貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈

玖羽 望月

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4.婚約者の憂鬱

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「泣かないでくれ。俺はお前に泣かれるのに弱い」

 逃がさないとばかりに主任の腕に収められている自分の姿を想像すると、涙が引っ込む代わりに顔どころか体が熱くなる。でも、何を言っていいのかわからなくて、私は口をつぐんだままでいると、主任が身動ぎする気配がした。

「今は……言えない。だが、ちゃんと説明するから。それまで待ってくれないか?」

 力なく言う主任は、今どんな顔をしているのだろうか?

 そんなに喜怒哀楽を出すほうじゃないのは知っている。会社ではいつも仏頂面だ。けど、時々笑ってくれるようになって、私はそれが嬉しかった。でもきっと今は、悲しませているんじゃないかって思った。

「……わかりました。待ちます」

 私はそれだけ口にする。もう私にできることと言えばそれしかないのだから。

 主任は安堵したように息を吐くと、腕を緩めた。急に温もりが遠のき背中を冷たい空気が撫でると、私は思わずクシャミをしてしまった。

「風邪ひくぞ? 車に乗って」

 そう言うと主任は私の腕を引いた。決まりが悪くて顔を上げられないまま車の助手席のドアまで連れて行かれる。私は素直にそこに乗り込み、またシートベルトをしていると、開きっぱなしだった運転席側から、バサッと何かが降ってきた。

「掛けるものが何も無いからな。気休めでもいいから膝に掛ければいい」

 シートに乗り込んだ主任に、先程まで着ていた上着はない。そして私の膝を、主任の着ていたジャケットがほんのりと温めてくれていた。

「主任が風邪ひきます!」

 返そうとするが、「そんなにやわじゃない」と素っ気なく返ってきた。

「じゃあ……お言葉に甘えます」

 私は下を向いたままそう答えた。膝がさっきの背中みたいに温かい。

 窓側に頭を寄せて、ぼんやりと横目で窓の外を眺める。と言っても、街灯などほとんどない田舎道。揺れに身を任せていると、いつのまにか私の瞼はくっついていた。


──遠くで子どもの泣く声が聞こえる。

『与織子の大根さんの葉っぱ踏んでる!』

 あれは、まだ小学校に上がる前くらいだったと思う。初めて畑の一角を自分専用にしてもらえて、私は大根の種を植えた。毎日毎日様子を見に行って、ようやくポツポツと芽が出て、少し大きく育ったころ。目の前でそれを無惨に踏まれてしまったのだ。

 大泣きした私を、困惑しながら抱き上げて慰めてくれたのは……誰だったんだろう?

 いっちゃん? ふう君?

 私はウトウトとしながら、そんなことを思い出していた。

 なんだろう……?

 誰かがフワフワと頭を撫でていたような気がした。

「……ちゃん。与織ちゃん」

 そこで私は急に現実に引き戻された。

「へっ? みー君⁈」

 飛び起きるように体を起こすと、ようやく自分がまだ車の中なのに気がついた。助手席側の窓が開いていて、みー君はそこから顔を覗かせて私を呼んでいたみたいだ。もちろん主任は運転席に座っていた。

「すみません。すっかり熟睡してたみたいで……」

 私はずっと掛けてあったジャケットを「これ、ありがとうございました」と差し出すと、主任は私から視線を外したままそれを受け取った。

「創一さん、ありがとうございました」

 ドアの向こうから、みー君は人懐っこい笑顔を見せている。その顔を見て、たぶんみー君は詳しい話を聞いてないんだろうな、と少し安堵した。

「主任。今日は長時間ありがとうございました。その、……お疲れ様でした」

 仕事なのかと思うようなとても可愛げがあるとは言えない私の台詞に、主任は少しだけ口元を緩めていた。

「俺のほうこそ、連れ回して悪かった。ゆっくり休んでくれ」

 主任も私に、仕事終わりのようにそう言った。

「はい。じゃあ……失礼します」

 婚約者同士の甘い会話の一つもなく、私は車を降りる。そんなもの、偽物の婚約者には必要ないんだから。

 走り去る車を見送り、みー君と家へ帰る。

「与織ちゃん。浮かない顔してなんかあった? ふう兄から与織ちゃんをよろしくって連絡あったけど」
「ううん? 疲れただけ。ふう君、他に何か言ってた?」

 マンションのエントランスに入り、エレベーターを待ちながら私は尋ねる。

「今日は実家泊まるって。いち兄も遠出してて帰って来ないし、今日は僕が与織ちゃん独り占めだ」

 みー君は、そう言って嬉しそうにフンワリとした癒し系の笑顔を見せた。

「私も今日はみー君に癒やしてもらお!」
「僕でよければいくらでも」

 私がみー君の腕にしがみつくと、みー君は私の頭をポンポンと撫でた。その感触に、私は違和感を覚えた。
 いや、正確には、さっき目が覚める直前に私の頭を撫でていたその感触に。

 あれって……みー君、なんだよね?

 優しく、でもなんだか……戸惑っているような。そんな感触に思えた。

 まさか……ね?

 主任が私の頭を撫でる理由なんてないんだから、そんなはずないと打ち消すように、私は小さく頭を振っていた。

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