1 / 8
(一)
しおりを挟む
「セラフィーヌさんったら! 本当になにもできない方なのですねえ!」
午後のお茶会の席で、セラフィーヌが注いだティーカップからお茶が少しこぼれた。それくらいなのに、義母のヒラリーのヒステリックな叫び声がこだまする。
婚約中のアルベール・アルル侯爵子息の母なのだが、ことあるごとにセラフィーヌの行動が気になるらしい。いや、はっきり言って、あら探しに近いのだが……。
✳✳✳
そもそもの話のはじまりは、セラフィーヌとアルベールが王立学園の高等科で、同じクラスの同じ窓側後ろの相席になったことだった。入学後まもなくの15才の春で、校庭の周りの桜が散っていた。
湧き水のような、澄んだ水色の瞳が印象的なセラフィーヌは、地方の田舎男爵家の出身で、三人姉妹の末っ子だった。上の姉たちよりはお茶や踊りの稽古事より、自由気ままに乗馬や川遊びをして過ごしてきた。
一方のアルベールは都で育った根っからの都会っ子である。厳格な母親のヒラリーから礼儀をたたき込まれて育った。なので、返って自分勝手に本音をぼやく、気ままなセラフィーヌに興味を持ったのだった。
「わたくし、どうも都会って苦手なの。お父様の仕事の関係で引っ越したけど、どうしたらいいかわかんないわ」
彼女は、いつもつまらない授業中に頬杖つきながら、愚痴ばかりをこぼす。ここぞとばかりに、アルベールは、優しく声をかけて、
「楽しいところなら、ぼくが案内してあげる。どこに行きたい?」
「わたし、乗馬がしたいわ」
セラフィーヌは迷わずに即答した。
「分かった。ぼくの家に来て。馬なら家にはたくさんいるからね」
そう言うと、邸宅に連れていってくれた。
邸宅といっても、広大な敷地には立派なお城に庭園もある。それから馬小屋もあり、放牧地には騎士たちが馬術の稽古をしていた。
「ヒヒヒーン!」
大柄の黒い暴れ馬が前足をあげて嘶いた。黒い顔に白い流星の形がある。
暴れ馬はお尻を突き出して背中の兵士を振り飛ばし、ふたりに向かって走ってくる。
「あぶない!」
アルベールは腰ベルトからサーベルを引き抜こうとする。
「やめて」
とっさにセラフィーヌは馬の前に飛び出した。手綱とたてがみをつかみ、軽やかに鞍に飛び乗る。
田舎では普段から野生の馬と触れ合ってきた。荒れくれの馬の扱いくらいお手の物だった。それに、いくら暴れ馬といっても、所詮は調教馬で、人慣れしている。
セラフィーヌは、馬の首を優しく撫でながら、
「君はムカムカしてるのよね。気の済むまで走りなさいな。わたしだって、そうしたい気分なんだから」
と、声をかけた。
馬は敏感に相手を見抜く動物である。黒い馬は、背中に乗っている少女の気持ちに呼応して、思う存分、放牧地を自由気ままに駆け回った。
まるで、
「分かった。なら、好き勝手にさせてもらう」
と、こたえたように。
満足げにセラフィーヌは黒い馬との疾走を終えて戻ると、アルベールと、部下の兵士たちから拍手が湧いた。
「すごいな」
アルベールは、セラフィーヌが馬から降りるのを手伝いながら頬笑んだ。
「この馬の名前はなんていうの?」
セラフィーヌは、やさしく馬の立派なたてがみを撫でながら、アルベールにきいた。
「たしか、こいつは……」
彼が口を開く前に、痛そうに片脚を庇いながら、全身砂塵だからけの兵士が代わりにこたえた。
「スバルだ。俺を突き飛ばしやがってよ。アルベール様、礼儀知らずのこいつは、即、殺処分しましょう」
若い兵士は苦々しい顔で、馬を睨み付ける。
「やめて!」
セラフィーヌは首を振りながら、アルベールに歩み寄って訴えた。
「彼が身勝手な乗り方をしたから腹を立てただけよ。スバルは悪くない。だから、殺すのだけはやめて」
アルベールは、セラフィーヌの真剣な眼差しに根負けして、頷いた。
「分かったよ、セラフィーヌ」
「ありがとう」
「その代わりといっては何だけど、今晩、オペラでも出かけない?」
「オペラ? え、ええ! よろこんで」
セラフィーヌの緊張した顔は一気にほぐれて、彼女にいつもの快活な笑顔が戻った。
午後のお茶会の席で、セラフィーヌが注いだティーカップからお茶が少しこぼれた。それくらいなのに、義母のヒラリーのヒステリックな叫び声がこだまする。
婚約中のアルベール・アルル侯爵子息の母なのだが、ことあるごとにセラフィーヌの行動が気になるらしい。いや、はっきり言って、あら探しに近いのだが……。
✳✳✳
そもそもの話のはじまりは、セラフィーヌとアルベールが王立学園の高等科で、同じクラスの同じ窓側後ろの相席になったことだった。入学後まもなくの15才の春で、校庭の周りの桜が散っていた。
湧き水のような、澄んだ水色の瞳が印象的なセラフィーヌは、地方の田舎男爵家の出身で、三人姉妹の末っ子だった。上の姉たちよりはお茶や踊りの稽古事より、自由気ままに乗馬や川遊びをして過ごしてきた。
一方のアルベールは都で育った根っからの都会っ子である。厳格な母親のヒラリーから礼儀をたたき込まれて育った。なので、返って自分勝手に本音をぼやく、気ままなセラフィーヌに興味を持ったのだった。
「わたくし、どうも都会って苦手なの。お父様の仕事の関係で引っ越したけど、どうしたらいいかわかんないわ」
彼女は、いつもつまらない授業中に頬杖つきながら、愚痴ばかりをこぼす。ここぞとばかりに、アルベールは、優しく声をかけて、
「楽しいところなら、ぼくが案内してあげる。どこに行きたい?」
「わたし、乗馬がしたいわ」
セラフィーヌは迷わずに即答した。
「分かった。ぼくの家に来て。馬なら家にはたくさんいるからね」
そう言うと、邸宅に連れていってくれた。
