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出てきた料理はどれも美味しくて少し気分が晴れる。つい酒も進み、2本目を頼んだところで隣に客がやって来た。
「おじさん!酒ちょうだい!冷やでグラスにして!」
勢いよくそう言うと、隣に座ったその男は、座るなり盛大に息を吐き出した。
「どうした健太!何かあったのか?」
店主がそう言いながら言われた通りに酒を差し出している。名前を呼ぶということは、知り合いなのだろうかと隣の男を盗み見ると、男は受け取った酒を乱暴にグラスに注いでいた。
さっちゃんと……同じくらいかな?たぶん20代の半ばくらい。
会社帰りなのかスーツ姿で、キャメル色のビジネスコートも脱がずに座っていた。
「お、おいっ健太!」
店主が慌てたように静止するのも聞かず、健太君はグラスの酒を水のように飲み干して、ダンッ!とテーブルにそれを置くと、そのまま突っ伏した。
「ほんと、やってらんねぇよぉ!」
くぐもったそんな声が聞こえて来て、思わず俺は店主と顔を見合わせる。店主は困ったように眉を顰めて口を開く。
「悪いな兄さん。こいつ田舎の知人の息子なんだ。普段こんな飲み方する奴じゃないんだけどな。騒がしくて申し訳ない」
そう言って店主は頭を下げる。
「いえいえ。誰にだって飲みたい時はありますよ」
そう言って笑顔を浮かべて返すと、突然健太君は起き上がり、俺の方を向いた。
「そうなんですよぉ~!お兄さんっっ!」
すでに酔っ払っているかのように俺に絡み始めた彼は、こうなった経緯を俺に話し出した。
「振られたんです。ついさっき。俺、今年の4月に転勤してきたばっかで、田舎に彼女残して来たんです。しがない田舎の営業所から本社に転勤なんて滅多にある事じゃなくて、その時は喜んでくれたんですけど……」
そう言いながら、また健太君は酒をグラスに注ぎ始める。
さすがに何も食べずに酒だけってのは……と、俺は残っていた魚の唐揚げを「食べる?」と差し出した。
「ありがとうございます!」と健太君はそのまま手掴みしてそれを口に放り込み続ける。
「今日も休日出勤で。彼女からメッセージ来てるのに気づかなくって。で、仕事終わりに電話したら、仕事と私、どっちが大事なの?って。ほんとにこんな事言われるんですね……」
そう言って健太君は、今度はゆっくりとグラスに口をつけた。
俺はその様子を見守りながら、黙って耳を傾けた。
「俺、どっちも、って答えたんです。だって比べられないし。そしたら、嘘でも私って言って欲しかった。もう2度と連絡してこないでって」
そこまで言って、健太君は大きく息を吐き出した。
俺にも似たような経験はある。と言うか、結構言われたかも知れないこのセリフ。
『私と司、どっちが大事なの?』
俺にとって、司=仕事みたいなもので、何でそんな話になるんだ?と俺はいつも思っていた。
付き合っていた彼女より司を優先してたつもりはないし、大事なのは両方だから選ぶなんて出来なかった。
だから、健太君の気持ちは痛いほど分かった。
「お兄さんはモテそうだから、振られた事なんてないんでしょうね」
さすがに酒のせいで赤くなってきた顔を向けて、健太君は恨み言のように俺に言う。
「何言ってんの!俺、振られっぱなしだよ?」
笑って返すと、健太君は意外そうに目を開く。
「え?凄く優しそうなのに?」
あはは……と俺は乾いた笑いを溢す。
「優しいから振られるんだって。友人に言われた」
そう。ニューヨークに住む、気の置けない年下の友人達。
1人はジュエリーショップのデザイナーでオーナー。もう1人はその公私共のパートナー。
彼女達とは、ニューヨークに住み始めてすぐに出会った。俺より遥かに年下なのに、年上みたいにしっかりしてて、振られた俺を叱咤激励してくれる事はよくあった。
こっちに戻る少し前もそうだ。
理由を言わずに飲みに誘うと、あっという間に『また振られたんだ?』なんて笑われた。
その時にも、こんな話になったっけ。
『ムツキは、付き合ってる子とそれ以外が困っていたら、両方助けようとする。それ、止めなよ』
シャギーの入ったボブの金髪を揺らしながら、彼女は辛辣な事を言う。
『だってさ、困ってたら助けたくならない?』
騒がしいバーでビールジョッキ片手に俺はそう返す。
『ならないね。本当に大事な人以外どうでもいいし。それに、ムツキが助けなくても、誰かが助ける。それでいいんじゃないの?』
『そんなもん?』
『そんなもんだよ。そうだな。ツカサを捨ててでも大事にしたい人が現れたら本物かな』
そんな事を冗談めかして言いながら、彼女はビールを豪快に飲んでいた。
そんな簡単にはいかないよ……
俺はその時の事を思い出してそう思う。
「優しいじゃダメなんですかねぇ……。女って難しいですね」
健太君は、またグラスの酒をゴクリと飲むとそう言う。
「ほら健太!お前飲んでばっかりじゃなくて食え!」
タイミングを見ていたのか店主が皿を差し出し、健太君はちくわの乗ったそれを受け取ると、「わかってるって」とバツの悪そうな顔を見せた。
「何かの縁だし、今日は俺が奢るよ。好きなもの食べたら?」
