濫觴のあとかた ~Truth like a lie complex~

九葉ハフリ

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第1章 白醒めた息止まり

4-5

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 寄木がマンションを出たときには、すでに日も暮れ始めていた。
 転居届を受理した役所のほうにも出来れば話を伺いに行きたかったのだが、生憎と今日は日曜日だった。また時刻も午後の五時を過ぎてしまっていて、いずれにしても受付は閉じていただろう。

 今回は少しばかり間が悪かったようだ。

 しかしあそこならば、夜の七時半まで面会を受け付けているので、今から向かえば間に合わないこともない。あらかじめ電話でアポを取れば、融通をきかせてもらえるだけの算段もある。
 悩んでいる暇は惜しかった。
 寄木は娘二人に『今夜は遅くなる。夕飯は冷蔵庫の中身を好きに使っていい』と、至って日常的な連絡を入れた。

 
 特異精神医療機構。
 郊外の山間部に聳え立つ、灰色の要塞じみた建造物。
 本館にあたる部分を丸々隠すように高い壁が周囲の目を切り離し、正規の手段で壁を超えるには、死角なく配置された監視カメラ網を掻い潜ることはもちろんのこと、専用の電子キーを搭載した車両に乗り込み、警備員による監視付きのゲートを通過するほかない。セキュリティなどを管理するサーバーそのものはスタンドアローンとして運用されており、もし電子キーに他の外部との通信が確認された場合、そのキーは即刻無効化・破棄される仕組みとなっている。

 壁の外と内では、世界がまるっきり様変わる。山と木々で囲われた要塞とは、生優しい表現だ。増築に増築を重ねた結果、塔の如き威容は、一本の巨大で無骨な杭のようだ。鉄とコンクリート、そして目には見えない無数のセンサーで覆われた収容所。生命は質感のない数値で管理され、人間の精神はおよそ量的なアナログチック処理の因子ファクターに還元される。一昼夜を問わず、治療ケアとは名ばかりの理論実証の場として、今日も鈍色の排気弁を唸らせている。

 相変わらず、患者の脱走よりも、外部からの侵入を堅く拒んでいる印象を寄木は受けた。

 エントランスの様相は、奥の通路へ続く所々に防火シャッターのような継ぎ目が目立つ他に、一般病院の内装とそう変わったところは見受けられない。受付で手続きを済ませ、適当な場所で待ち時間を潰しつつ、職員の案内を受けて面会室に通される。その際に簡易な形態のデバイスを手首に巻き付けるよう指示される。脈拍や発汗などのパーソナルデータをリアルタイムに計測・監視し、異常を感知した際にはアラームが鳴る仕組みのようだ。そうなれば傍で待機している職員によって、速やかに退出を促されるという。

「当機構の職員や患者が身につけているものと同じものですから安心してください」と、寄木はもはや何度目かになる説明を受け、当然のように聞き流した。

 向こうもあくまでマニュアルに沿っているだけのため、索然とした心象はどうしても拭えなかった。

 面会室には、すでに目的の人物が席に座して待っていた。
 思わず目が痛むほどの純白。隅々まで影を作らないよう構成された一室は、訪れる者すべての心理にそこはかとない焦燥を植え付けるようだ。
 直接接触防止用のアクリル板による仕切りの向こうでは、暇を持て余したような若者がパイプ椅子に凭れている。
 すると、向こうは寄木の入室に気がついたようで、かったるそうにしながら一瞥し、ぼそりと口を開いた。

「アンタは、たしか」
「探偵の寄木だ。自己紹介は前にしたが──」寄木は椅子に腰を下ろしながら話す。「しかし、二十二日以来になる。ピンとこなくとも無理はない。もう二週間は経つのだから。うん、元気そうでなによりだ」
「……二週間。そうか、まだそんくらいなのか」

 覇気のない声音。息をつくように僅かに俯いたあと、黒く濁った瞳だけが、寄木に用を訊ねるよう向けられた。

「今日は君と世間話をしに来た」
「世間話……。アンタやあの弁護士のおかげで罪は軽くなりそうで、そこは感謝してる。でも、オレ自身が人殺しであることに一切変わりはねぇってのに、呑気っつーか、いまいち緊張感に欠けるよな、アンタ」

 あのガキと被る、と若い男は苛立たしげに目を細めた。

「浦野弥月のことか」
「ああ、アイツ、そんな名前なんだ」元運び屋の男が乾いた笑いをこぼす。口許は皮肉げに歪んでいた。「あん時は仮面被っててよく見えなかったし、おまけに思いっきり壁に叩きつけられたが、もしかして女みてぇな顔してんのかな」
「やけに彼のことを目の敵にしているようだが」