邸宅といっても、広大な敷地には立派なお城に庭園もある。それから馬小屋もあり、放牧地には騎士たちが馬術の稽古をしていた。
「ヒヒヒーン!」
大柄の黒い暴れ馬が前足をあげて嘶いた。黒い顔に白い流星の形がある。
暴れ馬はお尻を突き出して背中の兵士を振り飛ばし、ふたりに向かって走ってくる。
「あぶない!」
アルベールは腰ベルトからサーベルを引き抜こうとする。
「やめて」
とっさにセラフィーヌは馬の前に飛び出した。手綱とたてがみをつかみ、軽やかに鞍に飛び乗る。
田舎では普段から野生の馬と触れ合ってきた。荒れくれの馬の扱いくらいお手の物だった。それに、いくら暴れ馬といっても、所詮は調教馬で、人慣れしている。
セラフィーヌは、馬の首を優しく撫でながら、
「君はムカムカしてるのよね。気の済むまで走りなさいな。わたしだって、そうしたい気分なんだから」
と、声をかけた。
馬は敏感に相手を見抜く動物である。黒い馬は、背中に乗っている少女の気持ちに呼応して、思う存分、放牧地を自由気ままに駆け回った。
まるで、
「分かった。なら、好き勝手にさせてもらう」
と、こたえたように。
満足げにセラフィーヌは黒い馬との疾走を終えて戻ると、アルベールと、部下の兵士たちから拍手が湧いた。
「すごいな」
アルベールは、セラフィーヌが馬から降りるのを手伝いながら頬笑んだ。
「この馬の名前はなんていうの?」
セラフィーヌは、やさしく馬の立派なたてがみを撫でながら、アルベールにきいた。
「たしか、こいつは……」
彼が口を開く前に、痛そうに片脚を庇いながら、全身砂塵だからけの兵士が代わりにこたえた。
「スバルだ。俺を突き飛ばしやがってよ。アルベール様、礼儀知らずのこいつは、即、殺処分しましょう」
若い兵士は苦々しい顔で、馬を睨み付ける。
「やめて!」
セラフィーヌは首を振りながら、アルベールに歩み寄って訴えた。
「彼が身勝手な乗り方をしたから腹を立てただけよ。スバルは悪くない。だから、殺すのだけはやめて」
アルベールは、セラフィーヌの真剣な眼差しに根負けして、頷いた。
「分かったよ、セラフィーヌ」
「ありがとう」
「その代わりといっては何だけど、今晩、オペラでも出かけない?」
「オペラ? え、ええ! よろこんで」
セラフィーヌの緊張した顔は一気にほぐれて、彼女にいつもの快活な笑顔が戻った。
0
あなたにおすすめの小説
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?
由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。
皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。
ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。
「誰が、お前を愛していないと言った」
守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。
これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。
【完結】モブ令嬢としてひっそり生きたいのに、腹黒公爵に気に入られました
22時完結
恋愛
貴族の家に生まれたものの、特別な才能もなく、家の中でも空気のような存在だったセシリア。
華やかな社交界には興味もないし、政略結婚の道具にされるのも嫌。だからこそ、目立たず、慎ましく生きるのが一番——。
そう思っていたのに、なぜか冷酷無比と名高いディートハルト公爵に目をつけられてしまった!?
「……なぜ私なんですか?」
「君は実に興味深い。そんなふうにおとなしくしていると、余計に手を伸ばしたくなる」
ーーそんなこと言われても困ります!
目立たずモブとして生きたいのに、公爵様はなぜか私を執拗に追いかけてくる。
しかも、いつの間にか甘やかされ、独占欲丸出しで迫られる日々……!?
「君は俺のものだ。他の誰にも渡すつもりはない」
逃げても逃げても追いかけてくる腹黒公爵様から、私は無事にモブ人生を送れるのでしょうか……!?
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
私が生きていたことは秘密にしてください
月山 歩
恋愛
メイベルは婚約者と妹によって、崖に突き落とされ、公爵家の領地に倒れていた。
見つけてくれた彼は一見優しそうだが、行方不明のまま隠れて生きて行こうとする私に驚くような提案をする。
「少年の世話係になってくれ。けれど人に話したら消す。」
恋は、母をやめてから始まる――正体を隠したまま、仮の婚約者になりました
あい
恋愛
両親を失ったあの日、
赤子の弟を抱いて家を出た少女がいた。
それが、アリア。
世間からは「若い母」と呼ばれながらも、
彼女は否定しなかった。
十六年間、弟を守るためだけに生きてきたから。
恋も未来も、すべて後回し。
けれど弟は成長し、ついに巣立つ。
「今度は、自分の人生を生きて」
その一言が、
止まっていた時間を動かした。
役目を終えた夜。
アリアは初めて、自分のために扉を開く。
向かった先は、婚姻仲介所。
愛を求めたわけではない。
ただ、このまま立ち止まりたくなかった。
――けれどその名前は、
結婚を急かされていた若き当主のもとへと届く。
これは、
十六年“母”だった女性が、
もう一度“ひとりの女”として歩き出す物語。
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる