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第二小節 彩るハルの季節、軋んでナル世界
p17 それは悲劇か喜劇か
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いつの間にか寝ていた。それにしても体が軽い。不思議な力が沸いていた。それはきっと日常に変化があるという明日への希望なのだろう。それをもたらしたのが彼女だということはさすがに認める。”今度”その言葉のおかげで、久しぶりに歩く景色を飛ばしていく。いつもは過ぎ去っていく景色、今度は僕が過ぎ去るのだ。個人的にはまったく違う風景だ。
祭壇の前には既に多くの亜種達が集まっていた。皆、寝付けなかったらしく、子どもは憚らずに欠伸をして、大人達はかみ殺していた。それでも気持ちの問題で、時間が過ぎるに連れ、その時が近づくに連れ、皆の表情は太陽の光を浴びて輝き始めていた。
「よう」
皆の顔を眺めていると、声を掛けられると同時に視界を埋め尽くす壁で遮られた。顔を上げるとドラクが僕を見下ろしていた。
「おはよう。なんだか機嫌が良さそうだね」
太陽の光も相まって晴れ晴れとしていた。適当に座る場所を見つけると、ドラクが座り、そちらへと促した。見下ろすことがないようにだろう。やっと当たり前に感じられるようになった気遣いに嬉しくなる。腰を下ろすと、ドラクは祭壇を見上げていた。
「昨日よ、カイルが許しをもらって、家に顔を出してきてな。そんで久しぶりに一戦交えたわけよ」
なにがそんでなのかは理解はできないが、ドラクの家はそういう習わしなのだろう。神に仕えることになった息子の成長を肌で感じたかったのかもしれない。
「ほうほう。それで?」
「……負けたよ。あいつ、力だけじゃねえ。体の運び方からなにやら、なんかの武術みてーに完成してた。気づいたら天井を見上げていたってわけさ。聞いたらあっちに神官のマスター? 師匠みたいなお方がいるらしい。そりゃ神様にもつええやつはいるってな」
嬉しそうに息子の成長を語っていたドラクではあったが、師匠なる神官の話をするときには、寂しそうな表情に伺えた。どう声を掛けて良いか迷っていると、ドラクは話を続けた。
「まあなんだ。親離れってやつだな。なんだかんだ子離れの瞬間が昨日ってわけだ。あいつはさっさと親離れしてたんだなってな。こんな話、他の連中にできるわけねえだろ? でもお前なら、なんか分かってくれそうな気がしてな」
たぶん、今、背比べをしたなら、そんなに変わりないだろう。それほどまで肩が近く感じていた。
「僕に子どもはいないよ。たぶん」
おどけた笑いを浮かべる。けど話してくれたことは素直に嬉しかった。他の頭角族に話せばリーダーとしてふさわしくないとされるんだろう。
「っと、すまん」
僕は気にしていないと首を振る。
「……でも分かる気がするよ。いつだって別れるのはつらいものだし、自分が知っていた誰かが、知らない経験を経て、まして自分の子どもだったらと思うと、僕ならしばらく隠れて泣きそうだ」
「お、おう……」
笑い飛ばされるかと思っていたが、思いの外反応が悪い。よくよく見てみると微かにドラクの両瞼が腫れているような気がする。
「しゃ、しゃあねえだろう」
気づかれたと分かったドラクは恥ずかしそうにそっぽを向いた。僕は笑ってしまった。それにつられてドラクも笑った。たぶん理由も知らない亜種達もつられて笑っていた。こんな狭い世界でも僕らは笑っている。心の底から笑っている。だから、嫌いにはなれなかった。そして記憶なんてもういらないと思い始めていた。それほど、居心地が良かったんだ。
「亜種達よ! 腰を上げ並びなさい」
祭壇の上からよく通る声が聞こえる。カイルの声だ。その声を合図にまた機械人形達が祭壇の周りに展開する。皆もぞろぞろと腰を上げ、祭壇を見上げ、神迎えを待った。
まさかと思った。それはさすがにひどい選択だとドラクも思っただろう。その名を聞いた、彼の表情はとても分かりやすかったのだ。
「獣生族のエナ、今回はその一方だけとなった。エナは祭壇へ!」
心なしかそう読み上げるカイルの声は震えていた。そう願いたいというのもあった。隣の少女は何も発さず口を噤んだままだ。そして、その間に立つ、カグチ・イルミナ様とティフとティセの両人は微動だにせず、沈黙していた。
