2 / 25
第一小節 日常と摩擦
p1 美しくて嫌いな過去
しおりを挟む
データを書き込む音がきりきり刻まれている。俺は目を閉じて終わりを待っていた。薄暗い部屋の中でモニターが煌々と輝き、データを同期、抽出を行っている。ステータスバーが右の壁にたどり着いた時、それを待っていたかのように、扉をノックする音が聞こえた。仰々しいセンサー付きの椅子を回転させ、その訪問者を迎える。
「ゼノか……。扉空いてるだろ。律儀だな」
今日、初めて口を開いたせいか、声がうまく出なかった。前日までの疲労も相まった結果だろう。訪問者である背が高い体格が良い男が、扉にもたれ掛かって、呆れたように組まれた腕を解いた。男の体は逆光に遮られ頭に生えた二本の角が美しく照らされた。
「あのな、ナル。何回目のノックだと思ってやがんだよ。で、終わったのか?」
どうやら気づかなかったのはこちららしい。返す言葉も思いつかず、乾いた笑いが漏れる。ため息混じりにゼノは扉から部屋へと踏み込むと締め切ったカーテンを開け放ち窓を引き開けた。差し込む光となんとも言えない焦げ臭い空気で満たされ、思わず顔をしかめる。この臭いもいつかは木々の香りに満たされることを願ってやまない。
「……ああ、とりあえず過去分は抽出できたよ。差分のこれからはリアルタイムで同期するようにした」
俺は左目を指すようにしてこめかみを軽く叩く。黒目である右目とは違い、特別製の義眼が左目に埋め込まれており、蒼い瞳が光を調節するように絞る。
「そうかい。別に止めはしねえけどよ。それが成功したところで、俺らのこの世界が変わるわけでもないだろ」
「それはごもっともだけどさ。むしろこの世界が変わってしまうならそれは俺たちのこれまでを否定することになるから、それは望んでないよ。ただ……」
「ただ?」
屈強な肉体の割に思いやりの強いゼノはわざわざ続きを促すのだ。そこが良いところであり戦友以上に親友だ。
「ただ……俺達にこなかった明日が紡がれるなら、互いに認め合う世界が訪れるなら、きっとそれは無駄なことじゃないよ。せめて命を賭した仲間達が笑って過ごす別の未来があってもいいだろ?」
「その仲間ってのは、あいつ……も含めてか?」
その指摘に一瞬だけ逡巡した。あまり気が進まないのも分かるが、彼女は……は違う。彼女だけじゃない。他にも理解者も協力者もいた。これは彼らの願いでもあるのだ。だから。
「そうだよ。来なかった明日を願った皆のためだ」
俺は真っ直ぐにゼノを見据えた。それを責めているように捉えたのかゼノはばつが悪そうに頬をかく。
「そんな目で見るなよ。別に文句があるわけじゃねえ。少なくともあいつには世話になったし、あいつの取り巻きもいい奴らだったさ。ただお前が過去に捕らわれすぎちゃいねえか心配になってな。その……なんだ、今、お前についてきている仲間のことも人数に入れとけって話だよ」
照れ隠しなのか陽光に顔を向け、表情が白飛びして読みとれなかったが、言葉通りなのだろうと感じた。もちろん、そんな風には思ってはいないが、そう見えてしまったことが事実には変わりなく。俺はゆっくりと立ち上がり姿見の鏡で自分を確かめた。細い体は相も変わらず、弱そうに見える。後ろに立つゼノに比べると更に華奢が際だつものだ。目にかかる髪を横に流し、背中に届きそうにも延びた髪を纏めながら、よく編み込まれた紐で縛る。大切な人からもらった大切な贈り物。全てを終えるまで髪を切らないと決めたあの日を思い出す。
「行くか」
いつの間にか日に焼けた顔を俺の背中に向け、ただ一言告げた。
「ああ、行こう」
身なりを整え、扉へ向かう。立てかけられた決起の象徴である漆黒の鞘に包まれた剣の柄を掴む。太陽が肌を焼く。だがそれに顔をしかめることも手で遮ることもしない。隣で歩むゼノも同じだ。陽光に前進を照らした瞬間、大きな歓声が湧いた。待っている人たちがいる、戦う友がいる。明日をこの手につかみ取ろうと血気盛んに俺たちを迎える。
