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1 不夜城 グロリオサ
第三話 氷漬けの魔女
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数秒の落下の後、私は井戸の下を流れる上水路へと着地した。鎧の隙間を潜り抜け、体と着衣を濡らす水の感触が素晴らしい。氷山から溶け出してきたと言われても信じてしまう程に、地下水路を流れる水は凍えていた。上の世界では絶対的だった熱波の支配は、ここには及んでいない。ここには私が求めていた以上の物がある。
両手で水をすくっての水浴びは、殆ど反射的な行動だった。両手で作った即席の桶に集まった冷水は、井戸の上からかすかに漏れ落ちる光を浴びて鏡のような光沢を見せ、頭上から浴びたそれは、私の鎧にまとわりつき、肉体に蓄積した熱を洗い流していく。
不死者たちの血肉から醸し出される悪臭はこの聖水に溶け出し、どこへ続くか解らない下流へと流れていく。
「……あぁ!」
これほどまでに気持ちがよい水浴びが存在するのだろうか。体に水をくぐらすたびに体が活力を取り戻し、冷却された意識は地下水道の情景を明瞭に知覚する。
流石は超大国の喉の渇きを潤す上水路だ。400年間、何の手入れがなくともその機能を立派に果たしている。無限とも思える長さを持つこの円柱状の水路は、円の直径が私を一人と半分並べたくらいの長さであり、石材をアーチ状に組み合わせることで形作られている。石材の表面はなめし皮で磨かれたように滑らかであり、アーチを構成する石材の間には、指はおろか紙を挟めるほどの隙間もない。
この地下水路が形作る生態系も興味深い。水路を流れる冷水は膝から少し上までつかる程の深さがあり、その流れは穏やかであった。氷水のように冷たいという点さえ克服できれば、生物には住みよい環境であろうし、実際に今の私の目に映る範囲でも、この地下水道では北方の寒冷地域に近い自然環境が形作られている。
水と石材の境界線には苔がまぶされ、天井には名前の知らない植物の茎が張り付き、水路へと根を伸ばしている。
ガラスのように透明な水中では、裁縫針のように小さく内臓が見えるほどに透明な体を持つアイスフィッシュの稚魚たちが水路を遡行し、壁には金貨程の大きさで鮮やかな緑色のタイガガエルが張り付き、ゲコゲコと鳴きながらこの清涼感を楽しんでいる。暗闇に覆われた水路の奥からは、この水路で生きる生物たちの鳴き声が混ざり合い、水路内で反響しつつ私の耳に聞こえてくる。
地面を一枚挟むだけで、こうも環境が違うものなのか。私は得体のしれない生物の血管に潜り込んでしまったのではないかとも思えてくる。頭が茹で上がる暑さからは逃れることが出来たものの、次はこの震えあがる寒さをどうにかしないといけない。
あの灼熱に炙られた直後であるから、今はこの冷たさを快感として享受できるが、直にこの冷水は私を凍えさせる凶器と化すだろう。
「……」
私は背嚢から松明を取り出し、指を鳴らしてそれに火をつける。どこか水にぬれずに済む場所を見つけなければならない。この水路は、私が不夜城を探索する上で拠点となりうる唯一の場所だ。しかし私の体が凍えるまでに、この広大な水路の中から腰を据えられる場所を見つけられなければ、私の選択肢は不本意な物ばかりとなるだろう。
問題は、この地下水路の前か後ろか、どちらへ向かうべきか、ということだが……。
私が選ぶべき道について呻吟していた時、その判断の手助けをしてくれるものが水音を立てて私の方へと近づこうとして来ていた。何かが水面を乱暴に叩き、水流に足を取られながらも、私の命に刃を突き立てようとして来ている。その数はおそらく10匹。確実に私の敵だろう。
この地下水路の高さと広さを考えると、私は自分の愛剣をふるうことは出来ない。松明なしで私は地下通路を照らすことは出来ないため、片手は自由に使えなくなる。
ならばどうするか?拳で対応しよう。
私の両足が水面を叩き、水滴が私の肩まで吹き上がる。脳髄は敵が飛び出る進路を予測、対応する最適解をはじき出し、心臓はバチで叩かれる太鼓のように高鳴り、不可能を可能とするために酸素を肉の末端にまで行き渡らせる。私は右の拳を構え、私は松明が敵を照らすその瞬間を待った。松明の光が届く範囲が、私の間合いだ。
