んだ瞬間、頭上から木材の軋む音――。
「危ない!」
腕を伸ばした瞬間、梁の一部が崩れ落ち、肩と背中を打ちつけました。
息が詰まり、痛みに足が動かなくなります。それでも、目の前の小さな身体たちを必死に抱き寄せました。
「怖くないわ、外に出ましょう。わたしが守るから」
幼い少女が泣きながら頷き、男の子が扉の方を指差します。
外は吹雪。視界の向こうから誰かの声が風にちぎれて届きました。
「――クラリッサ!」
耳を疑いました。
次の瞬間、雪煙を割って駆け込んできたのは、アルフォンス様でした。
全身雪まみれで、目は凍えるように鋭く、それでいて焦燥を隠せません。
わたしを見るや否や、彼は木片を蹴り飛ばして近寄りました。
「何をしている! 危険だと言っただろう!」
「こ、子どもたちが閉じ込められて……!」
「馬鹿者!」
怒声のあと、彼は梁を持ち上げてわたしの上から退け、子どもたちを外へ押し出しました。
吹雪の音に混じって、怒りと安堵が入り交じる声が震えていました。
「二度と俺を……恐れさせるな!」
そう言うと同時に、彼の腕がわたしを抱き寄せました。
その温かさに、息をするのも忘れてしまいます。
「……すみません。でも、どうしても放っておけなくて」
「愚かだ……本当に、お前という人は」
低い声が耳元で震えました。
次の瞬間、わたしの頬に冷たくも不器用な指が触れます。
その指先が、震えていると気づきました。
「怖かった」
――それは、彼ではなくわたしが感じた言葉のようにも聞こえました。
*
その後、子どもたちは無事屋敷に運び込まれました。
暖炉の火の前で、毛布にくるまった小さな頭たちが安堵の息を漏らします。
「奥様……本当に、ありがとうございます!」
ソフィが泣きながら抱きついてきました。
その後ろで、アルフォンス様が黙って見ています。
「怪我はないか?」
振り向くと、彼の頬に小さな傷が走っていました。
わたしはつい手を伸ばし、その傷跡に指先を触れました。
「少し切れています。痛みませんか?」
「問題ない」
短い答えのあと、彼の灰色の瞳がわたしの指先を追います。
そして、ふいにその手を包み込むように握りました。
「……お前の手のほうが冷たい」
苦笑いのように呟いた声が、信じられないほどやさしかった。
何かを押し潰すように息を吐いて、それからそっと髪を撫でました。
ごつごつとした指が恐ろしく優しくて、胸がぎゅっと締め付けられます。
「二度と無茶をするな。命令だ」
「……はい。ごめんなさい」
「だが、ありがとう。あの子たちはお前のおかげで助かった」
穏やかに告げられたその言葉に、呼吸が詰まりました。
泣きたくなるほど嬉しくて、でも涙より先に笑みがこぼれました。
「わたし、今夜のことをきっと忘れません」
その言葉に、彼の唇が小さく動きました。
何か言いたげに迷ったあと、結局「……そうか」とだけ。
けれどその一言のぬくもりだけで十分でした。
*
夜更け。
嵐は去り、世界は静まり返っていました。
窓の外では、月の光が雪に反射して、あたり一面が銀色に輝いています。
わたしは暖炉の前で、震える手でペンを取りました。
八通目の手紙です。
『嵐の夜に、彼がわたしを抱きしめてくれました。
彼の手の温かさを、わたしは忘れないでしょう。
雪の国にも、確かな灯りはあるのですね。』
封をしながら、あの腕の重みと、胸の震えをもう一度思い出します。
冷たい世界の中で、ようやく触れた確かな温度。
それは、凍たい心に差し込んだ光のようでした。
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