シャロン・ホームズの助手

十二田 明日

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第5章 ロンドン地獄絵図 Ⅲ

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 ワトソンたちと警官隊が地上まで何とか人造人間に追いつかれることなく地上まで戻った時、切り裂きジャックの予言は現実の物となっていた。
 それはまさに地獄絵図だった。 

 各所から湧き出た人造人間が、手当たり次第に人を襲い、暴れ回っているのだ。それはまるで地獄からよみがえった亡者たちが、生者に襲い掛かっているかのようで、地獄絵図と形容するに相応しい光景だろう。

 聞こえるのは悲鳴、鳴き声、怒号、断末魔の叫び、そして物が壊れる音、人が殴られる音、人が喉笛を噛み切られる音、流れ出る血が滴るびちゃびちゃという音。

 壊れていく。活気あふれるロンドンの街並みが、人造人間の波に飲まれ、塗りつぶされていく。

 その光景の悲惨さと、起きている事の大きさに圧倒され、ワトソンはしばし呆けたまま見ているしか出来なかった。

「あっ!」

 視界の端に今にも人造人間に襲われそうな小さな子供が見えた。五歳くらいの女の子で、泣きじゃくって怯えている。
 それを見た瞬間にワトソンは飛び出していた。

「やめろぉぉぉぉっ!」

 女の子に襲い掛かろうとしていた人造人間を、横合いから思い切り蹴り飛ばした。ピンボールのように人造人間が吹っ飛んでいく。

「……大丈夫かい」

 ワトソンは女の子の前にしゃがみ込んで視線を合わせる。女の子は泣き腫らした顔のまま、こくんとうなずいた。
 しかしワトソンの背後に、別の人造人間が迫る。

(しまった──)

 背後の人造人間に気付いたワトソンが慌てて立ち上がるが、ワトソンは襲われる事はなかった。人造人間が襲うより早く、ホームズがライフルで人造人間の頭を撃ち抜いたからである。

「この人造人間も、脳みそ代わりに埋め込まれている頭部の電算機を破壊すれば止まるようだね」

 ライフルを構えたまま、ホームズはワトソンを守るように周囲を警戒しながら駆け寄る。

「誰かのピンチに迷いなく飛び出すのは君の美点だが、少々考えなさ過ぎだったんじゃないのかい」
「……腕のいいガンマンがアシストしてくれると思ってたんだ」
「アシストをするのは、本来君の役目だろ探偵助手。そして私はガンマンじゃなくて探偵だよ」

 この状況に陥ってなお、いつもと変わらぬ軽口を叩くホームズが心強かった。
 ワトソンは改めて周囲を伺った。
 女の子を助けたことで思い出したのだ。嘆いていても何も始まらない、事態は好転せず悪化してく。そして動かなければ、助けられる者も助けられない。

 今は動くしかない。何としてもこの事態を止めなければ、本当に国全体の危機に陥ってしまう。

「クソッ、何かまだ手はないのか」
「一つ心当たりならあるんだけどね」
「それは本当か⁉」
「──聞かせろその話!」 

 思わずワトソンは聞き返し、近くで警官隊を指揮しながら人造人間と戦っていたレストレード警部が、叫びながら近付いてきた。

「聞かせろホームズ! まだ何か手があるのか⁉」
「あります」

 ホームズは静かに答えた。

「ただ時間が惜しい。警察署に向かう必要があります、説明はその道すがら言います」
「分かった。近くに警察車両を止めてある、それで何とか署に戻るぞ──お前たち、半分はここに残ってそこの童女と周辺住民の保護を! 半分は私と一緒について来い‼」

 レストレード警部が下知をくだし、警官隊を半分に分けた。ワトソンは助けた女の子をその場に残る警官たちに任せ、ホームズと一緒に人造人間とやり合いながら進み、何とか警察車両に乗り込んだ。
 警部が叫ぶ。

「出せ出せ出せ!」

 車両に乗り込んだ後も、わらわらと人造人間が群がってくるので、大急ぎで車を発進させる。幸い警察車両は一般車と比べて頑強に作られている。
 何体かの人造人間を撥ね飛ばして、荒れに荒れたロンドンの街を警察車両が疾走する。

 ようやく少し落ち着いて話ができる。レストレード警部が口を開いた。

「さて聞かせてもらおうかホームズ、お前の心当たりという奴を」
「──では」

 ホームズが窓ガラスから周囲の地獄絵図を見やりながら語り出す。

「今ロンドンを荒らし回っている人造人間だが、どうも屋敷で私とワトソン君が戦った人造人間とは少々作りが違うようです」
「そうなのか?」

 レストレード警部が首を捻る。

「あの時、警部は我々が倒したあとの人造人間しか見ていませんでしたね。我々が倒した人造人間は自律的に行動し、かつ簡単な言葉のやり取りまでできた。しかし今暴れている人造人間は、言葉を発することもなく人を襲うだけ。恐らく組み込まれている脳代わりの電算機の質が劣るのでしょう」

