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第二小節 彩るハルの季節、軋んでナル世界
e1 少年
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なんだろう。この物語は。
少年は縦書きの文字を目で追いながら、ふと思った。ただのファンタジー小説のようにも思えたが、それが本屋で見つけたものなら、の話だった。明らかにここにめがけて、文字通り転送された本は、ただの、という表現は似付かわしくなかった。一行、一文字一文字がダイレクトに脳内のイメージを形作っていくことも不思議で読み進めるのは苦ではなかったが、さすがに紙の活字を追うことは長くは続かず、一息入れようとしたところだった。
「何してるんだ?」
「!?」
唐突に呼びかけられ、驚きは声ではなく、跳ね上がった背中に現れた。それの鼻息が真横でのぞき込んでいるのだと分かる。
「ってびっくりさせんなよ……、親父」
それが父親だとはすぐに気づき、若干、顔を離しながら横に振り向く。朝から剃っていないのだろう。不揃いに生え始めた髭が肌色を青くしていた。
「すまんすまん。書斎が開いていたからな。泥棒かと思って親父もびっくりだよ」
「この距離まで俺ってわからないのかよ」
視線を下ろすと、数回しか使ってないゴルフクラブが右手に握られていた。冗談ではなく本当のようであきれた。
「はっはっは。で、何読んでたんだ?」
使わない癖に嫌に丁寧にゴルフクラブを机に立て掛ける。今更誤魔化すこともできないと思った少年は、おとなしくその本を父親に渡す。
「ん。ファンタジー、いやSFかい? しかも未完成とは」
少年はぱらぱらとページをめくり内容を把握したような父に感心したが、未完成、というところに引っかかった。
「は? 未完成なん?」
少年は父親が持つ本をのぞき込む。先ほど読んだページより先は真っ白だった。確かに先に確認せず読み進めていたので、その事実に気付かなかった。
「まじか……」
「気付かないほど熱中してたのかい? 珍しいね。どこで見つけたんだい? ここにはそんな本はなかったはずだけど」
父は本を閉じて少年に返す。丸渕眼鏡の向こうに覗く瞳は優しく少年を見つめていた。書斎の壁にある本棚に敷き詰められた本を彼は全て熟読していたため、この本がここにはなかったと気付いていた。
「あ……実はさ」
隠すわけにはいかなかった。自宅を特定されている、ということは何かしらの危険も考えねばならず。それを誤魔化すことはさすがにできないと考えた。最悪、父にも迷惑がかかってしまうのだ。
大量に送付された差出人不明のメール、そして転送したというメッセージに、それを事実と示した未完成の本、全ての顛末を余すことなく報告した。それを父が否定することはないとは分かっていたが、さすがに非科学的な出来事を信じるかは懐疑的であったが、一度、ゆっくりと頷いた後、考えるようにして少年の持つ本を見つめる。
「わかった。こっちでも仲間内にそれとなく聞いてみよう。なかなか信じられない話だけど、それはそれで検証してはっきりとさせよう。何より息子の話だからね」
「……ありがとう」
信じるということだ。それを客観的にも判断しようと父は提案した。少年は素直に感謝する。すると父はにっこりと微笑んだ。
「いいよ。久しぶりにいい顔をしているんだから。さあ兎にも角にも、夕食にしよう。といってももう八時過ぎてるけどね」
父は書斎を後にする。心なしかその歩みは軽く感じた。思わず少年は顔を机に置かれた卓上の鏡に写った自分の顔を見つめる。
「変わらないよな……」
いつも通りだと感じた少年は、首を傾げながら本を片手に書斎を後にした。
本を自室の机に起くと、その振動でマウスが動いたのか、パソコンが反応してモニターに電源がつき、スリープが解除された。いくつかメッセージが溜まってはいたが、夕食を優先し部屋を出て階段を降りていった。
>おーい。生きてるか?
>解読したのお前か?
