王騎士スバル

西東 吾妻

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1 不夜城 グロリオサ

第一話 不夜城

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 不夜城と呼ばれるこの城は、かつてこの大陸で最も栄えた王国「グロリオサ」の首都であった。大陸の3割を支配したこの王国には、ありとあらゆる文物が集まり、王国の人々は夜を昼のように照らしながら、この国で暮らすという栄誉を噛み締めてきた。

 王国は当世一の料理人が作り出した料理に舌鼓を打ち、不世出の芸術家が生み出した作品に心を躍らせ、天下無双の兵士たちが守る平和に安住してきた。

「……」

 歴史書が語るグロリオサの栄華を、私が疑う理由はどこにもない。王騎士として、私はこの城を陛下に献上できたらどれほどよいだろうかと思わずにはいられない。城外からその巨大な城壁を臨む私であるが、私はこの城を作り上げたグロリオサの国力に、既に圧倒されかけている。

 私の祖国が、この不夜城に勝るとも劣らない城を作ろうとしたら、いったいどれほどの年月を費やさなければならないだろうか。いったいどれほどの国富を投げうたなければならないだろうか。

 天を飲み込まんばかりに高く聳え立ち、星を一周する大蛇のように視界の果てまで伸びる城壁。その城壁から顔を見せる、鯨のような巨砲群。城壁はアダマンタイト特有の若葉のような色に彩られ、400年という時が経過してもなお、その城壁には破片の剝離すら見られない。要所ごとに設置された城塔は、今もなお外敵からの侵入を監視しているように見え、銃眼からは無視しがたい殺気を感じてしまう。

 最硬と名高いアダマンタイト・ドラゴンの牙からのみ手に入れられるアダマンタイトを構造材として、この摩天楼を思わせるこの城壁は形作られていた。現在は失伝したアダマンタイトの成形技術と、この世で最強と名高いドラゴンの死体で山を築くことが出来るほどに卓越した武力なしでは、この要塞の建造は適わない。

 知性を捨てた蛮族では傷をつけることすら敵わない不夜城の威容をその目に刻み込んだ者で、今は亡きこの王国の繁栄を肌で感じない者がどれだけいるのだろうか。これほどの技術力、軍事力を持った王国が、今から400年前、一夜にして滅びたことを信じられる者はどれほどいるのだろうか。

「……」

 アリウム王帝陛下に命じられ、世界を回遊する旅に出てから、既に3年の月日が経過していた。今は亡き王国の誇り高き遺骸を見上げながら、私は希望と期待を胸に不夜城の城門へと足を踏みだしていく。







神と成る料理の一つ、「ガーベラの酒」がこの城に眠っているという噂は、おそらく正しい。







 かつて栄華を極めた王国「グロリオサ」の王都。砂粒ほどの想像力があれば、この城にはまだ見ぬ莫大な財宝が眠っていると考えるだろう。実際、不夜城に一番近い街の長は、一攫千金を夢見て不夜城へと向かう冒険者の列が途絶えたことはなく、街もそんな彼らに武器などの装備品、宿屋を提供することで、辺境の地とは思えぬほどの富を獲得していると証言している。

 それでも、不夜城に足を踏み入れ、一攫千金を成し遂げ町へと凱旋した者は皆無である。向こう見ずで腕に覚えがある冒険者たちの多くは、不夜城に足を踏み入れたきり、二度と帰ってこず、運よく街へ帰った者の内、五体満足であったものは更に数えるほどしかない。街の人間が一様に「危険だ」と警告するこの不夜城が大陸有数の危険地帯と化している理由は、城内へと足を踏み入れればおのずと明らかになる。

「……」

 どうやら、不夜城に足を踏み入れた冒険者たちの殆どは、ここで冒険を断念するか、命を落としたようである。私は自分の想像力が及ぶ限りでこの危険地帯を評価し、それに向けた準備を進めてきたのだが、どうやら私が描き出したイメージは、この城の大雑把な輪郭すらも捉えられていない貧弱な物だったようだ。

 城門をくぐった先には、会戦直後のような荒廃と混乱の跡が姿を現していた。冒険者たちが持ち込んだ大筒によるものなのか、「別の何か」によるものなのか……。目に見える範囲で400年前の姿をとどめている建物はない。ある建物は二階よりも上に大穴が開き、ある建物は鋭利な刃物で4枚におろされている。石造りの建物が崩れ落ち、石煉瓦と木材が室内にも屋外にも散らばっている様は、ここで幾度も修羅場が生まれたことを知らせている。乾ききって黒く変色した血痕は建物の壁にも石畳にもこびりつき、その一つ一つの色合いが微妙に異なっているために、戦場然とした雰囲気がより強くなっている。

 人の形をした炭の塊は山と積まれ、それらには金属の塊が張り付いていた。砲弾を収めていた木箱や柄が折れた槍、刀身が半分溶け落ちた剣が石畳の上で放置され、かつてこの城に侵入しようとした兵士が持ち込んだであろう軍団旗が、パタパタと力なくはためいている。

 ……しかし何よりも、凄まじい熱気である。街で購入した防暑衣が考えうる限り最良の物であったはずだが、降り注ぐ熱波はこの安くはない衣服の防御をたやすく貫き、私の眼球を乾かし、血液を沸騰させようとしてくる。
 城内からは石が焼ける音が聞こえてくるようであり、背嚢にしまっている松明が自然に燃え出してしまうのではないかと思えてくる。

 グロリオサが滅びてから400年、不夜城は一度も夜を迎えたことがない。城外から城を臨んだ時にもその姿は確認できたが、城門をくぐり、城内の旧居住地へと足を踏み入れた今、それが如何に恐ろしいものであるのかがよく解る。

 その外観は月によく似ていた。空中を浮遊するそれは、3階建ての建物がすっぽりと収まるほどの巨体であり、鉄さびのような色のそれは二つ、刺すような熱波で城内を炙りながら、低空で浮遊している。この奇妙な小天体が放つ熱波は、異常な暑さを城内に滞留させている。

 私の体からは既に、玉のような汗が吹き上がり、着衣を湿らせる。露出した肌から産毛が焦げ付く感覚を覚え、濡れた衣類が肌に張り付く不快感は私の歩む足を鈍らせようとする。

 だが、何よりも考えなければならない問題は、この熱波のせいで、私は今着ている鎧をじきに脱がなければならないことだろう。熱波は、私の鎧を熱せられた鍋のように赤熱させようとしてきており、それはそう遠くない未来に現実になろうとしている。

 防具なしでの不夜城探索……。

「難しいですね」

 眼前に現れたそれを前に、私は言葉を漏らす。私の右手は既に、グレートソードを鞘から抜きとり、切っ先をモンスターの頭部へと向けていた。

 レッドサラマンダー……。

 人間程度なら丸呑みできるワニのような大口と、成人男性を5人横たえてもまだ勝る恰幅の良い図体を持ったオオトカゲである。ヤスリのような赤い鱗は戦技を駆使しなければ剣撃を通すことはおろか、剣そのものが削れてしまう程の硬度を有しており、その口からは鉄塊が見る見るうちに赤く輝いてしまうほどのブレスを放つことが出来る。3対ある宝石のように輝く眼球は未来を見透かしていると思えるほどに獲物の動きを的確にとらえ、指先から伸びる計32本の爪は大理石をチーズのように切り裂いてしまうという。

 本来であれば溶岩が吹き出る火山の近くに生息するこのモンスターにとって、この熱波が心地よいものであることは想像に難くない。そして、この熱波のせいで全力を出せない人間は、このモンスターにとっては格好の獲物であることも、容易に想像できることだ。

 ……ここの惨劇は、この一匹のモンスターによって生み出されたものなのだろう。

「……!」

 両者に横たわる間合いは、数泊の沈黙の後、レッドサラマンダーによって消失した。私の視界はこのオオトカゲが振りかざす前足と、そこから伸びる8本の爪に支配され、一薙ぎで私の首を引き裂かんとする。音もなく迫りくる8本の爪を剣の重心で捉えた私は、そのまま剣の刃にそってこの攻撃を受け流した。行き場を失った攻撃が、石畳の道路を空しく割る音を背後に、レッドサラマンダーの懐へと踏み込んだ私は、この攻撃を繰り出したモンスターの前足の付け根に剣を突き刺し、あらん限りの力で大地を踏み込んだ。

 瞬間、道路の土ぼこりが舞い上がる程の衝撃力を得た私は、鱗の流れに逆らうことなく剣を滑らせ、レッドサラマンダーの前足を両断。血しぶきが吹き上がり、中空で切り離された前足がグルグルと回転する様を視界の片隅に、私はこの踏み込みの先にあった廃墟へ体当たりを食らわせたのだった。

 木製の扉が衝撃に耐えきれず砕け散る音と、激痛に体を震わせるレッドサラマンダーの悲鳴が、私の耳には同時に聞こえた。痛みのためにのたうち回るこのモンスターは、破城槌のような破壊力を持つ尻尾を無差別に振り回し、周囲の建造物を破壊していく。私がいまいる建物も例外ではなく、窓ガラスが割れる音と共にレッドサラマンダーの尻尾が室内に飛び込み、鞭のようにしなりながら室内を一撃で破壊しつくした。

 この時私は既に、建物の反対側にある出口から抜け出し、レッドサラマンダーの追跡の眼から逃れるべく、全速力で不夜城の中心部へと足を進めていた。

 ほんの短い、瞬きのような時間であったが、私の肉体は普段以上の疲労を訴えかけていた。不夜城に間断なく降り注ぐ熱波は私の体力を加速度的に奪っていく。体中から吹き上がる汗は、私の動きと共に石畳の通路へと飛び散り、一瞬という言葉を口ずさむ前に蒸発する。

 ……今の私に戦闘をこなす余裕はない。

 防暑衣が期待した効果を発揮せず、街で氷の操作に長けた魔術師を雇えなかった時点で、不夜城に踏み込んだ後、私がとらなければならない行動はただ一つである。

 城内に放置されてあるであろう、魔術師……それも強力な力を秘めた魔術師の遺体を見つけ死霊術で蘇らせることである。
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