四月一日

杉本けんいちろう

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ー第三章ー

変化

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私は正直、変わった。

お父さんが突然現れたあの日以来、お父さんの胸で涙を流したあの日以来、自分でも不思議なほどに気が休まっている事に気付いた…。
それは、今まで異性自体に、ここまで親身になられた事がなかったっていう事実が、自然と恥じらいと安らぎに変わっているのかもしれないのだけど。

少し素直になった自分がいる…。

猜疑心で埋め尽くされた体から、一筋の幼心。それは、無邪気で疑う事を知らない、生まれたまんまの形…。お父さんとのやり取りは、心の柵を解き始めたのだ。

『ねぇ、お父さん…。いる?』

『どうした?ここにいるぞ!』

『お父さん、私ね、お母さんの所に行きたい。』

『彩子…。』

『だって話しくらい出来るんでしょ?』

『…。』

『お父さん…?』

『…それがな、彩子。優子は、まだ、ほとんど口はきけない状態なんだ。自分でやったとは言え、体のショックは、思いの外、大きいみたいでな…。』

『そうなの…。』

『ああ。だから、彩子の気持ちも分かるが、今は、待つしかないんだ。』

『でもさ、私の声を聞いたら何か反応してくれるかもよ!?』

『そうだよな。それは、私も思ったんだが、中々、先生の許しが出なくてな。』

『何でよ!?私とお母さんが会うと何か問題があるわけ!?どうせ二人共見えないのに!声を掛け合うぐらい別にいいじゃない!』

『彩子…。分かった。お父さんがもう一度、先生にお願いしてみよう。』

『うん。ありがとう。』

『だけど、彩子の口から、それを言ってもらえて正直、ホッとしたよ。』

『え、何で?』

『いや、もしかしたら、彩子は、こんなバカげた行動を取ったお母さんに愛想を尽かしてるかと思っててな。』

『そんなはずないじゃない!ってゆーか、バカげた行動って…。それを、無下ににするなって言ったのは、お父さんでしょ!?私は、その言葉で、いかにお母さんが私の事を想ってくれてるのか、改めて気付かされたんだから。私が、お母さんを嫌うはずがないわ。』

『彩子…。』

『今まだ、お母さんの容態が良くならないなら、今度は、私が、力になってあげる番でしょ!?』

『彩子…。立派に成長してくれたな。私は、あの時の過ちを犯した自分と、この約十一年間も彩子の成長に関われなかった事が本当に悔しい。』

『お父さん…。』

『だからこそ、ここまでやってきてくれた優子には、感謝し尽くせないんだ。私は、大事な二人が、こうなった今、今までの反省と感謝の念を込めて、私の人生を懸けて二人を支えて行くと決めてここに来たんだ。』

『それで仕事も?』

『ああ、理解ある会社でな…。今は、休ませてもらってるんだ。彩子が心配する事は、何一つないぞ!だから、本当に遠慮しないで気ままに注文つけてくれていいんだからな。』

『お父さん…。』

『とりあえず、すぐにでも先生に優子の事を掛け合ってみるからな。』

『お父さん…。でも、あんまり無理しないでいいからね。』

『大丈夫!言ったろ!?彩子は、何も心配しなくていいんだって!』

『うん…。』

病院生活になって、この二ヶ月の間、私は、自分の感情の起伏の激しさと一緒に、自分の心の弱さを醜いほどに露呈し続けた。
それを受け止めてくれる、支えてくれる人の存在を、そして、その温かさ、安心感の偉大さを、私は、思い知らされたのだった。
お母さんにしても、お父さんにしても、突然背負った重いリスクを全く悲観してない事に本当に驚かされる。逆に、二人共それを望んでいたかのように送る毎日に、私は、前よりも笑顔を見せる回数を増やそうと心に決めた。
それが、二人に対する私なりの感謝の姿勢と…。

