濫觴のあとかた ~Truth like a lie complex~

九葉ハフリ

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第1章 白醒めた息止まり

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 裏通りはどこも寂れている。
 表通りとは違い、建物同士の幅が狭いおかげでルーフまでの距離は開けているけれど、電飾による華やぎは贅沢だといわんばかりに薄暗い。等間隔に設置された街灯はそれこそ洒脱な光源の役に徹している。昔ながらの質素な弁当屋を納めた雑居ビル一階も、本日は定休日のようでシャッターを閉じている。その燻んだ色合いは岩壁を思わせる。
 復興の目処は残されているようで形骸化し、維持したいと先を望めるほどの輝かしい魅力はとうに失いつつある。
 天蓋を打つ雨音と、配管を押し通る流水の合奏は、より路地を退廃へ導くようだった。
 雨に濡れはしなくても、この季節と生憎の天候だ。
 蒸し暑い湿気が肌に纏わりつき、歩くだけでも、結局は水気に苛まれていく。

 アーケード街の治安は中心へ向かうに連れて胡散臭さが増す。中心から若干逸れたこの通りは、雑多な喧騒という麻酔が切れ、まさにスラム化一歩手前の燻った香気が漂っている。
 おあつらえ向きに前方から少しガラの悪い青年が一人。片手にスマホをふらふらと弄んでいる。誰かと通話中らしく、すれ違いざま横目に窺うと、耳にワイヤレスイヤホンを嵌めていた。また発言も惜しげなく筒抜けだった。

「今度の交際相手、どうも瘤付みたいでさ。やめようかと思ってんの」

 何とも物騒な会話を聞いてしまい、僕は途端にブルーな気分になる。間が悪いとはこの事だろう。もう少しくらい慎みとやらを弁えてほしい。あれでは細やかなのか無頓着なのか微妙なラインだ。

 ビルとビルの狭間。暗がりになった路地裏をちらと覗くと、ぴちゃぴちゃと雨粒が滴っている。ふと視線を感じ、目線を下げると、その入り口辺りには地べたにへたる浮浪者の姿。ここでは珍しくもない手合い。ピンぼけしたような締まりのない表情に反して、手には何かを強く握り締めていた。拾い物だろうか。
 一言に不気味だった。
 人らしい意思をまるで感じさせない。

「───見つけた」

 しばらく歩くと、さっきから周囲を見回していた碧菜が立ち止まった。見上げる視線の先は何の変哲もない雑居ビル。おそらくすでに廃墟。そして、後ろに立つ僕のほうも見ずに手を差し出してきた。

「はいはい」

 なおざりにお手をされた犬の気分だけど、大人しく手を取り、目蓋を閉じる。

 ジジジ、と電流の乱れるようなノイズが走る。

 すると脳裏に彼女の視界が広がり、セピア色に褪せつつも、廃墟の中身が露わとなった。廃墟の中にいるのは、どうも件の家出少年だけではないらしい。他にも六人ほど屯している。年齢はたぶん僕と同年代、確か相手は中学生だという話だったから、全員下手したら僕より年下かもしれない。

 耳をすませば、雨音に紛れて、彼らの人目を憚らない笑い声が聞こえてくる。声変わり直後特有の錆びたギロチンを思わせるざらざらとした声質。口に砂利を含んだ時の不快感をも彷彿とさせる。

「目的の子はどれなのさ?」
「三階の左奥の壁に寄り掛かってる子だと思う」
「ああ、あの一通り締め上げられたあとみたいな感じの?」
「さすがに穿ち過ぎだよ」

 碧菜に咎められたけれど、しかし見るからに元気がない。首が力なく項垂れているようでは、内実の是非はどうであれ、これは後先短いと思わざるを得ない。老いる前に首を縊りそうな弱々しさだけど、とりあえず対象の姿は確認できた。後は確保に乗り出すだけなんだけど……。

「でも、周りの子たちがすこし気にかかる」
「奇遇だね」

 仮に廃墟自体は手頃な集合場所に選んだだけだとして、そこに集まる必然性は何なのか。気にならないと言えば無論嘘となる。しかし、彼らの存在は今回の仕事とは無関係のため、僕の懸念点はただ一つ、彼らがアタリかそうでないか。そこに尽きる。