>寝てんの? まあいいや。起きたら返事よろ
……メッセージ受信。
差出人:null
【解読者特定。転送完了。以降は特定者のみに継続転送】
差出人:null
【追加データ送信。以降不定期送信。”メイリア”とのデータリンク同期タイミングによるもの】
それを少年が見るのは結局、翌日の朝になる。
「で、学校は?」
「あ……」
出来合いのパスタを口に頬張っていると、父からの質問に口が止まる。まだ噛み切れていないが喉に押し込んだ。
「明日は……行くよ」
「そうかい。絶対行けとは言わないけど。いくら頭が良くても、出席日数だけはどうしようもないから、留年は避けるように。じゃないと卒業も遠のくよ」
高校二年生の少年には耳の痛い話だった。一年に至ってはそれなりに出席もしていたが、三学期からはほとんど行かなくなっていた。別に虐めに合っていたわけではない。ただ、どこか違和感と薄っぺらい思いやりが蔓延する学校という場所に意味を見いだせなくなっただけだ。もっとも薄っぺらい思いやりというのが主観的な判断でしかないことも知っているが、母を亡くした少年にとっては、それを悼む声も、どこかで好奇から出たものにしか思えなくなっていた。それほど、あの事件は報道されすぎた。ネットは騒がしかったが、匿名であるが故に嘘偽りのない言い合いがあり、元々慣れしたんでいた世界だったが、いつしか匿名の本音の世界が家となっていた。
「分かってるよ……。で、研究はどうなのさ」
その話題を避けようと、父の研究へ話を移す。既に三缶目の安い発泡酒に喉を鳴らしていた父はゆっくりと食卓に缶を置く。軽い缶の反響音が半分近く空になっていることを告げていた。その話題を出したのは丁度、関連したニュースが特集されテレビが鳴いていたからだ。
「研究かい? まだまだだね。今じゃこのニュースみたいに脳科学じゃなくて心理学のチームと共同しているところさ」
「へえ、心の病気ってこと?」
最近、テレビなどの報道で大きく報じられている、虚脱症状、もしくは暴力衝動に分類される新たな疾患が話題となっている。脳科学分野のそれなりに有名な父は、これまで海外で広がっていた疾患のため、そちらに拠点を置いていたが、日本でも同じような発症事例が報告され、今までネットニュースでしか取り上げていなかった症例を、ようやくテレビで取り上げ話題としているところだ。日本でも始まった状況に、父達の研究チームは発症プロセスを解析するため、まだ落ち着いている日本へと拠点を移すことになり、家に戻るようになったというわけだった。
『今の研究では鬱病に近い、もしくは類する精神障害だと報告されていますが、先生はどうお考えでしょう』
『確かに今はそのように出ておりますが、新たな精神障害の一種とするにはまだ早計です。発展途上国にも広がっている鬱病ですが、比較的、そういった症例のない国でも今回と同じ事例が報告されていて、これが感染症なのかどうかも未だはっきりしておりません。ただ、研究チームに属する私の友人は、脳内にニューロン細胞の一部の異常増加が見られるとも言っています。最近では通説になったニューロン増加ですが、それにおいても異常な数値のようです』
そこでニューロンとは、という説明に画面が切り替わる。それを見ていた父は、ため息をついた。
「僕の知る限り、情報を漏らす仲間はいないんだが……。的外れでもないっていうのが皮肉だね」
その口振りからして偉そうに解説するどこぞの教授は嘘、というか推測で喋っているようだ。だがそれでもそれなりに真実には近いようで、近く追加発表に期待ということのようだ。
「ニューロン細胞の増加って? あ、言っちゃだめなのか」
「はは、ごめん。それについては今度の発表からならいくらでも話すよ」
情報を漏らす者はいないと言った手前、息子にも話すわけには行かないのだろう。少年は適当に相槌をうって早々に食事を終わらせた。
