ひきこもりでも恋をしたい

あき

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第25話 階段五段 v0.2(上り五・下り三)

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朝、付箋に太字で書く。
「階段 五段 v0.2」

下に、小さく増分。
「下り三=“段鼻→縫い目”で視線、足は“踵→つま先”」
「上り五は昨日と同じ、五で吐く」
「撤退=成功」

いろからメッセージ。

「いろ:おはよう。
“v0.2.1”送ります」

箇条書きが落ちる。

「・場所:昨日と同じ補助階段(端)
・時間:十四時二十五分
・視線:上り=白線→支柱→縫い目/下り=支柱→段鼻→縫い目
・足:下りは“踵→つま先”を宣言してから
・呼吸:上り“五”で吐く、下り“段ごとに短く吐く”
・退路:A=その場で静止→戻る、B=踵で一段戻る
・撤退条件:駆け足/車椅子・ベビーカー/撮影の気配
・撤退=成功
・ごほうび:麦茶 or ラムネ」

仕様書は、今日も優しい。
“宣言してから”が、心に手すりを付ける。

「くろ:承認。
麦茶」

「いろ:了解。
屋外は安全形、呼称は“さん”で」

条約第12条。
屋外は、安全が最優先。
呼び捨ての余白は、部屋へ持ち帰る。

昼、仕事。
UIテストの票を三件。
「入力フィールドのフォーカスリングが画面Cだけ内側」
「モーダルの閉じるボタンのヒット領域が小さい」
「トーストの消失が0.18s/他画面と揃え」
数字を整えると、胸の速度も一段整う。

十四時二十分。
のど飴を一つ。
鏡の前で口だけ動かす。
「す」「う」「は」。
声は出さない。
形だけ。

黄色い付箋に「OK」。
ドアの下へ。
丸い字の「OK」が戻る。
約束の矢印。

明るい“ガチャ”。
非常灯の緑。
廊下を抜け、鏡は“置かない”。
床→手→数字。
一階へ。

外は薄い白。
裏道。
風は右から。
前髪→袖→いろはの肩布。
三点の矢印が揃う。

駅の端。
補助階段。
手すりの支柱が、等間隔で立っている。
支柱は視線の置き場に向いている。

足を止め、金属に触れる。
冷たい。
冷たいと、手は丁寧になる。

「いろ:上り五から。
“支柱→縫い目→踵”。
駆け足が来たら“×”です」

「くろ:了解」

一段目。
踵。
二段目。
踵。
三段目。
踵。
四段目。
踵。
五段目。
踵。

「……は」

“五”で吐く。
吐いた空気が段間に落ち、足裏を支える。
踵で静止。
支柱→縫い目。
戻る。
四、三、二、一。

「くろ:上り、成功」

「いろ:大成功。
“呼吸=五”が綺麗でした」

ここから下り三。
胸の中で、声にならない声で短く宣言する。

「下りは“踵→つま先”。
視線は“支柱→段鼻→縫い目”」

一段目。
段鼻へ視線。
踵で段の現実を受け取り、つま先へ移す。
短く吐く。

二段目。
段鼻。
踵→つま先。
短く吐く。
足の裏の“角”が、薄く丸くなる。

三段目。
段鼻。
踵→つま先。
短く吐く。
――その瞬間、上からベビーカー。
金属がやさしく鳴る。
進路を開けるべき状況。
心拍が反射で跳ねる前に、退路を選ぶ。

“×”。

踵で静止。
手すりの支柱に視線を“置き直す”。
いろはが半歩、斜めに出て、肩で角度を作る。
ベビーカーは、こちらに気づかず、ゆっくりと下っていく。
安全の通行。
条約第1条“無理しない”。