 寄木が興味本位でつつくと、男は「はっ」と笑い飛ばす。

「目の敵──違うね。それはまったくの通りすがりに因縁ふっかけるようなもんだろ。オレとアイツの場合は、はっきりしてる。アイツはオレの全てを否定しようとした。そのうえでくだらないと一蹴しやがった。オレのは正当な怒りだよ」

 浦野弥月に骨折させられた男の右腕はサポーターによって支えられているが、当人はさして気にする素振りを見せない。寄木がその事を指摘してみると、男はバツが悪そうに顔を歪め、軽く右腕を持ち上げてみせた。

「まあ、一度はあの子の首に手をかけた腕だからな。それに浅い仲だったけど、知り合いも絞め殺した。自業自得とまではさすがに悟んねえけどさ、きっといつかはダメにしてた。アイツにやられた傷なのに、こっちに恨みは感じねえの、不思議とな」

 男の中では、辻褄に合った傷とのことだった。SIA患者にしばしば見られる、解離後の心理的な埋め合わせだろう。不安感情により差し迫った精神が現実との軋轢に晒され、一種の凶行じみた衝動に走らせる。その後悔に伴う自罰的な感情の意味付け。自傷に頼らない、代償に近しい刻印だ。彼の場合は偶然も重なったとはいえ、典型的な例に当てはまる。

 それに対して、解離を促進させる役割を持つのが彼らに萌芽する“異能”だが、今回は別件であるため、寄木は意図的に言及を避けた。

「あの子というのは、君が率先して買い物代行に足繁く通っていた少女のことかな」
「……言い方に嫌味を感じるが、そうだよ」
「いやいや。ちょっとした揶揄いだ。どうも、君は彼女に惚れていたようだから」

 それに男は「どうかな」と微妙な顔つきで下を向いた。

「確かに最初の頃はそうだったかもしれねぇ。けど、なんか違う。あの子は弱いんだ。誰かの助けがなくなれば、明日には死んでいてもおかしくないくらい、儚かった。たまに自殺未遂を武勇伝みたいに拠り所にしてるヤツがいるけどさ、あの子は違う。死に直向きだ。自力で呼吸する理由も見出せないくらい、頭がイカれていた。誰かを殺しでもしなけりゃ責任に押し殺されるなんて思い込んでたのに、オレはどん底じゃないって思い知らされたんだ」

 その少女は、男にとっての偶像に置き換わった。夢に見る神や天使のお告げは、男には紛れもない現実の嘆きだった。

「なあ、アンタ──」

 アラームが鳴り響く。
 アクリル板を挟んだ向こう側の音色は、水底を思わせるように篭っていた。

「オレをここから出してもらえるよう、掛け合ってくれないか。弥月ってヤツが大丈夫なんだ。それならオレだって問題ないはずだろ」

 もう一度あの子に会わせてくれ、と男が懇願する。
 男にはアラームの音も、背後に立ち、連れ出そうとしてくる職員の存在すら、頭になかったようだ。

「なら、最後に聞かせてくれないか。その少女の名はなんといった」

 すると、男は土壇場で契約を交わそうとする愚者の和らいだ笑みを浮かべ、ぽつりと言い残していった。

「巌貫怜耶。───なかなか、いい響きだろ」
 
     ///
 
 だれかの、ゆめをみている。
 めのまえには、おんなのこがすわっていて、こっちをみつめている。
 あいてのくちびるがうごく。きいたこともないこえのはずなのに、なぜか、なつかしくかんじる。
 どうも、はなしかけられているらしい。
 なまえをきかれた。こたえようとして、くちもとがおぼつかない。
 すると、あいてがおなじひびきをくりかえす。
 ちゃんとつたえられていたようで、うれしくおもう。
 それから、たあいのないおうとうがつづいた。

 ふと、くびをかしげる。
 そういえば、どうして、こんなところにいるのだろう。

 きおくにない。
 おんなのこがくちをはさむ。

 あなたはいま、ゆめをみているのでしょう、と。

 それにうなずいてみせる。
 おんなのこのいうとおりだった。
 こっちはゆめをみているのだから、どこにいたってかんけいない。
 みるものすべては、いちまつのあわのようなもの。
 けれど、ふしぎだ。
 めのまえのおんなのこをみていると、からだがぞわぞわする。
 きのうのおんなのことは、なにがちがうのだろう。
 たしかめたくて、からだをうごかそうとしたけど、うまくちからがはいらなかった。
 おんなのこがほほえむ。
 なにかをいっていたようだけど、なにもきこえない。
 ああ──ほんとに、しんぞうのおとがうるさくて、かなわない。
 でも、さいごのひとことだけは、はっきりときこえた。
 
 あなた、わたしをころしたいのね──────
 
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