いずれ剣聖にいたる帝国の守銭奴

十二田 明日

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 そこからは圧倒的だった。ナハトはロランスに一本も与えず──それどころか掠りもさせず、一方的に一本を取り続けたのである。
 最初こそ平静を装っていたものの徐々にその余裕もなくなり、ロランスはムキになって打ち返すのだがそれが一向に当たらない。

 涼しい顔でナハトは木剣を振るい続けている。
 対してロランスは腕を打たれ、胴を抜かれ、足を払われ、胸を突かれ、もはや打ち身だらけになっていた。

「くそぉっ!」

 今も罵声と同時に繰り出されるロランスの突きを、ギリギリで避けつつナハトが横面を返す。木剣がロランスの頬を張ってまたも一本──これで九本目だ。
 打たれた頬を押さえてロランスが真っ赤になって憤慨する。

「き、貴様! 私の顔に──」
「貴族、騎士は常在戦場なのでしょう? まさかエスメラルダ様は、たかだが軽く頬を張られた程度で泣き言をいうような臆病者ではないでしょうな」
「くぅ……! おのれぇ……!」

 散々に打ち据えられ、もはやロランスのプライドはズタボロだった。発狂しそうなほどの怒りに震え、ロランスは殺気のこもった目でナハトを睨みつける。
 ナハトの方はと言えば動じた様子もない──踏んできた場数が違う。木剣での模擬戦ではなく、幼いころから命のやり取りをする実戦を経験を積んできたナハトにとって、ロランスのような男から向けられる殺気など気にもならないのだろう。
 その事実が、その態度が、より一層ロランスの怒りの炎に油を注ぐ。

「これならどうだ!」

 余裕をなくしたロランスは奇手に出た。
 羽織っていた上着を脱ぎ捨てざまに、ナハトに向かって投げつけたのだ。広がった上着がナハトの視界を塞ぐ。
 その瞬間にロランスが木剣を振りかぶった。
 ナハトの眼が良いのであれば、それを塞いで打ち据えてやろうという狙いなのだろう。おおよそ騎士には似つかわしくない、ありていに言えば卑怯な奇襲である。
 しかしその程度で敗れるほど、ナハトの剣腕は甘くなかった。

「おっと」
「──ぐえっ⁉」

 ロランスが打ち込むより速く、ナハトが突きを放った。木剣の切っ先が上着ごとロランスを穿つ。
 木剣を振りかぶり前に踏み込もうとしていたロランスは、カウンターで突きを貰う形になった──突きが鳩尾に決まり、ロランスはくぐもった悲鳴を上げてひっくり返る。

「──それまで!」

 フェリスが宣言し、その瞬間に練武場に「おお……!」とどよめきが起こる。ナハトの鮮やかで凄烈な剣技に、隊士たちも見惚れていたのだろう。
 ナハトはウンウンとのたうち回るロランスに近付き、手を差し出す。

「どうですかなエスメラルダ様、ご満足いただけたでしょうか?」

 ロランスは屈辱に耳まで真っ赤になりながら、ナハトの手を払って立ち上がる。怨嗟に燃える瞳でナハトを睨みつけた後、

「──失礼する」

 と捨て台詞を吐いて練武場を出て行った。

「これで懲りてくれるといいんだがな」

 ロランスの姿が見えなくなるとナハトはやれやれと肩をすくめ、それから模擬戦を見守っていた隊士たちを振り返る。

「さて稽古を再開する──」 

 ぞと、ナハトが言うより早く、隊士たちから歓声が上がった。 

「凄いですよ副隊長‼ 一本も取られずに十本取るなんて!」
「最初に一本取られた時、変だなって思ってたんですけど、やっぱり手加減してたんですね! 流石‼」
「あの貴族のお坊っちゃんの高慢ちきな鼻っ柱をへし折れて、スカッとしました!」

 口々に快哉を叫ぶ隊士たちにナハトは呆気に取られた。そんなナハトの肩をバルダックがニヤリと笑ってポンと叩く。

「オレも同感だぜ──スカッとした。やったなナハト」

 見ればフェリスも満足そうにうなずいている。

「参ったな……」

 それだけ言って、ナハトは照れくさそうに頭を掻いた。



「──そなたの実力、今日改めて感服した」
「ほめ過ぎですよ」
「フェリス姉ちゃん、ナハト兄そんなすごかったの~?」
「ああ凄かったぞ」

 その日もフェリスはナハト自宅で共に夕食を囲っていた。どうもフェリスはここでの団欒がいたく気に入ったようで、その後も頻繫に訪れていた。
 今では子供たちも大分懐いている。
 リーナは中々フェリスに気を許さなかったが、フェリスが訪れるたびに差し入れに菓子類を持ってくるので、今では来ただけで警戒することもなくなった。

 フェリスの人柄の良さ、裏表のない善意がリーナの頑なさを絆すのだろう──しかしナハトがフェリスのことを良く言うと途端に不機嫌になるのは、永遠の謎である。

「普段、部下や私に稽古をつけてばかりで、自分の修行の時間もろくに取れないだろう? 家では子供の世話もある
だろうし……よくそれだけの実力を付けて、尚且つ維持できているなと感心している」

 ナハトは顎の先をつまんで記憶を遡り、師匠の言葉や修行の日々を思い出す。

「うーん……そうですねぇ、俺の師匠に言われたのは『剣を振るうばかりが、剣の修行ではない』という事です。日々の全てが剣に繋がると師匠は言っていました」
「剣を振るうばかりが、剣の修行ではない?」
「例えば──」

 腑に落ちない表情をするフェリスの頬にナハトは手を触れた。その指先でフェリスの唇の端を撫でる。

「なっ⁉ 何を──」

 突然のことにフェリスは気が動転し、頬を赤らめて取り乱す。そんなフェリスにナハトはニッコリと笑いかける。

「口の端にソースが付いてました」
「…………」

 怒るべきか礼を言うべきか、反応にフェリスは困ってしまう。
 ナハトは続ける。

「フェリスさん、今の動き見えましたか?」
「あ……」

 フェリスは目から鱗が落ちる思いだった。

(見えなかった、全く気配を感じ取れなかった──これは稽古で見せた『起こりのない斬撃』と同じ……!)

