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「おはようございます」
11月も早くも1週間以上が過ぎ、すっかり寒くなってきた日の午後。
今日は希海さんと、別のモデルさんとの撮影だ。最近は希海さんも香緒ちゃん以外の人を撮る事が増えた。そして、そこに私も時々入らせて貰っている。
ちなみに、香緒ちゃんは今新婚旅行代わりに北海道旅行に行っているのだ。
「あぁ。今日は頼む」
一旦モデルさんのメイクを終わらせてスタジオに入ると、先に入っていた希海さんを見つけて挨拶する。
希海さんは、クールな雰囲気そのままに、黒いサラッとした髪と切長の涼しげな目元。そして、表情も見事にクール……と言うより、ほとんど喜怒哀楽を表さない。
5年一緒に仕事をしているけど、大笑いしているところなんて、もちろん見たことはない。
でも、長く付き合っていると、さすがになんとなく表情は読めるようになって来た。
「この前、睦月さんと仕事したんだって?」
「え?あぁ。そうなんです。香緒ちゃん、とっても楽しそうでしたよ」
その時の事を思い出しながら、私は少し顔を緩めながら答えた。
「だろうな。香緒も家でそう言っていた」
「ただ……その時のデータはさすがに欲しいって言えなかったんですけどね」
希海さんとの仕事の時は、振り返りのためにその時のテストデータを送って貰っている。
毎回私は家に帰ると、その日メイクに使用したものを全て書き留めるようにしている。そして、その時の画像データがあれば、振り返りが有意義なものになるのだ。
けれど、さすがに初めて会った人に、いくらテストデータだと言っても、その人が撮った写真をおいそれと下さいとは言えなかった。
「別に……睦月さんは気にせずくれると思うが」
希海さんは淡々とそう言う。
確かに、言えば2つ返事でくれそうな雰囲気ではあったけど……。
そう考えていると、不意に人影が現れた。
「何の話してんの?」
あまりに突然で、思わず私は「ひゃっ!」と肩を揺らし驚いてしまった。
「何か俺の名前聞こえて来たからさ。ごめんね、驚かせて」
そう言って、また人懐っこい笑顔をその人は見せた。
「睦月さん。何故ここに?」
希海さんは一切動じた様子を見せずに尋ねている。その内容から、希海さんも知らなかったんだと思った。
「ん~?今日は希海が香緒以外を撮るって聞いたから見学させてもらおうと思って。なんせ俺、新人だから色々勉強したいしさ」
「……どうぞ。参考になるかは分かりませんが。……それより綿貫。さっきの話、睦月さんにしないのか?」
明と暗、そんな対照的な表情を見せる2人を頭上で聞いていると、突然そう振られて、私は顔を上げた。
「えっ?何?何?さっちゃん」
そこで私は大事な事を忘れている事に気づく。
どうしよう……どこかにヒントは……
内心慌てているけど、多分今の私は可愛げのない仏頂面なんだと思う。
そして、あくまでも冷静を装って口を開いた。
「あ、あの。睦月さん」
そこまで言うと、ぱぁぁっと睦月さんの顔がより笑顔になった。
「あ、下の名前で呼んでくれるんだ。呼んでねって言っても、すぐに呼んでくれる子いないから嬉しいな」
そう言って笑いじわを寄せたその顔を見て申し訳なくはある。まさか、苗字を忘れたから下の名前を呼んだなんて、口が裂けても言えない。
「えーと、それは置いといてですね。あの、この前撮った香緒ちゃんの撮影データ、もし良かったらテストのでいいので譲っていただけないかと……」
私が恐る恐る言うと、「うん。いいよ?カードで渡す方がいい?メールがいいなら後で教えて?」と、睦月さんは即答する。
「ありがとうございます。じゃあ、メールでお願いします」
ホッとしながら言うと、睦月さんはニコニコした顔を崩す事なく私に言う。
「じゃあ、交換条件……じゃないけど、俺と付き合ってくれない?」
サラッと言う睦月さんの顔を、あんぐりと口を開けながら私は見つめる。
「……え?」
それだけようやく呟くと、隣から訝しげな希海さんの低音ヴォイスが響く。
「睦月さん……。それはどう言う意味ですか?」
少しだけ顔を顰めて言う希海さんの方を見て、睦月さんは「ん?」と首を傾げる。
「あ、あぁ!ごめんごめん!そう言う意味じゃなくて、さっちゃんに仕事の話聞きたかっただけ!」
慌てた様子もなく、柔和な笑顔のまま睦月さんはそう言う。
そりゃそうか……変な受け取り方したのはこっちの方だ……
と、我に帰り睦月さんの方を見た。
「はい。それくらいなら大丈夫です」
私は真顔でそう答えた。
香緒ちゃんもそうだったけど、睦月さんと話をしている希海さんはなんだか楽しそうだ。
モニターを見ながらあれこれ話をしている2人の様子を、いつものように少し離れた場所から見てそう思う。
2人にとっては良き相談相手、身近なお兄さんって感じなのかな?
