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ー第三章ー
大沢みなみ
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『ちょ、ちょっと!廊下を走らないで下さい!』
『歩実ー!』
『みなみちゃん!』
『おばさん!一体誰が!誰が、こんな事を!』
『みなみちゃん…。』
『歩実!分かる!?私!みなみだよ!?ウゥッ…!ウゥッ…!もう!誰が、こんな事を!ウゥッ…!』
私は、涙が止まらなかった。私の唯一の親友、歩実の無惨な姿を見て、悔しくて悔しくて…。
『私、絶対許さないから!歩実を、こんな事した奴、私、絶対許さないから!私が、捕まえてやるわよ!』
私が、あの時、歩実を呼び出さなかったら。カラオケなんか行かずに帰ってれば。そもそも海になんか行かなければ。こんな事には…。私には、歩実を一生、守らなきゃいけない責任が出来た。
歩実とは、幼稚園の時から、何をするのもずっと一緒。ちょっと天然もあって、小動物みたいに可愛くて。でも、人見知りで気が小さいから、私が近くにいて守ってあげなきゃ。歩実とは、それが必然だった。歩実も、私を頼りにしていたのが明らさまだった。私が一緒にいないと心から笑っていない。そう感じる程、私と歩実の間には、誰にも邪魔出来ない絆があった。
その歩実をボロボロに傷付けた、あの一件。私は、歩実を守るのは私の義務と、その役割を果たせなかった事。何より、私のせいでこんな事になってしまった事に、自分自身を許せないでいた。
『バカな事を言わないで!みなみちゃんは、何も悪くない!当たり前でしょ!?誰が、みなみちゃんを責めるの!そんな奴がいたら私が許さないわ!』
『おばさん…。でも…!』
『いい?みなみちゃん!みなみちゃんは、今まで散々、歩実の力になってくれた。それは、母親の私でも頭が上がらないくらい。心から感謝してるの。』
『そんな、私は…。』
『これから、みなみちゃんには歩実の為に益々、頼らなくてはならなくなる。私の力だけでは、どうにもならないの。絶対的にみなみちゃんの力が歩実には必要なの。だから、お願い!もう二度と、私にも歩実にも謝らないで!むしろ頭を下げなきゃいけないのこっち!歩実を傷を癒す為に、みなみちゃんの力を貸して下さい!お願いします!』
『おばさん!やめて下さい!そんなの当たり前です!私は、一生、歩実を守る!もう幼稚園の時から、そう決めてるんです!誰よりも歩実の側にいますから!』
『みなみちゃん…。ありがとう。』
歩実が、立ち直るまでには時間がかかった。あの一件が起こったのは夏休みの終わり。当然、学校にも行けず、退院してからは家に引きこもったまま。私は毎日、歩実の家を訪れ、歩実に寄り添い、今日あった事や、たわいも無い話しを交わした。それでも、歩実は、ほとんど笑う事をしなかった。テレビを観ても、漫画を読んでも、まるで忘れてしまったかの様にほとんど笑う事をしなかった。
『おばさん…。』
『ど、どうしたの?みなみちゃん!』
『私は、もう、どうしたら良いか分からないよ!どうしたら歩実が笑ってくれるのか分からないよ!ウゥ…。』
『みなみちゃん…。大丈夫よ!あと少し時間がかかるだけよ!大丈夫!大丈夫だから!』
『おばさん…。』
『歩実は、必ず笑顔を取り戻してくれるわ。だから、もう少し。もう少し待ちましょう。』
『はい…。』
『…お母さん。』
『歩実!どうしたの?』
『なんか、気持ち悪い…。』
『え?』
『ここんとこ、ずっと、なんか気持ち悪いの…。ウッ!』
『歩実!』