もし、この場面が先に届いているのなら、どうか聞いてほしい。そして叶えてほしい。
いつか生まれるであろう俺達の先祖と君達が理解と思いやりをもって手を取り合って欲しい。もう俺達は引き返せないから、せめて君達の未来だけでもどうか。俺の見せる過去を無駄にしないでくれ。
来なかった明日への願いを託す。
「これでようやく終わる。この理不尽な世界が! 人を名乗ることを禁じ、人として生きることを禁じた世界から解放される! 俺たちの親やまたその親よりも遠い過去から続いた偽りを持って支配してきた神を、俺は許さない! 命を賭して願いを託した仲間達のために俺達、亜種は人の名を取り戻す! 神を、いや神を騙った人間を! この手で……断罪する!」
右目から熱さが伝って行く。眼下に広がる同胞達は感化され、咆哮を上げ、涙している。壇上の仲間だけが俺の涙の本当の意味を知っている。もう引き返せないことを知っている。これが人間に向けた悲しみの涙でもあることを、望んでいた世界がもう訪れないこと嘆く涙だと知っている。
ねえ、リタ。君がいるだけで、君の笑顔だけで俺は……僕は満たされていたんだ。けど、もうあの日は戻らないし取り返すこともできないんだよな。全てを捨てるには、僕は背負い過ぎた、無くしすぎた。もう君の笑顔も、横顔も思い出せない。だから、せめて、この美しい思い出のまま……。
殺されてくれ。
「ゼノか……。扉空いてるだろ。律儀だな」
今日、初めて口を開いたせいか、声がうまく出なかった。前日までの疲労も相まった結果だろう。訪問者である背が高い体格が良い男が、扉にもたれ掛かって、呆れたように組まれた腕を解いた。男の体は逆光に遮られ頭に生えた二本の角が美しく照らされた。
「あのな、ナル。何回目のノックだと思ってやがんだよ。で、終わったのか?」
どうやら気づかなかったのはこちららしい。返す言葉も思いつかず、乾いた笑いが漏れる。ため息混じりにゼノは扉から部屋へと踏み込むと締め切ったカーテンを開け放ち窓を引き開けた。差し込む光となんとも言えない焦げ臭い空気で満たされ、思わず顔をしかめる。この臭いもいつかは木々の香りに満たされることを願ってやまない。
「……ああ、とりあえず過去分は抽出できたよ。差分のこれからはリアルタイムで同期するようにした」
俺は左目を指すようにしてこめかみを軽く叩く。黒目である右目とは違い、特別製の義眼が左目に埋め込まれており、蒼い瞳が光を調節するように絞る。
「そうかい。別に止めはしねえけどよ。それが成功したところで、俺らのこの世界が変わるわけでもないだろ」
「それはごもっともだけどさ。むしろこの世界が変わってしまうならそれは俺たちのこれまでを否定することになるから、それは望んでないよ。ただ……」
「ただ?」
屈強な肉体の割に思いやりの強いゼノはわざわざ続きを促すのだ。そこが良いところであり戦友以上に親友だ。
「ただ……俺達にこなかった明日が紡がれるなら、互いに認め合う世界が訪れるなら、きっとそれは無駄なことじゃないよ。せめて命を賭した仲間達が笑って過ごす別の未来があってもいいだろ?」
「その仲間ってのは、あいつ……も含めてか?」
その指摘に一瞬だけ逡巡した。あまり気が進まないのも分かるが、彼女は……は違う。彼女だけじゃない。他にも理解者も協力者もいた。これは彼らの願いでもあるのだ。だから。
「そうだよ。来なかった明日を願った皆のためだ」
俺は真っ直ぐにゼノを見据えた。それを責めているように捉えたのかゼノはばつが悪そうに頬をかく。
「そんな目で見るなよ。別に文句があるわけじゃねえ。少なくともあいつには世話になったし、あいつの取り巻きもいい奴らだったさ。ただお前が過去に捕らわれすぎちゃいねえか心配になってな。その……なんだ、今、お前についてきている仲間のことも人数に入れとけって話だよ」