お父さんは、今、休職中…。だから、朝から晩まで丸一日、病院にいて世話をしてくれる。それは決して、その姿が見えずとも、その懸命さが伝わってくるほど…。だから、余計に重荷になりたくないと思い始めた私がいた。

それは、その日は一度、会社に寄らなきゃいけないと、お父さんが、たまたま居ない夕方の事だった。
ふと、私は試したくなった。病院に来てから一度も、一人じゃ何もしていない。ベッドから降りてすらもいない…。周りに何があるのかも当然、分からない状態で思い切って己の力を試してみたのだ。

独り立つ意味も込めて…。

まずは、真っ暗な布団をめくり上げ、真っ暗なベッドから降りる。真っ暗な床は、意外と遠く、足先で恐る恐る、その空間をなぞる…。すぐに吊りそうになる足に、すっかり鈍りきった体を悲観しながら、やっとの思いで床を見つける。支えなくしては、もはや立つ事さえもままならないこの事実。ましてや歩く事なんて…。
スリッパの場所も分からないから、裸足のまま冷たい床をすり足で、手で暗闇を泳ぎながら、少しずつ、少しずつ進む。とにかく、壁を目掛けて…。

『もう!どこ!?』

中々、届かない壁に苛立ちながらも意外と広かったこの病室の事実を知れた事が、少し嬉しかった…。そして、奇跡的にもドアの取っ手を発見し、弱い力でも開けられる引き戸をゆっくりと引いた。すると、病室に閉じこもっていた時とは、明らかに違う音に感動を覚え、もっと、もっと前へ進もうと囃し立てる自分がいた。

『…そう言えば、お母さんは、すぐ隣の病室にいるって言ってたな。』

その、お父さんの言葉を思い出すと、お母さんの所に行きたいという思いが強くなり、無心で壁伝いに暗闇を泳いだ。

一体、どれだけ進んだのか…。

『すぐ隣って言ってたのに…!』

全然、隣の部屋が見付からず、そして、完全に方向感覚を失った私は、もはや迷子と化していた…。
本気で暗闇に溺れる私の姿は、果たして端から、どう見えているのか、必死になりながらも冷静に哀れな自分を分析していた。

その時だった!

