【完結】聖女をやめた妻は、もう一度愛を知るため旅に出る ―光と影の二度目の人生―

朝日みらい

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第6章 再会と祈り

 その夜から数日、アルフォンス様の容態は悪化しました。  
 医師によれば、長年の疲労と不眠、さらに教会との応酬による精神緊張が限界を迎えていたそうです。  

 わたしは昼も夜もなく彼のそばを離れず、椅子に座って手を握りしめていました。  
 冷たくなった掌を両手で包みながら、心の中で祈ります。  

「どうか……どうか、もう一度笑ってください」

 ベッドの上のアルフォンス様は浅い呼吸を繰り返し、唇から弱い言葉をこぼしました。

「……すまない、マリア。こうなる前に……おまえを遠ざけたかった」

「もういいんです。何も言わないでください。全部わかりましたから」

 涙が落ちて、彼の手の甲に丸く染みを作りました。  
 そのとき、病室の扉が静かに開いて、バルトが入ってきました。  

「医者を呼んでくる。けど……」

 言葉を濁したその顔に、わたしは静かに首を振りました。  

「わたしがそばにいるなら、それで十分です」

 バルトはそれ以上何も言わず、静かに部屋を出ました。  
 扉が閉まる音がして、静けさだけが残ります。  

 外では夜雨が降り始めたようで、窓を打つ水音が幾重にも重なりました。  
 その音を聞きながら、わたしは幼いころの思い出を口にしました。

「覚えていますか? あの時、わたしが木の栞を作って……」

「……“光の奇跡”。忘れるものか。あれでおまえの人生が変わった」

「いえ……わたしの人生を変えたのは、あの光じゃなくて、あなたです」

 アルフォンス様の目がかすかに見開かれました。  
 わたしは笑おうとしましたが、すぐに喉が震えて何も言えなくなりました。

「あなたがくれた――“居場所”。それが、わたしにとっての奇跡でした。だから今度は、わたしの番です」

 その言葉を口にした瞬間、胸の奥が強く脈打ちました。  
 光が……微かに滲み出したのです。  

 最初はささやかな金色の粒。  
 でもそれはまるで呼吸するように強くなり、手のひらから部屋いっぱいにひろがっていきました。

「マリア……これは……」

「気にしないでください。ただ、心のままに祈っているだけなんです」

 光がベッドを包み、湿った空気を温めていきます。  
 痛みも寒さも、ゆるやかに溶けていくようでした。

 アルフォンス様の唇がわずかに動き、苦しそうな吐息が穏やかに変わります。  
 そして、長い沈黙のあと。  

「……綺麗だな」

 その声は驚くほど柔らかく、わたしの胸の奥を震わせました。  
 彼は薄く笑いながら囁きました。

「おまえの祈りは、誰のためでもなく、おまえ自身のためのものだったんだな。ようやく、気づいたよ」

「ええ。だって今、ようやく幸せだって思えるんです。あなたがここにいてくれて、それだけで」

 思わず手を握ると、今度はその手がしっかりと握り返されました。  
 熱が戻っていました。生きている――その温もりが確かに伝わってきます。

「ありがとう、マリア。……おまえが笑ってくれるなら、俺はそれでいい」

 その瞬間、涙が止めどなく溢れました。  
 わたしは彼の額にそっと額を寄せ、静かに頬をすり寄せました。

「だめです。わたしも、あなたの幸せを願いたいです。ずっと……」

 やさしく互いの距離が近づいて、言葉がもう要らなくなりました。  
 あとは光と静寂だけが、そっと二人を包み込みました。

 * * *  

 夜が明けるころ、雨は止み、屋敷のまわりに光が射し込みました。  
 病室のカーテンから差す朝日が金色に揺れています。  
 その眩しさに目を細めると、枕元のアルフォンス様が笑って言いました。

「また、生きておまえを見られた。……神よりもその奇跡に感謝したい」

「ふふ。それはどうしてですか?」

「おまえが俺の傍にいてくれることが、神の証拠だからだ」

 不器用な人なのに、そんなことを迷いなく言うのです。  
 思わず照れて、顔が熱くなりました。

「もう……アルフォンス様は、からかい上手ですね」

「おまえにだけ、だ」

 わたしの髪にそっと手が伸び、指が優しく触れました。  
 その仕草があたたかくて、泣き笑いのような気持ちになります。

「マリア。もう無理をするな。聖女でも、完璧でなくていい」

「はい。でも、わたしはこの光を手放しません。今度は、自分の意志として使いたいから」

「そうか。……それでこそ、俺の妻だ」

 その言葉に、胸が弾けるように高鳴りました。  
 心の底から笑い合ったのは、いつぶりだったでしょう。  
 たぶん、初めてでした。

 * * *  

 昼下がり、バルトが部屋に顔を出しました。  
 彼は安堵の息をついて、わたしたちを見回しました。

「まったく……どちらも無茶をする。俺の心臓が持たないよ」

「ごめんなさい、バルトさん。でも、もう大丈夫です」

 わたしが笑うと、彼は肩をすくめながら微笑みました。

「ならいい。……光、見せてもらったぞ。屋敷の外まで届いてた。王都の奴ら、びっくりしてるだろうな」

「そんなに……?」

「ああ。まるで夜空が明るくなるみたいだった。教会ももう何も言えないさ。聖女よりも、本物の“光の人”が現れたんだ」

 その言葉に、アルフォンス様が苦笑しました。  

「彼女には二度も国を救われたな。――いや、俺もか」

 視線が温かく絡み、わたしはゆっくり頷きました。  

「救ったのは、あなた自身ですよ。わたしは光を見せてもらっただけです。あなたが、わたしを照らしてくれたから」

 その言葉にアルフォンス様は静かに目を閉じ、安らかな息を吐きました。  
 わたしはその肩に寄り添い、穏やかな午後の光に包まれながら、小さく祈りをささげました。

 どうか、この安らぎが続きますように。
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