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第九章 自分にかけた呪いの話
第31話 出産
しおりを挟む鈴虫の音が穏やかに響く夜。
静音は獣のように呻きながら痛みと戦っていた。
「何故こんなにも早いんだ!」
「私のせいではありませんよ!」
神の出産に立ち会った経験を持つ主治医が苛立った声を上げ、古株のお付きの女がヒステリックに怒鳴った。
予定よりずっと早い出産に、周囲の人達も狼狽えている。
「今まで前例がない。もしかしたら、不完全な神様が生まれる可能性もある。どう責任を取る事になるのか……」
主治医は、出産が失敗した場合に誰に責任を押し付けるかを考えているようだ。お付きの女も顔を真っ青にして震えながら、焦り混じりの悪い笑みを浮かべた。
「きっと、炉祭家の分家の次男のせいです! 絶対に、そうに決まっています!」
お付きの女は、あろうことか駆に責任を押し付けようとする。
お付きの女が前々から駆に対して悪感情を抱いていたのは知っている。駆が静音の側仕えになれば、金払いの良い仕事を奪われてしまうと考えていたようだ。
静音が神を産まないと、立場の弱い駆が窮地に追いやられてしまう。
(それはダメ……)
静音は腹を抱えて大きく呻く。
言い争っていた主治医とお付きの女が、ハッとした顔で静音を見下ろした。
「とにかく、産んでもらうしかない」
主治医と助手二人に支えられながら、静音は神の出産に臨む。
汗がとめどなく体から噴き出す。痛みで意識が飛び、痛みでまた意識が戻されるというのを何度も繰り返した。神を産んで食い殺されるのなら、今殺して欲しいと思う程の激痛だった。
どのくらい時間が経ったのだろうか。
限界まで力んだ後、不意に腹から何かがズルリと抜け出ていく感覚がした。魂が抜かれたように呆然としていると、周囲の人間がワッと歓声を上げる。
「おめでとうございます!」
視線を下ろすと、静音の太ももの間に人間の赤ん坊と同じ大きさの真っ黒の毛玉が転がっていた。濡れて汚れた黒い毛玉は、小さく上下に動いて呼吸をしている。
「特に問題はなさそうですね」
生まれた神を見た主治医の言葉に、静音は安堵の息を吐く。
(よかった。これで、駆に責任を押し付けられる事は無い)
駆に何かあっては、死んでも死にきれない。
主治医は神に触れないまま、長い臍の緒を適当な位置で切った。静音の腹から胎盤が出てきて処置を終えたところで、老婆と女性が現れた。
「神様は無事か?」
見覚えのある二人は、静音の腹に呪いを施した者達だった。周りの人達は老婆を敬うように頭を下げる。
「はい。小さなお体ではありますが、生命に問題はありません」
「それは良かった。無事に生まれた事を、吉謙様に報告せねば」
主治医の言葉に、老婆は満足そうに頷いた。老婆は疲労困憊の静音を冷めた目で見下ろす。
「神様が血の一滴も無駄にせずに食らえるように、それは床の上に転がしておきなさい」
周囲の者達が静音の体を布団の上から持ち上げ、冷たい床の上に乱雑に転がした。
老婆が女性と一緒に部屋を去っていくと、他の者達も一仕事を終えたと言わんばかりに部屋を出ていく。
「おい、鍵はかけるな。後で吉謙様がいらっしゃるのだぞ!」
「でも、逃げたら」
「あの体では逃げられないですよ」
人の声が遠ざかり、部屋に残されたのは神と静音のみになった。
人間達は「神による神聖な行いだ」と言っておきながら、神によって行われる惨殺を見たくないのだろう。
神は綺麗な存在にしておきたいという歪なエゴのように思えた。
神は手足をプルプルと震わせながらも、四足で立ち上がる。神は近くにあった胎盤に鼻を近づけて匂いをかいだ後、歯を立てて噛み千切った。グチャグチャという咀嚼音と口から覗く鋭い牙に、静音はフッと力の抜けた笑みを浮かべる。
(ああ、わかる。これには敵わない)
神を産んだ女達は、抵抗する事なく食われるのだと聞いた。そんな訳が無いと思っていたが、神を見た瞬間に納得してしまう。
ただの人間達から逃げられなかった者が、圧倒的な力を持つ神を前に抵抗出来る筈が無い。
神は自分の臍の緒を咀嚼しながら、次に食べる肉を探して布団に手を這わせている。血の匂いに導かれるように、静音へ近づいて来るのが見えた。
産み出した命に愛はないが、静音の心も体も神に食われる事を受け入れている。
(眠っている間に、全てが終わればいいのに)
祈りを込めて目を閉じた時、瞼の裏で眩い閃光を感じた。
「静音!」
名前を呼ばれて、静音は目を開ける。白い光を放つ鳥を肩に乗せた見知らぬ青年が立っていた。昔の面影を見つけて、静音は青年の正体に気づく。
「……巡?」
巡は泣き出しそうに顔を歪めた後、表情を引き締めて静音の側に来る。屈んだ巡は上着のポケットから小瓶を取り出すと、静音の体を抱き起こした。
「静音。ごめん。嫌かもしれないけど、これを飲んで」
小瓶の中の液体が静音の口の中へ流し込まれる。出産で傷ついた体がみるみる内に回復していくのを感じた。嗅ぎ慣れた藺草の臭いから、吉謙の唾液で作られた薬だと分かる。
「一体、何を……」
戸惑う静音に、巡は折り畳みナイフを握らせた。
「静音。時間が無いからよく聞いて。俺がコイツを静音から引き離す。その後は、これを使って。刃を床に突き刺せば、安全な場所に避難出来る。後で駆も連れて来るから、そこで待っていて欲しい」
真剣な眼差しが、静音の目を射抜く。
「俺を信じて」
立ち上がった巡は、もう一本の折り畳みナイフを取り出して自分の腕に浅く傷をつけた。
ポタリポタリと、赤い血の雫が床の上に零れる。
血の匂いに惹かれたのか、神が鼻をひくつかせて巡の方を見た。
「そうだ。これが、お前の望む玖魂家の血だよ」
巡が血を零しながら、静音からゆっくりと距離を取る。神は血の匂いを追って四つん這いで進み、巡へと近づいていく。
神が静音から二メートルほど離れたところで、巡が銀色の棒を床に突き刺す。神と巡のいる床の上に、青緑色の光の魔法陣のようなモノが浮かんだ。
「巡!」
眩い光が消え、静かな部屋の中に鈴虫の音が穏やかに流れる。
巡の姿も銀色の棒も魔法陣も消えていた。夢のような出来事だったが、自分の腹が平らになっている事から現実なのだと分かる。
(何が起こっているの? 巡は、一体何を考えているの?)
