来なかった明日への願い

そにお

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第二小節 彩るハルの季節、軋んでナル世界

e3 どうしようもないこと

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 夕焼け差し込む頃、放課後のホームルームが始まる。

「おつかれさん」

 今度は労いから挨拶が始まるが、それ以外は変化はない。早く制服を脱ぎ去りたかったがそうは行かず大人しく少年は耐えた。ふと窓際の隅のハルと反対側、廊下側の隅に座るリタを横目に見る。授業の合間にもよくよく注視したハルだが、リタはこの一ヶ月で相当な人気者らしく男女問わず常に輪の中心にいた。
 遠い存在、ハルは自らの対比でそう感じていた。昼休みのあの出会いも今となっては幻のようなもので、それ以降、こちらに話しかけることもなく、ざわついた心も午後の授業も終わりの頃にはいつものように落ち着いていた。それでもたまに目で追ってしまうことに自分でも理由がつけられず、目が合いそうになると逸らす、ということが続いていた。

「期末考査は来週だからな。部活も大事だが勉学も大事だ。ちゃんと勉強するようにな」

 担任が、テンプレートのような言葉を吐く。

「はーい」

 誰でもなく返事がぱらぱらと起きるが、大半はどうでも良さそうにしていた。その点は共感ができた。

「それじゃ、ホームルーム終わり。気をつけてな。それとハル。職員室まで来てくれ」

 一瞬、空気が静かになったが、途端、ざわざわとクラスメイトが立ち上がり、各々の予定、部活や遊びにただ帰りを急ぐことを優先する多目的なグループに分かれ、あっという間に人数が減っていく。あの担任は名前が被らない限り、下の名前で呼ぶことが多い。上下関係のあまりない接し方が、男女含めて信頼の厚い男性教諭だった。

「リタ、暇だったらカラオケ行こうよ!」

 テスト前の部活短縮期間も関係なく、一人の女子がやけに大きな声でリタを誘った。

「うーん、マイちゃん、ごめん。行きたいけど今日もバイトなんだ。明日なら大丈夫だよ」

 リタは悪びれた様子でその誘いを断る。誘いをかけた女子、マイはあからさまに肩を落とす。日に焼け焦茶色の髪が下を向いた顔を覆う。

「そっかあ。じゃあ私も今日はやめとく。明日ね!」

 その後、いくつかのやりとりをした後、マイは取り巻きと一緒に教室を出て行った。

「ハル」

 身支度していたハルは男子生徒に声をかけられる。

「コウキ?」

「お前が休んでた間の今度の課題とか、もらっといた。それと俺が言うことじゃないかもしれんけどな。学校くらい来いよ」

 コウキはどこか言いにくそうにしながらも大量の課題プリントを机に置く。

「はは、ごめん」

 それがクラス委員兼野球部のキャプテンで四番でエースとかいう、完璧な人間たるコウキの責任のなせる仕事だとはハルは分かっていたが、小中一緒だったコウキとはまだ会話できるほどの繋がりはあった。当時とは信じられないほど細い糸になってしまってはいた。ハルは苦笑いでそれをそのまま鞄に詰め込む。

「なあ、ハル」

「悪い、職員室行かなくちゃ」

 コウキの言葉を遮るようにして、鞄を背負い教室を出て行く。

「あ、ああ、またな」

 コウキと互いに軽く手を振り合うと、視線を正面に戻す時にリタと今度はばっちりと目が合ったが、過ぎ行く風景として、気にしないように、逃げるようにしてその場を後にした。


 何度か入った職員室、その扉を前にして若干走ったためか、息が少し荒い。扉に手をかけ開けようとすると声をかけられた。

「お、ハル。悪い悪い。こっちだ」

 担任の声は扉の奥ではなく、廊下から聞こえた。そちらを見れば笑顔で手を上げ、ハルを呼んでいた。扉から手を離して担任の側へ向かう。

「悪いな、あんまり聞かれるのも嫌だと思ってな。響きは悪いが生徒指導室にした」

 扉の上部には”生徒指導室”と書かれたパネルが張り付けられていた。その中に入る担任を追い扉を閉める。
 奥の一枚窓から西日が入り込み、無機質な机と椅子だけの空間を赤く染めていた。しかし、それもすぐにブラインドを下げられて、蛍光灯からの白へと色を変えた。

「まあ、座れ。どっちにする?」

 机の上に缶が二つ置かれる。どちらもコーヒーだったが、砂糖入りと無糖と種類が違った。

「こっちで」

 ハルは迷わず無糖を選びブラインドに向かい合うようにして椅子に座った。

「相変わらず渋いなお前は……」

 残った砂糖入りコーヒーを担任は手に取り、ハルに向かい合うと早速、缶を開けて一口飲んだ。初めの頃はジュースとコーヒーだったが、ことごとくコーヒーを選ぶため、今ではコーヒーの種類だけ違うものを奢ってくれていた。
 まだ三十前の若い教諭だったが、所々白髪が黒染めから逃げ切り蛍光灯の光に反射していた。それが昔からか、教諭となったストレスか、それとも野球部のコーチとしての疲れかはハルは聞いたことはなかった。