 碧菜の視界のうりょくではあくまで相手の姿くらいしか視認できない。彼らの周辺環境を知ろうとなると、セピア色がいまいち邪魔だった。ビニール袋が辺りに散乱していることと、フロアの脇にかなりのゴミが寄せてあることから、長いこと居座っていると推測できるくらいだろうか。

「家出少年の集まりかな」
「行方不明者リストをさらえば、該当する子が中にいるかもしれない」

 と、碧菜が頷いた。
 目的は変わらず、被疑者の弟の拉致。他の子たちは諸共気絶でもさせ、警察に通報を済ましてからさっさとその場を立ち去る。余計な手間が一つ増えたけれど、碧菜の指示はおおよそ単純なものだった。
 作戦もまた単純明快。碧菜の後方支援を受けつつ、僕が単身つっこんで、彼らの屯するフロアを制圧する。
 
      ///
 
「…………」

 いつにも増して浮薄な足取りで廃墟ビルの影に埋もれていく彼の背を、碧菜は少しの不満を込めた眼差しで見ていた。
 つい先程、あの少年──浦野弥月が言い放った一言が頭に過ぎる。

「首輪なんて自分で外せる癖に。自虐にもなってない」

 廃墟とは向かいのルーフを支える柱に背をもたれさせる。
 作戦決行は五分後。碧菜の役割は一つのみ。弥月が推定家出少年たちがいるフロアに突入する直前、彼らの気を引くこと。後の荒事は彼の独壇場で、彼女の出る幕はほとんどなく、精々残りの後始末くらい。つくづく裏方に徹するようだが、気は楽だった。
 廃墟内を透視すると、弥月はゆったりと非常階段を登っている。

 現在は二階と三階の中間。
 ふらふらと手を振る仕草。
 彼女が今も様子を窺い続けている事に微塵も疑っていないのだろう。

 作戦開始を告げる合図のようだ。

 碧菜は手頃な瓦礫を拾い上げると、彼らに当たらないよう方向を定めつつ、すぐさま三階の窓に向けて放り投げた。歪に溶けたような瓦礫は緩やかな放物線を描き、三階ではなく二階の窓にぶち当たる。
 パリン、と甲高い破砕音が周囲に響き渡った。

「……ああ、ううん。力加減、間違えた」

 しかし、彼らのどよめく声がきちんとこだましているので、作戦自体は滞りなく進んでいる。碧菜はそう固く信じ込むことにした。
 碧菜がさっと三階の様子を透視で窺う頃には、弥月がとうに三人ほど無力化していた。残るは被疑者の弟を合わせて四人。突然の異音と侵入者の登場にまだ彼らの混乱は回復し切っていない。それどころかより混迷を極めているだろう。取り残された少年たちの乱れに乱れた表情が事実を雄弁に物語っている。

 勝敗は決した。
 ここから状況を立て直す手段など彼らにはない。

 碧菜は目線を切り、スマホを取り出した。
 警察への通報の準備と、改めて搬送経路の確認だ。

 そのときだ。
 一人の男が慌ただしく息を切らし、碧菜の目の前を横切っていった。

 碧菜は尋常でない様子の男を知らず目で追う。
 ……見覚えはなかった。
 
      ///
 
 非常階段を登る途中、家出少年たちの会話は反響し放題だった。
 彼らの会話に大した情報はない。くだらない事を笑い合える仲だということが掴めるだけ。言外に何かへの不満や憤りが滲んでいるけれど、それは僕とは関係ない。クスリが手に入った、なんて一言がそこはかとなく熱が入り気味に響いてこようとも、知ったことではない。
 だって、彼らはハズレだ。“不安”に取り憑かれるのではなく、不満に駆られて家を飛び出すようなら、条件には当てはまらない。思春期ゆえの度を越した衝動の域を出ない。僕の対象外だ。

