濫觴のあとかた ~Truth like a lie complex~

九葉ハフリ

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第1章 白醒めた息止まり

1-3

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 朝食を終えると、怜耶のご両親は早々に出掛けてしまった。お盆前だから忙しいのでしょう、と怜耶は他人事のように話していた。ご両親への態度は相変わらずのようだけど、私の気のせいでなければ、前よりも素っ気なくなった気がする。

 生まれた時から両親のいない私には、それが当たり前の反感なのか、いまいち掴みきれない。でも、私がお家の人に抱く不信感とか疎外感とか、そういうのとはなんとなく違う感触を起こした。

 広い屋敷には、もちろん私と怜耶だけではない。無口なお付きの人が最たる例だけど、屋敷の清掃をする使用人の方々が数人、屋敷の中で忙しそうに動き回っている。手には各々掃除用の道具が握られていて、そちらも与えられた役割に黙々と従事しているようだ。話し声は一切聞こえない。代わりに掃除する物音がそこかしこの部屋から微かな気配ほどに響いてくるので、もの寂しい空虚さはない。
 今はまだ屋敷内の清掃に集中しているらしく、居間から窺えるお庭の様子は雑草が生え放題だった。居間の窓際からしばらく見渡していると、節操なき繁栄の影に思い出のガーデンテーブルとチェアを見つける。どちらも腐食したように薄汚れ、細長いイネ科の植物に埋もれていた。

「二年前とは、見る影もないでしょう」

 ソファに腰を掛けていた怜耶が、私に話しかけてきた。

「当然よね。二年もほったらかしだったのだから。人の手が入らない自然は、たくましく私たちの過去を覆ってしまう。最初戻ってきたとき、私、思わず絶句しちゃったくらいだもの。お屋敷を骨格とするようにね、蔦が窓ガラスと外壁に神経を張り、葉は柔らかな肉をつけ、活きていない内臓は夥しい埃を溜め込んでいた」

 まるっきり、死人のようだったのよ──と。
 怜耶の静かな声は、居間の隅々まで浸透していくように響き渡った。

「ここまで蘇らせるのに、かなり時間かかっちゃった」
「ここに戻ってきたのって……」
「そうね、もう一週間前になるのかしら」

 感慨深いと微笑むような吐息が背後から聴こえた。

「……お庭のほうは、どうするの?」
「そっちは後回し。今年の夏は湿気が酷いし。見るに堪えないけれど、夏が明けるまではこのままかもね」

 ───どうして、今になって戻ってきたの?

 そんな疑問が喉元まで迫り上がってきたけれど、口にするのは憚られた。その響きだとまるで、怜耶が戻ってきたことを喜んでいないみたいに聞こえてしまう。そうではなく。私はただ、何も言わずに去ってしまった怜耶のことがまだ許せなくて、引き摺っているだけなんだ。

「…………」

 わからない。どうして。私は何を躊躇しているんだろう。
 そうして、私は窓に手を添え、眩むような木漏れ日を見上げるばかり。どうでもいいような事まで口にする。

「怜耶のお母さん、少し雰囲気変わった?」
「……どうかしら。私には、よくわからないけれど。どうして?」
「前はもっと、私に向ける視線がキツかったような…ね」

 明らかに疎まれていたと思うのだけど、それは娘である怜耶にとってあまり気分の良くない所感だろうから、口にはしなかった。
 そして案の定、私の曖昧に濁した印象にさえ怜耶は否定的だった。

「それは、たぶん梓乃の気のせいよ。あなたを疎む人なんてこのお屋敷にいないわ」

 そう、と私は気が散漫したままに頷いた。
 そこで会話が途切れると、しばらく沈黙が居間を占めた。私は心の奥に若干の物足りなさを覚えながら、ゆらゆらと揺れる木の葉を眺めていた。