「結果から言うぞ。進級が危うい」

 ハルは既に予想された宣告だったため、驚く素振りもなかった。一応、口に含みかけたコーヒーを止めてみせる。

「ですよね」

「分かってんならいいんだけどよ……ってだめだ。正直言うと今はまだ大丈夫だが、このペースで休んでいると確実に留年だ」

 担任の真摯な態度にハルは身を正す。

「期末の成績次第では……」

 行けるのか? とハルは言い掛けたが、すぐに首を振られ否定された。

「ここはアメリカでもヨーロッパでもねえ、よく知らんけど。とにかくここは日本だ。学力以外に出席日数も大事なんだよ。それに学力に関しちゃ心配してねえよ。文系はまだしも理数系は完璧だ。物理のアサダ先生は今回は満点取られるかって意気込むレベルだ。だから問題は出席日数だ。お前の事情も分かっちゃいるが、だからといって学校は甘くないんだよ」

 ハルは学力については問題はなかった。国語や社歴公民以外、英数理科目に置いては上位に位置していて、期末だけにあるプログラミングの情報系科目と、物理だけで見れば学年一位だった。だからこそ、出席日数だけがネックだった。

「うーん。どうしましょうマッツ」

 他人行儀な口振りにあだ名で呼ばれる担任マッツは頭を抱える。

「なんでそんな余裕なんだ、お前は。ソウジさんはなんて言ってんだ?」

 ハルは心底どうでも良いと思っていた。稼ごうと思えばPCだけでなんとでもなるからだ。現に税金に引っかからない程度に稼いでいるのだ。ただ父親、ソウジのことを引き合いに出されるとそういうわけにも行かない。父とは卒業することを約束しているため、二年次の時は計算して出席日数を間に合わせてどうにか進級できたのだった。今回もそのつもりだったが、マッツの様子からしてそういう訳にも行かないようだった。

「親父からは卒業しろって言われてるから、こう見えて結構余裕はないです」

「嘘付け。ああ、姉さんが聞いたら大泣きだろうな」

「はは……」

 痛いところを突かれ、苦笑いと共にコーヒーを流し込む。口に広がる苦みがどこか図星を感じていた。
 マッツの姉、つまり、今は亡くなってしまったハルの母で、マッツは叔父にあたる。あの事故の後、マッツはわざわざ地元に戻ってきてどうやったのかこの高校に教諭として赴任してきたのだった。どうにもそれで婚約間近の彼女と修復不可能な喧嘩をして、現在独身で未だに忘れられないのかペアリングを右手薬指にはめたままだった。それに関しては親戚連中が集った際も、ネタになっていたが本人は多くは語らず、むしろそのせいで毎度ネタになっているのも否めない。

「さすがに毎朝迎えに行くのはやりすぎだからな……贔屓だ差別だなんのってうるせえだろ? おっと」

 マッツは口をつぐみ人の気配を確かめ、誰も近くにいないと分かるとため息をついた。白髪の理由はそれかもしれない。

「世の中、監視も自由ですからね」

「言葉だけは達者だよな、お前。まあいい。今日、ソウジさんは?」

 皮肉った所でどうにもならないのが、この世の中でもある。なにかをしようとすれば危険だと禁止され、なにもしなくても危険を見過ごしたと炎上するのが現代社会の常だった。外に出ようとしないハルには傍観者の身勝手な自由がその一つの理由でもあり、ただの言い訳でもあった。

「親父は今日は帰ってこないって」

 朝からいなかったソウジが残した書き置きにそう書かれていたことを思い出した。夕飯は作ってもいいがめんどくさいなと思っていた頃、それを知ってか知らずかマッツはよし、と頷いた。

「金曜日なのに大変だな。そんじゃ、飯行くぞ飯、もちろん教師としてではなく叔父としてな」

 その言い訳を聞く人は誰もいないが、マッツは自分に言い聞かせるようにして免罪符を口に出し、そして残ったコーヒーを飲み干した。

「良いけど、飲みたいだけでしょ。あんた」

 金曜日、最近使われることもなくなった華金ということだ。ハルとしても別に嫌なわけでもなく当然、奢ってくれるので断る理由はなかった。

「まあそう言うなって。何食いたい? 焼肉か鳥かホルモンか」

 全部、肉じゃねえか、とハルは内心で突っ込みを入れる。やはり疲れているのだろうと思った。

「……魚系で」

「やっぱり高校生には思えん」

 マッツの胸板が力なく垂れた気がした。

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