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救出編
1譜-Linizio-
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暗闇だ。
これを夜と名付けた先人たちは何を思って名付けたのだろうか、などとりとめもないことを考えながら彼女は膝を折り祈りを捧げるように神の像の前で胸の前で手を合わせている。
彼女の眼は今は閉じられているのであろうか、彼女はそのを頭から流した布で覆い隠していた。
ただ桜色の唇、この国の民とは違う象牙色の肌から彼女が流浪の果てにここに辿りついたことが窺える。
「あら、いたのね。いるなら声を掛けてくれれば良かったのに」
声色はまだ幼さを感じさせるが尼僧服から何となしにわかる体型はすでに少女ではなくある程度の成熟した女性のように柔らかく見える。
彼女が振り返った先には漆黒に身を包んだ青玉の眸をした少女とは一回りほどは差がありそうな男が立っていた。
「こんな真夜中に熱心なものだな」
低い声は静かなその場に響く。
あまり大きな声を出していたつもりはなかったのだが、それもまた致し方ないのだろうか。
青年は腰に剣を挿してはいるものの抜く気配もなければ敵意も見せることはない。この二人はある程度の知己であるのだろう。
「信じていないけれどね」
口元だけで彼女は笑った。
信じていない、けれどここは教会であり、それもこの大陸で一番広い楽園の名を冠する場所だ、新人深い人々は誰もがここの住民になりたがる。
だと云うのに彼女はそんな風に云い笑ってしまう。
「でも、祈ってはみたくなるじゃない?」
「マイにも願いたいことが?」
「内緒よ、ツヅミ」
お互いにこの国ではあまり馴染みのない名で呼び合う。
目を見られないと云うのは必要以上の感情を相手に感じさせない、だから、今マイが考えていることがツヅミには分からなかった。
深く詮索するつもりもないのだが。
「そろそろ寝るね、明日先生の法話があるから」
「信じていないのにか」
「そうよ」
表情を見せないまま彼女は踵を返し颯爽とその場から離れていく。残された青年、ツヅミは大きく溜め息を吐くと彼のコートが激しく揺れた。
びくりと身体を震わせると、彼は辺りを見回しひそめるようにその揺れの原因、美しい宝石を取り出した。
「なんだ、こんな時間に……」
呆れながらも大陸間では少数ではあるものの通信方法として用いられるそれに話しかける。
「それにしては取るの早かったね?」
若く高い少年の声が宝石越しに聞こえる。
少し笑いを含んだその声に男の眉間に皺が寄るが、無碍にすることはしない。
「揶揄う為だけならば切るぞ」
「違うよ、僕をなんだと思ってるのさ」
今まで散々とこの会話の相手には頭を悩まされてきた気がするのだが、それをここで口にするのは憚られた為、口を噤むことにしながら冷静に告げる。
「人が来る前に簡潔に頼む」
「出本確かな情報なんだけど数日の内にそこに王が行く」
急に真面目になった声色だが、それに何を語るでもなくツヅミは軽く目を見開いた。
「今更でもあるけど、今までバレなかった方が凄いんだよ。僕も最近知ったんだしね」
少年は言葉を続けていく。
「だから、明日。急なんだけど作戦を実行させてもらうよ。いい?」
「云われるまでもない」
即答をした彼に少年は機嫌が良さそうに、そう、と笑った。
暗く静かな廊下にひそめた声と足音だけが反響する。
「なら良いんだ、期待してるよ、」
少年の声はそうして途切れた。
雲がゆっくりと月から離れ、淡い光が廊下に落ち込み、それを見上げながら鼓は口を開いた。
「ああ、任せろ」
誰に云うわけでもなくその声はその場に霧散した。