予想外の出来事への混乱で、静音の頭の中はグチャグチャに掻き乱されていた。
(私はどうすればいいの?)
神に食べられなかった御母堂様はいない。静音が神に食い殺される頃に、吉謙が部屋を訪れる筈。生きている静音を見たら、吉謙はどうするのかと考えるだけで恐ろしい。
静音は手の中の折り畳みナイフを見つめる。
プラスチック製の持ち手部分に、図や文字を組み合わせて作られた紋様が描かれている。仕組みはわからないが、不思議な力で場所を移動出来る道具のようだ。
(……これは罠かもしれない)
巡の行動に、静音は疑念を抱く。
巡は昔、静音を『御母堂様』と呼んだ。玖魂家の大人達と同じように洗脳された状態だ。
静音を神に食べさせなかった理由は不明だが、何か罠を仕掛けている可能性があった。
(もしかして、駆を陥れようとしているの?)
予定より早い出産。静音が産んだ神が何かしらの問題を抱えていれば、家族である両親と巡にも責任が問われるのかもしれない。
(逃げた先に駆を連れて来ると言っていた。神に食われずに逃げた私の側に、駆がいたとしたら……。駆に全ての責任を押し付けて、自分達は逃げられると考えたのね)
怒りと憎しみで手が震える。
死を受け入れていた自分の気持ちを踏み躙り、自分達の保身の為に駆を巻き込もうとする人達の考えに、はらわたが煮えくり返りそうだ。
(私は神に食べられなければいけない。どうせ逃げられない運命なら、これ以上奪われたくない!)
吉謙に見つかる前に、巡を探しに行かなければならない。
静音はふらりと立ち上がると、箪笥から黒に近い着物を取り出して羽織った。
部屋の扉に近づいて耳を澄ませる。人の気配が無いのを確認して恐る恐る扉を開けると、いつもいる見張りすらいなかった。
数年ぶりに部屋の外へ一歩踏み出したのに、全く高揚しなかった。
人が来ないように祈りながら廊下を進み、幼い頃に遊んだ覚えのある場所まで来た。静音の記憶が正しければ、右に進めば外に出られる大きな窓があった筈だ。
窓を目指して廊下を進んでいくと、少し離れた室内から楽しそうな笑い声と酒の匂いが漂ってきた。
「これで玖魂家は安泰だ」
「次は誰が神の母に選ばれるのか」
当事者では無いから笑っていられる人達に、静音は不快な気持ちを抱く。自分が味わった絶望と恐怖を味合わせてやりたかった。静音は息を吐いて、部屋から視線を逸らす。
(今はやるべきことがある)
静音は音を立てないように慎重に窓を開け、沓脱石の上に置かれたサンダルを履いて外に出た。
ひんやりとした秋の夜風と、湿った落ち葉の匂いを感じた。
庭の石灯籠や茂みの裏を通って裏口を目指していると、上から咳き込むような音が聞こえた。
静音は身を固くして上を見る。
建物の二階の窓が開けられ、誰かが煙草を吸っていた。
ドキドキしながら暫くジッとしていると、煙草の吸い殻が地面にポトリと落ちて、窓が閉まる音がした。静音は安堵の息を吐く。闇に紛れられるように黒い着物を羽織った事が幸いしたのか、気づかれずに済んだようだ。
無事に裏口から屋敷の外へ出た後、静音は辺りを見回す。
(巡が行きそうな場所……家ではないわよね?)
離れている年月が長いせいで、巡が行きそうな場所に検討がつかない。
(一体、何処へ行けば……)
心臓がドクンと音を立て、甲高い耳鳴りが起こる。耳の中でボワボワと静音を呼ぶ声が響いた。
(……アレが求めている声がする)
神の声に導かれて、静音は夜の闇の中を走り出した。
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