歩実が妊娠していると分かったのは、あれから一カ月経った日の事。私もおばさんも、笑う事すら忘れてしまった歩実に、更なる追い討ちをかける悲劇だと危惧していた。
でも、違った。
歩実は、命を宿したお腹をさすりながら笑っていた。私には、とてもじゃないけど理解出来なかった。もちろん、それは私だけではなかった。
『何を言ってるの!バカ事を言わないで!』
歩実は、産むと言い放った。
『どうしてよ!?愛した人の子供を産むならまだしも!あんた!それが誰の子なのか分かって言ってるの!?』
私も、もちろん反対だった。でも、お腹をさすりながら微笑む歩実の顔をみたら、頭ごなしに反対論をぶつける気力を萎えさせた。
『…おばさん、たぶん、もう何を言ってもダメだよ。』
『みなみちゃん…。』
『だって、あの顔、見てよ。あの笑顔を誰が奪うの?ここでまた、歩実を傷付けたら、歩実はもう一生笑わなくなる気がする。』
『みなみちゃん、でも…!』
『おばさん!私も、歩実を支えます!だから、お願い!産ませてやって下さい!お願いします!』
『お母さん!お願いします。私は、この子を殺したくない。』
『歩実…。』
産める事の許しを得た、あの歩実の満面の笑みを私は、二度と忘れる事は無いだろう。歩実は、そのまま二度と学校に戻る事はなく、退学した。学校では、もちろん色んな憶測を呼んで嫌な噂が飛び交っていた。
『聞いた?歩実、ついに完全にボケちゃったらしいよ。』
『え?そうなの?私は、実は自殺したんじゃないかって聞いたよ。』
『そうなの?私は…。』
歩実は、あまり学校で友達が多い方ではなかった。家からは大分離れた共学の高校。口数も少なく、ほぼ私といたから、私を介さないと人と馴染めないでいた。でも、今となっては、それが幸いしたのかもしれない。まさか、強姦魔の子供を産むなんて事実を誰にも知られずに済んだ。もちろん、みんな私に真実を問い質しに来た。
『さあ…。もはや、私にも何も喋ってくれないから。私も、もう知らない。』
私は、まるで親友を裏切った奴かの様に、学校では、態度を翻して歩実の存在を忘れさせる事に努めた。それが、歩実と生まれてくる子供の為だと思ったから…。
『…もしもし?みなみちゃん?生まれたわ!生まれたわよ!元気な男の子よ!』
『ホントですか!?すぐ行きます!』
凛ちゃんが生まれた時、私は、誰よりも嬉しくて泣いたかもしれない。それだけ、私には安堵する瞬間だった。もし流産でもしたら。もし死産だったら…。私は、もう二度と笑わなくなった歩実を見たくなかった。だから、無事に生まれた凛ちゃんを見た時、凛ちゃんを嬉しそうに嬉しそうに抱く歩実を見た時、自然と涙が溢れて来た。
『もう!何で、みなみがそんなに泣くのよ!』
『歩実…。だって、だって…。』
『みなみ、ありがとね。この子の事を、そこまで喜んでくれるのは、やっぱり、みなみだけだよ。』
『歩実…。』
十九歳の秋ー。私は、進学した大学の友達から久々に合コンに誘われた。相手はエリート商社マン。都内の平凡女子大生が一体どこで、そんな人達と知り合うのか。
『はあ?そんなのクラブだよ。クラブ。週末クラブに行けば、そんなん幾らでも転がってるよ。みなみもたまには行こうよ!バカな男ばっかで楽しいよぉ!』
私も、どちらかと言えば社交的な方だけど、それを平然と超越してくるイマドキ女子大生の神懸かり的な社交能力と行動力には頭が下がる。
『あ!ねぇ、その合コンさぁ、私の地元の友達連れてっても良い?』
『うん、別に良いけど…。どんな子?』
『顔は可愛い子なんだけど、ちょっと引っ込み思案でさ。彼氏が長い事いないから、どうにかしてあげたいんだよね。』