希海さんは長門さんの甥。長門さんの姉の息子だ。
香緒ちゃんの結婚式の時にはご両親も来られてて紹介された。お母様と長門さんは雰囲気のよく似た、色素の薄い茶色の髪。お父様はどこをどう見ても希海さんと親子と分かるくらい、希海さんにそっくりだった。
ただし見た目だけ。お父様の中身は、どちらかと言うと睦月さん寄りで、そのクールな見た目から発せられるへらっとした台詞に、しばらく脳内が着いていかなかった。
そんな事を考えている間に、撮影が終わったのか、周りのスタッフ達が片付けに入り始めた。
「さっちゃんお待たせ!」
そう言いながら、睦月さんが手を振りながら希海さんを伴ってやって来た。
「お疲れ様でした」
2人に頭をを下げると、「お疲れ」と希海さんが言った。
「じゃあ、さっちゃん今からいい?もう夕方だしご飯でも食べに行こうよ。希海はどうする?」
「俺は今から迎えがあるので、またの機会に」
希海さんが淡々と言う姿に、「えー!残念ー!って言うか、誰の迎え?」と至極残念そうに睦月さんは声を上げた。
「響ですが」
さも当たり前のように、何故そんな事を聞いた?くらいの顔で希海さんは答えた。
「あぁ!って、迎えに行ってんの?希海もマメだねぇ」
そう、感心したように睦月さんは答えている。
希海さんは恋人の送り迎えを時間の許す限りしているらしい。確かにマメだ。
彼らが恋人同士になる前も、なった後も知っているが、正直、希海さんがあんなに恋人を溺愛する人だと思わなくて驚いた記憶はある。
けれど、今ではすっかり私にとっては普通の光景だ。
例えそれが、人気俳優との秘密の恋でも。
香緒ちゃんにしても、希海さんにしても、愛する人に出会ってとても幸せそうだ。
私には分からない。
人を好きになるってどんな感じなんだろう?
誰かと付き合うどころか、いいなと思った人すら私にはない。
いつか……私にも、そんな人が現れるのだろうか?
それとも、現れないのだろうか。
それは自分にも分からない。分かるはずもない事だった。
11月も早くも1週間以上が過ぎ、すっかり寒くなってきた日の午後。
今日は希海さんと、別のモデルさんとの撮影だ。最近は希海さんも香緒ちゃん以外の人を撮る事が増えた。そして、そこに私も時々入らせて貰っている。
ちなみに、香緒ちゃんは今新婚旅行代わりに北海道旅行に行っているのだ。
「あぁ。今日は頼む」
一旦モデルさんのメイクを終わらせてスタジオに入ると、先に入っていた希海さんを見つけて挨拶する。
希海さんは、クールな雰囲気そのままに、黒いサラッとした髪と切長の涼しげな目元。そして、表情も見事にクール……と言うより、ほとんど喜怒哀楽を表さない。
5年一緒に仕事をしているけど、大笑いしているところなんて、もちろん見たことはない。
でも、長く付き合っていると、さすがになんとなく表情は読めるようになって来た。
「この前、睦月さんと仕事したんだって?」
「え?あぁ。そうなんです。香緒ちゃん、とっても楽しそうでしたよ」
その時の事を思い出しながら、私は少し顔を緩めながら答えた。
「だろうな。香緒も家でそう言っていた」
「ただ……その時のデータはさすがに欲しいって言えなかったんですけどね」
希海さんとの仕事の時は、振り返りのためにその時のテストデータを送って貰っている。
毎回私は家に帰ると、その日メイクに使用したものを全て書き留めるようにしている。そして、その時の画像データがあれば、振り返りが有意義なものになるのだ。
けれど、さすがに初めて会った人に、いくらテストデータだと言っても、その人が撮った写真をおいそれと下さいとは言えなかった。
「別に……睦月さんは気にせずくれると思うが」
希海さんは淡々とそう言う。
確かに、言えば2つ返事でくれそうな雰囲気ではあったけど……。
そう考えていると、不意に人影が現れた。
「何の話してんの?」
あまりに突然で、思わず私は「ひゃっ!」と肩を揺らし驚いてしまった。
「何か俺の名前聞こえて来たからさ。ごめんね、驚かせて」
そう言って、また人懐っこい笑顔をその人は見せた。
「睦月さん。何故ここに?」
希海さんは一切動じた様子を見せずに尋ねている。その内容から、希海さんも知らなかったんだと思った。
「ん~?今日は希海が香緒以外を撮るって聞いたから見学させてもらおうと思って。なんせ俺、新人だから色々勉強したいしさ」
「……どうぞ。参考になるかは分かりませんが。……それより綿貫。さっきの話、睦月さんにしないのか?」