松明の炎が飛び掛かる1匹の敵を照らした。敵は頭を砕かれた。右手の籠手が敵の血肉で汚れ、陶器のように割れた敵の頭蓋の破片が刺さる。
松明の炎が怯む敵を2匹映し出した。敵は胸を貫かれ、断末魔の悲鳴をあげる間もなく目玉と歯を無作為にまき散らした。私は足を一歩踏み出した。
松明の炎が呆然とする敵を3匹映し出した。1匹は天井に頭を突っ込ませ、1匹は側面でぺしゃんこに潰れ、1匹は足元の水流に頭を突っ込み、失血死か溺死の中から一つ選ばなければならなくなった。私は松明を前方に投げ出した。
松明の炎が逃げ出そうとする敵を4匹映し出した。松明が宙を飛ぶ1秒にも満たない時間、自由になった私の両腕は鋼のこん棒と化して敵に襲いかかる。1匹は頭を体の中へめり込ませ、1匹は上半身の肉が四散し骨だけとなり、1匹はくの字に曲がったと思ったら、そのまま上半身が千切れ、1匹は胸を貫かれると同時に内臓を握りつぶされた。
「……奇妙ですね」
松明を左手で再び掴んだ私は、私を襲った敵が何であるかを知るために敵の遺骸に松明の明かりを近づける。その正体が何であるかに気づいた時、私の口からは思わずこの言葉が漏れだしていた。青白く、私よりも頭一つ小さい体躯、ぎょろりとむき出した目、歯並びが悪い口、前腕と胸を覆う白い毛、毛皮のブーツのような足。
敵はアイスゴブリンであった。
「氷を家とするゴブリンが、何故こんな場所に……?」
やはり、地下だからという理由だけでは説明できない。アイスフィッシュ、タイガガエル、アイスゴブリン……これらはいずれも一年中氷に閉ざされた北方氷河帯のような環境でしか生きられない生物だ。そんな彼らを中心とした生態系が、レッドサラマンダーが活動するような灼熱の環境のすぐ下で広がっているのである。こんな奇妙な現象が起こっている理由は是非とも知りたいが、今はそんな知的好奇心を満たすよりも重要な事実について、思考をめぐらせる必要がある。
アイスゴブリンは通常、20~30匹程度の群れで行動し、氷の上に集落を形成するモンスターである。そんなアイスゴブリンがいるということは、この地下水道のどこかに、集落を築けるだけの広さと厚さをもった氷が存在することを明示している。全く信じがたい、奇跡のような話であるが、今はこの事実を有難く噛み締めよう。不夜城を探索する上で拠点となりうる場所がどこかにあるというだけで、私の意気は上がってくる。
私はゴブリンたちが姿を現した方へと進んでいった。私に襲いかかってきたゴブリンたちが、何の獲物も抱えていなかったことを鑑みると、彼らは狩猟の帰りがけに私に遭遇したわけではない。縄張りを侵した私を撃退するために彼らは襲いかかってきたのだと考える方が自然である。
くじではなく、合理的な理由の下で行動できる今の状況を、私は嬉しく思う。私の体に溜まっていた余分な熱は既に完全に洗い流され、今はむしろ生命活動に必要な熱すらも奪い始めているこの冷水を煩わしく感じるまでになっていた。しかし、私に芽生えたこの確固たる自信は、水の流れに逆らう私の歩みをむしろ力強いものにする。
これからの出会いが、楽しみで仕方がない。
私は水路を歩き続けた。人間の触覚では知覚できない程の僅かな傾斜を設けることで、水が途絶えることなく流れ続ける機構を作り上げた「グロリオサ」の技術者に敬意を払いつつ、私は松明の炎が照らす道を歩く。
水路を進むほどに、水路に漂う空気は更に凍えていき、水路を構成する石材、流れる水の表面には、羊皮紙よりも薄い氷の層が出来ていく。私が足を踏み込むたびに、割れた氷が水の流れに乗って暗闇へと消えていく様子を見て、私は何か得体のしれない物に自分が徐々に近づいてきていることを認識した。
ゴブリンたちの歓迎は留まることを知らない。彼らは5~10匹ほどの小集団で私に幾度も襲いかかり、私はそのたびに自分の拳を彼らの血肉で汚していった。ゴブリンの群れと幾度も邂逅する中で、私が心に飼う期待感はますます高まっていく。常識的にあり得ないという戸惑いよりも、いったいどんな非常識が待ち受けているのだろうかと期待する気持ちが勝っていく過程は、自分事ながら楽しいものである。
「……おぉ……おおおぉ……」
宿を求める私の旅はやがて終わりを迎え、窮屈な地下水道から、広々とした空間へとたどり着く。私は、松明の光が照らした先にあった光景に、年甲斐もない興奮を覚えてしまった。この非常識なものばかりの探検行の終着地には、ふさわしい光景であった。
我が祖国を統べるアリウム王帝陛下の王城、その中でも最大の空間面積を誇る謁見の間よりも更に広いこの場所は、そのほとんどを氷で覆われていた。空気は私の吐く息が凍り付くほどに冷え込み、長く水に漬かった体は熱を得ようと震え続ける。
この氷はどうやって生まれたのか。なぜこんなにも巨大な氷塊が不夜城の地下で生まれているのか。寒冷地帯の生態系をここで見ることが出来る理由の答えにも直結するこの疑問は、松明の炎を氷塊へと近づけていくなかで氷解していった。
氷山とも表現できるほどに巨大なこの氷の塊の中心に、人の姿があった。既にこと切れている彼女が、私と同じ時代を生きていたわけではないことは、彼女が着ている衣装と、その左手に握ったままの弓の意匠から理解できる。理解はできるが……私の知識が導き出した推定は、再び戸惑いと興奮の綱引きを引き起こす。
彼女の衣装は、400年前に滅びた「グロリオサ」の軍団兵が着ていたそれとよく似ていた。甲殻類の殻のようにミスリル鋼板を幾重にも組み合わせたその軍装は、今や世界のどこの国も採用していない。彼女がその手に握る、オリハルコン製の弓を装備している国もまた、どこにも存在しない。これほどまでに充実した装備を供給できる国は、歴史的に見ても「グロリオサ」以外にない。私の知識は、彼女が400年前の世界を統べた超大国の兵士であると結論付けていた。
「……」
私は興奮に震えていた。彼女がこの氷山を生み出した張本人なのではないかと、私は考え始めていたのである。氷漬けにされた彼女の右手には一本の矢が握られていた。氷越しからだと見えにくいことこの上ないが、その矢には魔法陣のような文様が彫られていることは確認できた。魔法を使えない者が、そんな矢を持ち歩くとは考えづらい。武器に彫られる魔法陣は、魔術の発現を補助するための物であり、術者の魔力なしではこの魔法陣は発動しない。
つまり彼女の強大な魔力が、400年間溶けることのなかったこの氷塊を生み出したと考えることが自然なのである。
「……」
この事実を見て、興奮しない者がいるだろうか。私はこの時、氷を操る魔術師の遺体を見つけるという目的と、不夜城での長期の活動を可能とする拠点の発見という目的を同時に達成してしまったのである。
「……」
私は氷の中で眠る魔術師の姿を改めてその目に映し出した。彼女が作り出した氷は、彼女を生前の姿のまま、現代に保存し続けていた。
両手で水をすくっての水浴びは、殆ど反射的な行動だった。両手で作った即席の桶に集まった冷水は、井戸の上からかすかに漏れ落ちる光を浴びて鏡のような光沢を見せ、頭上から浴びたそれは、私の鎧にまとわりつき、肉体に蓄積した熱を洗い流していく。
不死者たちの血肉から醸し出される悪臭はこの聖水に溶け出し、どこへ続くか解らない下流へと流れていく。
「……あぁ!」
これほどまでに気持ちがよい水浴びが存在するのだろうか。体に水をくぐらすたびに体が活力を取り戻し、冷却された意識は地下水道の情景を明瞭に知覚する。
流石は超大国の喉の渇きを潤す上水路だ。400年間、何の手入れがなくともその機能を立派に果たしている。無限とも思える長さを持つこの円柱状の水路は、円の直径が私を一人と半分並べたくらいの長さであり、石材をアーチ状に組み合わせることで形作られている。石材の表面はなめし皮で磨かれたように滑らかであり、アーチを構成する石材の間には、指はおろか紙を挟めるほどの隙間もない。
この地下水路が形作る生態系も興味深い。水路を流れる冷水は膝から少し上までつかる程の深さがあり、その流れは穏やかであった。氷水のように冷たいという点さえ克服できれば、生物には住みよい環境であろうし、実際に今の私の目に映る範囲でも、この地下水道では北方の寒冷地域に近い自然環境が形作られている。
水と石材の境界線には苔がまぶされ、天井には名前の知らない植物の茎が張り付き、水路へと根を伸ばしている。
ガラスのように透明な水中では、裁縫針のように小さく内臓が見えるほどに透明な体を持つアイスフィッシュの稚魚たちが水路を遡行し、壁には金貨程の大きさで鮮やかな緑色のタイガガエルが張り付き、ゲコゲコと鳴きながらこの清涼感を楽しんでいる。暗闇に覆われた水路の奥からは、この水路で生きる生物たちの鳴き声が混ざり合い、水路内で反響しつつ私の耳に聞こえてくる。
