政略結婚のはずでしたが、微笑みの貴公子に溺愛されています。

朝日みらい

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第7章:縮まらない理由

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 社交界お披露目から三日。  
 あの日のことは、国中の噂になっていました。  

 ――ヴァルモン殿下、アルヴェーン王女を溺愛。  
 ――まるで神話の恋人たちのよう。  

 ……などという記事が、翌日の王都新聞の一面を飾ったのです。  
 見出しを読んだ瞬間、私は思わず紙面を丸めて侍女セラの肩に投げつけました。  

「“溺愛外交”? こんな見出し、誰が考えたんですか!」  
「市井の詩人が流行らせたそうで! “詩的表現”だそうです!」  
「詩的要素など皆無です!」  

 叫んではみたものの、顔が熱くて説得力がありません。  
 あの夜――舞踏の音、灰銀の瞳、耳元でのささやき。  
 ありありと蘇ってしまう。  

(……演出、です。外交上の演出)  
 自分に言い聞かせるたび、胸の奥で息苦しさが増す。  
 それはきっと、心がその説明を受け入れていない証拠でした。  

***  

 夕刻。  
 食堂に向かう途中で、リオネル殿下とすれ違いました。  

「殿下、これからご夕食を?」  
「ええ。ですが先に一件、文書を仕上げてから」  
 彼は淡々と答えました。  
 あの夜の甘い声音が嘘だったかのように、静かな声です。  

(おや……? 妙に、他人行儀……?)  

 私が立ち止まると、向こうも立ち止まる。  
 しかし、そのまま軽く一礼してすぐに去っていってしまいました。  
 笑いも冗談もない。まるで氷。  

「……え?」  

 思わず振り返るも、背中だけが遠ざかっていきます。  
 ――これが三日続きました。  

***  

 廊下で目が合っても、軽い会釈のみ。  
 食堂では、向かいに座りながら一言も交わさない。  
 それなのに、私が夜ひとりで庭を歩けば、必ず彼の護衛が同行している。  

(……つまり、“守る”だけはしてくださっている。けれど、近づかない)  

 それが、余計に苦しい。  

***  

「姫さま、まさか……お嫌われになったのでは?」  
「セラ!」  
 侍女の不用意な発言に反射的に声を張り上げる。  
「あの方は合理主義者です。個人的感情で態度を変える方ではありません」  
「そうでしょうか? わたくしは見る限り、あの三日前の殿下とは別人のようで……」  

 セラの言葉に、私は思わず黙り込む。  
 心のどこかでは、そう感じていたから。  

***  

 その夜。  
 眠れない私は、つい足が外へ向いていました。  
 夜気の冷たい回廊を抜け、中庭に出る。  

 月明かりに照らされたその場所で、彼が立っていました。  

「……殿下?」  
 突然の呼びかけに、彼がゆっくりと振り向きました。  

「お休みにならなかったのですね」  
「ええ。少し、月を見たくて」  
「同じことを考えていたようですね」  

 そう言って、彼は軽く笑った。  
 久々に見る笑みだったのに――どこか、疲れたようにも見える。  

「社交界でのご活躍は、お見事でしたね。おかげで、同盟世論は好転しました」  
「……効果はありましたか?」  
「ええ、想像以上に」  
 彼は頷きながら、少し間を置いて言いました。  
「それゆえに、私はしばらく控えめに動かねばなりません。誤解を避けるために」  

「誤解、ですか?」  
「“溺愛外交”などと呼ばれては困りますから」  
「……」  
「あなたを軽く扱う真似をするわけにはいかない。それが、私の責任です」  

 ――ああ。  
 その言葉が、どうしてこんなにも痛いのか。  

「つまり、それで……距離を?」  
 問いかけに、リオネルは小さく目を細めた。  
 そして、わずかに苦笑を浮かべる。  

「……あなたに踏み込む資格が、今の私にはない」  

 その声音が、穏やかであるほど切なかった。  
 彼の瞳はまっすぐで、嘘など一片も浮かべていない。  
 本気で、きっと真剣にそう思っているのだ。  

(――愚かしい方。優しすぎて、残酷です)  

***  

 無言のまま並んで歩く。  
 月光の下、白い石畳に二つの影。  
 触れそうで、触れない距離。  

 何も言えない沈黙のなかで、風が髪を揺らしました。  
 リオネルの指がそれを見て、ほんのわずか動いた。  
 でも、掴まない。  

 代わりに彼は、自分の外套を肩に掛けてくれた。  
 それだけで、胸が詰まります。  

「風が冷たい。夜気は体に障りますよ」  
「それは……殿下のせいでもあります」  
「え?」  
「……あなたが、“冷たすぎる”のです」  

 彼が、息を呑んだ。  

 一瞬、灰銀の瞳が大きく揺れた。  
 けれど、次の瞬間には穏やかな笑みに戻ります。  

「……それが、私の唯一の防御手段です」  

 ――あなたが危険だから。  
 そう、確かに言いたげな眼差しでした。  

***  

 部屋に戻った私は、外套をそっと抱きしめました。  
 まだ、彼の体温が残っている。  
 温かいのに、心の奥は寒い。  

(守られて、距離を取られるなんて。そんなもの、優しさではなく――罰ですよ……)  

 けれど、彼の目の奥にあった優しい痛みを思い出すと、責めることもできません。  

 外套を胸に抱きながら、瞼を閉じる。  

「……殿下、なぜそんなに不器用なのですか」  

 その夜、私は初めて知りました。  
 恋は熱ではなく――静かな痛みに似ているということを。  

 触れられていないのに、心が焼ける。  
 距離があるのに、やけに近い。  

 それが、リオネルという人なんだわ……。    
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