『なるほど!オッケー!オッケー!そういう事なら協力する!する!』
『ホント?ありがとう!』
私は、このチャンスを生かさない手はないと思った。凛ちゃんが生まれてから、当たり前の様に切羽詰まったギリギリの生活を強いられている歩実を、半ば強引に誘い出し、貧困生活からの脱却の兆しを探しに出た。
『歩実、分かった?良い人がいたら直ぐ言いなよ?みんなで協力して後押ししてあげるから!』
『みなみ…。うん、分かった。』
『よし!んじゃ行くよ!』
『どうもぉ!すいません!遅くなりましたぁ!』
『お!来た来た!ちょっとぉ!遅いよぉ!時間厳守!時間厳守!』
『すいませ…!』
『え?どうしたの?みなみ?』
『え、あ、うーうん!何でもない!何でもない!はい!座ろ!座ろ!』
私は、相手の男の顔を見て驚愕した。手も小刻みに震え出し、明らかに動揺を隠しきれなくなっていた。
『…はい!次!零児!』
『あ、はい!沢木零児です。京大卒の入社三年目。この中じゃ一番下っ端のぺーぺーなんで、お手柔らかにお願いします。』
『ええー!沢木さん京大卒なんですか!?すごーい!』
『お前、汚ねぇよ!大学名出すなよ!反則だよ!反則!』
『え?ダメでした?すんません…。』
『えー!ちょっと、沢木さん!そんな凹まなくても良くない?』
『ゴメンねぇ!コイツさぁ、ちょっと真面目過ぎるんだよね!だから気にしないであげてよ!』
『すんません…。』
『あは!まだ謝ってる!沢木さん、可愛いい!』
沢木零児…。本当にこの人、こんなキャラなの?京大卒?真面目過ぎる?名前こそ初めて聞いたけど、私は絶対、忘れはしない、あの日の事。
この顔!間違いない!絶対、あの時のアイツだ!
私は、居ても立っても居られず、正直、あの時の様な恐怖もあったが、沢木さんがトイレに立った時を見計らって、誰にも見られない影へ沢木さんを連れ出した。
『ちょ、ちょっと!みなみちゃん何?どうしたのさ?』
『すいません!あの…。あの、沢木さん!私の事、覚えてないですか?』
『え!?』
『五年前の九月三十日。夜の世田谷…。』
『五年前…?世田谷!?え!?嘘だ!何で!?』
『やっぱり…。思い出しましたね。あの日、私の事を強姦しようとして失敗し…!』
『やめろ!』
『ンー!ンー!』
『あ、ごめん!』
『…その口を塞ぐ手の感じも。間違いないです。沢木さん、やっぱり、あの時の犯人ですね。』
『…そうだよ。で、どうするんだ?警察に突き出すのか!?バラすのか!?バラすのか!?』
『沢木さん、一体どっちが本当の沢木さんなんですか?』
『あ?』
『私を殺すと脅した時の沢木さんと、今の真面目な沢木さん。一体、どっちが…。』
『俺にも、よく分からない…。あの時は、俺も顔を見られたショックで我を忘れてたから。相当、首もキツく締めたろ?危うく殺してしまう所だった。でもギリギリの所で思い留まった。でも、このままじゃ俺は、捕まると思ったから目一杯、脅しをかけるしかなかったんだ。でも、捕まるのは時間の問題だと思ってた。あの女子高生がホントに黙ってる訳がない。俺は、毎日毎日、恐怖に怯えていた。今思えば、それからかもしれない。こんなにも何事にも一生懸命に取り組むほど真面目になったのは…。正確に言えば、真面目になったんじゃなくて、ただ、時間に怯えてただけなんだ。』
『あの…。沢木さんが、あの時、世田谷で起きた連続強姦魔の犯人なんですか…?』
『そうだよ…。もう、逃げないから好きにしなよ。』
『そうですか…。じゃあ、あの子!歩実の事、覚えてないですか?』
『は?歩実ちゃん?何で?…いや、歩実ちゃんは、今日初めて会った子じゃ…。』