僕はたぶん睨んでから、あの子の元へと足を早めた。湧き上がる歓声と打ち鳴らす拍手の波の間際に、その家族はいた。夫ジクラは妻エナを強く強く抱きしめていた。その間には娘であるセラも加わっていた。
「すごいな、ジクラの所は。コルに続いて二方目とはな」
「きっと、こんなことは他のゲットーでもありえないわね」
「ああ、誇らしいことだ」
ああ、うるさいな。どこが感動的なんだろうか。こんなのは喜劇じゃなくて悲劇以外に他ならないのに。
ジクラがその腕を解く。互いに涙を流して喜んでいた。そんなわけがない。あれは別れの涙だ。もう来ない明日を嘆いているんだ。
「……あ、先生!」
ラナがこちらに気づき手を上げた。彼女は笑っていた。少々過度に思えるくらいに喜んでいた。エナもジクラも僕に気づき手招きした。そうなった以上、行かないわけにはいかない。周りの奇異の目を無視しながらエナと抱擁を交わす。セナの涙が僕の頬を暖める。掛ける言葉が見つからなかった。おめでとうなどと言いたくもない。けど残念だなんて無責任な言葉も言えない。とうとう何も交わすことなく、抱擁を解いた。エナの涙は止まっていて、気づけば頬を暖めていたのは僕自身だと自覚する。
「何も言わないでくれてありがとう。あの子をお願いね」
「え……?」
僕が聞き直そうとした時には、彼女は亜種達の狭間、祭壇への道を歩き出していた。だらりと垂れた尻尾は気持ちを切り替えるようにして、登り終える頃には天を仰いでいた。ジクラは同じく集まったドラクと並んでその後ろ姿を見続けていた。服の裾に弱々しい力を感じた。僕はそれでもエナの姿を見続けていた。
「おめでとう!」
「獣生族の誇りだ!」
「立派にね!」
多くの賛辞が飛び交う。異様な光景だと初めて感じた。それすらも異様であると立ちくらみが襲う。無力な自意識が勝手にしゃべり出す。
黙れ、黙れ、黙れ。
「ラナも誇りだろう」
馬鹿か。
震えていると分かっているのは僕だけだ。そんな強さなんていらなかったはずなのに。
「ねえ、先生」
「……なんだい」
「……良いことなんだよね?」
「……」
僕は答えられなかった。その顔を伺うこともできなかった。ただ彼女の頭に手を乗せることしかできなかった。どう捉えたのかは分からない。ただ僕のその右手に、裾から話した手で握ってくれた。それが良かったんだと信じたい。
祭壇の前には既に多くの亜種達が集まっていた。皆、寝付けなかったらしく、子どもは憚らずに欠伸をして、大人達はかみ殺していた。それでも気持ちの問題で、時間が過ぎるに連れ、その時が近づくに連れ、皆の表情は太陽の光を浴びて輝き始めていた。
「よう」
皆の顔を眺めていると、声を掛けられると同時に視界を埋め尽くす壁で遮られた。顔を上げるとドラクが僕を見下ろしていた。
「おはよう。なんだか機嫌が良さそうだね」
太陽の光も相まって晴れ晴れとしていた。適当に座る場所を見つけると、ドラクが座り、そちらへと促した。見下ろすことがないようにだろう。やっと当たり前に感じられるようになった気遣いに嬉しくなる。腰を下ろすと、ドラクは祭壇を見上げていた。
「昨日よ、カイルが許しをもらって、家に顔を出してきてな。そんで久しぶりに一戦交えたわけよ」
なにがそんでなのかは理解はできないが、ドラクの家はそういう習わしなのだろう。神に仕えることになった息子の成長を肌で感じたかったのかもしれない。
「ほうほう。それで?」
「……負けたよ。あいつ、力だけじゃねえ。体の運び方からなにやら、なんかの武術みてーに完成してた。気づいたら天井を見上げていたってわけさ。聞いたらあっちに神官のマスター? 師匠みたいなお方がいるらしい。そりゃ神様にもつええやつはいるってな」
嬉しそうに息子の成長を語っていたドラクではあったが、師匠なる神官の話をするときには、寂しそうな表情に伺えた。どう声を掛けて良いか迷っていると、ドラクは話を続けた。
「まあなんだ。親離れってやつだな。なんだかんだ子離れの瞬間が昨日ってわけだ。あいつはさっさと親離れしてたんだなってな。こんな話、他の連中にできるわけねえだろ? でもお前なら、なんか分かってくれそうな気がしてな」
