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第1章 白醒めた息止まり
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怜耶とふたりきりの──お付きの人は終始無言を貫くので、存在感が薄い──夕食を終え、お風呂も済まし、私はひとり二階の客室に戻った。
部屋の真っ白な電灯が、薄汚れた白壁に私の影をくっきり刻んでいる。
ベッドの縁に腰を落ち着けながらも、私の心はずっと浮遊したまま降りてこない。
今日一日の出来事がぽっかり空白となったような虚脱感に襲われている。それは決して無視し切れるものではないけれど、なにより怜耶の言葉が頭の中で何度もこだまし続けていた。そこに漣のような夏虫の鳴き声が押し寄せ、屋敷の静けさがいっそう、私の身を取り巻き掴んで離さない。
薬物絡みで亡くなった生徒は、あれから一週間に一人の間隔で現れた。最初の生徒が睡眠薬の濫用による中毒死だったように、続く三人の生徒も似たり寄ったりの末路だった。四人とも、生きるのがあまりにも苦しくなって自殺したに違いない。そうした根も葉もない断定が口の端に上るたび、私は鬱屈としたやり場のない感情を抱え込んだ。
それを怜耶は、理不尽への怒りだと指摘した。
あなたは、厳しい人だから、と。
「なんなの……」
弥月もそうだけど、二人とも揃いも揃って、私の事をなんだと思っているのだろう。
私自身にさえ、考えても考えても見えてこない答えを、どうしてそうも軽々しく口にできるのだろう。
「───だめだ」
やっぱり、私には飲み込めそうになかった。
とりあえず眠ろう。
そう思い立ち、私は部屋の電気を消した。
窓の薄明かりを残し、部屋は途端に真っ暗闇に染まる。
いざ目を瞑るけれど、一向に眠気が訪れなかった。
しばらく悶々とし、焦れた私は結局、枕を抱えて怜耶のいる一階の寝室を目指した。
◇
「梓乃は覚えてる?」
突然、怜耶が切り出した。
「なにを?」
と、私はぼんやり聞き返した。
枕を胸に抱えたまま、ソファの角でうずくまる。
「私たちが、初めて出会った日のこと」
怜耶の囁くような声の響きは、仄かな明るさに取り囲まれたこの状況と、嫌味なくらい溶け込んでいた。
寝室はすでにシーリングライトが消され、コーナーソファの下や部屋の隅っこに張り巡らされたテープライトの淡い橙色が、部屋をひそひそと照らし上げている。元は応接間として使われていた一室だけれど、いまは怜耶の私室も同然。その事を示すように、少しながらの私物が色褪せた棚に飾られていた。ほとんどが幼い頃に作ったというアクセサリーで、以前、私と合作したのも混ざっていた。
怜耶とは、気がついたら仲良くなっていた印象だった。
特別な出来事の下に出会ったわけではなくて、二十分休みとか昼休みとかにたまたまお互い気が惹かれ合って、そこから仲が続いていった。何気ないものではあるけれど、それはそれで素敵だと思う。
私がそんな事を訥々と話すと、怜耶は「梓乃の目線だと、そうなんでしょうね」と微かに含み笑いだった。
「なにがおかしいのよ?」
私、そこまで変な事は言ってないはずなんだけど──。
そう唇を尖らせ、ソファの背もたれに寄りかかり、怜耶のいるほうを向いた。
「だって、ちょっと詩的が過ぎるもの。言いたいことはわかるし、私もそういう話は嫌いではないけれどね。でも、あなたとの出会いは、そんな静かなものではなかった。あの時は私の目の前で口喧嘩が起こるんだから、困り果てたくらい」
怜耶の語りに段々と記憶が蘇り、それに合わせて私は口許を引き攣らせていく。
「───思い出してくれた?」
怜耶の揶揄うような笑みに、私は渋々こくりと頷いた。
あの頃の怜耶はよく陰口を叩かれていた。裕福な家庭の生まれに先天的な肺の弱さ。その事で周囲の大人から“特別扱い”されているように見えがちだった。きっと先生方としては些細な気遣いに過ぎなかったのだろうけれど、そうした小さな積み重ねに子供は敏感で、嫉妬を抱きやすく、結果として、怜耶は孤立していた。
あの時は昼休みで、怜耶が席にひとりきりで、給食を食べきれずにいた。
それ自体は別に珍しいことでもなかったらしく、担任の先生が無理しないで大丈夫だからと言い残し、職員室に戻っていった。
離れた席では、クラスの女の子たちがひそひそと笑い合っているのを目にした。怜耶の事をまるで出来の悪い見せ物のように横目にして、絶えず笑い声が人の掃けた教室内に響いて、それから「ほんと、ひとりじゃ何もできないんだ」と呟く声がしんと耳に届いた。
私はカッとなり、思わず弥月の真似をするように皮肉を口にした。そこまでは思い出せたけれど、あの後どうなったのか。記憶はまったく薄らいでいる。口喧嘩や言い合いは学校の中では日常茶飯事だったから、一言一言まではあまり印象に残っていなかった。
「『教室をお手洗いか何かだと勘違いしているみたいね。鏡なら向こうよ?』……改めて思い返すと、やはり小学三年生の女の子が口にするセリフではないわね」
と、怜耶が愉快げに小さく肩を揺らし、私は目を丸くした。
「え、昔の私、そんな事言ってたんだ」
「こっちの方が驚きよ。そばで聞いた私も、直接言われたはずあの子たちも、何を言われたのか理解できなくて、私は聞き流そうとしたし、相手も最初はそうしようとしてたんじゃないかしら。でも──梓乃はこう言ってくれた。
『ひとりで何もしようともしないのは、あなたのほうでしょ』って」
「…………」
かなりこそばゆい。自分の言動を事細かに覚えられていて、挙句声に出されると、こんなにも肌に熱が迸るんだ。知らなかった。
そして、私が身を捩りたくなるような衝動に襲われているのを他所に、怜耶は構わず続ける。
「なんだか、受け止められたような気がしたの。一人でがんばって耐えてきた自分を、真正面から」
静かに透き通る響きだった。
知らず俯いていた顔を上げると、怜耶が私のことを見つめていた。
「梓乃は変わらない。あの時のまま、優しくて、厳しいひと」
私は悟る。どうやら、怜耶には見破られていたらしい。私がどうして、この寝室を訪れたのかを。
「怜耶には、私のことが格好良く見えていたんだ?」
「えぇ、とっても。───憧れだった」
灯りをすべて消して、怜耶と一緒のベッドに入り、身を寄せる。
真っ暗な天井。涼やかな空調。りりりと騒ぎ立てる夏虫の聲。
隣を向くと、怜耶の真っ白な顔が目と鼻の先にある。瞳を瞑り、浅く呼吸している。怜耶はいま、一体どんな夢を見ているんだろう。そんなことを、ふと思った。幸せな夢を見ているといいな、とは思うけれど、その硬い表情からはとてもそういう気はしない。だから、気慰めであれ、手を握ってみる事にした。感触は少し骨張って、細く、頼りない。怜耶の手は夏場にも関わらず、石のように冷たかった。
今度こそ眠りに落ちようと目を瞑る。
ひとりきりだった時とは違い、思考が速やかに鈍麻する。
暗闇の中に意識を埋没させる作業はいつの間にか、自然と手を緩めていた。
白く煙る、遥か向こう岸。
獣の高く伸びるような咆哮が、幽かにこだましていた──。
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