『沢木さん。あなたが本当に、あの時の連続強姦魔だとしたら、歩実の子供の父親は、あなたです。』
『は!?何だって!?父…親…?』
『歩実は、確かあの時の三人目の被害者でした。』
『三人目?…あ!あの時の女子高生か!何だかすごい楽しそうに歩いてた、あの…!確かに、中出しした。それは、ハッキリ覚えてる。処女じゃなかった事にムカついて思いっきり中で出してやった!で、でも!え!?その一発で出来たっていうのか!?』
『そうです。間違いありません。』
『まさか!そんな…!で、でも産むか!?フツー!!俺が言えた義理じゃねぇけど!何だってそんな強姦魔の子供なんか産んだんだ!?』
『それは、これから歩実と一緒に時間を過ごしていけば自然に分かりますよ。』
『そんな…。』
『沢木さん、私から言いたい事は一つだけです。歩実と息子の凛太郎。これから守るのは、あなたしか居なくないですか?』
『凛太郎…。俺が…!こんな俺が、父親になって良いのか?そんな事が許されるのか?』
『沢木さん、歩実は今、一人で凛太郎を守り続けてます。強姦魔の子供だからこそ、誰の子供かも分からないからこそ、不憫な思いをさせない様に必死に守ってるんです。凛太郎にも、歩実にも、お父さんが必要なんです。』
『みなみちゃん…。お、俺は…。』
『それから、もう一つだけ。私は、自分が襲われかけた事は、今まで誰にも言っていません。それと沢木さんが、連続強姦魔だという事も、これからも誰にも言うつもりもありませんから。』
『…みなみちゃん、教えてくれ。歩実ちゃんを口説くには、どうしたらいい?』
『あはは!そんなの簡単ですよ!』
歩実と沢木さんが、一緒になるまで時間はかからなかった。それはそうだよ。だって、求める物が同じなんだもん。
歩実と沢木さんが結婚する時、私は、歩実からある事を口止めされた。
『良い?凛太郎の父親は、その時、付き合ってた同級生!色々あって結婚はしなかった!分かった?絶対だよ!零児さんにも絶対それで通してよ!間違っても、連続強姦魔の子供だなんて言わないでよ!お願いね!』
歩実がそう願うんだ。それが一番、幸せなんだよ。だから、私も被害者だという事、沢木さんの真実。そんな事実を知っても、誰も得しない。
だから、永遠の秘密。こんなこと誰にも言わない。言える訳がない。知らない方が幸せなのよ…。
『歩実ー!』
『みなみちゃん!』
『おばさん!一体誰が!誰が、こんな事を!』
『みなみちゃん…。』
『歩実!分かる!?私!みなみだよ!?ウゥッ…!ウゥッ…!もう!誰が、こんな事を!ウゥッ…!』
私は、涙が止まらなかった。私の唯一の親友、歩実の無惨な姿を見て、悔しくて悔しくて…。
『私、絶対許さないから!歩実を、こんな事した奴、私、絶対許さないから!私が、捕まえてやるわよ!』
私が、あの時、歩実を呼び出さなかったら。カラオケなんか行かずに帰ってれば。そもそも海になんか行かなければ。こんな事には…。私には、歩実を一生、守らなきゃいけない責任が出来た。
歩実とは、幼稚園の時から、何をするのもずっと一緒。ちょっと天然もあって、小動物みたいに可愛くて。でも、人見知りで気が小さいから、私が近くにいて守ってあげなきゃ。歩実とは、それが必然だった。歩実も、私を頼りにしていたのが明らさまだった。私が一緒にいないと心から笑っていない。そう感じる程、私と歩実の間には、誰にも邪魔出来ない絆があった。
その歩実をボロボロに傷付けた、あの一件。私は、歩実を守るのは私の義務と、その役割を果たせなかった事。何より、私のせいでこんな事になってしまった事に、自分自身を許せないでいた。
