来なかった明日への願い

そにお

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第二小節 彩るハルの季節、軋んでナル世界

p15 名前

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 静寂で耳が痛い。異様な感覚だった。これから神との対話に臨む僕は、他の亜種とは違う心持ちなのだ。先ほどの柑橘な香りを運んだ出逢いをすべて隠す。言葉は悪いが最悪、欺くつもりだ。理由なんて生きたいから、以外にないだろう。
 
「そんな緊張しなくても良いのです。普段の姿を見せてくれれば」

 そんな心境を知ってか知らずか、カグチ・イルミナ様は優しく諭す。本来ならそんな言葉に感激するところだろう。もちろん、僕もそんなふうにして深々頭を下げる。

「優しきお言葉に感謝いたします。もちろん普段通りに過ごしたいものではございますが、神様と直線お目にかかることなど少なくなかなか普段通りとはいきません。それに、申し訳ないのですが、普段、私は子ども達の教育を任されており、それ以外の日は、町を見回り、ある時は子どもと遊び、ある時は鍛冶職達の雑用をこなすなど、何でも屋のようなことをしております。ですので家では特に何もお見せすることはありませんで」

 僕はつらつらと頭を下げながら歌でも呼んでいるように述べきった。反応はない。代わりに機械人形達の視線が突き刺さっているくらいは分かる。彼らにいらつく、という感情があるのかは不明だが、こちらの話だけを一気に話した僕を少なくとも良くは思っていないだろう。何もしないし言ってこないのは神の命令がないから、それだけの理由だろう。
 神が身につけている装飾品が擦れて音を奏でる。動いたと思えば頭に何かが乗った。それが右手だと気づくには顔を上げて視界の上に続く右腕を確認してからだった。 

「イルミナ様、何を!?」

 そう言いたかったのは僕のほうだったが、二人の機械人形が代弁した。初めて見た表情の変化は新鮮だった。僕に手袋ごしながらも触れたことが想定外のようだ。僕もまさかの事態に硬直する。謝るべきか、感謝するべきか迷っていると、頭にのっかる重さが離れた。手袋を眺める神に僕は一気に焦りを取り戻した。そうだ。染髪剤……! まさか気づかれたのか? まずいまずいまずい……。
 
 焦りで思考が渋滞し思いつく単語が沸いては埋もれていく。逃げるか? でもどこに?

「……いえ、他の者と比べているわけではありませんが、皆私を前にすると萎縮してしまうようなので、あなたのように整然と自分の言葉を完結させる亜種はいませんでした。触ったら違う反応を示すのか、という好奇心です。ですので特に意味はありません。さすがに顔色が変わりましたのでそのあたりはやはり一緒なのですね」

「……は、はあ」

 思わず間の抜けた返事をしてしまったが、咎められる様子はなく、むしろ満足げのようにも感じた。白髪の秘密から沸いた焦りを神への畏怖と勘違いしてくれたのか、僕の抱える真意に気づくことはなかった。ただ口調は柔らかいものの、もし触られてもなお、変化がなかったらどうなるのだろうと疑問が沸き、最初から確かめる目的だとしたらと思うと、神の恐ろしさを実感した。

「驚かせてしまいましたね。ではあまり時間もなく申し訳ありません。では、祭壇へ戻る道中、お話にでもつつき合ってくれますか?」

 なるほど確かに、夕日も沈む頃で祭壇に戻る時間だった。かといって見逃してくれるわけではないようで、祭壇への道中に付き添えということだ。断ることなどできるわけもなく。

「もちろん、お供します」

 とにかく染髪剤の瓶が見つかるのは避けたく一刻も早くこの場を去りたかった。この時、安堵したせいで、機械人形が庭のほうを眺めていたことに気にとめることもなかった。

「ありがとう。ではティフ、ティセ、行きますよ」

「仰せのままに」

「仰せの通りに」

 先に答えた男性型がティフ、後に答えた女性型がティセの双子だと、イルミナ様に教えられた。同時に認識番号以外に名前をつけているのはこの二人だけだということも教えられた。

「どうして、名前を皆につけないのですか? 神にもっとも近い存在であるのに」

 太陽を正面に受けながら神塔の祭壇へと歩を進め気になったことを口にした。自分でも驚きだが、先ほどまでの焦りも萎縮も小さくなっていて、少し親しみやすさすら神にも、機械人形、いやティフとティセにも覚えていたところだった。

「それは――――」

「それは、神様に近いが故だ。神様とは決して同列ではないことを自覚するためだ。かつてのお前達のように勘違いした愚かな亜種達が教訓だ」

 言いよどんだイルミナ様に代わって代弁したのはティフだった。細身の少年のような体つきだが、口調ははっきりとしていて言葉を選ぶことはない。淡々と話すから怒っているのかとも思うが、そうではないらしい。

