来なかった明日への願い

そにお

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第一小節 日常と摩擦

p8 埋もれた壁

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 ヴァギに追加を頼んだあの日、遅れながらも待ち合わせ場所、といっても僕の家だが玄関の前で彼はいた。

「遅刻ですね」

「ごめんよ。クイン」

 仏頂面を浮かべるクインに頭を下げる。

「まあ良いです。忙しかったみたいですね」

 神迎えの準備のことだろう。顔を上げれば仏頂面はなくなっており、機嫌も悪くはないように感じた。妖精族の集落で過ごす彼にも周りの忙しさを感じていたのだろう。なかなかどうして理解のある子だ。

「はは、じゃ、行こうか」

 学校で聞いた、クインの行きたい所に付きそう約束だった。陽も落ち掛けているせいか足取りも早く、正直だるかった足を再び奮い起こす。クインはどんどんと街を過ぎ、家路につく大人達と逆方向へ向かっていく。そして、陽に赤く染まる学校へと戻り、横道へ入る。この先は砂浜へと続いていた。
 さざ波が視界いっぱいに轟く。砂浜は当然無人で魚鱗族の姿も見えない。この時間は川を遡った湖にいるはずだ。

「あっちです」

 クインは疲れた様子も見せず、目的地を指さす。震えることなく一点を指された指を追うと、川の河口よりも奥の切り立った崖下だった。

「行きましょう」

 クインはそのまま先を歩いていく。砂浜とは違い、川の出口の生ぬるい浅瀬を抜けた先は岩場が多く、苔で滑るわ、足裏が刺激されるわで、会話することもできなかった。
 クインは崖下を回り込んだようで姿が消える、急いで後を追いかけると、その背中は止まっていた。

「ここ?」

 傾いた太陽がその入り口を照らしていた。

「はい。この間の雨で崩れたみたいです」

 そういえば少し前に大雨が振ったことを思い出す。空を仰げば、薄い膜は相変わらず僕達を覆っていた。その薄い膜が透過する雨は浄化され、このゲットーに降り注ぐ。通称、境界膜は外界のあらゆる毒素からこの地を守ってくれる、なくてはならない神の産物だった。もちろん詮索も検証も禁止されていて、そういうものだ、という認識と感謝しか僕たちには赦されていなかった。

「どうしました?」

 ぼーっとしていると声をかけられ、また苦笑いで誤魔化しながらその先をのぞき込む。太陽のおかげでその窪み、いや洞窟か。奥まで照らされているようだがそれでも終着点は見えなかった。

「崩れたりしないかい?」

「大丈夫です。入り口ほど中は脆くはありませんでした。多分最初からあった入り口が塞がっていたような感じですね」

 その口振りからして、一人で入ったのだろう。本来は叱るべきだろうが、珍しく口調の弾むクインにそれは後にしようと決めた。

「着いてきてください」

 クインは慣れた足取りで奥へと進んでいく。これは一度や二度ではないなと思ったが、叱るタイミングは既になく、ただその後ろ姿を追いかけるだけだった。
 なだらかな傾斜が下へと潜っていることを推測する。一本道の直線ではあるようだが、地理的にはそろそろ終わりを迎えるはずだ。岩場は案外すぐに終わり、土の地面が足跡を残していく。薄暗がりではあったが、所々に群生するヒカリゴケが道案内をするように先を照らしていた。
 
「ここです」

 ようやくクインの背中に追いつく。広場のように開けた場所にたどり着いたようだった。どこからか差し込む数本の明かりが広場を明るく照らしていた。

「ここは……」

 ただの自然発生でできた空間ではないことは、その視線の先にあるもので察しがついた。僕たちを囲う壁、境界壁が洞窟に違和感たっぷりにそびえていた。そう地理的には境界壁の真下にあたる場所でこれがあるのも当然だった。地下深くから地上へと伸びている境界壁、これもまた僕たちを外界から守る鎧のようなものだった。

「不思議な場所だけど、ここで終わりみたいだね」

 ある種の願望を込め、引き返しを促した。しかし、クインはそれに応じない。

「先生、よく見てください。あれは壁なんかじゃない」

 また、クインは壁を指さす。今度は小刻みに震えていた。日照角度がまるで察したように変わり、その光を壁へと延ばしていく。

「……!」

 目を疑った。ここにあるわけがなかった。寒気が襲い視界がぐらつく。壁は壁だが、亀裂が入ったそれはまるで――――

「扉……」

 まるでなんかじゃない。それは閉じられた巨大な扉だった。そして描かれた巨大な瞳と下に伸びた三角、僕たち亜種が関わっては行けない所にきてしまったと瞬時に理解した。

「だ、大丈夫ですか?」

 動悸が収まらずうずくまる僕に、クインは背中をさすってくれる。そのおかげか、落ち着きを取り戻し、よろめきながら立ち上がる。

「どうしたんです? ここを先生に見て欲しかったんです。他の皆に見せればすぐに閉鎖されるでしょうから」

 反対にクインは興奮仕切っていた。きっと神の産物を発見したことが原因なのだろう。それは純粋で当然の信仰心からだ。僕はなるべく平静を装うことに精一杯だった。内から沸き上がるこの感情の理由は不明だ。畏怖などではない、純粋な恐怖だ。恐怖がここから逃げろと叫んでいた。近づくなと恐れている。その理由を探っては見るが、記憶の蓋が邪魔をする。開けようとすれば万力で締め付られるような頭痛が襲ってくる。
 息をしろ、空気を満たせ。だめだだめだだめだ……。

 途端、背後で石が転がる音がした。

「誰だ! っ!?」

 自分で自分の声に驚いた。威圧を含んだ重い声が僕の喉から出るなんて思いもしなかった。きっと同じことを彼女らも思ったに違いない。

「ひっ!?」

 恐れの悲鳴を上げ、暗がりから出てきたのは、ラナだった。彼女は普段とは違う僕の様子に驚いたようで耳を畳み、足が震えていた。

「せ、先生、急に大きな声出さないでよ……」

 もう一人、影からひょっこり顔を出したのは、ルルだった。彼女はラナほどではないが、僕に対して恐怖をいだいていただろう。
 ひどく後悔した。理由よりも彼女達を怖がらせてしまった。同時に彼女達の顔を見た安心感からか先ほどまでの恐怖も薄らぎ、なるべく努めて笑顔で声をかけた。

「ごめんね。僕もびっくりしちゃって」

 ラナの前で膝をつく。涙目を浮かべるラナは一歩後ずさったが、後ろにはルルが居たためそれ以上は下がれなかった。

「ごめん、怖がらせちゃったね」

 もう一度、心から謝罪する。

「怒ってない……?」

「ああ……怒るわけないよ」

 ラナの頭を撫でようと手を伸ばす。救いだったのが避けることもなくすんなりと撫でさせてくれたことだ。

「勝手に着いてきて、ご、ごめんだざいっ、ごめっ、うわあああん」

 我慢していただろう大粒の涙がこぼれ落ちていく。勝手に着いてきたことを怒られたのだと思ったのだろう。

「ラナは悪くないよ! ルルが誘ったの! 二人が面白そうな話してたから、後をつけようって! だから、だから、ルルが悪いの!」

 鳴き声が重なり広場を反響する。ルルにも空いた手で頭を撫でる。

「大丈夫、大丈夫。ルルも正直にありがとう。先生、驚いたよ。ここまで気付かないなんて」

「へ、へへ。すごいでしょ」

 ルルが涙声ながら誇らしげに胸を張る。ラナも落ち着いてくれたようで涙を拭っていた。

「まったくこれだから獣生族は……」

 静かに見守っていたクインは、苦々しい顔をして一言呟いた。


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