 僕はふらふらと手を振って、合図を送った。
 碧菜に伝わっているといいな、と他人事みたいに思いながら。

 三階フロア前に辿り着く。
 向こうにバレないよう覗くと、少年たちはいつまでもバカ話に明け暮れている。ささやかな宴でも開いていたのだろう。ビニール袋に加えて、彼らの傍らには空き缶や惣菜の空袋なんかも放り捨てられていた。
 僕は壁を背にして姿を隠し、作戦決行を待つ。
 扉は撤去されて久しく、雨空の仄かな光が廊下に差していた。
 それから間もなくのこと。
 パリン、と窓ガラスの破れる音がこだまする。次ぐ少年たちの動揺と、思い思いに立ち上がる気配を感じ、僕はフロアに突入した。

 
 一人は側頭部を蹴り上げ意識を刈り、近くにいた二人は頭を掴み、互いの後頭部を勢いよくぶつけ合わせた。
 残り四人。
 少年たちの視線が僕に集中する。
 髪を短く刈り上げたボス猿らしき少年が、吃りがちに声を絞り出す。

「お、オマエ、なんな──」

 言葉を待たず、床を蹴って彼に接近し、拳を鳩尾にめり込ませる。彼の足が微かに浮くと、そのまま床に膝をついたので、そこへすかさず顎を蹴り上げた。
 後は消化試合だった。目的の子は茫然自失でまったくの戦力外。ようやく意識が現実を受け止め始めた時には仲間の半数以上を失っていた残り二人の少年は、自暴自棄になって僕に殴りかかろうとしてきたが、二人とも最初の一人と同じく、側頭部への蹴り一発で沈んだ。
 気絶させた全員に息があるか、念のため目視で確認する。一様に呻き声なんかを漏らして、身動きは取れないでいるようだった。

 そこで僕は一息ついた。
 一通り終わってみれば、やっぱり退屈な作業感は拭えない。

「───さて、と」

 フロアの隅っこで塞ぎ込んでいる少年に歩み寄る。
 近寄るにつれて服の汚れが目立ち、半袖から覗いた腕は傷だらけだった。おそらく彼らに虐められていたのだろう。
 今もそうだけど、不良たちが僕にやられていく時も、この子はこっちに見向きもしていなかった。余程現実への関心が薄れていると見た。

「…は……ない。…部、兄さんの──」

 何やら譫言をぶつぶつと繰り返している。
 相当追い詰められている。一朝一夕ではきっと収まりが付かなかったのだろう。全ては聞き取れないけど、“兄さん”とやらを責め続けていることは声帯を酷く枯らしている様子からも明らかだった。
 SIA患者特有の手段への異常な執着も見て取れない。至って身も蓋もない心理的視野狭窄症。その範疇に収まっている。影響は受けているかもしれないけど、そこは検査ではっきりとする部分だろう。
 僕は歩みを止め、一定の距離を保ちつつ、

「きみ、僕の声はちゃんと聞こえてる?」

 と、声を掛けてみたけど一向に反応はない。

 しかたなく僕はさらに推定弟くんのそばまで近寄り、顎の下に手を潜り込ませ、顔を持ち上げた。顔面も殴られていたらしく、唇の端が切れ、頬が痛々しく腫れ上がっている。
 虚とした眼。乾燥し切った唇をだらしなく開け放し、鼻水が垂れていた。そして、今にも途切れそうなほど息が浅い。

 僕は屍も同然の痩せ細った体を背負い上げる。反抗はない。重いのか軽いのか、どちらともつかなかった。その最中に放り捨てられた財布を見つけ、中身を改めた。ほとんど空っぽだ。めぼしいものは弟くんの学生証くらいで、振っても音も鳴らない程度の端金が残されているのみ。
 念のため、学生証にある写真の人物と弟くんの顔を見比べてみる。僕はすぐに照合を諦めた。
 一応持って行くことにしたけど、今後使われる事は二度とないだろう。

 
 ビルを出ると、碧菜が僕に目線を寄こし、すぐにその表情を曇らせた。僕らは二言三言だけ交わすと、このまま所定の場所に向かうことにした。警察への通報も済ませ、搬送経路の確保も万全との事。目的地に車が待機していて、それに弟くんを乗せるまでが僕たちの役割だ。
 裏路地を駆けていく。ちょっとやそっとの人目についたところで僕らを気に掛ける人はいない。誰かとすれ違っても、みんな、目の前の現実とは違う何処かを目指している。
 背中にのし掛かる熱は微かに。
 夏雨はまるで止む気配がなかった。
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