 さっきまでの気恥ずかしさが何処かへ行き、フェリスは思いがけず眼前で行われた絶技の片鱗にポカンと口を開けている。

「子供の世話をするときに殺気を漲らせる人間はいませんよね? そういう時の動きは力の抜けた自然体であることが多い。その時の感覚を記憶し、剣を振る時でも同じように行う。すると──」
「気配のない──『起こり』のない動きができると……?」
「子供の口を拭ってやるのでさえ、工夫すれば必殺の剣になる──日々の全てが剣に繋がるとは、こういう事だと思います」

 そう言ってナハトはペロリとソースを拭った指を舐めた。

「──!」

 関心して聞いていたフェリスが、さっきよりもさらに顔を赤くして固まっている。

(コロコロと表情のよく変わる人だなぁ……)

 見ていて飽きない──などとナハトはのほほんとした顔で思っていた。
 フェリスはしばらく無言で固まっていたが、やがてごにょごにょと歯切れの悪い声でつぶやく。

「やはりそなたは大した剣士だ──だが」
「だが?」
「少しは女心について学んだ方がいい」
「……はぁ」

 何一つ理解のできていない返事を返すナハトに、フェリスは内心でモヤモヤを募らせる。

(私ばかりが恥ずかしい思いをして、ナハトにその自覚がないのは納得がいかん!)
(う……)

 ジトッとした目で無言の圧力を放つフェリスに気圧されて、ナハトはリーナに助けを求める。

「……リーナ、俺何か怒らせるようなことしたかな?」
「自分の胸に聞いてみればいいんじゃない?」

 助けを求めた先で返ってきたのは、刺々しい言葉の槍であった。

(何故リーナまで機嫌が悪いんだ?)

 戦争で親を亡くし、思春期の大半を孤児として生死の境を彷徨って生きてきたナハトには、フェリスやリーナの気持ちがさっぱり分からなかった。



 一方その頃、ナハトに天狗の鼻を叩き折られたロランスは、自分の屋敷で溜まりたまったフラストレーションを破裂させていた。

「一体何なんだあの男は!」

 豪華絢爛な調度品で埋め尽くされたロランスの広い自室に怒鳴り声が木霊する。身体こそ大きくなっているが、やっていることは癇癪を起こした子供と変わらない。

「ロランス様。治癒魔術で治したとはいえ、あまり興奮されますとお体に障ります」

 ローブを纏った薄気味の悪い男──エスメラルダ家お抱えの専属魔術師がロランスを宥めた。

「構うな、治癒は済んでいる。お前はもう下がれ」

 素っ気ないロランスの口ぶりに魔術師は一礼して退出する。
 ナハトに打ち据えられた打ち身等は、治癒魔術ですでに痣一つとしてロランスの身体からはなくなっていた。本来であれば一週間は痛みに苛まれるであろう打ち身も、治癒魔術にかかれば立ちどころに治ってしまう。

 富のある者にしか出来ないことだ。
 なにしろ高度な魔術の行使には生贄や鉱石・薬草など様々な材を使うため、非情に金がかかる。特に用意できる材の量は魔術の効果に影響し、より強力な魔術をより早く行使するとなれば莫大な量の材が必要になるのだ。
 当然かかる費用も桁違いである。 

 しかし大貴族であるロランスには然したる問題にならない。
 こうして自身の邸宅に専属の魔術師を抱えているのも、大怪我でなく打ち身の治療に治癒魔術を使えるのも、ロランスが大貴族の資金力があればこそである。
 ロランスは苛立ちを隠すことなく、荒々しい所作で柔らかいソファに腰掛ける。

「クソッ……ええい忌々しい! あのような平民風情にやられるとは……‼」

 ロランスにとって、世界は全て自分を中心に回っていた。
 彼にとって平民とは、己を称え敬い、財や労力を捧げる存在でしかない。平民が貴族であるロランスを虚仮こけにするなど、あってはならないことなのだ。

 そのあってはならない出来事が起きてしまった──これは世界に起きた綻びだ。早急に修正しなくてはならない。
 ロランスの頭の中はナハトをいかに追いやるかという事で頭が一杯だった。そこに自らを省みるという思考が入り込む余地などない。

(本当なら今すぐにでも仕返ししたいが……あの男、とんでもない腕前だ。剣による真っ向勝負では少々難しいか……)

 あれだけの腕前だ、闇討ちするのも一苦労だろう。
 権力で圧力をかけようにも、どうやらフェリスはあの男のことを気に入っているようだ。庇い立てされたら容易に手は出せない

(一筋縄ではいかないか……だが手段ならいくらでもある)

 ロランスは執事を呼びつけると、

「アステリオン衛兵団の七番隊副隊長、ナハトとかいう男について調べろ。急げ」
「かしこまりました」

 最低限の命令を告げて鼻を鳴らした。

「覚えていろ。この屈辱、貴様の血であがなわせてやる……!」
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