照れ隠しなのか陽光に顔を向け、表情が白飛びして読みとれなかったが、言葉通りなのだろうと感じた。もちろん、そんな風には思ってはいないが、そう見えてしまったことが事実には変わりなく。俺はゆっくりと立ち上がり姿見の鏡で自分を確かめた。細い体は相も変わらず、弱そうに見える。後ろに立つゼノに比べると更に華奢が際だつものだ。目にかかる髪を横に流し、背中に届きそうにも延びた髪を纏めながら、よく編み込まれた紐で縛る。大切な人からもらった大切な贈り物。全てを終えるまで髪を切らないと決めたあの日を思い出す。
「行くか」
いつの間にか日に焼けた顔を俺の背中に向け、ただ一言告げた。
「ああ、行こう」
身なりを整え、扉へ向かう。立てかけられた決起の象徴である漆黒の鞘に包まれた剣の柄を掴む。太陽が肌を焼く。だがそれに顔をしかめることも手で遮ることもしない。隣で歩むゼノも同じだ。陽光に前進を照らした瞬間、大きな歓声が湧いた。待っている人たちがいる、戦う友がいる。明日をこの手につかみ取ろうと血気盛んに俺たちを迎える。
もし、この場面が先に届いているのなら、どうか聞いてほしい。そして叶えてほしい。
いつか生まれるであろう俺達の先祖と君達が理解と思いやりをもって手を取り合って欲しい。もう俺達は引き返せないから、せめて君達の未来だけでもどうか。俺の見せる過去を無駄にしないでくれ。
来なかった明日への願いを託す。
「これでようやく終わる。この理不尽な世界が! 人を名乗ることを禁じ、人として生きることを禁じた世界から解放される! 俺たちの親やまたその親よりも遠い過去から続いた偽りを持って支配してきた神を、俺は許さない! 命を賭して願いを託した仲間達のために俺達、亜種は人の名を取り戻す! 神を、いや神を騙った人間を! この手で……断罪する!」
右目から熱さが伝って行く。眼下に広がる同胞達は感化され、咆哮を上げ、涙している。壇上の仲間だけが俺の涙の本当の意味を知っている。もう引き返せないことを知っている。これが人間に向けた悲しみの涙でもあることを、望んでいた世界がもう訪れないこと嘆く涙だと知っている。
ねえ、リタ。君がいるだけで、君の笑顔だけで俺は……僕は満たされていたんだ。けど、もうあの日は戻らないし取り返すこともできないんだよな。全てを捨てるには、僕は背負い過ぎた、無くしすぎた。もう君の笑顔も、横顔も思い出せない。だから、せめて、この美しい思い出のまま……。
殺されてくれ。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
婚約者の幼馴染って、つまりは赤の他人でしょう?そんなにその人が大切なら、自分のお金で養えよ。貴方との婚約、破棄してあげるから、他
猿喰 森繁
恋愛
完結した短編まとめました。
大体1万文字以内なので、空いた時間に気楽に読んでもらえると嬉しいです。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】ドアマットに気付かない系夫の謝罪は死んだ妻には届かない
堀 和三盆
恋愛
一年にわたる長期出張から戻ると、愛する妻のシェルタが帰らぬ人になっていた。流行病に罹ったらしく、感染を避けるためにと火葬をされて骨になった妻は墓の下。
信じられなかった。
母を責め使用人を責めて暴れ回って、僕は自らの身に降りかかった突然の不幸を嘆いた。まだ、結婚して3年もたっていないというのに……。
そんな中。僕は遺品の整理中に隠すようにして仕舞われていた妻の日記帳を見つけてしまう。愛する妻が最後に何を考えていたのかを知る手段になるかもしれない。そんな軽い気持ちで日記を開いて戦慄した。
日記には妻がこの家に嫁いでから病に倒れるまでの――母や使用人からの壮絶な嫌がらせの数々が綴られていたのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる