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5.2025年9月15日
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どうやらラディクルディ神は俺の祈りを聞き届けてくれたらしい。
朝から気持ちよい晴れ、しかも今日の気温は三十度を超えないらしい。
ルーティン通りに聖堂と屋外の清掃を済ませる。
今日は月曜日だが、普段と同じ時間に起きてそれだけ済ませると、いつも通りに纏っていたキャソックから着替える。
いつの間にか……というか、どう考えても極夜が買い揃えたのだが……俺用の服もセンスの良いお洒落めなものがクローゼットに収められていた。
「……どれを着たらいいんだ……」
自分でも、センスが野暮ったいのは理解している。
何しろ、基本的にはキャソックか部屋着しか着ないからだ。
近所への買物はお勤め中ならキャソックのままフラリと出てしまっていたし、あとは吊るしのスーツが一着あれば事足りていた。
「んん……?」
首を傾げてクローゼットを漁っていると、極夜の声が降ってきた。
「白夜、どうした? 掃除は終わったんだろ?」
「終わったけど……朝食、今日は外で食べてそのまま実家に戻るだろ?」
俺の言葉でピンと来たのか、極夜はスタスタと歩み寄って来てひょいとクローゼットを覗き込んだ。
「なるほど、何を着たらいいのか分からない、と。お兄ちゃんに任せなさい」
極夜は言うなり服を選び出した。一切の迷いがない。
白いカジュアルシャツとネイビーの細身のパンツ。
「はい、これでよし」
「……子供の頃みたいなお揃いを選ばれなくてホッとした」
思わず零した俺に、極夜は苦笑した。
「この歳になって双子コーデは流石にキツいだろ」
よくよく見れば、極夜は黒いTシャツにベージュのスラックスを纏っていた。普段よりは少し余所行き感がある……?
観察している俺の視線に、極夜はふふんと笑った。
「母さんに会うのも二十五年ぶりだからな。流石にいつもみたいなラフな服装じゃまずいだろ。ただでさえフラフラしていたって設定にしたんだから……せめてもの好印象作戦だ」
兄なりに考えていた、ということか。
着替えたら出掛けるぞ、と言いおいて一旦寝室を出た極夜を見送り、俺はさっさと着替えてしまう。
適当にベルトを選んで、目視で着崩れがないか確認して、準備良し。
スマホをポケットに入れようとして、いやいや待て待て、と思い直す。
クローゼットを確認すると、ちょこんとショルダーバッグが置いてあった。
――これでいいか。
スマホと財布、ハンカチやポケットティッシュ、ウェットティッシュをひょいひょいと放り込んで、もう一度全身を確認。
「よし」
部屋を出る。
キッチンへ顔を出すと、極夜が俺を確認して立ち上がった。
「準備できたか?」
「うん」
「よし、じゃあ出るか」
極夜に促されて、裏口から生活スペースを出る。
――流石に日差しはまだ強い。
「晴れて助かったな、雨の中出歩くのは気分じゃない」
同意だ、祈りを捧げておいた甲斐があるというものだ。――まぁ、信仰心は相応に吸われただろうけど。
駅に向かって並んで歩きながら、極夜が問いかけてくる。
「何食べる?」
「うーん……駅前にあるカフェで少し食べれば十分」
「そうか? いくら何でももう少し……」
「極夜、お前は理解していない」
「ん?」
「母さんが、久々に顔を出す息子と行方が分からなかった息子が帰ってくるのに合わせて、大量の昼食を用意しているというのは想像に難くない」
「――なるほど……残せないわけか」
「なんなら、朝食はいらない。コーヒーでも飲めば俺は十分だ」
「了解、じゃあカフェでさっと済ませよう」
じわじわと気温が上がっていく中を、二人でテクテク歩いていく。
駅までは徒歩で十五分ちょっと。
昨晩、「実家までタクシー使おう」と極夜に提案されて却下した。
まず、タクシーがなかなか配車されないというのもあるし、その待ち時間で駅まで歩いた方が早い。
その俺の結論に、極夜は「確かに合理的な判断だ」と頷いていた。
時間の無駄を嫌う極夜は、こうやって説得するに限る。
そんな事を考えながら、ぽつぽつと会話を交わして駅まで辿り着いた。
チェーンのカフェに入って、俺はアイスカフェラテを、極夜はアイスコーヒーにかぼちゃとクリームチーズのベーグルサンドを注文した。
さっさと飲食を済ませて、駅へ向かい、来た電車に乗って……実家の最寄り駅へと向かった。
――多少救われたのは、満員電車に乗るというのは避けられたことだった。
これも神に感謝してもいいかもしれないな。
実家の最寄駅から実家までは、これまた徒歩で二十分ほど。
極夜は当然のように合理性を発揮して、問答無用で駅前で客待ちをしているタクシーに俺を押し込んだ。
あるものを使うのは当然。
極夜の思考はそうなっているので、俺はもう拒絶はしなかった。
運転手さんに実家の場所を伝え、後はすーっと運ばれていくのみ。
あっという間に実家に到着。
時刻は十一時前。
家の前に降ろされて、やや緊張してくる。
横に立っている極夜を窺うと、平然とした顔をしていた。
「俺より緊張しててもおかしくないんじゃ?」
思わず問いかけると、極夜はニタリと笑った。
「別に? 母さんの記憶自体はちゃんと辻褄合わせてあるし。まぁ、お説教は免れないだろうけど、お前がいれば母さんの機嫌もすぐ直るだろ。昔から母さんは白夜に甘いからな」
くっ、そこまで計算していたのか、この兄は……。
「ついでに、母さんが好きな柑橘類使った焼き菓子のギフトを持ってきた。これで完璧」
「用意周到……まぁいいや」
インターフォンのボタンを押すと、ややあって「どちら様?」という声が返ってきた。
「母さん、白夜。極夜も連れてきた」
「今開けるわ!」
ブツッと乱暴にマイクが切れて、程なく玄関がバーンと開いた。
「極夜! あなた、五年も何してたの!?」
その反応を観察していた極夜が、さらりといなす。
「母さん、近所迷惑」
「……とにかく上がりなさい。極夜はお説教。白夜は……家にいた頃より痩せたわね? ご飯作って待ってたから、たくさん食べなさい」
――案の定だ。身動きできなくなるまで食べさせられるぞ、これ……。
こっそりため息を吐き、母さんに促されて久々の実家に上がる。
真っ先に向かったのは……リビングに置いてある父の写真の前だ。
俺達の父親は、まだ極夜がこちらにいた頃……五歳の時に天へ帰った。
もともと体が弱かったそうだが、俺達が生まれたことで我武者羅に働くようになり、ある日体調を崩したら……あっという間だったと聞いた。
そんな父に神父として、息子として声をかける。
「神の御許で安らかに過ごされていますか」
手を組んでポツンと零す俺を眺めていた極夜は、俺の横に並んで「……久し振りだね、父さん」とだけ呟いた。
それを待っていた母さんは、
「極夜、こっちにいらっしゃい」
と、厳しい声で言った。ソファを指し示す母さんに、極夜は「あー」と一瞬の思考停止音を口から溢れさせ、脳内会議が終わったのか携えていたトートバッグからごそごそと箱を取り出していた。
「取り敢えず、母さん。これ、手土産」
「…………そんなもので誤魔化されませんからね、お母さんは」
いや、もうそっちに気が向いている。
三冬小夜子という女性は、こういう性格なのだ。
極夜がテーブルに差し出した箱をそわそわと眺めながら、母さんは口を開く。
「ちなみに……何かしら?」
「限定品の柑橘を使ったブラウニー」
「!――ま、まあいいでしょう。五年間、何をしていたのかきちんと話しなさい。白夜、お母さん、紅茶、ミルクティー」
この母は間違いなく俺の母だと理解できる。
同時に極夜の母なのだと。
「あぁ、白夜が淹れるより俺が淹れた方が上手だから」
口実が出来たとばかりに極夜が即座にキッチンへと逃げた。残された俺の前で、母さんはウキウキで箱を開けている。
「あらぁ、ピールが乗ってるのね! お母さんこういうのだーい好き!」
――極夜のKO勝ち。
俺としてはそう判定するしかなかった。
その後、ご機嫌の母さんに「世界を見て回っていた」とかいうでっち上げた理由を話して、焼き菓子一つでまんまと許された極夜と共に、大量の好物を昼食として出されて胃に詰め込んだ。
「もっと食べなさい、白夜は昔から食が細くていけないわ。お兄ちゃんぐらいちゃんと食べないとだめよ」
――勘弁してくれ、俺はもう二十七歳だぞ……。
そんなことをぼやこうものなら、すぐに倍ぐらいになって好物が目の前に詰まれる。
それを良く理解していたからこそ、俺は大人しく食べ物を口に運んでいた。
結局、母さんの気が済むまで構われて、俺達は夕方にようやく解放された。
「たまには帰ってらっしゃいよ、尊いお勤めなのは分かってるけど」
母さんは別れ際にそんなことを口にした。
――分かってはいる。家族の思い出だけが残っているこの家で、一人で生きていくのは寂しいだろう。
それでも、俺は神に仕える道を選んだのだから仕方ない。
だが、極夜は……。
最寄り駅までの帰り道、昔みたいに二人で並んで歩きながら、ふと聞いてみた。
「極夜」
「ん?」
「母さんのところに戻るつも」
「りは無いぞ」
「む……」
「俺一人では戻らない。お前と一緒なら戻る。俺はもうお前を離すつもりは無いから」
「――だよなぁ」
「母さんは大丈夫だよ、なんか毎日、近所のマダム達と楽しくやってるってさ」
いつの間にそんなことを聞き出したんだ。
そう思わないでもなかったが、恐らく母さんは極夜の姿を確認して安堵したんだろう。
なので、言わずにいられなかった。
「俺が仕事してる間にでも、極夜は母さんの様子見に行ったら?」
「あー、それは考えておく。適度にご機嫌伺いはしておくべきだ」
極夜的にはそれが最適解なのだろう。
歩きながら、ぐっと体を伸ばした。
「お腹いっぱいで気持ち悪い」
「今日は夕食なんて無理だな」
「明日の朝も無理そう」
「それはダメだ、明日の朝はちゃんと作るから」
「……軽くしてくれ」
「あぁ、分かってる」
何気ない会話、あの頃の様に、二人で。
あー、なるほど。
俺もようやく安心したのかもしれない。
あの日、母親に否定された存在が戻ってきたことを、母親の態度で確認することが出来て。
まだ夕焼けの時間ではない。
ゆっくりと傾いていく太陽に向かって、二人で歩いていく。
お菓子、買って帰ろうかな。
「白夜、お菓子買って帰るか?」
同じことを考えていた兄に苦笑する。
「コンビニで駄菓子買って帰ろうか、お兄ちゃん?」
その言葉に、極夜は穏やかに笑っていた。
「あの頃のままだな」
「うん」
そう、ようやく戻ってきたんだ。
日常が。
この日、俺と極夜はコンビニで駄菓子をあれこれと買って、懐かしさを抱えて教会へと戻ったのだった。
朝から気持ちよい晴れ、しかも今日の気温は三十度を超えないらしい。
ルーティン通りに聖堂と屋外の清掃を済ませる。
今日は月曜日だが、普段と同じ時間に起きてそれだけ済ませると、いつも通りに纏っていたキャソックから着替える。
いつの間にか……というか、どう考えても極夜が買い揃えたのだが……俺用の服もセンスの良いお洒落めなものがクローゼットに収められていた。
「……どれを着たらいいんだ……」
自分でも、センスが野暮ったいのは理解している。
何しろ、基本的にはキャソックか部屋着しか着ないからだ。
近所への買物はお勤め中ならキャソックのままフラリと出てしまっていたし、あとは吊るしのスーツが一着あれば事足りていた。
「んん……?」
首を傾げてクローゼットを漁っていると、極夜の声が降ってきた。
「白夜、どうした? 掃除は終わったんだろ?」
「終わったけど……朝食、今日は外で食べてそのまま実家に戻るだろ?」
俺の言葉でピンと来たのか、極夜はスタスタと歩み寄って来てひょいとクローゼットを覗き込んだ。
「なるほど、何を着たらいいのか分からない、と。お兄ちゃんに任せなさい」
極夜は言うなり服を選び出した。一切の迷いがない。
白いカジュアルシャツとネイビーの細身のパンツ。
「はい、これでよし」
「……子供の頃みたいなお揃いを選ばれなくてホッとした」
思わず零した俺に、極夜は苦笑した。
「この歳になって双子コーデは流石にキツいだろ」
よくよく見れば、極夜は黒いTシャツにベージュのスラックスを纏っていた。普段よりは少し余所行き感がある……?