俺がそう言うと、健太君は「やった!」とようやく笑顔を見せた。
「おじさん!酒ちょうだい!冷やでグラスにして!」
勢いよくそう言うと、隣に座ったその男は、座るなり盛大に息を吐き出した。
「どうした健太!何かあったのか?」
店主がそう言いながら言われた通りに酒を差し出している。名前を呼ぶということは、知り合いなのだろうかと隣の男を盗み見ると、男は受け取った酒を乱暴にグラスに注いでいた。
さっちゃんと……同じくらいかな?たぶん20代の半ばくらい。
会社帰りなのかスーツ姿で、キャメル色のビジネスコートも脱がずに座っていた。
「お、おいっ健太!」
店主が慌てたように静止するのも聞かず、健太君はグラスの酒を水のように飲み干して、ダンッ!とテーブルにそれを置くと、そのまま突っ伏した。
「ほんと、やってらんねぇよぉ!」
くぐもったそんな声が聞こえて来て、思わず俺は店主と顔を見合わせる。店主は困ったように眉を顰めて口を開く。
「悪いな兄さん。こいつ田舎の知人の息子なんだ。普段こんな飲み方する奴じゃないんだけどな。騒がしくて申し訳ない」
そう言って店主は頭を下げる。
「いえいえ。誰にだって飲みたい時はありますよ」
そう言って笑顔を浮かべて返すと、突然健太君は起き上がり、俺の方を向いた。
「そうなんですよぉ~!お兄さんっっ!」
すでに酔っ払っているかのように俺に絡み始めた彼は、こうなった経緯を俺に話し出した。
「振られたんです。ついさっき。俺、今年の4月に転勤してきたばっかで、田舎に彼女残して来たんです。しがない田舎の営業所から本社に転勤なんて滅多にある事じゃなくて、その時は喜んでくれたんですけど……」
そう言いながら、また健太君は酒をグラスに注ぎ始める。
さすがに何も食べずに酒だけってのは……と、俺は残っていた魚の唐揚げを「食べる?」と差し出した。
「ありがとうございます!」と健太君はそのまま手掴みしてそれを口に放り込み続ける。
「今日も休日出勤で。彼女からメッセージ来てるのに気づかなくって。で、仕事終わりに電話したら、仕事と私、どっちが大事なの?って。ほんとにこんな事言われるんですね……」
そう言って健太君は、今度はゆっくりとグラスに口をつけた。
俺はその様子を見守りながら、黙って耳を傾けた。
「俺、どっちも、って答えたんです。だって比べられないし。そしたら、嘘でも私って言って欲しかった。もう2度と連絡してこないでって」
そこまで言って、健太君は大きく息を吐き出した。
俺にも似たような経験はある。と言うか、結構言われたかも知れないこのセリフ。
『私と司、どっちが大事なの?』
俺にとって、司=仕事みたいなもので、何でそんな話になるんだ?と俺はいつも思っていた。
付き合っていた彼女より司を優先してたつもりはないし、大事なのは両方だから選ぶなんて出来なかった。
だから、健太君の気持ちは痛いほど分かった。
「お兄さんはモテそうだから、振られた事なんてないんでしょうね」
さすがに酒のせいで赤くなってきた顔を向けて、健太君は恨み言のように俺に言う。
「何言ってんの!俺、振られっぱなしだよ?」
笑って返すと、健太君は意外そうに目を開く。
「え?凄く優しそうなのに?」
あはは……と俺は乾いた笑いを溢す。
「優しいから振られるんだって。友人に言われた」
そう。ニューヨークに住む、気の置けない年下の友人達。
1人はジュエリーショップのデザイナーでオーナー。もう1人はその公私共のパートナー。
彼女達とは、ニューヨークに住み始めてすぐに出会った。俺より遥かに年下なのに、年上みたいにしっかりしてて、振られた俺を叱咤激励してくれる事はよくあった。
こっちに戻る少し前もそうだ。
理由を言わずに飲みに誘うと、あっという間に『また振られたんだ?』なんて笑われた。
その時にも、こんな話になったっけ。
『ムツキは、付き合ってる子とそれ以外が困っていたら、両方助けようとする。それ、止めなよ』
シャギーの入ったボブの金髪を揺らしながら、彼女は辛辣な事を言う。
『だってさ、困ってたら助けたくならない?』
騒がしいバーでビールジョッキ片手に俺はそう返す。
『ならないね。本当に大事な人以外どうでもいいし。それに、ムツキが助けなくても、誰かが助ける。それでいいんじゃないの?』
『そんなもん?』
『そんなもんだよ。そうだな。ツカサを捨ててでも大事にしたい人が現れたら本物かな』
そんな事を冗談めかして言いながら、彼女はビールを豪快に飲んでいた。
そんな簡単にはいかないよ……
俺はその時の事を思い出してそう思う。
「優しいじゃダメなんですかねぇ……。女って難しいですね」
健太君は、またグラスの酒をゴクリと飲むとそう言う。
「ほら健太!お前飲んでばっかりじゃなくて食え!」
タイミングを見ていたのか店主が皿を差し出し、健太君はちくわの乗ったそれを受け取ると、「わかってるって」とバツの悪そうな顔を見せた。
「何かの縁だし、今日は俺が奢るよ。好きなもの食べたら?」
俺がそう言うと、健太君は「やった!」とようやく笑顔を見せた。
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