9 / 20
第9章 氷の侯爵の微笑み
しおりを挟む
嵐の翌朝、世界はまるで別の国のように輝いていました。
雪は静まり、木々の枝に白銀の花が咲いたみたいに光を反射しています。空は澄み、どこまでも清らかで。
昨夜の倉庫の惨状が嘘のようでした。
屋敷の裏では、修理を終えた倉庫の横に子どもたちの笑い声が響いています。
「奥様! お身体はもう平気ですか?」
「はい、打ち身だけよ。みんな無事で良かったわね」
村の母親たちが涙ぐみながら何度も頭を下げました。
その背中を見ているうちに、わたしの喉が熱くなります。
ふと視線を上げると、少し離れた場所でアルフォンス様が腕を組んで立っていました。
冷たい風に外套をなびかせながら、村の様子を黙って見下ろしています。
近づいていくと、彼は静かにわたしを見ました。
その灰色の瞳に映るのは、昨日までと少し違う光。
「体はもう良いのか」
「はい。あなたのおかげで助かりました」
そう答えると、彼はわずかに息を吐いてから短く言いました。
「お前の無茶に、いつか命がいくつあっても足りなくなるな」
「でも……放っておけませんでした」
「わかっている。――俺も同じだった」
一瞬、静寂が流れました。
その静けさの中で、彼の唇がわずかに動き、目元がやわらかくなりました。
それが、この人が初めて見せた“笑み”でした。
雪よりもまぶしく、そして脆いほどに優しい微笑み。
「お前の努力が、この村を変えた」
その言葉に、胸が震えました。
わたしは小さく首を振ります。
「違います。村が、そして皆が変わろうとしてくださったのです。
……あなたが、それを許してくださったから」
アルフォンス様は何も言わず、ただその灰色の瞳を細めました。
けれどその目には、もう氷の冷たさはありません。
燃える炭火のような温かさが宿っていました。
*
その日の午後、村の人々が屋敷を訪れました。
彼らは花束や手作りの飾りを抱えていて、玄関前の大広間にまであふれます。
「奥様のために――」
最初に差し出されたのは、子どもたちの小さな手の花束でした。
白花、クロッカス、雪割草。辺境の地でも育つ、強くたくましい花々です。
「これ、わたしたちが摘みました! 奥様、ありがとう!」
わたしは膝を折り、花束を受け取りました。
まるで胸の奥がふわりと溶けるような気がして、気づけば涙が頬を伝っていました。
そのとき、小さく後ろで誰かが咳払いしました。
振り向くと、アルフォンス様が立っています。
「……お前たち。俺の妻を泣かせるな」
「わ、わ! ご、ごめんなさい!」
子どもたちは慌てて頭を下げました。
その様子に、彼の口端がわずかに上がりました――ほんの一瞬。
けれど、それだけで屋敷全体が少し明るくなったように思えました。
村人たちも驚いたように目を見開き、一様に微笑みを返します。
“氷の侯爵”と呼ばれていた男が笑った。
それは、この地にとって小さな奇跡でした。
*
その夜。
屋敷の外壁に、雪の反射で淡い光がゆらめいていました。
わたしはその光の中で、また便箋を広げました。
『九通目。
氷の侯爵が、初めて微笑みました。
まだ不器用で、少しだけ恥ずかしそうでした。
でも、その笑顔を見たとき、胸がふわりと熱くなったのです。
わたしは――あの人を、愛しているのかもしれません。』
ペン先を握る指が震えて、何度も書き直しました。
でも、その言葉だけはどうしても消せません。
まるで“告白”のように、心の奥から自然に零れてしまったからです。
書き終えて火を落とすころ、窓の向こうでは雪がやわらかく降り始めていました。
その雪はもう、冷たく感じませんでした。
雪は静まり、木々の枝に白銀の花が咲いたみたいに光を反射しています。空は澄み、どこまでも清らかで。
昨夜の倉庫の惨状が嘘のようでした。
屋敷の裏では、修理を終えた倉庫の横に子どもたちの笑い声が響いています。
「奥様! お身体はもう平気ですか?」
「はい、打ち身だけよ。みんな無事で良かったわね」
村の母親たちが涙ぐみながら何度も頭を下げました。
その背中を見ているうちに、わたしの喉が熱くなります。
ふと視線を上げると、少し離れた場所でアルフォンス様が腕を組んで立っていました。
冷たい風に外套をなびかせながら、村の様子を黙って見下ろしています。
近づいていくと、彼は静かにわたしを見ました。
その灰色の瞳に映るのは、昨日までと少し違う光。
「体はもう良いのか」
「はい。あなたのおかげで助かりました」
そう答えると、彼はわずかに息を吐いてから短く言いました。
「お前の無茶に、いつか命がいくつあっても足りなくなるな」
「でも……放っておけませんでした」
「わかっている。――俺も同じだった」
一瞬、静寂が流れました。
その静けさの中で、彼の唇がわずかに動き、目元がやわらかくなりました。
それが、この人が初めて見せた“笑み”でした。
雪よりもまぶしく、そして脆いほどに優しい微笑み。
「お前の努力が、この村を変えた」
その言葉に、胸が震えました。
わたしは小さく首を振ります。
「違います。村が、そして皆が変わろうとしてくださったのです。
……あなたが、それを許してくださったから」
アルフォンス様は何も言わず、ただその灰色の瞳を細めました。
けれどその目には、もう氷の冷たさはありません。
燃える炭火のような温かさが宿っていました。
*
その日の午後、村の人々が屋敷を訪れました。