明と暗、そんな対照的な表情を見せる2人を頭上で聞いていると、突然そう振られて、私は顔を上げた。
「えっ?何?何?さっちゃん」
そこで私は大事な事を忘れている事に気づく。
どうしよう……どこかにヒントは……
内心慌てているけど、多分今の私は可愛げのない仏頂面なんだと思う。
そして、あくまでも冷静を装って口を開いた。
「あ、あの。睦月さん」
そこまで言うと、ぱぁぁっと睦月さんの顔がより笑顔になった。
「あ、下の名前で呼んでくれるんだ。呼んでねって言っても、すぐに呼んでくれる子いないから嬉しいな」
そう言って笑いじわを寄せたその顔を見て申し訳なくはある。まさか、苗字を忘れたから下の名前を呼んだなんて、口が裂けても言えない。
「えーと、それは置いといてですね。あの、この前撮った香緒ちゃんの撮影データ、もし良かったらテストのでいいので譲っていただけないかと……」
私が恐る恐る言うと、「うん。いいよ?カードで渡す方がいい?メールがいいなら後で教えて?」と、睦月さんは即答する。
「ありがとうございます。じゃあ、メールでお願いします」
ホッとしながら言うと、睦月さんはニコニコした顔を崩す事なく私に言う。
「じゃあ、交換条件……じゃないけど、俺と付き合ってくれない?」
サラッと言う睦月さんの顔を、あんぐりと口を開けながら私は見つめる。
「……え?」
それだけようやく呟くと、隣から訝しげな希海さんの低音ヴォイスが響く。
「睦月さん……。それはどう言う意味ですか?」
少しだけ顔を顰めて言う希海さんの方を見て、睦月さんは「ん?」と首を傾げる。
「あ、あぁ!ごめんごめん!そう言う意味じゃなくて、さっちゃんに仕事の話聞きたかっただけ!」
慌てた様子もなく、柔和な笑顔のまま睦月さんはそう言う。
そりゃそうか……変な受け取り方したのはこっちの方だ……
と、我に帰り睦月さんの方を見た。
「はい。それくらいなら大丈夫です」
私は真顔でそう答えた。
香緒ちゃんもそうだったけど、睦月さんと話をしている希海さんはなんだか楽しそうだ。
モニターを見ながらあれこれ話をしている2人の様子を、いつものように少し離れた場所から見てそう思う。
2人にとっては良き相談相手、身近なお兄さんって感じなのかな?
希海さんは長門さんの甥。長門さんの姉の息子だ。
香緒ちゃんの結婚式の時にはご両親も来られてて紹介された。お母様と長門さんは雰囲気のよく似た、色素の薄い茶色の髪。お父様はどこをどう見ても希海さんと親子と分かるくらい、希海さんにそっくりだった。
ただし見た目だけ。お父様の中身は、どちらかと言うと睦月さん寄りで、そのクールな見た目から発せられるへらっとした台詞に、しばらく脳内が着いていかなかった。
そんな事を考えている間に、撮影が終わったのか、周りのスタッフ達が片付けに入り始めた。
「さっちゃんお待たせ!」
そう言いながら、睦月さんが手を振りながら希海さんを伴ってやって来た。
「お疲れ様でした」
2人に頭をを下げると、「お疲れ」と希海さんが言った。
「じゃあ、さっちゃん今からいい?もう夕方だしご飯でも食べに行こうよ。希海はどうする?」
「俺は今から迎えがあるので、またの機会に」
希海さんが淡々と言う姿に、「えー!残念ー!って言うか、誰の迎え?」と至極残念そうに睦月さんは声を上げた。
「響ですが」
さも当たり前のように、何故そんな事を聞いた?くらいの顔で希海さんは答えた。
「あぁ!って、迎えに行ってんの?希海もマメだねぇ」
そう、感心したように睦月さんは答えている。
希海さんは恋人の送り迎えを時間の許す限りしているらしい。確かにマメだ。
彼らが恋人同士になる前も、なった後も知っているが、正直、希海さんがあんなに恋人を溺愛する人だと思わなくて驚いた記憶はある。
けれど、今ではすっかり私にとっては普通の光景だ。
例えそれが、人気俳優との秘密の恋でも。
香緒ちゃんにしても、希海さんにしても、愛する人に出会ってとても幸せそうだ。
私には分からない。
人を好きになるってどんな感じなんだろう?
誰かと付き合うどころか、いいなと思った人すら私にはない。
いつか……私にも、そんな人が現れるのだろうか?
それとも、現れないのだろうか。
それは自分にも分からない。分かるはずもない事だった。
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