 ワトソンは切り裂きジャックが「生産性を上げるために造りがチープになった」と言っていた事を思い出した。

「にも拘らず、人造人間たちは組織的な動き──数が手薄な所をカバーしたり、重要な地点に数を集中させたりといった行動傾向が見える」

 走る車の中からロンドンの街で暴れる人造人間たちを見ながら、ホームズはそんなことを分析していたらしい。やはり目の付け所が常人とはかけ離れている。

「これはどういう事か? ──切り裂きジャックが組織だって動くよう、人造人間に指令を送っているんだ」
「ロンドン全域の人造人間すべてにか?  無理だろうそんな事」
「無理じゃない、電波だよ」

 ワトソンは「あっ」と声を漏らした。

「切り裂きジャックは電波を使って、人造人間に指令を送っているんだ。ある程度は電算機に組み込まれたプログラムに従って行動し、後は送られる指令に従って、戦力の集中と分散を繰り返しているんだろうね」
「だが……電波で人造人間に指令を送るにしても、ロンドン全域をカバーする電波なんてどこから」
「アレだ」

 ホームズはピンと指を伸ばした。上に向かって。
 その指の延長線上をワトソンは確かめる。

「……飛行船?」

 地上があまりに大混乱に陥っているので気付かなかったが、みればロンドンの上空を飛行船が飛んでいる。

「切り裂きジャックは多分あそこだ。高所からなら建物に邪魔されることなく、電波をロンドン全域に行き渡らせることも可能だろう。人造人間が通りばかりにいて、屋内に中々入らないのもその証拠だよ」
「あんな目立つものに乗っていたのか」
「たしかに目立つ。しかし人々は目の前の脅威に追われて、その存在に気付かない──よく考えられた手だよ」

 ワトソンは窓から空を見上げた。上空を優雅に漂う飛行船、あまりに堂々と空を飛んでいるせいで、逆に誰も気にかけない。事実ワトソンも視界の端には捉えていたはずなのに、まるで気が付かなかった。
 大胆不敵な、切り裂きジャックらしい行動である。

「しかしあの飛行船に切り裂きジャックがいるとして──一体どうするつもりだ? 三百メートルは上空を飛んでいる、こちらからは手出しできんぞ」
「丁度いい手段が警察署に押収されているはずですよ警部」

 レストレード警部は首を捻った。ワトソンも分からない。
 そうこうしている間に警察署に到着した。署に残っていた別部署の警官などが、総動員で通りの人造人間に応戦している。

「退け退け! 道を開けろ‼」

 窓を開けて警部は叫び、ワトソンたちを乗せた車両は署の敷地内に乗りつけた。戦っている警官たちを尻目に、

「警部、署の押収品が保管してある場所は」
「こっちだ」

 ホームズは押収品保管庫へ警部を案内させる。
 騒然としている署内の廊下を走り、たどり着いた保管庫の扉を乱暴に警部は開けた。続いて保管庫に入ったホームズが、素早く収められた押収品に目を走らせる。

「あれだ」

 ホームズが見咎めたのは、ワトソンも何故か見覚えのある木箱だった。

「これは……」
「覚えてないかい? 列車強盗たちとやり合った時にあっただろ」
「そう言えば貨物車両にあったなこんな木箱」

 たしか中身は──と記憶を遡り、ワトソンとレストレード警部は目を見開く。

「「携帯用小型気球……!」」

 個人用の超小型の気球だ。たしかにこれがあれば空を飛べる。

「これで飛行船まで飛んで行く気か」
その通りイグザクトリー♪」

 ホームズは軽い調子でウィンク。ワトソンは呆れた。

「この気球の出せる移動速度は速くない。もしあの飛行船に機銃が積んであったら、簡単に打ち落とされるぞ」
「あの飛行船が機銃を積んでいる軍用の物なら、そもそも切り裂きジャックは隠れて用意は出来ないはずだ。コソコソ隠れて建造するには飛行船は大き過ぎるからね。恐らくは貴族のお遊び用の機体を流用しているだけさ。見たところ一般的なメーカーの飛行船のシルエットと変わらないし」
「もしそう見えるよう偽装してあるだけだったら?」
「その時は神に祈るしかないないね」
「……」