朝の法話への出席は最低でも週に三回は義務付けられている、それは誰もがそうであり、もちろん例外はほぼ存在しない。
カナン王国に位置するこの教会都市アルカディアは王国の主神であるカナン神を主だって奉ってはいるものの、他にもこの世界の人々ならば知らない人はいないような神々全てを奉っている。
かつて神が人に怒り火を地上から奪った際、レムリア神が信心深い乙女に火を授けた地がここであるのだと云う。
神話であり、古い伝承の話ではあるのだが。
そして、その乙女の血を継ぐ者がと呼ばれ、この地を治めている。
マイは目隠しを被りその場にいた。
彼女のその風貌にも周りはもう慣れたのかそれとも無関心か、わかりはしないが彼女に近付こうとする影もないのは確かだった。
何か鐘の音が響き渡り、神を讃える謡が教会内に響く。
やがてそれが静まり返った時、一人の初老の女性が若い女性を引き連れて壇上へと上がった。
「今日は、彼女に法話をして頂きます」
初老の女性は若い彼女に頭を下げると、恭しく後ろに下がった、先生である女性にそのような対応をさせる彼女は何者かと一瞬どよめく。
「カナン王国、十騎士が一人、アスタロトと申します」
青玉の強い眸に髪よりは薄い色素の青の短い髪、騎士然とした彼女は凛とした声でそう云う。
カナン王国は男尊女卑が激しい国でもある、そんな国で女である彼女がこの国の騎士全ての羨望の的である十騎士に所属していることは耳に挟んだ者も多いらしく少しざわついた。そんな彼女が何故ここに、と。
「一週間の後、ソロモン王がこの地を訪問されます、その際の前準備として私共、十騎士数名がこちらに待機することお許しくださいませ」
その言葉にまたざわめきが大きくなる。
マイもまた動揺をしているらしく、周りを落ち着かないと見回すが、彼女があてに出来る人物などこの教会には存在しない。
きゅっと唇を引き結んだ瞬間、後方扉から凄まじい爆音が響き渡った。
鼓膜が破れるのではないかとすら思えるそれに悲鳴が上がり、一瞬の後にパニックが始まる。教会内には法話を聞きに来ていた人々もおり、アスタロトもまた例外ではなく、目を見開いていたが、すぐに警備兵たちへと指示を始める。
パニックになった人に揉まれながらも何とか端へと避難したマイの耳に別の悲鳴が聞こえた。
それをマイは知っている、その光景を知っている。
「いや……」
胸を抑えその場から離れようとした彼女の手を誰かが掴んだ。
思わず手を払いのけたマイだったが、その目線の先には鼓がいた。何故ここに、と問いかけようとしたものの、彼は再び手を取ると「こっちだ」と手を引く。
それを振り払うことも出来ず、彼が走る方向に手を引かれるがままに走って行く。
やがて中庭に差し掛かった頃、ようやくハッとしたマイが彼の手を再び振り払った。
「……どこに、行くの」
「安全なところだ」
「安全?」
また爆音が響く。
そして別の音、金属と金属がこすれる音だ。
その音たちをマイは知っている、争いの音だ。誰かがこの地に明らかな害を齎しに来た音。
そんな中、こんなにも不自然に、そして尚且つ安全な場所をと云う彼に不信感が積もる。
「貴方は、何を知っているの?」
確信に近い言葉だった。
この目の前の男は何かを知っている、それでいて接触すらして来ていたのかもしれない。それならば、気が緩みすぎていた、と。
「俺は、お前の兄の命令でここに来た。」
真衣、その名をきちんと呼ばれたのが久方ぶりなのか、彼女はびくりと肩を震わせた。
そして何よりも。
「兄様が……?」
中庭の真ん中で爆音が今も響くそこでまるで空間が切り取られたような感覚に陥る。
「でも、私は……、私には帰る場所なんて」
心臓がはちきれんばかりに五月蠅いのを感じながら彼女は声を上げる。
そんな彼女に鼓が手を伸ばした瞬間。
「そう、国を滅ぼした皇女に帰る場所なんてないよねェ」
急にそんな声が響いた。
その声に鼓が真衣を引き寄せる、中庭に真衣と同じ様にフードで目元を隠した男が三日月のような笑顔を浮かべ立っていた。
「いやァ、情報は確かだったんだな。皇女サマ?」
男の羽織るマントにはカナンの軍旗が編み込まれていることから、彼もまた先ほどのアスタロトと同じ高位の騎士なのだろう。
真衣の手に力がこもるのを鼓は感じる。
彼が十騎士レベルの実力の持ち主であるならば、真衣を無視しても戦わなければならないだろうが、それはこの中では真衣を見失う、下手をすれば最悪の結果を齎すとわかっている。
どうするべきか、と思考を働かせるが、最善は出て来ない。
当たり前であろう、手詰まりだ。
「あら、お困りですか?」
端麗な女性の声が落ちてくるまでは。
比喩ではなく短い紫髪の女性が鼓とそのフードの男との間に降りて来た。ふわりと風に乗るように、女は笑うと「お待たせ致しました」と笑った。
「現れなかったので心配で見に来て正解だったようですね」
「すまない、助かる、 紫鬼」
紫鬼と呼ばれた女性は笑うと、真衣を見つめた。
「お久しぶりです、真衣さま。と云いましてもここで思い出話は語れませんね、あちらにさまもいらしています。どうか行かれてください」
フードの男が呼んだのか周りには兵が集まって来ているが、それも問題がないと云う風に笑う。
「さて、十騎士が一人、べリアルさまとお見受け致しました。今しばし私にお付き合いくださいませ」
綺麗な礼をし、不適に笑った彼女に名を呼ばれたべリアルは同じように笑い返した。
「お前らァ、あれだけには手を出すなよ。俺の玩具にするからなァ」
加虐を感じさせる声に兵たちは一様に紫鬼を避け、真衣と鼓にと身体を向けたが、鼓は既に真衣の手を引き直していた。
もう抵抗は見られない。
中庭を超えた先、僅かな空き地に走り終えるとまた別の人物が立っていた。
「ほらね、私の予言通りだわ」
幼い少女、先ほど紫鬼が空から降りて来たのは彼女の力なのか、ふわふわと浮きながら笑う。桃色の髪に髪よりも僅かに色の濃い桃色の眸、それはリーウェンの人間独特のもので。
彼女の声にそこにいた痩躯の人物が振り返る。
「あ……」
「真衣、やっと見つけた」
走っている最中にほどけた目隠しの下にあった紅玉の双眸、長いまつ毛に口元だけでも感じることが出来たその端正な真衣の顔立ちに似た青年はそう笑った。
「……兄様」
泣き笑いに近い表情で真衣はそう口にした。
「総員撤退、頼める?」
先ほどの少女の名だろうか、そう告げた彼に、 紗氷と呼ばれた少女は「もちろんよ」と自信たっぷりに答えた。
風が大きく凪ぎ、どこからともなく巨大な飛空艇が出現する。それが何かの引き金だったのか先ほどまでの音が止んだ。
そして、一拍遅れて紫鬼が姿を現すと、真衣は安心したようにその場に倒れ込んだ。
「五年間、追手から色んな方法で逃げてたんだ……、疲れてて当たり前だよね。おかえり、真衣」
慈しむように柔らかな声音で 傀は微笑んだ。
死人は出ていない、瓦礫に当たって怪我をした者は多数いたそうだが。それは計画範囲内ではある、まさか十騎士が訪れているとは思わなかったが。
こちらもまた負傷者は想定の範囲内であり、それらの情報を端的にまとめ上げられる部下たちには舌を巻くときがある。
コーヒーに似た黒い飲み物を飲みながら、傀は報告書を眺めていた。
かなり綿密に立てていた計画が狂ったのは癪ではあるが結果としては成功に近いのではないだろうか。
「とは云え、油断も出来ないんだよなあ」
十騎士がいたと云うことは既にあちらもこの飛空艇を追って来ているだろう。この飛空艇で現れるつもりもなかったのだから致し方がないとは云え、それは彼の力量不足であろう。
「傀さま、真衣さまがお目ざめになりましたよ」
ノックをして入って来た紫鬼の言葉に顔色が一気に喜々として彼は部屋から飛び出して行く。
「ああ、もう……、……いえ、仕事は今日は大目に見ましょう」
くすりと微笑み、紫鬼は書類を拾い上げた。
「鼓も、お疲れ様でした。しばし休んで良いのですよ?」
紫鬼と一緒に傀の元に来たらしい彼にそう云うと、彼は数瞬悩んだ後にそうする、と返す。
頭を少し抑えて眉間に皺が寄っている。
「少しだけ休む、なにかあったら呼んでくれ」
「はい」
一回りは違う彼は安心したように数か月帰っていなかった自室へと引き下がって行った。
傀の向かった、真衣の寝ていた部屋に向かおうとする。
──瞬間。
凄まじい警報音が船内に響き渡る。
「な⁉」
「紫鬼!大変よ、もう敵影が見えているの!」
慌てたように走って来たのは紗氷で、その後ろには目を引く赤いバンダナの少年が付いてきていた。
深い沈んだ緑の眸に微かに尖った耳の少年は微かに揺れた船体に揺れた紗氷を支える。
「五月まで」
「見える影だけで、二桁はいる…、よほど逃がしたくないらしい」
淡々とした声色ではあるが、彼もまた弱冠の焦りがあることを紫鬼は知っている。
「わかりました、私は傀さまの元へ。二人は動力室へ。あそこさえ無事なら立て直せます」
「ええ、紫鬼も気を付けて。行くわよ、五月」
二人を横目で見送りながら紫鬼は傀が向かったであろう部屋へ足早に向かう、何度か揺れも感じるか今は致命的な攻撃には至ってないようだ。
部屋の前にはすでに傀が待機しており、紫鬼の到着を待っていたようで、彼女の姿を見止めると不安そうに後ろにいた真衣の頭を撫でる。
「鼓がもうすぐ来るだろうから、念の為に真衣は脱出ポッドに」
「兄様も……」
「僕はここの主だから、逃げるわけにはいかないよ」
真衣の手を優しく解くと笑う傀に真衣の眸が不安に揺れる。
何をそれが示すのかを紫鬼は知っている。
「兄様までいなくなったら私は」
「大丈夫、また会えたでしょ」
一際大きな揺れと同時に鼓が駆けつけ、真衣は傀から離れる。傀は踵を返そうとしたが、足を止めると鼓に何かを伝える。
分かったと頷く彼に安心したようにその場から離れた。
「脱出ポッドはあっちだ」
「私は……」
「お前が逃げるのがあいつの願いだ、それを無碍にする気か?」
「そんな……、違う……」
あえてこそのキツい口調ではあったものの、肩を竦められてはこちらもあまり云うことは出来ない。
「私も、戦えるのに……‼」
ぼそり、とつ呟かれたそれと教会にいる時は一切見ることが出来なかった炎のように真っ赤な眸がかつて傀が鼓に対して云ったことを思い起こさせる。
真衣たちリーウェンの民にのみ与えられた"神の恩寵”。それを傀は「呪い」だと揶揄していた。
「行くぞ」
それからは有無を云わせず手を引いた、そして途中にあった部屋に入り込む。今は誰もいないそこには更に奥に鍵が掛かった部屋があったが、鼓はそれを開け入って行く。
「え、ここは……」
「先にこれを渡せと云われた」
長い箱に入っていた布に覆われたそれを真衣に渡すと怪訝そうな顔をしたが、中身を確認した瞬間安堵した顔を見せ、大事そうに抱える。
「おかえり、 莫邪」
彼女の身体には大きく見える刀を持ったのを確認すると更に進み脱出ポッドへと進もうとしたが、それは大きな揺れに阻まれた。
揺れによって近くにあった窓が割れ、真衣の身体が外へと引っ張られたのだ。
「え……」
「真衣‼」
その後を鼓は考えずに追って中空に飛び出した。
あっと云う間に落下する真衣をなんとか中空で捕まえると小さく詠唱をする。魔法に優れた鼓ではないがある程度ならば落下の衝撃は抑えられるだろうと。
真衣を庇うようにきつく抱き締めると木々生い茂る森へ落下して行った。
凄まじい音がしたものの、息はある、だが身体は激しく痛み、鼓は腕の中の真衣が無事かを確認する間もなく目を閉じた。
これを夜と名付けた先人たちは何を思って名付けたのだろうか、などとりとめもないことを考えながら彼女は膝を折り祈りを捧げるように神の像の前で胸の前で手を合わせている。
彼女の眼は今は閉じられているのであろうか、彼女はそのを頭から流した布で覆い隠していた。
ただ桜色の唇、この国の民とは違う象牙色の肌から彼女が流浪の果てにここに辿りついたことが窺える。
「あら、いたのね。いるなら声を掛けてくれれば良かったのに」
声色はまだ幼さを感じさせるが尼僧服から何となしにわかる体型はすでに少女ではなくある程度の成熟した女性のように柔らかく見える。
彼女が振り返った先には漆黒に身を包んだ青玉の眸をした少女とは一回りほどは差がありそうな男が立っていた。
「こんな真夜中に熱心なものだな」
低い声は静かなその場に響く。
あまり大きな声を出していたつもりはなかったのだが、それもまた致し方ないのだろうか。
青年は腰に剣を挿してはいるものの抜く気配もなければ敵意も見せることはない。この二人はある程度の知己であるのだろう。
「信じていないけれどね」
口元だけで彼女は笑った。
信じていない、けれどここは教会であり、それもこの大陸で一番広い楽園の名を冠する場所だ、新人深い人々は誰もがここの住民になりたがる。
だと云うのに彼女はそんな風に云い笑ってしまう。
「でも、祈ってはみたくなるじゃない?」
「マイにも願いたいことが?」
「内緒よ、ツヅミ」
お互いにこの国ではあまり馴染みのない名で呼び合う。
目を見られないと云うのは必要以上の感情を相手に感じさせない、だから、今マイが考えていることがツヅミには分からなかった。
深く詮索するつもりもないのだが。
「そろそろ寝るね、明日先生の法話があるから」
「信じていないのにか」
「そうよ」
表情を見せないまま彼女は踵を返し颯爽とその場から離れていく。残された青年、ツヅミは大きく溜め息を吐くと彼のコートが激しく揺れた。
びくりと身体を震わせると、彼は辺りを見回しひそめるようにその揺れの原因、美しい宝石を取り出した。
「なんだ、こんな時間に……」
呆れながらも大陸間では少数ではあるものの通信方法として用いられるそれに話しかける。
「それにしては取るの早かったね?」
若く高い少年の声が宝石越しに聞こえる。
少し笑いを含んだその声に男の眉間に皺が寄るが、無碍にすることはしない。
「揶揄う為だけならば切るぞ」
「違うよ、僕をなんだと思ってるのさ」
今まで散々とこの会話の相手には頭を悩まされてきた気がするのだが、それをここで口にするのは憚られた為、口を噤むことにしながら冷静に告げる。
「人が来る前に簡潔に頼む」
「出本確かな情報なんだけど数日の内にそこに王が行く」
急に真面目になった声色だが、それに何を語るでもなくツヅミは軽く目を見開いた。
「今更でもあるけど、今までバレなかった方が凄いんだよ。僕も最近知ったんだしね」
少年は言葉を続けていく。
「だから、明日。急なんだけど作戦を実行させてもらうよ。いい?」
「云われるまでもない」
即答をした彼に少年は機嫌が良さそうに、そう、と笑った。
暗く静かな廊下にひそめた声と足音だけが反響する。
「なら良いんだ、期待してるよ、」
少年の声はそうして途切れた。
雲がゆっくりと月から離れ、淡い光が廊下に落ち込み、それを見上げながら鼓は口を開いた。
「ああ、任せろ」
誰に云うわけでもなくその声はその場に霧散した。
朝の法話への出席は最低でも週に三回は義務付けられている、それは誰もがそうであり、もちろん例外はほぼ存在しない。
カナン王国に位置するこの教会都市アルカディアは王国の主神であるカナン神を主だって奉ってはいるものの、他にもこの世界の人々ならば知らない人はいないような神々全てを奉っている。
かつて神が人に怒り火を地上から奪った際、レムリア神が信心深い乙女に火を授けた地がここであるのだと云う。
神話であり、古い伝承の話ではあるのだが。
そして、その乙女の血を継ぐ者がと呼ばれ、この地を治めている。
マイは目隠しを被りその場にいた。
彼女のその風貌にも周りはもう慣れたのかそれとも無関心か、わかりはしないが彼女に近付こうとする影もないのは確かだった。
何か鐘の音が響き渡り、神を讃える謡が教会内に響く。
やがてそれが静まり返った時、一人の初老の女性が若い女性を引き連れて壇上へと上がった。
「今日は、彼女に法話をして頂きます」
初老の女性は若い彼女に頭を下げると、恭しく後ろに下がった、先生である女性にそのような対応をさせる彼女は何者かと一瞬どよめく。
「カナン王国、十騎士が一人、アスタロトと申します」
青玉の強い眸に髪よりは薄い色素の青の短い髪、騎士然とした彼女は凛とした声でそう云う。
カナン王国は男尊女卑が激しい国でもある、そんな国で女である彼女がこの国の騎士全ての羨望の的である十騎士に所属していることは耳に挟んだ者も多いらしく少しざわついた。そんな彼女が何故ここに、と。
「一週間の後、ソロモン王がこの地を訪問されます、その際の前準備として私共、十騎士数名がこちらに待機することお許しくださいませ」
その言葉にまたざわめきが大きくなる。
マイもまた動揺をしているらしく、周りを落ち着かないと見回すが、彼女があてに出来る人物などこの教会には存在しない。
きゅっと唇を引き結んだ瞬間、後方扉から凄まじい爆音が響き渡った。
鼓膜が破れるのではないかとすら思えるそれに悲鳴が上がり、一瞬の後にパニックが始まる。教会内には法話を聞きに来ていた人々もおり、アスタロトもまた例外ではなく、目を見開いていたが、すぐに警備兵たちへと指示を始める。
パニックになった人に揉まれながらも何とか端へと避難したマイの耳に別の悲鳴が聞こえた。
それをマイは知っている、その光景を知っている。
「いや……」
胸を抑えその場から離れようとした彼女の手を誰かが掴んだ。
思わず手を払いのけたマイだったが、その目線の先には鼓がいた。何故ここに、と問いかけようとしたものの、彼は再び手を取ると「こっちだ」と手を引く。
それを振り払うことも出来ず、彼が走る方向に手を引かれるがままに走って行く。
やがて中庭に差し掛かった頃、ようやくハッとしたマイが彼の手を再び振り払った。
「……どこに、行くの」
「安全なところだ」
「安全?」
また爆音が響く。
そして別の音、金属と金属がこすれる音だ。
その音たちをマイは知っている、争いの音だ。誰かがこの地に明らかな害を齎しに来た音。
そんな中、こんなにも不自然に、そして尚且つ安全な場所をと云う彼に不信感が積もる。
「貴方は、何を知っているの?」
確信に近い言葉だった。
この目の前の男は何かを知っている、それでいて接触すらして来ていたのかもしれない。それならば、気が緩みすぎていた、と。
「俺は、お前の兄の命令でここに来た。」
真衣、その名をきちんと呼ばれたのが久方ぶりなのか、彼女はびくりと肩を震わせた。
そして何よりも。
「兄様が……?」
中庭の真ん中で爆音が今も響くそこでまるで空間が切り取られたような感覚に陥る。
「でも、私は……、私には帰る場所なんて」
心臓がはちきれんばかりに五月蠅いのを感じながら彼女は声を上げる。
そんな彼女に鼓が手を伸ばした瞬間。
「そう、国を滅ぼした皇女に帰る場所なんてないよねェ」
急にそんな声が響いた。
その声に鼓が真衣を引き寄せる、中庭に真衣と同じ様にフードで目元を隠した男が三日月のような笑顔を浮かべ立っていた。
「いやァ、情報は確かだったんだな。皇女サマ?」
男の羽織るマントにはカナンの軍旗が編み込まれていることから、彼もまた先ほどのアスタロトと同じ高位の騎士なのだろう。
真衣の手に力がこもるのを鼓は感じる。
彼が十騎士レベルの実力の持ち主であるならば、真衣を無視しても戦わなければならないだろうが、それはこの中では真衣を見失う、下手をすれば最悪の結果を齎すとわかっている。
どうするべきか、と思考を働かせるが、最善は出て来ない。
当たり前であろう、手詰まりだ。
「あら、お困りですか?」
端麗な女性の声が落ちてくるまでは。
比喩ではなく短い紫髪の女性が鼓とそのフードの男との間に降りて来た。ふわりと風に乗るように、女は笑うと「お待たせ致しました」と笑った。
「現れなかったので心配で見に来て正解だったようですね」
「すまない、助かる、 紫鬼」
紫鬼と呼ばれた女性は笑うと、真衣を見つめた。
「お久しぶりです、真衣さま。と云いましてもここで思い出話は語れませんね、あちらにさまもいらしています。どうか行かれてください」
フードの男が呼んだのか周りには兵が集まって来ているが、それも問題がないと云う風に笑う。
「さて、十騎士が一人、べリアルさまとお見受け致しました。今しばし私にお付き合いくださいませ」
綺麗な礼をし、不適に笑った彼女に名を呼ばれたべリアルは同じように笑い返した。
「お前らァ、あれだけには手を出すなよ。俺の玩具にするからなァ」
加虐を感じさせる声に兵たちは一様に紫鬼を避け、真衣と鼓にと身体を向けたが、鼓は既に真衣の手を引き直していた。
もう抵抗は見られない。
中庭を超えた先、僅かな空き地に走り終えるとまた別の人物が立っていた。
「ほらね、私の予言通りだわ」
幼い少女、先ほど紫鬼が空から降りて来たのは彼女の力なのか、ふわふわと浮きながら笑う。桃色の髪に髪よりも僅かに色の濃い桃色の眸、それはリーウェンの人間独特のもので。
彼女の声にそこにいた痩躯の人物が振り返る。
「あ……」
「真衣、やっと見つけた」
走っている最中にほどけた目隠しの下にあった紅玉の双眸、長いまつ毛に口元だけでも感じることが出来たその端正な真衣の顔立ちに似た青年はそう笑った。
「……兄様」
泣き笑いに近い表情で真衣はそう口にした。
「総員撤退、頼める?」
先ほどの少女の名だろうか、そう告げた彼に、 紗氷と呼ばれた少女は「もちろんよ」と自信たっぷりに答えた。
風が大きく凪ぎ、どこからともなく巨大な飛空艇が出現する。それが何かの引き金だったのか先ほどまでの音が止んだ。
そして、一拍遅れて紫鬼が姿を現すと、真衣は安心したようにその場に倒れ込んだ。
「五年間、追手から色んな方法で逃げてたんだ……、疲れてて当たり前だよね。おかえり、真衣」
慈しむように柔らかな声音で 傀は微笑んだ。
死人は出ていない、瓦礫に当たって怪我をした者は多数いたそうだが。それは計画範囲内ではある、まさか十騎士が訪れているとは思わなかったが。
こちらもまた負傷者は想定の範囲内であり、それらの情報を端的にまとめ上げられる部下たちには舌を巻くときがある。
コーヒーに似た黒い飲み物を飲みながら、傀は報告書を眺めていた。
かなり綿密に立てていた計画が狂ったのは癪ではあるが結果としては成功に近いのではないだろうか。
「とは云え、油断も出来ないんだよなあ」
十騎士がいたと云うことは既にあちらもこの飛空艇を追って来ているだろう。この飛空艇で現れるつもりもなかったのだから致し方がないとは云え、それは彼の力量不足であろう。
「傀さま、真衣さまがお目ざめになりましたよ」
ノックをして入って来た紫鬼の言葉に顔色が一気に喜々として彼は部屋から飛び出して行く。
「ああ、もう……、……いえ、仕事は今日は大目に見ましょう」
くすりと微笑み、紫鬼は書類を拾い上げた。
「鼓も、お疲れ様でした。しばし休んで良いのですよ?」
紫鬼と一緒に傀の元に来たらしい彼にそう云うと、彼は数瞬悩んだ後にそうする、と返す。
頭を少し抑えて眉間に皺が寄っている。
「少しだけ休む、なにかあったら呼んでくれ」
「はい」
一回りは違う彼は安心したように数か月帰っていなかった自室へと引き下がって行った。
傀の向かった、真衣の寝ていた部屋に向かおうとする。
──瞬間。
凄まじい警報音が船内に響き渡る。
「な⁉」
「紫鬼!大変よ、もう敵影が見えているの!」
慌てたように走って来たのは紗氷で、その後ろには目を引く赤いバンダナの少年が付いてきていた。
深い沈んだ緑の眸に微かに尖った耳の少年は微かに揺れた船体に揺れた紗氷を支える。
「五月まで」
「見える影だけで、二桁はいる…、よほど逃がしたくないらしい」
淡々とした声色ではあるが、彼もまた弱冠の焦りがあることを紫鬼は知っている。
「わかりました、私は傀さまの元へ。二人は動力室へ。あそこさえ無事なら立て直せます」
「ええ、紫鬼も気を付けて。行くわよ、五月」
二人を横目で見送りながら紫鬼は傀が向かったであろう部屋へ足早に向かう、何度か揺れも感じるか今は致命的な攻撃には至ってないようだ。
部屋の前にはすでに傀が待機しており、紫鬼の到着を待っていたようで、彼女の姿を見止めると不安そうに後ろにいた真衣の頭を撫でる。
「鼓がもうすぐ来るだろうから、念の為に真衣は脱出ポッドに」
「兄様も……」
「僕はここの主だから、逃げるわけにはいかないよ」
真衣の手を優しく解くと笑う傀に真衣の眸が不安に揺れる。
何をそれが示すのかを紫鬼は知っている。
「兄様までいなくなったら私は」
「大丈夫、また会えたでしょ」
一際大きな揺れと同時に鼓が駆けつけ、真衣は傀から離れる。傀は踵を返そうとしたが、足を止めると鼓に何かを伝える。
分かったと頷く彼に安心したようにその場から離れた。
「脱出ポッドはあっちだ」
「私は……」
「お前が逃げるのがあいつの願いだ、それを無碍にする気か?」
「そんな……、違う……」
あえてこそのキツい口調ではあったものの、肩を竦められてはこちらもあまり云うことは出来ない。
「私も、戦えるのに……‼」
ぼそり、とつ呟かれたそれと教会にいる時は一切見ることが出来なかった炎のように真っ赤な眸がかつて傀が鼓に対して云ったことを思い起こさせる。
真衣たちリーウェンの民にのみ与えられた"神の恩寵”。それを傀は「呪い」だと揶揄していた。
「行くぞ」
それからは有無を云わせず手を引いた、そして途中にあった部屋に入り込む。今は誰もいないそこには更に奥に鍵が掛かった部屋があったが、鼓はそれを開け入って行く。
「え、ここは……」
「先にこれを渡せと云われた」
長い箱に入っていた布に覆われたそれを真衣に渡すと怪訝そうな顔をしたが、中身を確認した瞬間安堵した顔を見せ、大事そうに抱える。
「おかえり、 莫邪」
彼女の身体には大きく見える刀を持ったのを確認すると更に進み脱出ポッドへと進もうとしたが、それは大きな揺れに阻まれた。
揺れによって近くにあった窓が割れ、真衣の身体が外へと引っ張られたのだ。
「え……」
「真衣‼」
その後を鼓は考えずに追って中空に飛び出した。
あっと云う間に落下する真衣をなんとか中空で捕まえると小さく詠唱をする。魔法に優れた鼓ではないがある程度ならば落下の衝撃は抑えられるだろうと。
真衣を庇うようにきつく抱き締めると木々生い茂る森へ落下して行った。
凄まじい音がしたものの、息はある、だが身体は激しく痛み、鼓は腕の中の真衣が無事かを確認する間もなく目を閉じた。
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