彼らは花束や手作りの飾りを抱えていて、玄関前の大広間にまであふれます。
「奥様のために――」
最初に差し出されたのは、子どもたちの小さな手の花束でした。
白花、クロッカス、雪割草。辺境の地でも育つ、強くたくましい花々です。
「これ、わたしたちが摘みました! 奥様、ありがとう!」
わたしは膝を折り、花束を受け取りました。
まるで胸の奥がふわりと溶けるような気がして、気づけば涙が頬を伝っていました。
そのとき、小さく後ろで誰かが咳払いしました。
振り向くと、アルフォンス様が立っています。
「……お前たち。俺の妻を泣かせるな」
「わ、わ! ご、ごめんなさい!」
子どもたちは慌てて頭を下げました。
その様子に、彼の口端がわずかに上がりました――ほんの一瞬。
けれど、それだけで屋敷全体が少し明るくなったように思えました。
村人たちも驚いたように目を見開き、一様に微笑みを返します。
“氷の侯爵”と呼ばれていた男が笑った。
それは、この地にとって小さな奇跡でした。
*
その夜。
屋敷の外壁に、雪の反射で淡い光がゆらめいていました。
わたしはその光の中で、また便箋を広げました。
『九通目。
氷の侯爵が、初めて微笑みました。
まだ不器用で、少しだけ恥ずかしそうでした。
でも、その笑顔を見たとき、胸がふわりと熱くなったのです。
わたしは――あの人を、愛しているのかもしれません。』
ペン先を握る指が震えて、何度も書き直しました。
でも、その言葉だけはどうしても消せません。
まるで“告白”のように、心の奥から自然に零れてしまったからです。
書き終えて火を落とすころ、窓の向こうでは雪がやわらかく降り始めていました。
その雪はもう、冷たく感じませんでした。
0
あなたにおすすめの小説
王妃はただ、殺されないことを願う
柴田はつみ
恋愛
一度目の人生で、愛する国王の剣によって結婚半年で殺されたお飾り王妃リリアナ。彼女は運命に抗うことなく、隣国から送られた「呪いの血を持つ王妃」として処断された。
しかし、リリアナは婚礼直後に時を戻して転生する。二度目の人生、彼女に残された時間は、運命の冬至の夜会までの半年間。
リリアナは、以前のような無垢な愛を国王アレスに捧げることをやめ、「殺されない」ため、そして「愛する人を裏切り者にしたくない」ために、冷徹な「お飾りの王妃」として振る舞い始める。
沈黙の指輪 ―公爵令嬢の恋慕―
柴田はつみ
恋愛
公爵家の令嬢シャルロッテは、政略結婚で財閥御曹司カリウスと結ばれた。
最初は形式だけの結婚だったが、優しく包み込むような夫の愛情に、彼女の心は次第に解けていく。
しかし、蜜月のあと訪れたのは小さな誤解の連鎖だった。
カリウスの秘書との噂、消えた指輪、隠された手紙――そして「君を幸せにできない」という冷たい言葉。
離婚届の上に、涙が落ちる。
それでもシャルロッテは信じたい。
あの日、薔薇の庭で誓った“永遠”を。
すれ違いと沈黙の夜を越えて、二人の愛はもう一度咲くのだろうか。
【完結】ロザリンダ嬢の憂鬱~手紙も来ない 婚約者 vs シスコン 熾烈な争い
buchi
恋愛
後ろ盾となる両親の死後、婚約者が冷たい……ロザリンダは婚約者の王太子殿下フィリップの変容に悩んでいた。手紙もプレゼントも来ない上、夜会に出れば、他の令嬢たちに取り囲まれている。弟からはもう、婚約など止めてはどうかと助言され……
視点が話ごとに変わります。タイトルに誰の視点なのか入っています(入ってない場合もある)。話ごとの文字数が違うのは、場面が変わるから(言い訳)
【完結】恋が終わる、その隙に
七瀬菜々
恋愛
秋。黄褐色に光るススキの花穂が畦道を彩る頃。
伯爵令嬢クロエ・ロレーヌは5年の婚約期間を経て、名門シルヴェスター公爵家に嫁いだ。
愛しい彼の、弟の妻としてーーー。
夫婦という名の協力者、敵は令嬢
にゃみ3
恋愛
齢十二歳にして公爵夫人となった、セレスティア。
常に命を狙われる危険と、露骨な敵意に晒される立場。
同年代の令嬢たちからは妬みと侮蔑を向けられ、年長の貴婦人たちからは距離を置かれる。
そんな生活を送り始めて、早くも六年が経った頃。
「私、公爵様とお近づきになりたいんです!」
夫に好意を寄せる、自らが公爵夫人の座に就きたいと言い出した令嬢が現れて……。
黒く爛れた世界でたった二人の幼い夫婦が、どれほど苦しい思いをして生きてきたか。それは、当人である二人にしか分からないことだ。
婚約お断り令嬢ですわ ~奇行で縁談を潰していたら本命騎士に再会しました~
鍛高譚
恋愛
婚約話? 結構ですわ。
私には――子供の頃に命を救ってくれた“黒髪の騎士”がいるのですから。
公爵令嬢アンネローゼ・フォン・グレイシアは、才色兼備の完璧令嬢……だった。
だが、ある日から突如“奇行”に走り始める。正座で舞踏会に参加? スープにストロー? 謎のポエム朗読?
そう、それはすべて――望まぬ婚約をぶち壊すため!
王族、貴族、策略家、演技派……次々と舞い込む政略結婚の話。
アンネローゼはあの手この手で縁談をぶった斬り、恋も名誉も自由も手に入れる!
すべての婚約破棄は、たった一人の人に出会うため――
「破談のアンネローゼ様」が貫く、“本当の婚約”とは?
痛快!恋愛ざまぁ×ラブコメディ×ハッピーエンド!
破談上等のお嬢様が、本物の愛を掴むまでの逆転劇が今、始まりますわ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる