シャロン・ホームズの助手

十二田 明日

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第4章 終わらない事件 Ⅰ

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 かくして切り裂きジャックは捕まった。しかし貴族の犯罪である事、余罪の多さが予想されることから、切り裂きジャック逮捕の発表はしばし見送られ、関係者には緘口令が敷かれる運びとなった。
 事件解決から二日後の休日の午後。ベイカー街の事務所でワトソンは紅茶を淹れていた。

「何はともあれ、事件が解決して良かった。被害者が増えるのは食い止められたし、僕も睡眠不足になることはなさそうだ」
「そうだね……」

 ソファでゴロゴロしながら気のない返事をするホームズに、ワトソンは首を傾げる。
 せっかく犯人を捕まえたのに、その功労者である自分の名前が発表できないなんて──などとホームズなら愚痴るかと思っていたが、そうではなかった。
 ホームズはソファにだらしなく寝転がり、天井を煮え切らない表情でぼんやりと眺めている。

 事件のない時のホームズはいつもこんな感じで、空気の抜けた風船のようにダラダラと無気力に過ごしているのだが……どうも普段とは違う雰囲気をワトソンは感じ取った。

「どうかしたのか?」
「ちょっと気になる事があってね」
「気になる事?」
「切り裂きジャックが捕まる直前、言っていただろう。『切り裂きジャックは終わらない、切り裂きジャックは永遠になるんだ』って」

 そう言えばそんな事も言っていた。

「どうにもそれが気がかりでね。事件が終わったような気がしないんだ」
「考えすぎじゃないのか」
「あの男、頭脳だけなら私並みの切れ者だよ。考えすぎるという事はないさ」

 あの男がまだ何か企んでいる、もしくは何か仕込んでいるというのだろうか……ゴクリとワトソンは唾を呑み込んだ。
 何を企んでいるにせよ、ろくな事ではないのは確実だ。

 その時だった。玄関の呼び鈴が鳴る。
 依頼人かとワトソンが玄関ドアを開けると、たれ目の可愛らしい女性──同期のエミリーが立っていた。

「こんにちはワトソンくん」
「エミリー……」

 大学で会う時とは違い、今日のエミリーはいつもより着飾っていた。華やかな飾りの付いた服を着ており、とても可憐な印象を受ける。

「どうしたんだい? 急に訊ねてくるなんて」
「ちょっとこっちに用事があったから見に来たの」

 エミリーはにっこりと笑いながら、手に持っていた紙袋を見せる。

「途中のお店でお茶菓子を買ってきたんだけど、お邪魔していいかしら?」
「もちろん。上がってくれ、ちょうどお茶を淹れていたところだよ」

 ワトソンはエミリーをアパートの中に招き入れるがすぐに、

「──ちょっと待っててくれ」

 と言ってエミリーを玄関で待たせる。
 ワトソンがリビングルームに戻ると、まだソファに寝ころんでいるホームズに声をかけた。

「ホームズ、お客さんが来たんだからいい加減ソファから起きろ」
「……どちら様だい?」
「僕の客だ。級友の子だよ。頼むからあまりだらしないところは見せないでくれ」

 そう言ってワトソンは半ば無理やりホームズを起こす。起き上がったところで、エミリーを呼んだ。
 エミリーが来るとホームズは気取った仕草で挨拶する。

「やぁこんにちは」
「あっ……こんにちは、家主のホームズさんですね。ワトソン君から常々お話は伺っております」
「ほう……」

 エミリーは一瞬ホームズに気圧されたようだが、すぐに挨拶を返す。ホームズも改めてエミリーを見ると何かを感じ取ったようだった。
 美女のホームズと可愛らしいエミリーが顔を合わせているというだけなのに、なぜだろう──妙な緊張感がある。
 ワトソンは気のせいだろうと頭を振り、

「お茶を淹れていたが二人分しか淹れてないんだ、もう一人分のお茶を淹れてくるよ。エミリーはそこの椅子に座っててくれ」

 エミリーを促してから台所へ向かった。
 薬缶に水を入れて火にかける。少量だからすぐに沸くだろう。
 徐々にコポコポとあぶくが出てくるさまを見ているワトソンの背後から、リビングルームで談笑しているホームズとエミリーの声が漏れ聞こえてくる。

