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第10章:すれ違い
しおりを挟むクラウス王太子の侮辱から数日。
王宮では、舞踏晩餐会の準備が着々と進められていました。
ヴァルモン殿下――リオネルが提案した、“外交上の回復”の舞台。
あの人はそれを、淡々と準備していました。
まるでひとつの“作業”をしているだけのように。
私は会議室の隅から、その姿を見ていました。
書簡を審査する指先も、笑みを浮かべる唇も、完璧。
けれど、あのときの熱を帯びた眼差しはどこにもない。
(――冷たい。まるで最初に戻ったみたい)
***
「殿下、少しよろしいでしょうか」
「はい、王女殿下」
彼が目を上げる。
その視線には、あの頃の“柔らかさ”はありませんでした。
それなのに、なぜか苦しい。
「舞踏晩餐会の件、わたくしの出席は本当に必要なのですか?」
「もちろんです。あなたこそ、この外交の要です。――あなたがそこにいることで、我々の立場が示される」
「……そうですか」
感情のない声。
淡々とした、合理的な言葉。
けれど、その“あなたが必要”という音の響きに、
わずかに胸が鳴ってしまったのが、悔しい。
***
その日の午後。
報告書を届けに来た副官たちが、私の耳に信じがたい噂を置きました。
「ヴァルモン殿下が、クラウス王太子の使節と“密談”しておられたとか」
「え? どういうことでしょう」
「詳細は不明ですが……“王女殿下の同盟地位見直し案”を話題にされたとのこと」
その言葉に、胸の奥がざわめきました。
(“同盟地位見直し”……? ――まさか)
いや。信じたくない。
それでも、頭のどこかで冷静な声が囁く。
――あの人なら。
――合理的に考えるなら。
“王女一人を切り捨てて外交均衡を保つ”ことを、選ぶかもしれない。
私があのとき感じた優しさなんて、全部、策略のひとつだったのか。
***
夜。
書斎に灯る灯りを見つけて、私は足を止めました。
扉がわずかに開いており、中からリオネルの声が聞こえてくる。
「……ええ。確かに、彼女は感情を表に出さない。扱いやすいとは言えぬが、外交上は有効な駒です」
――駒。
胸が音を立てて崩れる。
「王女殿下が公の場で笑みを浮かべるだけで威信が上がる。利用できるうちに、最大限活かすべきでしょう」
(……利用、ですって?)
言葉が喉を裂くように痛い。
もう、音を立てずにいられなかった。
「……殿下」
「――!」
扉が開かれ、彼がこちらを見ました。
驚きと、すぐにそれを消したような冷静な表情。
「王女殿下。立ち聞きは趣味にされないほうが」
「わたくしに対してお話しなさっていたのですね。“扱いやすい駒”と」
「……」
一瞬だけ、彼の瞳に“動揺”が走った。けれど、それもすぐに消えました。
「戦略上の用語です。誤解なさらぬように」
「誤解……!?」
声が震える。
「あなたは最初、“感情は不要、成果だけ”と言われた。でも今のあなたは、もっと冷たい」
「冷たさは成功の手段です」
「――成功のためなら、誰かを“駒”として扱うのですか?」
瞳の奥が痛みました。
本当は怒っているのではなく、泣きたいだけだったのかもしれません。
リオネルが一歩近づき、何か言いかけたけれど――
私は、初めて彼に背を向けました。
「これ以上、“成果のためのわたくし”に意味はありません」
「……エレノア」
呼び止める声が、心に刺さるように響きました。
けれど、振り返れなかった。
***
静かな夜。
侍女セラが慌てて追いかけてきました。
「姫さま! もうおやすみになったのかと!」
「眠れそうもありません」
「でしたら温かいお茶でも……あっ、お顔が!」
「大丈夫。涙なんて出ていませんから」
でも、少し笑っただけで頬が濡れているのに気づきました。
知らぬ間に溢れた涙。ふと手を握ると、包帯の跡がまだ残っていました。
(……殿下の手。あの雨の日のぬくもりが、まだここにあるのに)
「セラ。どうして人は――優しい人ほど、残酷になれるのかしら」
「えっ……へ、返答に困ります……」
半ば冗談のように言ったのに、声が震えました。
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