『…大丈夫!?』

聞き覚えのある女の子の声…。

『す、すいません!ありがとうございます…。』

『…ホントに何も見えてないのね。』

『え?だ、誰ですか!?』

『ちょっと待っててね!すぐ誰か連れて来るから!動いたらダメよ!』

『はい…。』

一体誰だったんだろう。全然あの人は、私の事を知ってる風だった。
その人は、そう言うと、どこかへ行ってしまった。でも、すぐに看護師さんを連れて戻って来た。

『あ、あそこです!』

『ちょっと彩子ちゃん!何してるの!?』

少し怒り気味の有田さんが、駆け付けて来たようで…。それでも優しく私をベッドの上にまで送ってくれた。

『もう!彩子ちゃん!ダメじゃない!一人で歩こうとするなんて!』

『ごめんなさい。お母さんに会いたくて…。』

『彩子ちゃん…。気持ちは、分かるけど、お願いだから一人で行こうとするのは止してちょうだい!』

『はい…。』

『お願いよ!本当に…。』

『あ!ねぇ有田さん!さっきの女の子は?』

『女の子…?ああ!あの子もね、ここの患者なの。』

『入院してるの?』

『そう。最近入院したの。夏希ちゃんて言うの。』

『え!?夏希…?』

『そうそう!彩子ちゃんと同じ中学三年生よ!』

『え?…有田さん、もしかしたらその子、知り合いかも。』

『あら!そうなの?同じ学校の子?』

『たぶんだけど…。有田さん、その子、呼んできてもらえないですか?助けてくれたお礼もしたいし。』

『ええ、良いわよ。今、連れて来てあげるわね!』

ホントに、あの夏希なのかしら。私を、いじめ続けて来た、あの夏希なのかしら。でも、何で入院したんだろう?何か病気でもしたのかな…。

『彩子ちゃん!お待たせ!連れて来たわよ!さ、入って!入って!』

『え、あ、はい…。』

『じゃあね、彩子ちゃん!私は、出て行くから気の済むまでお話して!』

『あ!有田さん、ありがとう!』

『いーえ!どういたしまして!じゃあね!夏希ちゃん、ごゆっくり!』

『はあ…。』

『あ、あの!何かすいません!ってか、さっきは、ありがとうございました!』

『い、いや!私は、看護師さん呼んだだけだから…。』

『…あの、間違ってたらごめんなさい。もしかして、夏希?上田夏希?』

『…え?い、いや、違います。』

『そ、そうですか…。ごめんなさい。てっきり同じ学校の子かと思っちゃって。』

『友達にも夏希っているの?』  

『んー、友達って言うか、全然、私なんか相手にされてなかったけど…。あ!私、岡崎彩子って言います。』

『そうなんだ…。私は、上野夏希です。』

『上野…、夏希。凄い!名字までそっくりなんて!しかも、同じ中学三年なんて!え!まさか字は?夏に希望で夏希?』

『そうだよ。私も、びっくり。』

『ねー!そんな事あるんだね。』

『…ねぇ彩子ちゃん。聞いてもいい?』

『何?』

『…何で失明しちゃったの?』

『…え!うーん、それがね、未だ原因が分かってないんだ。先生達も、こんなの初めてだって困ってるみたい。』

『そうなんだ…。怖い?』

『うん、怖いよ。だって、何をどうやっても真っ暗闇なんだよ?毎日が怖くて、怖くて、堪らないわよ。でも、その"お陰"で分かった事もあるから。目が見えないのは確かに辛いけど、それまで見えなかった事が見えたりもするから。』

『彩子ちゃん…。』

『夏希ちゃんは?何で入院してるの?』

『私は、ちょっとしたケガでね…。』

『ちょっとしたって…。でも入院するほどのケガって…、大丈夫なの?今、ちゃんと歩けてるの?ってか座ってる?無理しないでよ?』

『ありがとう。大丈夫だよ。そこまで酷いわけじゃないから。それに、すぐ退院する予定だから。彩子ちゃんて、優しいんだね。』

『そ、そんな事ないよ!そんなの人としてフツーだよ。』

『フツーか…。』

『ケガ、大した事ないんだ。良かった!でも、すぐ退院しちゃうんだ…。それはそれで寂しいな。せっかく、お話し出来たのに。』

『そうだね…。分かった。退院しても時々、お見舞い来るね。』

『ホントに!?嬉しい!…夏希ちゃん、私達ってもう、友達…?』

『…うん。友達だよ。』

『ホントに!?…夏希ちゃん私ね、実は、いじめられっ子だったんだ。』

『え…。』

『友達が一人もいないの。今こうなった以上、もう学校に戻るのは無理だから、私の過去を知ってる人と会う事はないんだけど、私は、夏希ちゃんには全部を話すね。だって私の初めての友達だもん。隠し事はイヤ…。』

『彩子ちゃん…。』

『だから、夏希ちゃんも何も隠し事とかしないで何でも話してね。までも、夏希ちゃんの顔は、ずっと分からないんだけどね…。』

『彩子ちゃん…。うん。隠し事なんてしないよ。じゃあ今度、私の話も聞いてね。』

『もちろん!何でも、何でも話してね!』

夏希ちゃんは、そう言い残すと少し慌てたように自分の病室に戻って行った。

ただ、そのまま、もう二度と来る事はなかった…。

何でだろう。分からない。私がいじめられっ子って言ったから、嫌になっちゃったのかな。せっかく出来た友達だったのに。初めて出来た友達だったのに…。

だけど実は、これには裏があった。私の全く知り得ない所で…。

そんな事を知る由もないその夜は、今までにない嬉しさが溢れ過ぎて、眠れない初夏の風が心地良い夜でした…。
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