「いろ:撤退=成功。
“短い吐き”も途中まで出来ていました」

胸の角が丸くなる。
丸くなった場所に、次の選択が置ける。

「くろ:もう一回、下り三」

「いろ:OK。
“段鼻→縫い目”、宣言どうぞ」

「段鼻→縫い目。
踵→つま先」

一段目。
段鼻。
踵→つま先。
短く吐く。

二段目。
段鼻。
踵→つま先。
短く吐く。

三段目。
段鼻。
踵→つま先。
短く吐く。
支柱→縫い目。
静止。

戻る。
平地。
指先から金属の冷たさがほどける。

「くろ:下り三、成功。
“×→再挑戦”込み」

「いろ:大成功。
“段鼻を見る→足の順序を宣言→短く吐く”の三点が美しいです」

そのとき、階段下で、若い声がひそひそ。
レンズの黒が一瞬こちらをかすめる。
心拍が浮き上がる。
蛇口は、閉じたまま。
条約第10条“観察は武器、反射は毒”。
視線を支柱に“置き直す”。
置き直すと、浮力は消える。

「いろ:退路Aで裏道へ戻りましょう」

「くろ:了解」

裏道。
風が背中を押す。
押されるのは、嫌ではない。
歩幅が前へ出る。

エントランス。
鏡は“置かない”。
床→手→数字。
エレベーター。
背を壁へ。
数字が上がる。
心拍は下がる。

自分のフロア。
明るい“ガチャ”。
入る。
閉める。
扉に背中。

スマホ。

「くろ:今日の一歩“階段 五段 v0.2(上り五→下り三/×→再挑戦)”成功」

すぐに、飴と絆創膏と花。
花は支柱の並びみたいに縦に三つ。
今日の匂いの記録。

「いろ:ごほうび、麦茶をドア下に」

紙がするり。
キャップを少し緩める。
冷たい線が喉の壁に引かれる。
声が通りやすくなる。

共同チェックリストに入力。
右端の星が、二つめまで続けて灯る。
星は線になり、線は道になる。

数分置いて、いろから画像。
段鼻の拡大写真に、丸い字で矢印。
「“ここが視線の置き場”」

「いろ:次は“踊り場で十秒 v0.1”を繋ぎます。
“上り五→踊り場十秒→下り三”。
無理なら“上り五のみ”」

“踊り場十秒”。
胸が、提案の形を確かめる。
怖い。
でも、十は、音で数えられる。
空調の息、靴の音、葉擦れ。
三つを繰り返せば十に届く。

「くろ:承認。
風が強ければ延期」

「いろ:了解。
それと――臨時の“名前の練習”は屋内で一回」

喉の奥に、麦茶の冷たさ。
滑りやすい。

「……いろは」

糸みたいに細い声。
でも、切れない。
切れないことを、身体が覚えていく。

「透」

呼び捨ての余白が、部屋の空気を一度だけ丸くする。
丸くなったところに、今日の“段鼻”の感触が静かに沈む。
沈むと、支えになる。

ふと、タイムラインが一度だけ震えた。
外側から。

「“時系列”助かった。
“古いUI”の指摘、身内で共有しました」

砂ではない文。
胸の水面が、もう一段澄む。
澄んだところに、付箋を一枚。

「階段 五段 v0.2――完了」

飴と絆創膏と花の横に、段鼻を一つ描く。
小さな出っ張り。
ここが“置き場”。
置き場があれば、怖さは戻る場所を思い出す。

夜。
短い訓練を一戦だけ。
角の手前で、いろが打つ。

「いろ:肩」

現実と同じ。
置き場が整えば、敵は薄い。
北面センサー。
赤の線。
切って、繋ぐ。
“回して、止めて、戻す”。
今日の手順は、ゲームでも効く。

クリア。
《シェルター延命:72時間》
花火スタンプ。
整備王。
ダサい。
でも、今夜も少し誇らしい。

ログアウトの前、いろが小さく噛んで、整える。

「いろ:……おやすみ、透」

屋外の安全形から屋内の余白へ、呼称をそっと戻す。

「おやすみ、いろは」

扉の木目が、背中で小さく頷く。
木は冷たいのに、頷ける。
人も、似ている。

目を閉じる。
支柱→段鼻→縫い目。
踵→つま先。
短く吐く。
踊り場で十秒。
その想像を、まぶたの裏に置いて眠る。
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