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第1章 白醒めた息止まり
5-3
しおりを挟む「死んだら許されないまま──それでいいの?」
迸る感情のうねりが波紋を広げ、怜耶の目蓋を震わせた。
怜耶は霞み眼で口を閉じ切った黒狼と相対する。そして、すぐに彼の首元に懸命にしがみつく梓乃の姿を認めた。
いつの間に、と疑問に思うよりも先に。
ああ、と怜耶は息を漏らした。
不思議と、息苦しさよりも、胸を撫で下ろした。
薬物で死に損なってきた夜更け。
男の手によって首を絞められた正午。
そのどれともつかない、肌が蒸し暑いまでの緊張のほぐれ。
まだ、自分は生きている。生かされている。
その事が、以前にも増して、額の汗が冷めるほどの実感を覚えさせた。
怜耶は車椅子の上で、さらに深く息を吸って、吐いた。
車椅子に座った怜耶よりも頭一つぶん背の高い黒狼はすっかり大人しくなり、床に腰を下ろしている。梓乃はそんな狼の身体に身を寄せて、木陰の下で休むように、穏やかに微睡んでいる。
黒狼がじっと怜耶を見つめる。
「……えぇ、私の負けよ。完膚なきまでに私の敗北。いっそ馬の脚に蹴られてしまいたいくらい」
息は絶え絶え。今にも風に攫われそうな囁きは繊細なガラス細工を彷彿とさせる。その造形はきっと、一輪の鈴蘭の花。
目を開けるのもやっとなほど、怜耶は車椅子の背もたれに身を預け切っている。薄く開かれた瞳は、黒狼と少女、ふたりの姿を収めていた。
「……あなたが、羨ましい。あなたにはちゃんと手綱のない首輪が掛かっている」
怜耶は、眩しいものを見るようにして、さらに目を細めた。
閉じた端からは、涙が零れそうになっている。
「───生きる理由が、ちゃんとある。わたしなんかとは、大違いだった」
パトカーのサイレンが新月の真夜中に響き渡る。
どうやら、徐々にこの屋敷へ近づきつつあるようだ。
「あなたの差し金かしら」と、怜耶が悪戯っぽく微笑んでみせる。
黒狼は不名誉と言わんばかりに小さく吠えた。
パトカーが巌貫邸の前で止まると、複数の足音が慌ただしく迫る。
警察官の集団が屋敷のエントランスへ踏み込み、迅速に被害者たちの身の安全の確保に取り掛かり始める。その後に続き、寄木照須と白髪の生えた男が現れ、怜耶たちへと歩み寄っていく。
こうして、ひとりの少女が起こした十世帯以上にも被害が及んだ近隣住民の拉致軟禁事件に、人知れず幕が引かれた。
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