地面を一枚挟むだけで、こうも環境が違うものなのか。私は得体のしれない生物の血管に潜り込んでしまったのではないかとも思えてくる。頭が茹で上がる暑さからは逃れることが出来たものの、次はこの震えあがる寒さをどうにかしないといけない。
あの灼熱に炙られた直後であるから、今はこの冷たさを快感として享受できるが、直にこの冷水は私を凍えさせる凶器と化すだろう。
「……」
私は背嚢から松明を取り出し、指を鳴らしてそれに火をつける。どこか水にぬれずに済む場所を見つけなければならない。この水路は、私が不夜城を探索する上で拠点となりうる唯一の場所だ。しかし私の体が凍えるまでに、この広大な水路の中から腰を据えられる場所を見つけられなければ、私の選択肢は不本意な物ばかりとなるだろう。
問題は、この地下水路の前か後ろか、どちらへ向かうべきか、ということだが……。
私が選ぶべき道について呻吟していた時、その判断の手助けをしてくれるものが水音を立てて私の方へと近づこうとして来ていた。何かが水面を乱暴に叩き、水流に足を取られながらも、私の命に刃を突き立てようとして来ている。その数はおそらく10匹。確実に私の敵だろう。
この地下水路の高さと広さを考えると、私は自分の愛剣をふるうことは出来ない。松明なしで私は地下通路を照らすことは出来ないため、片手は自由に使えなくなる。
ならばどうするか?拳で対応しよう。
私の両足が水面を叩き、水滴が私の肩まで吹き上がる。脳髄は敵が飛び出る進路を予測、対応する最適解をはじき出し、心臓はバチで叩かれる太鼓のように高鳴り、不可能を可能とするために酸素を肉の末端にまで行き渡らせる。私は右の拳を構え、私は松明が敵を照らすその瞬間を待った。松明の光が届く範囲が、私の間合いだ。
松明の炎が飛び掛かる1匹の敵を照らした。敵は頭を砕かれた。右手の籠手が敵の血肉で汚れ、陶器のように割れた敵の頭蓋の破片が刺さる。
松明の炎が怯む敵を2匹映し出した。敵は胸を貫かれ、断末魔の悲鳴をあげる間もなく目玉と歯を無作為にまき散らした。私は足を一歩踏み出した。
松明の炎が呆然とする敵を3匹映し出した。1匹は天井に頭を突っ込ませ、1匹は側面でぺしゃんこに潰れ、1匹は足元の水流に頭を突っ込み、失血死か溺死の中から一つ選ばなければならなくなった。私は松明を前方に投げ出した。
松明の炎が逃げ出そうとする敵を4匹映し出した。松明が宙を飛ぶ1秒にも満たない時間、自由になった私の両腕は鋼のこん棒と化して敵に襲いかかる。1匹は頭を体の中へめり込ませ、1匹は上半身の肉が四散し骨だけとなり、1匹はくの字に曲がったと思ったら、そのまま上半身が千切れ、1匹は胸を貫かれると同時に内臓を握りつぶされた。
「……奇妙ですね」
松明を左手で再び掴んだ私は、私を襲った敵が何であるかを知るために敵の遺骸に松明の明かりを近づける。その正体が何であるかに気づいた時、私の口からは思わずこの言葉が漏れだしていた。青白く、私よりも頭一つ小さい体躯、ぎょろりとむき出した目、歯並びが悪い口、前腕と胸を覆う白い毛、毛皮のブーツのような足。
敵はアイスゴブリンであった。
「氷を家とするゴブリンが、何故こんな場所に……?」
やはり、地下だからという理由だけでは説明できない。アイスフィッシュ、タイガガエル、アイスゴブリン……これらはいずれも一年中氷に閉ざされた北方氷河帯のような環境でしか生きられない生物だ。そんな彼らを中心とした生態系が、レッドサラマンダーが活動するような灼熱の環境のすぐ下で広がっているのである。こんな奇妙な現象が起こっている理由は是非とも知りたいが、今はそんな知的好奇心を満たすよりも重要な事実について、思考をめぐらせる必要がある。
アイスゴブリンは通常、20~30匹程度の群れで行動し、氷の上に集落を形成するモンスターである。そんなアイスゴブリンがいるということは、この地下水道のどこかに、集落を築けるだけの広さと厚さをもった氷が存在することを明示している。全く信じがたい、奇跡のような話であるが、今はこの事実を有難く噛み締めよう。不夜城を探索する上で拠点となりうる場所がどこかにあるというだけで、私の意気は上がってくる。