いろいろあり疲れてしまった少年は片づけを父に任せてしまい、そのまま、ベッドで眠りに落ちてしまった。
少年は縦書きの文字を目で追いながら、ふと思った。ただのファンタジー小説のようにも思えたが、それが本屋で見つけたものなら、の話だった。明らかにここにめがけて、文字通り転送された本は、ただの、という表現は似付かわしくなかった。一行、一文字一文字がダイレクトに脳内のイメージを形作っていくことも不思議で読み進めるのは苦ではなかったが、さすがに紙の活字を追うことは長くは続かず、一息入れようとしたところだった。
「何してるんだ?」
「!?」
唐突に呼びかけられ、驚きは声ではなく、跳ね上がった背中に現れた。それの鼻息が真横でのぞき込んでいるのだと分かる。
「ってびっくりさせんなよ……、親父」
それが父親だとはすぐに気づき、若干、顔を離しながら横に振り向く。朝から剃っていないのだろう。不揃いに生え始めた髭が肌色を青くしていた。
「すまんすまん。書斎が開いていたからな。泥棒かと思って親父もびっくりだよ」
「この距離まで俺ってわからないのかよ」
視線を下ろすと、数回しか使ってないゴルフクラブが右手に握られていた。冗談ではなく本当のようであきれた。
「はっはっは。で、何読んでたんだ?」
使わない癖に嫌に丁寧にゴルフクラブを机に立て掛ける。今更誤魔化すこともできないと思った少年は、おとなしくその本を父親に渡す。
「ん。ファンタジー、いやSFかい? しかも未完成とは」
少年はぱらぱらとページをめくり内容を把握したような父に感心したが、未完成、というところに引っかかった。
「は? 未完成なん?」
少年は父親が持つ本をのぞき込む。先ほど読んだページより先は真っ白だった。確かに先に確認せず読み進めていたので、その事実に気付かなかった。
「まじか……」
「気付かないほど熱中してたのかい? 珍しいね。どこで見つけたんだい? ここにはそんな本はなかったはずだけど」
父は本を閉じて少年に返す。丸渕眼鏡の向こうに覗く瞳は優しく少年を見つめていた。書斎の壁にある本棚に敷き詰められた本を彼は全て熟読していたため、この本がここにはなかったと気付いていた。
「あ……実はさ」
隠すわけにはいかなかった。自宅を特定されている、ということは何かしらの危険も考えねばならず。それを誤魔化すことはさすがにできないと考えた。最悪、父にも迷惑がかかってしまうのだ。
大量に送付された差出人不明のメール、そして転送したというメッセージに、それを事実と示した未完成の本、全ての顛末を余すことなく報告した。それを父が否定することはないとは分かっていたが、さすがに非科学的な出来事を信じるかは懐疑的であったが、一度、ゆっくりと頷いた後、考えるようにして少年の持つ本を見つめる。
「わかった。こっちでも仲間内にそれとなく聞いてみよう。なかなか信じられない話だけど、それはそれで検証してはっきりとさせよう。何より息子の話だからね」
「……ありがとう」
信じるということだ。それを客観的にも判断しようと父は提案した。少年は素直に感謝する。すると父はにっこりと微笑んだ。
「いいよ。久しぶりにいい顔をしているんだから。さあ兎にも角にも、夕食にしよう。といってももう八時過ぎてるけどね」
父は書斎を後にする。心なしかその歩みは軽く感じた。思わず少年は顔を机に置かれた卓上の鏡に写った自分の顔を見つめる。
「変わらないよな……」
いつも通りだと感じた少年は、首を傾げながら本を片手に書斎を後にした。
本を自室の机に起くと、その振動でマウスが動いたのか、パソコンが反応してモニターに電源がつき、スリープが解除された。いくつかメッセージが溜まってはいたが、夕食を優先し部屋を出て階段を降りていった。
>おーい。生きてるか?
>解読したのお前か?
>寝てんの? まあいいや。起きたら返事よろ
……メッセージ受信。
差出人:null
【解読者特定。転送完了。以降は特定者のみに継続転送】
差出人:null
【追加データ送信。以降不定期送信。”メイリア”とのデータリンク同期タイミングによるもの】
それを少年が見るのは結局、翌日の朝になる。
「で、学校は?」
「あ……」
出来合いのパスタを口に頬張っていると、父からの質問に口が止まる。まだ噛み切れていないが喉に押し込んだ。
「明日は……行くよ」
「そうかい。絶対行けとは言わないけど。いくら頭が良くても、出席日数だけはどうしようもないから、留年は避けるように。じゃないと卒業も遠のくよ」
高校二年生の少年には耳の痛い話だった。一年に至ってはそれなりに出席もしていたが、三学期からはほとんど行かなくなっていた。別に虐めに合っていたわけではない。ただ、どこか違和感と薄っぺらい思いやりが蔓延する学校という場所に意味を見いだせなくなっただけだ。もっとも薄っぺらい思いやりというのが主観的な判断でしかないことも知っているが、母を亡くした少年にとっては、それを悼む声も、どこかで好奇から出たものにしか思えなくなっていた。それほど、あの事件は報道されすぎた。ネットは騒がしかったが、匿名であるが故に嘘偽りのない言い合いがあり、元々慣れしたんでいた世界だったが、いつしか匿名の本音の世界が家となっていた。
「分かってるよ……。で、研究はどうなのさ」
その話題を避けようと、父の研究へ話を移す。既に三缶目の安い発泡酒に喉を鳴らしていた父はゆっくりと食卓に缶を置く。軽い缶の反響音が半分近く空になっていることを告げていた。その話題を出したのは丁度、関連したニュースが特集されテレビが鳴いていたからだ。
「研究かい? まだまだだね。今じゃこのニュースみたいに脳科学じゃなくて心理学のチームと共同しているところさ」
「へえ、心の病気ってこと?」
最近、テレビなどの報道で大きく報じられている、虚脱症状、もしくは暴力衝動に分類される新たな疾患が話題となっている。脳科学分野のそれなりに有名な父は、これまで海外で広がっていた疾患のため、そちらに拠点を置いていたが、日本でも同じような発症事例が報告され、今までネットニュースでしか取り上げていなかった症例を、ようやくテレビで取り上げ話題としているところだ。日本でも始まった状況に、父達の研究チームは発症プロセスを解析するため、まだ落ち着いている日本へと拠点を移すことになり、家に戻るようになったというわけだった。
『今の研究では鬱病に近い、もしくは類する精神障害だと報告されていますが、先生はどうお考えでしょう』
『確かに今はそのように出ておりますが、新たな精神障害の一種とするにはまだ早計です。発展途上国にも広がっている鬱病ですが、比較的、そういった症例のない国でも今回と同じ事例が報告されていて、これが感染症なのかどうかも未だはっきりしておりません。ただ、研究チームに属する私の友人は、脳内にニューロン細胞の一部の異常増加が見られるとも言っています。最近では通説になったニューロン増加ですが、それにおいても異常な数値のようです』
そこでニューロンとは、という説明に画面が切り替わる。それを見ていた父は、ため息をついた。
「僕の知る限り、情報を漏らす仲間はいないんだが……。的外れでもないっていうのが皮肉だね」
その口振りからして偉そうに解説するどこぞの教授は嘘、というか推測で喋っているようだ。だがそれでもそれなりに真実には近いようで、近く追加発表に期待ということのようだ。
「ニューロン細胞の増加って? あ、言っちゃだめなのか」
「はは、ごめん。それについては今度の発表からならいくらでも話すよ」
情報を漏らす者はいないと言った手前、息子にも話すわけには行かないのだろう。少年は適当に相槌をうって早々に食事を終わらせた。
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