「───やっぱり、私と過ごすのは、その…退屈かしら?」
「え?」

 振り返ると、怜耶が不安そうな目で私を窺っていた。
 私は慌てて首を左右に振った。

「そんなことない」
「でも、ずっと空を眺めているじゃない。梓乃が手持ち無沙汰の時によくする癖よ、それ」

 ……それは、私自身でも知らなかった。まさか、私にそんな癖があったなんて。けれど、そこには語弊があるようにも思えた。
 きっと手持ち無沙汰に限らない。
 考えが取り留めもなく渦巻いている時も、周りにはそう見えているんだと思う。

「……ねぇ、怜耶」
「何かしら?」
「久しぶりに、どこかへ出掛けない?」

 気分が晴れたら踏ん切りもつくと思惑あっての提案だったのだけど。
 怜耶にはゆるりと首を横に振られてしまった。

「せっかくのお誘いだけど、ごめんなさい。私、あまりお屋敷の外には出たくないの」
 
 そっか、と私は荒れ果てた庭に目線を戻す。
 焦げつくような陽射しとは依然として没交渉のまま。
 窓を一枚隔てただけの向こうの景色が、なぜか、私には手の届かない場所に思えた。
 
      ◇
 
 ぼーん、ぼーん、ぼーん……。
 古時計の眠たげな遠吠えがつぅと浮かび、目蓋を開けると、私は居間のソファで横たわっていた。
 ……頭が重たい。そのまま、周囲の景色を巻き込みながらソファを突き抜けて、奈落の底に落ちていくようだ。
 腕を支えに上体を起こし、周囲を見回す。
 窓の外を一々確認するまでもなく、気がつけば時刻はもう夕暮れ間近のようで、居間はそろそろと闇を濃くしていた。

「……あれ?」

 いつの間に眠ってしまっていたんだろう。
 確か、怜耶には外出のお誘いを断られて、それから──。
 ぱたん、と本を閉じる音がした。

「もう、やっと目を覚ました」

 音のした方向を向くと、怜耶が不満げに吐息を漏らしていた。
 その姿を見た瞬間、どくん、と胸が跳ねた。意味もなく頭を振り払う。

「怜耶、私……」
「やっぱり体調が優れないようね。私とのお喋りに疲れて、ちょっとの間眠らせてほしいと頼んできたのはあなたよ? それすら覚えてないの?」
「えっと……」

 まだ、頭がはっきりとしない。
 発音も覚束ない。ただ、怜耶には恥ずかしいところを晒しているという自覚だけはあった。

「けれど、ちょっとショックだったな」
「……ショックって?」
「弥月くんという男の子のこと。今まで私には全然教えてくれなかったんだもの」

 ああ、そんな事も話したっけ、と私は頭を僅かに揺らす。

「私ね、あれから考えてみたのだけど、弥月くんの意見には異論があるの」

 私がいまいち話の要を掴めずにいると、

「ほら、あなたが通う高校で、隣のクラスの生徒が薬物中毒で亡くなった話」

 と、怜耶に諭すように言われ、段々と思い出してくる。
 朧げではあるけれど、弥月だけでは飽き足らず、眠りに落ちる前の私は怜耶にもそんな相談をしていたらしい。

「最初その話を聞かされた時は、やっぱり梓乃らしいと思った。弥月くんは律儀と評したらしいわね。端的で優しい響き。でも、その評は梓乃に相応しくない。梓乃は、厳しい人だから」
「厳しい……?」
「そう。薬物中毒に陥った彼女たちの弱さが、梓乃には共感できなかったんでしょう。そこに至るまでの要因をうまく想像できなかったから、不満だけが居座った」
「…………」

 弥月とは微妙に異なる解釈を急に披露されて、私のなかにある言葉は形を見失ったまま、頭上を儚く漂っている。
 まだ寝惚けているのか、怜耶の調子についていけていない。
 また軽く頭を振る。頭の中の靄はそれでも消える気配がない。
 私が何も言えずに俯いていると、

「不満の正体、代わりに私が言い当ててあげましょうか?」

 怜耶が哀しげな微笑みを湛えていた。
 その表情は私に向けられたものではなくて、胸に手を添えるようだった。
 
「───怒りよ。昔からそうだった。あなたはいつも、理不尽に対して怒っているの」
 
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