「しかしながらティフ殿、僕たち亜種はそれぞれ名を持っています。勘違いするわけはありませんが、なぜ僕達は名を持つことを許されているのでしょう?」

「それは、お前達が亜種だからだ」

 続きを待ったが口を堅く結んだままで、その次は来ない。

「えーっと、つまり?」

「他に理由はない」

 その理由を知りたかったのだが、への字に口を形つくっているのだから、あまり深く聞くのも憚られた。イルミナ様も特に補足する様子はなく、そのまま宙を滑るように飛んでいる。

「ティフは口数の割に中身が薄い。亜種に名が許されているのは、いつか戻ってきた時のため、そして、地上に落としたことの、せめてもの名残としての神様の慈悲。私達機械人形はそもそもあなた達とは違う存在。だから本来、認識以外の名前はいらない。でもイルミナ様の側に仕えてきた私達は名前を持つことを許された。かつての人のようにと特別に」

 圧倒された。口数が少ないはずのティセの方が述語がおかしいものの長々と述べたのだ。特に後半はイルミナ様の話になっており、まったく関係のない話だ。つまり、お前達に名を持たせたくらいで、神と同列ではないことは身に染みているだろうから、全く問題ない。ということなのだ。それを慈悲ととるかどうかは別だが。慈悲ということらしい。
 それにこの二人はイルミナ様と特別な関係らしい。長く仕えてきたからかかつての人、今の亜種と同じように名前を与えたのだ。その意味合いは僕らの名前とは違うことくらい分かっている。神が名付け親ということはさも特別なことだろう。

「なるほど、それは羨ましい限りですね」

 なるべく無難な回答を選んだ。それでも心なしかティセは誇らしげに胸を張っていたように感じた。

「ナル、という名前は親がつけた?」

 会話を続けてくるとは。ティセが距離を少し縮めてきた。ティフの方は何も気にしていないようでぴったりとイルミナ様に寄り添っていた。とにかくここで嘘をついてもしかたないな。

「えーと実は、過去の記憶がなくてですね。名無しという意味で、僕を拾ってくれた方がとりあえずってつけたのがナルなんですよ。いつの間にかこの名前が定着しましたが」

 記憶がないという告白は、予防線を張る意味もあった。記憶の欠落という欠陥を言ってしまえば神迎えに選ばれることは皆無だろうからだ。母数を一つでも減らせば、皆が選ばれる可能性も増える。僕は見守るだけで良かった。

「記憶喪失? 亜種とは不完全なものだ。サルベージできるといいな」

「? それって――」

「ティセ。楽しいのはわかりますが、ちゃんと考えてくださいね」
 
 サルページという言葉を詳しく聞き出そうとしたが、今まで黙っていたイルミナ様がティセをいさめた。すこし口調が堅く叱っているようにも思えた。

「も、申し訳ありません」

 自分の非に気づいたのかティセは謝罪を口にする。ティフはというとこちらを一瞥しただけで何事もなかったように前へと視線を戻した。

「許しましょう。それでは、ナルさん。意味は分からないかと思いますが、あまり気に留めないようにお願いします。あなたは面白い亜種ですから難しそうですが」

 ベールで包まれた顔がこちらに向く。気にするなとはお察しの通り無理な相談だ。サルベージという単語は確かに初めて聞いた言葉だった。けど、僕はさっき、サルベージすれば記憶は戻るのか、と聞こうとしていた。思い返してもなぜそんな聞き方をしようとしたのかは不明だった。既にサルベージという単語だけが宙ぶらりんになって頭を浮遊していた。意味は皆目検討が付かない。

「……努力します」

 返事しなくてはならず、当たり障りのない言葉を選んだ。忘れましたなんて嘘は通用しないと思った。

「やはり、面白い方ですね。記憶喪失というのは大きなハンデかもしれません。しかし、その特別性はどうか持ったままでいてください」

 気づけばもう祭壇が見える距離にいた。その口振りからすればやはり神迎えには相応しくないということなのだろう。最後の言葉はきっと慈悲の言葉だ。 
 歩みを止めるとイルミナ様とティフとティセは付き従う。

「あ、最後に聞いておきましょう。私は女性ですか男性ですか?」

 意味が分からなかった。きょとんとしてしまったが、なんの疑いもなく僕は口を開いた。

「女性だと思います」

 その瞬間、機械人形の二人が纏う雰囲気が変化した気がした。僕に背中越しながら、首元に断罪の剣を当てられているような感覚。脈拍の度、その切っ先に触れているような寸前の死。

「ふふ、やっぱり面白いですね……では、二人とも行きますよ。また、お会いしましょう」

 イルミナ様が止めた歩みを再び始めると、二人の妙な雰囲気は嘘のように解けた。僕はその後ろ姿を茫然としながら額を流れ落ちた、大粒の汗の花が足下に咲いていることにも気づくことなく立ち尽くした。

 最初どっちかなんてわからなかった。性別なんてあるのかとも懐疑的だった。なのに、なんで、女性だと分かったのだろう。
 
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