『バカな事を言わないで!みなみちゃんは、何も悪くない!当たり前でしょ!?誰が、みなみちゃんを責めるの!そんな奴がいたら私が許さないわ!』
『おばさん…。でも…!』
『いい?みなみちゃん!みなみちゃんは、今まで散々、歩実の力になってくれた。それは、母親の私でも頭が上がらないくらい。心から感謝してるの。』
『そんな、私は…。』
『これから、みなみちゃんには歩実の為に益々、頼らなくてはならなくなる。私の力だけでは、どうにもならないの。絶対的にみなみちゃんの力が歩実には必要なの。だから、お願い!もう二度と、私にも歩実にも謝らないで!むしろ頭を下げなきゃいけないのこっち!歩実を傷を癒す為に、みなみちゃんの力を貸して下さい!お願いします!』
『おばさん!やめて下さい!そんなの当たり前です!私は、一生、歩実を守る!もう幼稚園の時から、そう決めてるんです!誰よりも歩実の側にいますから!』
『みなみちゃん…。ありがとう。』
歩実が、立ち直るまでには時間がかかった。あの一件が起こったのは夏休みの終わり。当然、学校にも行けず、退院してからは家に引きこもったまま。私は毎日、歩実の家を訪れ、歩実に寄り添い、今日あった事や、たわいも無い話しを交わした。それでも、歩実は、ほとんど笑う事をしなかった。テレビを観ても、漫画を読んでも、まるで忘れてしまったかの様にほとんど笑う事をしなかった。
『おばさん…。』
『ど、どうしたの?みなみちゃん!』
『私は、もう、どうしたら良いか分からないよ!どうしたら歩実が笑ってくれるのか分からないよ!ウゥ…。』
『みなみちゃん…。大丈夫よ!あと少し時間がかかるだけよ!大丈夫!大丈夫だから!』
『おばさん…。』
『歩実は、必ず笑顔を取り戻してくれるわ。だから、もう少し。もう少し待ちましょう。』
『はい…。』
『…お母さん。』
『歩実!どうしたの?』
『なんか、気持ち悪い…。』
『え?』
『ここんとこ、ずっと、なんか気持ち悪いの…。ウッ!』
『歩実!』
歩実が妊娠していると分かったのは、あれから一カ月経った日の事。私もおばさんも、笑う事すら忘れてしまった歩実に、更なる追い討ちをかける悲劇だと危惧していた。
でも、違った。
歩実は、命を宿したお腹をさすりながら笑っていた。私には、とてもじゃないけど理解出来なかった。もちろん、それは私だけではなかった。
『何を言ってるの!バカ事を言わないで!』
歩実は、産むと言い放った。
『どうしてよ!?愛した人の子供を産むならまだしも!あんた!それが誰の子なのか分かって言ってるの!?』
私も、もちろん反対だった。でも、お腹をさすりながら微笑む歩実の顔をみたら、頭ごなしに反対論をぶつける気力を萎えさせた。
『…おばさん、たぶん、もう何を言ってもダメだよ。』
『みなみちゃん…。』
『だって、あの顔、見てよ。あの笑顔を誰が奪うの?ここでまた、歩実を傷付けたら、歩実はもう一生笑わなくなる気がする。』
『みなみちゃん、でも…!』
『おばさん!私も、歩実を支えます!だから、お願い!産ませてやって下さい!お願いします!』
『お母さん!お願いします。私は、この子を殺したくない。』
『歩実…。』
産める事の許しを得た、あの歩実の満面の笑みを私は、二度と忘れる事は無いだろう。歩実は、そのまま二度と学校に戻る事はなく、退学した。学校では、もちろん色んな憶測を呼んで嫌な噂が飛び交っていた。
『聞いた?歩実、ついに完全にボケちゃったらしいよ。』
『え?そうなの?私は、実は自殺したんじゃないかって聞いたよ。』
『そうなの?私は…。』
