来なかった明日への願い

そにお

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第一小節 日常と摩擦

p1 美しくて嫌いな過去

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 データを書き込む音がきりきり刻まれている。俺は目を閉じて終わりを待っていた。薄暗い部屋の中でモニターが煌々と輝き、データを同期、抽出を行っている。ステータスバーが右の壁にたどり着いた時、それを待っていたかのように、扉をノックする音が聞こえた。仰々しいセンサー付きの椅子を回転させ、その訪問者を迎える。

「ゼノか……。扉空いてるだろ。律儀だな」

 今日、初めて口を開いたせいか、声がうまく出なかった。前日までの疲労も相まった結果だろう。訪問者である背が高い体格が良い男が、扉にもたれ掛かって、呆れたように組まれた腕を解いた。男の体は逆光に遮られ頭に生えた二本の角が美しく照らされた。

「あのな、ナル。何回目のノックだと思ってやがんだよ。で、終わったのか?」

 どうやら気づかなかったのはこちららしい。返す言葉も思いつかず、乾いた笑いが漏れる。ため息混じりにゼノは扉から部屋へと踏み込むと締め切ったカーテンを開け放ち窓を引き開けた。差し込む光となんとも言えない焦げ臭い空気で満たされ、思わず顔をしかめる。この臭いもいつかは木々の香りに満たされることを願ってやまない。

「……ああ、とりあえず過去分は抽出できたよ。差分のこれからはリアルタイムで同期するようにした」

 俺は左目を指すようにしてこめかみを軽く叩く。黒目である右目とは違い、特別製の義眼が左目に埋め込まれており、蒼い瞳が光を調節するように絞る。

「そうかい。別に止めはしねえけどよ。それが成功したところで、俺らのこの世界が変わるわけでもないだろ」

「それはごもっともだけどさ。むしろこの世界が変わってしまうならそれは俺たちのこれまでを否定することになるから、それは望んでないよ。ただ……」

「ただ?」

 屈強な肉体の割に思いやりの強いゼノはわざわざ続きを促すのだ。そこが良いところであり戦友以上に親友だ。

「ただ……俺達にこなかった明日が紡がれるなら、互いに認め合う世界が訪れるなら、きっとそれは無駄なことじゃないよ。せめて命を賭した仲間達が笑って過ごす別の未来があってもいいだろ?」

「その仲間ってのは、あいつ……も含めてか?」

 その指摘に一瞬だけ逡巡した。あまり気が進まないのも分かるが、彼女は……は違う。彼女だけじゃない。他にも理解者も協力者もいた。これは彼らの願いでもあるのだ。だから。

「そうだよ。来なかった明日を願った皆のためだ」

 俺は真っ直ぐにゼノを見据えた。それを責めているように捉えたのかゼノはばつが悪そうに頬をかく。

「そんな目で見るなよ。別に文句があるわけじゃねえ。少なくともあいつには世話になったし、あいつの取り巻きもいい奴らだったさ。ただお前が過去に捕らわれすぎちゃいねえか心配になってな。その……なんだ、今、お前についてきている仲間のことも人数に入れとけって話だよ」

 照れ隠しなのか陽光に顔を向け、表情が白飛びして読みとれなかったが、言葉通りなのだろうと感じた。もちろん、そんな風には思ってはいないが、そう見えてしまったことが事実には変わりなく。俺はゆっくりと立ち上がり姿見の鏡で自分を確かめた。細い体は相も変わらず、弱そうに見える。後ろに立つゼノに比べると更に華奢が際だつものだ。目にかかる髪を横に流し、背中に届きそうにも延びた髪を纏めながら、よく編み込まれた紐で縛る。大切な人からもらった大切な贈り物。全てを終えるまで髪を切らないと決めたあの日を思い出す。

「行くか」

 いつの間にか日に焼けた顔を俺の背中に向け、ただ一言告げた。

「ああ、行こう」

 身なりを整え、扉へ向かう。立てかけられた決起の象徴である漆黒の鞘に包まれた剣の柄を掴む。太陽が肌を焼く。だがそれに顔をしかめることも手で遮ることもしない。隣で歩むゼノも同じだ。陽光に前進を照らした瞬間、大きな歓声が湧いた。待っている人たちがいる、戦う友がいる。明日をこの手につかみ取ろうと血気盛んに俺たちを迎える。
 
 もし、この場面が先に届いているのなら、どうか聞いてほしい。そして叶えてほしい。
いつか生まれるであろう俺達の先祖と君達が理解と思いやりをもって手を取り合って欲しい。もう俺達は引き返せないから、せめて君達の未来だけでもどうか。俺の見せる過去を無駄にしないでくれ。
 来なかった明日への願いを託す。
  
「これでようやく終わる。この理不尽な世界が! 人を名乗ることを禁じ、人として生きることを禁じた世界から解放される! 俺たちの親やまたその親よりも遠い過去から続いた偽りを持って支配してきた神を、俺は許さない! 命を賭して願いを託した仲間達のために俺達、亜種は人の名を取り戻す! 神を、いや神を騙った人間を! この手で……断罪する!」

 右目から熱さが伝って行く。眼下に広がる同胞達は感化され、咆哮を上げ、涙している。壇上の仲間だけが俺の涙の本当の意味を知っている。もう引き返せないことを知っている。これが人間に向けた悲しみの涙でもあることを、望んでいた世界がもう訪れないこと嘆く涙だと知っている。
 ねえ、リタ。君がいるだけで、君の笑顔だけで俺は……僕は満たされていたんだ。けど、もうあの日は戻らないし取り返すこともできないんだよな。全てを捨てるには、僕は背負い過ぎた、無くしすぎた。もう君の笑顔も、横顔も思い出せない。だから、せめて、この美しい思い出のまま……。

殺されてくれ。
 
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