たぶん、今、背比べをしたなら、そんなに変わりないだろう。それほどまで肩が近く感じていた。
「僕に子どもはいないよ。たぶん」
おどけた笑いを浮かべる。けど話してくれたことは素直に嬉しかった。他の頭角族に話せばリーダーとしてふさわしくないとされるんだろう。
「っと、すまん」
僕は気にしていないと首を振る。
「……でも分かる気がするよ。いつだって別れるのはつらいものだし、自分が知っていた誰かが、知らない経験を経て、まして自分の子どもだったらと思うと、僕ならしばらく隠れて泣きそうだ」
「お、おう……」
笑い飛ばされるかと思っていたが、思いの外反応が悪い。よくよく見てみると微かにドラクの両瞼が腫れているような気がする。
「しゃ、しゃあねえだろう」
気づかれたと分かったドラクは恥ずかしそうにそっぽを向いた。僕は笑ってしまった。それにつられてドラクも笑った。たぶん理由も知らない亜種達もつられて笑っていた。こんな狭い世界でも僕らは笑っている。心の底から笑っている。だから、嫌いにはなれなかった。そして記憶なんてもういらないと思い始めていた。それほど、居心地が良かったんだ。
「亜種達よ! 腰を上げ並びなさい」
祭壇の上からよく通る声が聞こえる。カイルの声だ。その声を合図にまた機械人形達が祭壇の周りに展開する。皆もぞろぞろと腰を上げ、祭壇を見上げ、神迎えを待った。
まさかと思った。それはさすがにひどい選択だとドラクも思っただろう。その名を聞いた、彼の表情はとても分かりやすかったのだ。
「獣生族のエナ、今回はその一方だけとなった。エナは祭壇へ!」
心なしかそう読み上げるカイルの声は震えていた。そう願いたいというのもあった。隣の少女は何も発さず口を噤んだままだ。そして、その間に立つ、カグチ・イルミナ様とティフとティセの両人は微動だにせず、沈黙していた。
僕はたぶん睨んでから、あの子の元へと足を早めた。湧き上がる歓声と打ち鳴らす拍手の波の間際に、その家族はいた。夫ジクラは妻エナを強く強く抱きしめていた。その間には娘であるセラも加わっていた。
「すごいな、ジクラの所は。コルに続いて二方目とはな」
「きっと、こんなことは他のゲットーでもありえないわね」
「ああ、誇らしいことだ」
ああ、うるさいな。どこが感動的なんだろうか。こんなのは喜劇じゃなくて悲劇以外に他ならないのに。
ジクラがその腕を解く。互いに涙を流して喜んでいた。そんなわけがない。あれは別れの涙だ。もう来ない明日を嘆いているんだ。
「……あ、先生!」
ラナがこちらに気づき手を上げた。彼女は笑っていた。少々過度に思えるくらいに喜んでいた。エナもジクラも僕に気づき手招きした。そうなった以上、行かないわけにはいかない。周りの奇異の目を無視しながらエナと抱擁を交わす。セナの涙が僕の頬を暖める。掛ける言葉が見つからなかった。おめでとうなどと言いたくもない。けど残念だなんて無責任な言葉も言えない。とうとう何も交わすことなく、抱擁を解いた。エナの涙は止まっていて、気づけば頬を暖めていたのは僕自身だと自覚する。
「何も言わないでくれてありがとう。あの子をお願いね」
「え……?」
僕が聞き直そうとした時には、彼女は亜種達の狭間、祭壇への道を歩き出していた。だらりと垂れた尻尾は気持ちを切り替えるようにして、登り終える頃には天を仰いでいた。ジクラは同じく集まったドラクと並んでその後ろ姿を見続けていた。服の裾に弱々しい力を感じた。僕はそれでもエナの姿を見続けていた。
「おめでとう!」
「獣生族の誇りだ!」
「立派にね!」
多くの賛辞が飛び交う。異様な光景だと初めて感じた。それすらも異様であると立ちくらみが襲う。無力な自意識が勝手にしゃべり出す。
黙れ、黙れ、黙れ。
「ラナも誇りだろう」
馬鹿か。
震えていると分かっているのは僕だけだ。そんな強さなんていらなかったはずなのに。
「ねえ、先生」
「……なんだい」
「……良いことなんだよね?」
「……」
僕は答えられなかった。その顔を伺うこともできなかった。ただ彼女の頭に手を乗せることしかできなかった。どう捉えたのかは分からない。ただ僕のその右手に、裾から話した手で握ってくれた。それが良かったんだと信じたい。
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