観察している俺の視線に、極夜はふふんと笑った。
「母さんに会うのも二十五年ぶりだからな。流石にいつもみたいなラフな服装じゃまずいだろ。ただでさえフラフラしていたって設定にしたんだから……せめてもの好印象作戦だ」
兄なりに考えていた、ということか。
着替えたら出掛けるぞ、と言いおいて一旦寝室を出た極夜を見送り、俺はさっさと着替えてしまう。
適当にベルトを選んで、目視で着崩れがないか確認して、準備良し。
スマホをポケットに入れようとして、いやいや待て待て、と思い直す。
クローゼットを確認すると、ちょこんとショルダーバッグが置いてあった。
――これでいいか。
スマホと財布、ハンカチやポケットティッシュ、ウェットティッシュをひょいひょいと放り込んで、もう一度全身を確認。
「よし」
部屋を出る。
キッチンへ顔を出すと、極夜が俺を確認して立ち上がった。
「準備できたか?」
「うん」
「よし、じゃあ出るか」
極夜に促されて、裏口から生活スペースを出る。
――流石に日差しはまだ強い。
「晴れて助かったな、雨の中出歩くのは気分じゃない」
同意だ、祈りを捧げておいた甲斐があるというものだ。――まぁ、信仰心は相応に吸われただろうけど。
駅に向かって並んで歩きながら、極夜が問いかけてくる。
「何食べる?」
「うーん……駅前にあるカフェで少し食べれば十分」
「そうか? いくら何でももう少し……」
「極夜、お前は理解していない」
「ん?」
「母さんが、久々に顔を出す息子と行方が分からなかった息子が帰ってくるのに合わせて、大量の昼食を用意しているというのは想像に難くない」
「――なるほど……残せないわけか」
「なんなら、朝食はいらない。コーヒーでも飲めば俺は十分だ」
「了解、じゃあカフェでさっと済ませよう」
じわじわと気温が上がっていく中を、二人でテクテク歩いていく。
駅までは徒歩で十五分ちょっと。
昨晩、「実家までタクシー使おう」と極夜に提案されて却下した。
まず、タクシーがなかなか配車されないというのもあるし、その待ち時間で駅まで歩いた方が早い。
その俺の結論に、極夜は「確かに合理的な判断だ」と頷いていた。
時間の無駄を嫌う極夜は、こうやって説得するに限る。
そんな事を考えながら、ぽつぽつと会話を交わして駅まで辿り着いた。
チェーンのカフェに入って、俺はアイスカフェラテを、極夜はアイスコーヒーにかぼちゃとクリームチーズのベーグルサンドを注文した。
さっさと飲食を済ませて、駅へ向かい、来た電車に乗って……実家の最寄り駅へと向かった。
――多少救われたのは、満員電車に乗るというのは避けられたことだった。
これも神に感謝してもいいかもしれないな。
実家の最寄駅から実家までは、これまた徒歩で二十分ほど。
極夜は当然のように合理性を発揮して、問答無用で駅前で客待ちをしているタクシーに俺を押し込んだ。
あるものを使うのは当然。
極夜の思考はそうなっているので、俺はもう拒絶はしなかった。
運転手さんに実家の場所を伝え、後はすーっと運ばれていくのみ。
あっという間に実家に到着。
時刻は十一時前。
家の前に降ろされて、やや緊張してくる。
横に立っている極夜を窺うと、平然とした顔をしていた。
「俺より緊張しててもおかしくないんじゃ?」
思わず問いかけると、極夜はニタリと笑った。
「別に? 母さんの記憶自体はちゃんと辻褄合わせてあるし。まぁ、お説教は免れないだろうけど、お前がいれば母さんの機嫌もすぐ直るだろ。昔から母さんは白夜に甘いからな」
くっ、そこまで計算していたのか、この兄は……。
「ついでに、母さんが好きな柑橘類使った焼き菓子のギフトを持ってきた。これで完璧」
「用意周到……まぁいいや」
インターフォンのボタンを押すと、ややあって「どちら様?」という声が返ってきた。
「母さん、白夜。極夜も連れてきた」
「今開けるわ!」
ブツッと乱暴にマイクが切れて、程なく玄関がバーンと開いた。
「極夜! あなた、五年も何してたの!?」
その反応を観察していた極夜が、さらりといなす。
「母さん、近所迷惑」
「……とにかく上がりなさい。極夜はお説教。白夜は……家にいた頃より痩せたわね? ご飯作って待ってたから、たくさん食べなさい」
――案の定だ。身動きできなくなるまで食べさせられるぞ、これ……。
こっそりため息を吐き、母さんに促されて久々の実家に上がる。
真っ先に向かったのは……リビングに置いてある父の写真の前だ。