「エミリー君だったね。君はワトソン君と親しいのかな」
「ええ。講義の後に一緒に勉強したり、普段からとても親しくさせていただいてます」
「ほう……」
「この間も一緒に勉強して、その時にいつでもここに来ていいと言ってくれたんです」
「そうだったのか。中々彼は普段の大学でのことを話してくれないので、どのような学生生活を送っているのか気になっていたんだ。話してくれて嬉しいよエミリー君、今後ともうちのワトソン君と仲良くしてくれ」
「……うちの?」
「ああ。うちのワトソン君と、ぜひ仲の良い級友でいてほしい」 

 見るものがみたら、二人の言外の熾烈な争いに心胆を寒からしめていたところだろう。しかしワトソンは二人の会話を聞いて、

(なんでホームズが僕の親みたいな立場で話してるんだ)

 と明後日の方向に憤慨していた。
 お湯が沸いたところでワトソンは茶葉を足したポットに注ぎ、三人分の紅茶を淹れてリビングルームに戻る。

「お茶を淹れたよ、一緒に持ってきてくれたクッキーをいただこうか」
「アールグレイ?」
「いやアッサムだ」

 テーブルにカップを並べて簡単なお茶会となる。ワトソンは早速紅茶を口に含むと、芳醇なセカンドフラッシュの香りを堪能した。

 それからエミリーの持ってきたクッキーに手を伸ばす。クッキーはサクサクとした歯ざわりが良く甘みも上品で、バターの香りが紅茶の風味を引き立てていた。
 ワトソンは「おっ」という顔でクッキーを見やる。

「美味しいねこれ」
「そう? 良かった」
「……」

 ワトソンに笑顔で答えるエミリーを、ホームズは複雑な表情で見ていた。なんでホームズがそんな顔をしているのか、ワトソンには分からないが、なんにせよ平穏なロンドンの一風景である。

(たまにはこんな日があってもいいものだ)

 などとワトソンが穏やかさに耽っていると、勢いよく玄関ドアを叩く音がした。そして表から大声で叫ぶ声──聞き覚えのあるレストレード警部の声だ。

「大変だホームズ! 大変なことが起こった‼」

 ワトソンはホームズと顔を見合わせ、それから遠い目をした。

「短い平穏だったな……」
「やれやれ、呼び鈴を押せばいいのに随分と慌てているようだね」

 ホームズ嫌いのレストレード警部が慌てて来るくらいだから、余程のことがあったのだろう。
 ホームズはエミリーに軽く頭を下げた。

「せっかく来てくれたところだが、すまない。どうやら事件のようでね、守秘義務の関係もあるから悪いが退席してもらえないだろうか」

 エミリーがチラリと視線を送ると、ワトソンは申し訳なさそうに目を伏せた。ここがワトソンの下宿であると同時にホームズの事務所であり、事実上の世帯主がホームズである以上、有事の際にワトソンの級友ばかり優先するわけにもいかない。
 それを察したエミリーは立ち上がった。

「そうですか……ちょっと残念ですけど、仕方ないですね」 
「ごめん、エミリー。せっかく来てくれたのに……今度また埋め合わせはするから」
「うん分かった。私、楽しみにしてるから、忘れないでよ?」

 謝るワトソンにそう言ってエミリーは席を立ち、玄関でレストレード警部に軽く会釈をしてから去っていった。

「申し訳ないことをしたな」

 と一人ごちるワトソン。

「可愛らしい子だったね。それにいじらしくて健気だ」
「いじらしい?」
「ワトソン君、彼女の持ってきたクッキーを見て、何か気付かなかったかい?」
「いや?」
「このクッキー、この辺りの店で売っているタイプの物じゃない。確か隣町で美味いと評判のクッキーだったはずだ」
「へぇ~よく知ってるな」
「……」

 ホームズはジトッとした目でワトソンを見やる。この男はその評判のクッキーをエミリーがわざわざ買ってきたという事が、何を意味するのかまるで分かっていない──とホームズは確信する。
 ホームズは大きく溜息をついた。

「君のそういう所、たまに心配になるな。将来女難に見舞われること間違いなしって感じだ」
「女難というなら既に今がそうだろ」
「それは私が女難だと言いたいのかな」

 ワトソンは口が滑ったとでも言いたげな顔で目を背けた。そんなワトソンにホームズは唇を尖らせて、ボソリと呟く。

「(……君はああいう子の方が好みなのかい)」
「へ?」
「いや、何でもない」

 ホームズは首を振る。

「さてレストレード警部の話を聞こうか。一体どんな愉快な話を聞かせてくれるのやら」

 そう言って出迎えたレストレード警部が口にしたのは、

「切り裂きジャックの事件がまた起きた‼」

 というものだった。
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