私はゴブリンたちが姿を現した方へと進んでいった。私に襲いかかってきたゴブリンたちが、何の獲物も抱えていなかったことを鑑みると、彼らは狩猟の帰りがけに私に遭遇したわけではない。縄張りを侵した私を撃退するために彼らは襲いかかってきたのだと考える方が自然である。
くじではなく、合理的な理由の下で行動できる今の状況を、私は嬉しく思う。私の体に溜まっていた余分な熱は既に完全に洗い流され、今はむしろ生命活動に必要な熱すらも奪い始めているこの冷水を煩わしく感じるまでになっていた。しかし、私に芽生えたこの確固たる自信は、水の流れに逆らう私の歩みをむしろ力強いものにする。
これからの出会いが、楽しみで仕方がない。
私は水路を歩き続けた。人間の触覚では知覚できない程の僅かな傾斜を設けることで、水が途絶えることなく流れ続ける機構を作り上げた「グロリオサ」の技術者に敬意を払いつつ、私は松明の炎が照らす道を歩く。
水路を進むほどに、水路に漂う空気は更に凍えていき、水路を構成する石材、流れる水の表面には、羊皮紙よりも薄い氷の層が出来ていく。私が足を踏み込むたびに、割れた氷が水の流れに乗って暗闇へと消えていく様子を見て、私は何か得体のしれない物に自分が徐々に近づいてきていることを認識した。
ゴブリンたちの歓迎は留まることを知らない。彼らは5~10匹ほどの小集団で私に幾度も襲いかかり、私はそのたびに自分の拳を彼らの血肉で汚していった。ゴブリンの群れと幾度も邂逅する中で、私が心に飼う期待感はますます高まっていく。常識的にあり得ないという戸惑いよりも、いったいどんな非常識が待ち受けているのだろうかと期待する気持ちが勝っていく過程は、自分事ながら楽しいものである。
「……おぉ……おおおぉ……」
宿を求める私の旅はやがて終わりを迎え、窮屈な地下水道から、広々とした空間へとたどり着く。私は、松明の光が照らした先にあった光景に、年甲斐もない興奮を覚えてしまった。この非常識なものばかりの探検行の終着地には、ふさわしい光景であった。
我が祖国を統べるアリウム王帝陛下の王城、その中でも最大の空間面積を誇る謁見の間よりも更に広いこの場所は、そのほとんどを氷で覆われていた。空気は私の吐く息が凍り付くほどに冷え込み、長く水に漬かった体は熱を得ようと震え続ける。
この氷はどうやって生まれたのか。なぜこんなにも巨大な氷塊が不夜城の地下で生まれているのか。寒冷地帯の生態系をここで見ることが出来る理由の答えにも直結するこの疑問は、松明の炎を氷塊へと近づけていくなかで氷解していった。
氷山とも表現できるほどに巨大なこの氷の塊の中心に、人の姿があった。既にこと切れている彼女が、私と同じ時代を生きていたわけではないことは、彼女が着ている衣装と、その左手に握ったままの弓の意匠から理解できる。理解はできるが……私の知識が導き出した推定は、再び戸惑いと興奮の綱引きを引き起こす。
彼女の衣装は、400年前に滅びた「グロリオサ」の軍団兵が着ていたそれとよく似ていた。甲殻類の殻のようにミスリル鋼板を幾重にも組み合わせたその軍装は、今や世界のどこの国も採用していない。彼女がその手に握る、オリハルコン製の弓を装備している国もまた、どこにも存在しない。これほどまでに充実した装備を供給できる国は、歴史的に見ても「グロリオサ」以外にない。私の知識は、彼女が400年前の世界を統べた超大国の兵士であると結論付けていた。
「……」
私は興奮に震えていた。彼女がこの氷山を生み出した張本人なのではないかと、私は考え始めていたのである。氷漬けにされた彼女の右手には一本の矢が握られていた。氷越しからだと見えにくいことこの上ないが、その矢には魔法陣のような文様が彫られていることは確認できた。魔法を使えない者が、そんな矢を持ち歩くとは考えづらい。武器に彫られる魔法陣は、魔術の発現を補助するための物であり、術者の魔力なしではこの魔法陣は発動しない。
つまり彼女の強大な魔力が、400年間溶けることのなかったこの氷塊を生み出したと考えることが自然なのである。
「……」
この事実を見て、興奮しない者がいるだろうか。私はこの時、氷を操る魔術師の遺体を見つけるという目的と、不夜城での長期の活動を可能とする拠点の発見という目的を同時に達成してしまったのである。
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