俺達の父親は、まだ極夜がこちらにいた頃……五歳の時に天へ帰った。
もともと体が弱かったそうだが、俺達が生まれたことで我武者羅に働くようになり、ある日体調を崩したら……あっという間だったと聞いた。
そんな父に神父として、息子として声をかける。
「神の御許で安らかに過ごされていますか」
手を組んでポツンと零す俺を眺めていた極夜は、俺の横に並んで「……久し振りだね、父さん」とだけ呟いた。
それを待っていた母さんは、
「極夜、こっちにいらっしゃい」
と、厳しい声で言った。ソファを指し示す母さんに、極夜は「あー」と一瞬の思考停止音を口から溢れさせ、脳内会議が終わったのか携えていたトートバッグからごそごそと箱を取り出していた。
「取り敢えず、母さん。これ、手土産」
「…………そんなもので誤魔化されませんからね、お母さんは」
いや、もうそっちに気が向いている。
三冬小夜子という女性は、こういう性格なのだ。
極夜がテーブルに差し出した箱をそわそわと眺めながら、母さんは口を開く。
「ちなみに……何かしら?」
「限定品の柑橘を使ったブラウニー」
「!――ま、まあいいでしょう。五年間、何をしていたのかきちんと話しなさい。白夜、お母さん、紅茶、ミルクティー」
この母は間違いなく俺の母だと理解できる。
同時に極夜の母なのだと。
「あぁ、白夜が淹れるより俺が淹れた方が上手だから」
口実が出来たとばかりに極夜が即座にキッチンへと逃げた。残された俺の前で、母さんはウキウキで箱を開けている。
「あらぁ、ピールが乗ってるのね! お母さんこういうのだーい好き!」
――極夜のKO勝ち。
俺としてはそう判定するしかなかった。
その後、ご機嫌の母さんに「世界を見て回っていた」とかいうでっち上げた理由を話して、焼き菓子一つでまんまと許された極夜と共に、大量の好物を昼食として出されて胃に詰め込んだ。
「もっと食べなさい、白夜は昔から食が細くていけないわ。お兄ちゃんぐらいちゃんと食べないとだめよ」
――勘弁してくれ、俺はもう二十七歳だぞ……。
そんなことをぼやこうものなら、すぐに倍ぐらいになって好物が目の前に詰まれる。
それを良く理解していたからこそ、俺は大人しく食べ物を口に運んでいた。
結局、母さんの気が済むまで構われて、俺達は夕方にようやく解放された。
「たまには帰ってらっしゃいよ、尊いお勤めなのは分かってるけど」
母さんは別れ際にそんなことを口にした。
――分かってはいる。家族の思い出だけが残っているこの家で、一人で生きていくのは寂しいだろう。
それでも、俺は神に仕える道を選んだのだから仕方ない。
だが、極夜は……。
最寄り駅までの帰り道、昔みたいに二人で並んで歩きながら、ふと聞いてみた。
「極夜」
「ん?」
「母さんのところに戻るつも」
「りは無いぞ」
「む……」
「俺一人では戻らない。お前と一緒なら戻る。俺はもうお前を離すつもりは無いから」
「――だよなぁ」
「母さんは大丈夫だよ、なんか毎日、近所のマダム達と楽しくやってるってさ」
いつの間にそんなことを聞き出したんだ。
そう思わないでもなかったが、恐らく母さんは極夜の姿を確認して安堵したんだろう。
なので、言わずにいられなかった。
「俺が仕事してる間にでも、極夜は母さんの様子見に行ったら?」
「あー、それは考えておく。適度にご機嫌伺いはしておくべきだ」
極夜的にはそれが最適解なのだろう。
歩きながら、ぐっと体を伸ばした。
「お腹いっぱいで気持ち悪い」
「今日は夕食なんて無理だな」
「明日の朝も無理そう」
「それはダメだ、明日の朝はちゃんと作るから」
「……軽くしてくれ」
「あぁ、分かってる」
何気ない会話、あの頃の様に、二人で。
あー、なるほど。
俺もようやく安心したのかもしれない。
あの日、母親に否定された存在が戻ってきたことを、母親の態度で確認することが出来て。
まだ夕焼けの時間ではない。
ゆっくりと傾いていく太陽に向かって、二人で歩いていく。
お菓子、買って帰ろうかな。
「白夜、お菓子買って帰るか?」
同じことを考えていた兄に苦笑する。
「コンビニで駄菓子買って帰ろうか、お兄ちゃん?」
その言葉に、極夜は穏やかに笑っていた。
「あの頃のままだな」
「うん」
そう、ようやく戻ってきたんだ。
日常が。
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