 言葉のないワトソンにホームズは続ける。

「しかしこの事態を収拾する為には、結局のところやるしかない。ワトソン君、ここが命の賭けどころだとは思わないか?」
「……君はたまに滅茶苦茶男らしくなるよな」

 女のホームズにそんな事を言われては、ワトソンはこれ以上女々しいことを言っているわけにもいかない。
 ワトソンは一つ、大きな溜息をついて、

「やるか……」

 と覚悟を決めた。

「しかし一つ問題があるぞ、この携帯用小型気球は二つしかない」
「なら私とワトソン君が行きます」

 口を挟んだレストレード警部にホームズが即答した。

「切り裂きジャックは強敵です。あれとやり合うには、少々警部では心もとない」
「ぐっ……」

 冷淡とも取れる口調で淡々とホームズは言った。警部は言い返せない。口惜しそうに顔を歪める警部に、ホームズはフッと微笑む。

「切り裂きジャックの凶行は我々が必ず食い止めます。それまで地上が大変なことに変わりありません、私とワトソン君が戻るまで地上のことはお任せしますよ」

 そう言ってホームズは木箱を一つ抱えた。ワトソンもそれに倣う。

「屋上から飛んで行こう」
「了解」

 ホームズとワトソンが保管庫を後にする。その時レストレード警部が口を開いた。

「おい、お前たち」
「なにか?」
「非常事態とは言え、お前たちに押収品を持っていかれたとなっては、私の責任問題になる。だから──」

 レストレード警部は二人を見ることなく、ボソボソと続ける。

「──必ず生きて戻って来い」

 ホームズとワトソンは顔を見合わせた。

「勿論」
「言われなくともそのつもりですよ警部」

 ワトソンとホームズはそれぞれ力強く答えると、屋上に向かった。

「まさか警部があんな事を言うなんてね。ようやっとデレてくれたようだ」
「デレたって……まぁ以前よりも任せてくれるようにはなったな」
「これも私の真摯な姿勢のお陰だね」
「コメントは控えておく」

 屋上に出ると二人は木箱を開いた。中から球皮とガスボンベ、球皮に繋がる丈夫なワイヤーとハーネス等を取り出した。

「取り出したはいいが、これ僕らでも使えるものなのか?」
「使い方なら私が知っている、私の指示に従ってくれればワトソン君でも問題なく飛べるよ」

 本当になんでもよく知っている女だ。
 ワトソンはホームズの指示に従い、小型気球の準備を進める。ワイヤーを所定の箇所に接続しハーネスを装着、その後、気球内部へガスボンベからガスを注入する。
 瞬く間に直径2.5メートルほどの宙に浮かぶ球ができる。この時点でワトソンの足が微かに浮いた。

「ここから先も私の指示に従ってくれ──では行くよ」

 ホームズも自分の気球を膨らませると、さらにガスを注入させスルスルと空へ上昇していった。
 ワトソンもそれに続く。
 気球のガスを調整してやると、グングン真上に引っ張り上げられる。
 気付けば警察署の屋上が、既に何十メートルも下だった。

「あんまり下を見ない方がいいよ」

 ホームズに言われてワトソンは眼下に広がる景色を見るのを止めた。それでもどんどん高度が上がる度に、ギリギリと嫌な汗が出てくるようだった。

「──アレだ! そこまで頑張ってくれ!」

 ホームズが声を張り上げる。いつの間にか飛行船がよく見えるほど近くまで来ていた。飛行船の後背部に、小型艇などを出し入れする開口部がある。
 ホームズとワトソンは、ハーネスについていた巻き取りようのフック付きワイヤーを投げつけた。開口部の突起に引っ掛かったワイヤーを巻き取り、二人は飛行船の船内に乗り込んだ。

「ぶっつけ本番でやるような事じゃないな、生きた心地がしなかった……」
「ここまでは前座さ、本番はここからだよ」

 げっそりとした顔のワトソン。ホームズはケロリとしている。この女には恐怖を感じる器官がないのではないかと、ワトソンは真面目に考え始めた。

 見たところこの飛行船の船部は豪華な客船のような造りになっているらしく、左右に二つの通路が船首へと伸びており、ホテルの客室のようにドアが並んでいる。

 カチャリ──ホームズは懐から愛銃エンフィールドを取り出して、弾丸の装填と動作に不備がないか確かめた。

「さぁ時間が惜しい。調べ回るにはこの飛行船の内部は広そうだし、ここは二手に分かれて切り裂きジャックを探そう。見つけ次第叩きのめす方向で」
「了解だ」

 ワトソンも両足の具合を確かめる。動作不良はない。いつでも全力で戦える。
 ホームズとワトソンは左右に分かれて飛行船内部を捜索し始めた。
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