歩実は、あまり学校で友達が多い方ではなかった。家からは大分離れた共学の高校。口数も少なく、ほぼ私といたから、私を介さないと人と馴染めないでいた。でも、今となっては、それが幸いしたのかもしれない。まさか、強姦魔の子供を産むなんて事実を誰にも知られずに済んだ。もちろん、みんな私に真実を問い質しに来た。
『さあ…。もはや、私にも何も喋ってくれないから。私も、もう知らない。』
私は、まるで親友を裏切った奴かの様に、学校では、態度を翻して歩実の存在を忘れさせる事に努めた。それが、歩実と生まれてくる子供の為だと思ったから…。
『…もしもし?みなみちゃん?生まれたわ!生まれたわよ!元気な男の子よ!』
『ホントですか!?すぐ行きます!』
凛ちゃんが生まれた時、私は、誰よりも嬉しくて泣いたかもしれない。それだけ、私には安堵する瞬間だった。もし流産でもしたら。もし死産だったら…。私は、もう二度と笑わなくなった歩実を見たくなかった。だから、無事に生まれた凛ちゃんを見た時、凛ちゃんを嬉しそうに嬉しそうに抱く歩実を見た時、自然と涙が溢れて来た。
『もう!何で、みなみがそんなに泣くのよ!』
『歩実…。だって、だって…。』
『みなみ、ありがとね。この子の事を、そこまで喜んでくれるのは、やっぱり、みなみだけだよ。』
『歩実…。』
十九歳の秋ー。私は、進学した大学の友達から久々に合コンに誘われた。相手はエリート商社マン。都内の平凡女子大生が一体どこで、そんな人達と知り合うのか。
『はあ?そんなのクラブだよ。クラブ。週末クラブに行けば、そんなん幾らでも転がってるよ。みなみもたまには行こうよ!バカな男ばっかで楽しいよぉ!』
私も、どちらかと言えば社交的な方だけど、それを平然と超越してくるイマドキ女子大生の神懸かり的な社交能力と行動力には頭が下がる。
『あ!ねぇ、その合コンさぁ、私の地元の友達連れてっても良い?』
『うん、別に良いけど…。どんな子?』
『顔は可愛い子なんだけど、ちょっと引っ込み思案でさ。彼氏が長い事いないから、どうにかしてあげたいんだよね。』
『なるほど!オッケー!オッケー!そういう事なら協力する!する!』
『ホント?ありがとう!』
私は、このチャンスを生かさない手はないと思った。凛ちゃんが生まれてから、当たり前の様に切羽詰まったギリギリの生活を強いられている歩実を、半ば強引に誘い出し、貧困生活からの脱却の兆しを探しに出た。
『歩実、分かった?良い人がいたら直ぐ言いなよ?みんなで協力して後押ししてあげるから!』
『みなみ…。うん、分かった。』
『よし!んじゃ行くよ!』
『どうもぉ!すいません!遅くなりましたぁ!』
『お!来た来た!ちょっとぉ!遅いよぉ!時間厳守!時間厳守!』
『すいませ…!』
『え?どうしたの?みなみ?』
『え、あ、うーうん!何でもない!何でもない!はい!座ろ!座ろ!』
私は、相手の男の顔を見て驚愕した。手も小刻みに震え出し、明らかに動揺を隠しきれなくなっていた。
『…はい!次!零児!』
『あ、はい!沢木零児です。京大卒の入社三年目。この中じゃ一番下っ端のぺーぺーなんで、お手柔らかにお願いします。』
『ええー!沢木さん京大卒なんですか!?すごーい!』
『お前、汚ねぇよ!大学名出すなよ!反則だよ!反則!』
『え?ダメでした?すんません…。』
『えー!ちょっと、沢木さん!そんな凹まなくても良くない?』
『ゴメンねぇ!コイツさぁ、ちょっと真面目過ぎるんだよね!だから気にしないであげてよ!』
『すんません…。』
『あは!まだ謝ってる!沢木さん、可愛いい!』
沢木零児…。本当にこの人、こんなキャラなの?京大卒?真面目過ぎる?名前こそ初めて聞いたけど、私は絶対、忘れはしない、あの日の事。
この顔!間違いない!絶対、あの時のアイツだ!
