幸せとは、何も知らないということ。

杉本けんいちろう

文字の大きさ
16 / 19
ー第十五章ー

小田切真司 Ⅱ

しおりを挟む
『はぁ!?な、何だと!?バカ野郎が…!何で、今更になって…。』

俺は、朝、寝ぼけながら付けたテレビから、不意に流れて来たあのニュースに止めどない衝撃と怒りを覚えた。気が付けば、火を点けようと持ったままの左手のタバコを握り潰していた。

あれから六年…。せっかく、せっかく忘れかけてたのに!何で、今更、自首なんかしたんだよ!

俺は、相変わらず路上で歌う毎日。もう、三十五歳。でも、芽はまだ出ない。おいしい声もかからない。だけど、どこか充実してる自分がいた。何も起こらない毎日が、退屈ではなく、逆に平穏で落ち着いた幸せな時間なんだと捉える様になっていた。六年前のあの夜、偶然、目撃したあの現場。誰にも話さないと約束し、何かあった時の為に交換した連絡先。そして、六年間、一度も鳴らない着信。俺は、それが全ての答えで、平穏な幸せな日常を意味していると思っていた。だから、今回の犯人の逮捕には、自分でも怖いくらいに憤った。

ただ、そんな矢先の事だった。六年間、一度も鳴らずに消したはずの電話番号が、突然、高らかな着信音と共に俺の携帯に表示されたのは…。

『…え!?こ、この番号は!もしかして!』

俺は、分かり易いくらいに取り乱した。ただ、心は高ぶっていた。

『も、もしもし!?』

『あ、あの…、もしもし?あの…、小田切さん…ですか?』

『そ、そうだよ!み、みなみちゃん!?』

『あ、はい!そうです!お久しぶりです!大沢みなみです!』

『やっぱり、みなみちゃん!元気だった!?俺、ずーっと心配してんだよ!』

『はい。もう、全然、元気に過ごしてました。ありがとうございます。気にかけてもらって。』

『いやいや、そんな!そんな!…ってか、どうしたの?初めてだよね?連絡くれたの!』

『はい。あの、小田切さん、ニュース見ました?…よね?』

『ああ、あの六年前の強姦魔が捕まったってアレ?』

『はい、そうです。小田切さんは、本当に、ずっと誰にも話さずに黙っていたって事ですよね?ありがとうございました。お陰で、私は、恐怖に怯える事はありませんでした。』

『みなみちゃん…。』

『実は、逮捕された犯人なんですけど、大分前から私の近くで生活している人でした。』

『え?そ、そうなの?』

『はい。でも、あの夜、私を襲って来た男とは、まるで別人で、びっくりするくらいに誠実な人でした。』

『え?もう、対面してるの?どういう事?』

『はい。実は、私の親友の旦那さんなんです。』

『ホントに!?』

『なんで、割と頻繁に顔を会わしてました。だから、小田切さんには、伝えておかなきゃいけないと思って連絡したんですけど、逮捕された犯人は、追い詰められて自首したわけじゃないんです。黙ってれば、誰にも分からずに今の幸せな生活を送れたはずなのに、それを壊してまで自分から傷付けた人の為に自首するって言ったんです。』

『そうなんだ…。』

『もしかしたら、小田切さん、今回のニュースを見て、私の身に何かあったとか、犯人に対して勘違いしているかもしれないと思って、真実を伝えなきゃと思って…。正直、もう繋がらないかもって思ったんですけど、繋がって良かったです。』

『そっか。そういう事か…。確かに、何で今更って怒ってたけど、どうやら、俺の知らない所で、こうならずを得ない事情があったんだね。被害者当人のみなみちゃんから、犯人に対して庇うような言葉を使うんだから、よっぽどなんだろうね。』

『小田切さん…。』

『みなみちゃん、わざわざ、ありがとね。俺、正直言うと、もう、みなみちゃんの番号消してたんだ。』

『え?そうなんですか?』

『ああ。消したのは、つい最近の話しだけどね。この六年間、みなみちゃんから連絡が無いっていう事は、あれから何事も無く幸せに暮らしてる証拠なんだって思ってね。だから、もうこの番号は、必要無いんだって自分に言い聞かせたんだ。だから、この番号が鳴った時は、本当にびっくりだったよ。でも、嬉しかったよ。元気な、みなみちゃんの声が聞けて。』

『小田切さん、ありがとうございます。私は、もう、大丈夫です。犯人も捕まって、あの夜の事を全力で償おうとしてくれてます。私は、もう充分です。これで、あの夜の事は、全て終わりにしたいと思います。』

『みなみちゃん…。』

『小田切さんとも、この電話が、最初で最後の連絡にしたいと思います。私も、この電話を切ったら、小田切さんの番号を消します。それで完全に、あの夜の事を忘れます。だから、小田切さんも…。』

『もちろんだよ。この電話で終わりにする。今日、みなみちゃんの声が聞けた事で、胸の突っかいが取れた気がするよ。俺も、もう満足。みなみちゃん、連絡くれて本当にありがとう。これからのみなみちゃんの、幸せを心から願ってるよ。』

