【完結】神の花嫁はもう我慢しない~婚約破棄された令嬢、真実の愛と自由を手に入れるまで~

朝日みらい

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第6章:再び咲いた花は、誰のために?

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 早朝の湖畔には、まだ薄い霞が立ちこめ、世界全体が夢の中にいるような静けさに包まれていました。
 吐く息は白く、木々の葉には夜露が光り、空気はひんやりと張りつめています。
 わたしはゆっくりと温室の扉に手をかけ、軋む音とともに開け放ちました。

「……!」

 その瞬間、目の奥がじんとするほどの光に包まれて、わたしは思わず目を細めました。

 朝陽を受けて、まるでそこだけが別世界のように、白く輝いていたのです。
 咲いていました。
 純白のミューゼリアの花が、一輪――静かに、けれど確かな存在感を持って。

 まるで、世界中の光をその身に集めて咲いたかのような、神聖な輝き。
 温室の中に、息を呑むほどの静寂が広がっていました。

「咲いたの……咲いたんだ……!」

 胸の奥がぎゅっと締めつけられるような、でも不思議と苦しくはない感覚。
 足元がふらりと揺れて、わたしはその場に膝をつきそうになりながら、そっと口元を押さえました。

 この花は、ずっと咲かなかった。
 誰もが諦めていた。
 “祝福は失われた”と、そう言われていた。

 でも、わたしは信じたのです――この花の、意思を。
 そして、自分自身の心を。

 涙が滲み、視界がかすむ。
 そのときでした。

「……おめでとう」

 背後から、そっと、けれど確かに届いた声。

「……レオナール?」

 わたしが振り返ると、彼が温室の入口に立っていました。
 朝の光を背に受けながら、少しだけ寝癖のついた黒髪をかきあげて、ゆっくりと近づいてきます。
 その表情は、どこか安堵したようで――でも、どこか、胸の奥を締めつけられるような真剣さを湛えていました。

 彼はひとつ、深く息を吐いて言いました。

「この花……あんたの中に、ずっとあったんじゃねぇか」

「……中に?」

 わたしは呆気に取られて問い返しました。

「ミューゼリアってのは、女神が選ぶとか、祝福された血筋とか……いろいろ言われてるけどな。
 でも俺は、そういうもんじゃねぇと思う」

「……じゃあ、何が?」

「咲いてほしいって、誰にも言われなくても……自分で咲こうとしたこと。
 そう思い続けてきたあんたの気持ちが、花を咲かせたんだ」

 彼の言葉は、飾らない、不器用なものだったけれど、だからこそ真っすぐに胸に届きました。
 それは、まるで凍てついていた湖に差し込む一筋の光のようで――
 ゆっくりと、心が解けていくのがわかりました。

 そこへ、クラリスが息を切らして駆けてきました。

「セシリア様……っ、本当に……本当に……!」

 彼女はわたしの手をとり、涙をこらえきれずにぽろぽろとこぼしながら言いました。

「咲いてくれたの。ありがとう、クラリス……ずっと、わたしを信じてくれて」

 わたしもまた、こらえきれずに涙をこぼしました。
 嬉しくて、愛しくて、胸がいっぱいで――でも、不思議と穏やかな涙でした。

 その日の午後、屋敷に訪れた庭師が驚いたように言いました。

「……リースフェルトの温室でミューゼリアが咲いた……これは王宮に伝わりますよ、間違いなく。すぐに」

 わたしはその言葉に、小さく頷きました。

(そう……この花は、“特別”だから)

 でも、不思議と焦りや不安はありませんでした。

 この花は、誰かの期待に応えるために咲いたのではない。
 見せびらかすためでも、権威を証明するためでもない。

 ――わたしの心が、自分自身のために咲かせた花。

 それが、何よりも嬉しかったのです。

 

 その夜、月が湖面にゆらめくころ。

 わたしはバルコニーからそっと温室の方を眺めながら、隣にいたレオナールに話しかけました。

「この花を見てくれて、ありがとう」

 彼はいつも通り無骨な表情を浮かべたまま、空を仰ぎながら答えました。

「……見たかったからな。お前が咲くところ」

「ふふっ、まるで詩人みたい」

「うるせぇ、そんなもんじゃねぇよ」

 照れたように顔をそらす彼の仕草に、わたしは思わず笑ってしまいました。
 その笑いは、どこまでも自然で、心からのものだったのです。

 

 そしてわたしは、あらためて白く咲いたミューゼリアを見つめました。

 自分のなかに、こんなに強く、こんなに清らかな花があったことを、
 今、ようやく信じられるようになったのです。

 もう、誰かに決められた未来を生きる必要はない。

 王妃になれなくても、名家の娘でなくても。
 称号がなくても。

 ――わたしは、わたしのために咲く。

 この花が、その道を教えてくれたのだから。
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