私は、居ても立っても居られず、正直、あの時の様な恐怖もあったが、沢木さんがトイレに立った時を見計らって、誰にも見られない影へ沢木さんを連れ出した。
『ちょ、ちょっと!みなみちゃん何?どうしたのさ?』
『すいません!あの…。あの、沢木さん!私の事、覚えてないですか?』
『え!?』
『五年前の九月三十日。夜の世田谷…。』
『五年前…?世田谷!?え!?嘘だ!何で!?』
『やっぱり…。思い出しましたね。あの日、私の事を強姦しようとして失敗し…!』
『やめろ!』
『ンー!ンー!』
『あ、ごめん!』
『…その口を塞ぐ手の感じも。間違いないです。沢木さん、やっぱり、あの時の犯人ですね。』
『…そうだよ。で、どうするんだ?警察に突き出すのか!?バラすのか!?バラすのか!?』
『沢木さん、一体どっちが本当の沢木さんなんですか?』
『あ?』
『私を殺すと脅した時の沢木さんと、今の真面目な沢木さん。一体、どっちが…。』
『俺にも、よく分からない…。あの時は、俺も顔を見られたショックで我を忘れてたから。相当、首もキツく締めたろ?危うく殺してしまう所だった。でもギリギリの所で思い留まった。でも、このままじゃ俺は、捕まると思ったから目一杯、脅しをかけるしかなかったんだ。でも、捕まるのは時間の問題だと思ってた。あの女子高生がホントに黙ってる訳がない。俺は、毎日毎日、恐怖に怯えていた。今思えば、それからかもしれない。こんなにも何事にも一生懸命に取り組むほど真面目になったのは…。正確に言えば、真面目になったんじゃなくて、ただ、時間に怯えてただけなんだ。』
『あの…。沢木さんが、あの時、世田谷で起きた連続強姦魔の犯人なんですか…?』
『そうだよ…。もう、逃げないから好きにしなよ。』
『そうですか…。じゃあ、あの子!歩実の事、覚えてないですか?』
『は?歩実ちゃん?何で?…いや、歩実ちゃんは、今日初めて会った子じゃ…。』
『沢木さん。あなたが本当に、あの時の連続強姦魔だとしたら、歩実の子供の父親は、あなたです。』
『は!?何だって!?父…親…?』
『歩実は、確かあの時の三人目の被害者でした。』
『三人目?…あ!あの時の女子高生か!何だかすごい楽しそうに歩いてた、あの…!確かに、中出しした。それは、ハッキリ覚えてる。処女じゃなかった事にムカついて思いっきり中で出してやった!で、でも!え!?その一発で出来たっていうのか!?』
『そうです。間違いありません。』
『まさか!そんな…!で、でも産むか!?フツー!!俺が言えた義理じゃねぇけど!何だってそんな強姦魔の子供なんか産んだんだ!?』
『それは、これから歩実と一緒に時間を過ごしていけば自然に分かりますよ。』
『そんな…。』
『沢木さん、私から言いたい事は一つだけです。歩実と息子の凛太郎。これから守るのは、あなたしか居なくないですか?』
『凛太郎…。俺が…!こんな俺が、父親になって良いのか?そんな事が許されるのか?』
『沢木さん、歩実は今、一人で凛太郎を守り続けてます。強姦魔の子供だからこそ、誰の子供かも分からないからこそ、不憫な思いをさせない様に必死に守ってるんです。凛太郎にも、歩実にも、お父さんが必要なんです。』
『みなみちゃん…。お、俺は…。』
『それから、もう一つだけ。私は、自分が襲われかけた事は、今まで誰にも言っていません。それと沢木さんが、連続強姦魔だという事も、これからも誰にも言うつもりもありませんから。』
『…みなみちゃん、教えてくれ。歩実ちゃんを口説くには、どうしたらいい?』
『あはは!そんなの簡単ですよ!』
歩実と沢木さんが、一緒になるまで時間はかからなかった。それはそうだよ。だって、求める物が同じなんだもん。
歩実と沢木さんが結婚する時、私は、歩実からある事を口止めされた。
『良い?凛太郎の父親は、その時、付き合ってた同級生!色々あって結婚はしなかった!分かった?絶対だよ!零児さんにも絶対それで通してよ!間違っても、連続強姦魔の子供だなんて言わないでよ!お願いね!』
歩実がそう願うんだ。それが一番、幸せなんだよ。だから、私も被害者だという事、沢木さんの真実。そんな事実を知っても、誰も得しない。
だから、永遠の秘密。こんなこと誰にも言わない。言える訳がない。知らない方が幸せなのよ…。
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戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
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