『小田切さん…。本当に、本当にありがとうございます。あの夜、唯一の目撃者が小田切さんで良かったです。小田切さんも、頑張って下さい。応援しています。』

『ありがとう。それじゃあね。また!…じゃない!あはは!みなみちゃん、元気でね!』

『はい!小田切さんも!お元気で!さようなら…!』

思い掛けない突然の着信は、この六年の答えを教えてくれた。ずっと胸の中にあったモヤモヤは、空に消え、今までになく明日を明るく迎えられそうだ。

『…なんだか真司さん、今日は、凄いご機嫌ですね。何かいい事でもあったんですか?』

『ああ、ちょっとな。』

『いいなぁ!何すか?新しい女でも出来たんですか?』

『違うわ!ただ、ずっと胸の中に突っかかってたモヤモヤが全部、晴れたってだけだ。』

『えー、いいなぁ。それ実際、新しい女が出来るより嬉しい事ですよ。羨ましい…。』

平穏なんて、つまんないだけだ。激動の毎日。それが充実した人生なんだよ、きっと…。だから、犯人が捕まって、この沈黙の六年が再び動き出した事は、いい刺激だったんだ。なんて…。

表向きには、そう思いたい…。そう自分に、言い聞かせたい…。

でも、もしも、あのまま犯人も逮捕される事もなく、みなみちゃんの番号も消し、月日が経ち、そのまま完全に忘れる事が出来たのなら、そっちの方が、どれだけ幸せだっただろうか…。真実を知るだけが、幸せなんじゃない。時には、災いを齎す事だってあるんだ。残念ながら、今の俺には、後者だよ…。

モヤモヤが晴れたのは、確かに良かったかもしれない。でも、そんなの一瞬だけさ…。知ってるか?人の心は、簡単に曇るんだ…。

『…あら?真司さん、今日は、何か元気ないですね。』

『そうか…?』

『そうですよ。俺と真司さんの仲じゃないですか!直ぐ分かりますよ!』

『そっか。ごめんな!悠斗にまで気を遣わしちまって。』

『あ、いや、大丈夫ですよ!』

『…そう言う、お前は、どうなんだよ?悠斗。お前は?相変わらずか?…アレ?そう言えば、あの子供を連れた元カノの事はどうなったんだ?お前、覚悟を決めて会いに行ったんだろ?その後、何の報告もないよな?』

『実は、その事なんですけど、色々あったんですよ!こっちはこっちで!』

『そうなん?何?何があったんだよ?』

『実は、俺も、わざわざ彼女と別れてまで、覚悟を決めて、会って来たんですけどね。一回は、先に子供に話をしたいからって、また日を改めてって言われて、引き下がったんですけど。ついこの間、連絡来て改めて会って来たんですよ。』

『おお!で?』

『そしたらもう、まさか!まさか!の展開で…!』

『…!』

悠斗は、全部を話してくれた。俺は、悠斗の話を聞いて、青褪めた。一度は、スッキリと晴れた心。でも、一瞬にして、雨雲に覆われた。

俺は、真実を知って、真っ黒な雲に覆われた心を、今を、幸せとは呼べない…。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

いや、無理。 (完結)

詩海猫(8/29書籍発売)
恋愛
細かいことは気にせずお読みください。 もはや定番となった卒業パーティー、急に冷たくなって公の場にエスコートすらしなくなった婚約者に身に覚えのない言い掛かりをつけられ、婚約破棄を突きつけられるーーからの新しい婚約者の紹介へ移るという、公式行事の私物化も甚だしい一連の行動に、私は冷めた瞳をむけていたーー目の前の男は言い訳が終わると、 「わかってくれるだろう?ミーナ」 と手を差し伸べた。 だから私はこう答えた。 「いや、無理」 と。

二十年以上無視してきた夫が、今さら文通を申し込んできました

小豆缶
恋愛
「お願いです。文通から始めてもらえませんか?」 二十年以上会話もなかった夫――この国の王が、ある日突然そう言ってきた。 第一王妃マリアは、公爵家出身の正妃。だが夫はかつて、寵愛する第三王妃の話のみを信じ、彼女を殴ったことがある。その事件が原因で、マリアは男性恐怖症が悪化して、夫と二人きりでは会話すらできなくなっていた。 それから二十年。 第三王妃はとある事故で亡くなり、夫は反省したらしい。だからといって――今さら夫婦関係をやり直したいと言われても遅すぎる。 なのに王は諦めない。毎日の手紙。花を一輪。夜食の差し入れ。 不器用すぎる求愛に振り回されるうち、マリアの中で止まっていた感情が少しずつ動き始める。 これは、冷えきった政略夫婦が「文通」からやり直す恋の話。 ※本作は「存在されていないことにされていた管理ギフトの少女王宮で真の家族に出会う」のスピンオフですが、単体で読めます。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
【3月中ーー完結!!】 私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 二十年の裏切りの果て、その事実だけを抱え、離縁状を置いて家を出た。 そこで待っていたのは、凍てつく絶望――。 けれど同時に、それは残酷な運命の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と縋られても、 死の淵を彷徨った私には、裏切ったあなたを許す力など残っていない。 「でも、子供たちの心だけは、 必ず取り戻す」 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔い、歪な愛でもいいと手を伸ばした彼女が辿り着いた先。 それは、「歪で、完全な幸福」か、それとも――。 これは、"石"に翻弄された者たちの、狂おしい物語。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

処理中です...