濫觴のあとかた ~Truth like a lie complex~

九葉ハフリ

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第1章 白醒めた息止まり

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 正午前の薄らかな陽影に包まれた探偵社には、厳かな空気が張り詰めていた。原因はテーブルを挟んで対面する二人の男たち。柔和な笑みを浮かべる片方の男によってかろうじて室内の明度を保っているが、対面に座す男がその余地を圧迫してしまっている。

 喪服に身を包んだかのような仄暗く塗り固まった表情。この湿気過多にも程がある真夏日にありながらピシッと決めたスーツ姿を鑑みるに、嘘偽りなく、それが彼の性なのだろう。

 男の名は幅目はばま つづり。一介の弁護士だ。二年前まではある企業の顧問弁護士などを務めていたが、現在は所属事務所からも独立し、訳あってフリーランス。主に企業法務を取り扱っているが、行政手続きのサポートも請け負っている。

「先日の件について、改めてお礼を。おかげで助かりました」

 そして残る一方の人物、当探偵社の社主である寄木照須は明朗に口を開く。癖っ毛を整髪料で流し、ゆったりとソファに腰を据えている。涼しげな白地のワイシャツとクールビズを時流とする現代に見合った服装は、長袖とはいえ、幅目とは対照的な出立ちだった。

「……いえ、仕事ですから。それにまだこれからでもあります。お礼ならば、相応の報酬さえ用意して頂ければ十分です」

 どちらとも社交辞令的な受け応え。
 生真面目を絵に描いたような人物像を改めて前にし、だからこそ信頼にあたる人物として名を挙げたのだろう、と寄木は自分の元上司の厳つい顔を思い出していた。

「依頼人の方は法テラスの援助要項を満たしているとの事なので、資金面はさほど問題にならないでしょうね。しかし件の企業は予定通り摘発され、廃業に追い込まれる運びになるそうですから、提訴の期間は長引く。仕方のないこととはいえ、もどかしい」
「ままある話です。しかし、お詳しいのですね」
「聞き齧りの知識ですよ」

 と、寄木は微笑み返した。幅目にしてみれば素直に出た賞賛の言葉だったが、あくまで寄木は世辞と受け取ったようだ。
 そこで幅目が対向に目を据えた。

「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「なんでしょう」
「あくまで他愛のない疑問です」幅目は前置きする。「寄木さんは探偵業を営んでいるとお聞きしております。実際、今日はその伝手を頼ろうとこの場を訪ねました。しかし、違法薬物の取引に関与していた、いわゆる“プラットフォーム型”のサービス提供企業、それに巻き込まれた労働者の後始末の面倒まで見ようとするのは、流石にそちらの領分を超えているように思える。なにより貴方に利がない。どうして、そこまで根回しを?」
「社会実験です」
「は?」

 まったく想定していなかった応答に、幅目は目を丸くした。

「社会実験、ですか」

 口にして反芻してみても、その意は依然として汲み取りようもなかった。荒唐無稽にも思える苦い余韻が口に残るばかりだった。そして厄介にも、寄木は冗談を言ってこの場を流そうとしている風でもない。至って平然とした構えでいる。

「信じてほしいのは、なにも悪戯にあなたを揶揄っているわけではないんです。私たちの為そうとしていることは、他に表現しようがない。これでも言葉を選んだ結果なんですよ」

 はあ、と幅目は釈然としないまま、言葉を飲み込む。どこか要領を得ない発言はあえてこれ以上の説明を省くためだろうか。とても政治や司法の世界に入り込もうとしている人間の纒う雰囲気ではなかったが、少なくとも無償の善意で動いているわけではないらしい。幅目にとっては、それだけでも十分信用に値する材料であった。
 すると、そこで寄木があからさまに腰を据え直した。

「世間話も程々にして。そろそろ本題に入りましょうか。今回はどのようなご用でうちに?」
 
    ///
 
 目を瞑っていると、誰かがドアを開けた。
 ぼくは起き上がらずに、侵入者の気配を探る。
 柑橘系の香りが鼻腔をくすぐる。歩幅がやや小さい。軽めの足音。
 相手は女の子のようで、ぼくの前まで歩み寄るなり、ふっと顔を覗き込んだ。
 目を開ける。
 大丈夫、と問いかけられた。
 ぼくの身を案じてくれているのはひしひしと肌身に伝わってきた。
 でも、それ以上にぼくには不思議でならなかった。

 きみはだれだろう、とぼくは問いかえした。

 この子の声には覚えがある。だって、ぼくの耳が反応している。そのはずなのに、顔も名前も、どうしても思い出せなかった。
 女の子はきょとんと目を丸くした。そして、タタッ、と後退りして、すぐに泣きそうな目になった。
 ああ、どうも彼女を悲しませてしまったらしい。
 そういうこと、と女の子が独り言をこぼす。
 その声音は却って、ぼくの胸が締め付けられるほど震えていた。
 ごめんなさい、とぼくは自分でも訳もわからないまま謝る。
 女の子はゆるりと首を横に振った。
 そこでまたしても、ぐぅ、とぼくのお腹が鳴り出す。あまりにも場の空気を読めないお腹を抱えて、ぼくはつい羞恥に駆られた。
 でも、女の子がくすくすと笑ってくれたので、こんなお腹でも役に立つことがあるんだな、とぼくは彼女の顔を見つめた。

 ほんとうに知らなかった。
 きみに笑顔が似合うことを。

 何か食べたいものある、と聞かれたので、ぼくは素直に、にくと答えた。
 すると女の子は、今度は苦笑いを浮かべた。
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