簒奪女王と隔絶の果て

紺乃 安

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フィスカルボの諍乱

グラディスの女王 2

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 十代のベアトリスに家督かとくを任せる決断をした父エーリクは、ノルドグレーンの上流階級にあって例を見ないほど温和で誠実な男であり――それ以外に取り柄のない凡庸な愚物ぐぶつである、と社交界では評されていた。その嘲笑ちょうしょう的な評価に対し、憤慨ふんがいするでもなく柳に風と受け流しているうちに、口汚い嘲罵ちょうばの声はなくなった。
 そうした声に対し、本人に代わって腹を立てていたのが妻のオリーヴィアだ。とはいっても、エーリクに対する人物評に反論していたわけではなく、その舌鋒ぜっぽうは主として、嘲罵する者たちの価値観の貧困さへ向けられていたのだが。
 このベアトリスの母でもある女は、出自はローセンダール家のような名門ではないが、にもかかわらずその名はノルドグレーンの社交界に広く知れ渡っていた。たぐいない聡明さと、美貌びぼうと、恐るべき気の強さを併せ持ち、畏敬いけいと皮肉ふたつの意味を込めて“グラディスの女王”と異名されていたほどだ。
 ベアトリスの容貌は万人が母譲りと認めるもので、また知識と教養は、オリーヴィアが開いていたサロンに集っていた学者や詩人たちから吸収したものだった。ベアトリスが備える、目立って華々しい幾つかの特性の涵養かんようについて、母オリーヴィアが与えた影響は大きい。
 ベアトリスが十六歳の頃に母は亡くなったが、その存命中からグラディス・ローセンダール家の意思決定はオリーヴィアに一任されており、エーリクはほぼ名目上の代表者という地位に収まっていた。ローセンダール家を現在の規模に拡大したのはベアトリスだが、そのいしずえを築いたのはオリーヴィアである。ベアトリスが家長の座に就いているのも、その母の遺言によるものだった。

 こんにちのベアトリスの栄耀えいようは、母娘二代をかけて築かれた、ある面では地道な功績の積み重ねによるものだとも言える。だがそれを、専横であると批判する者も多数存在した。過度な権力の集中に対する道義的批判であればともかく、浅薄せんぱくねたみからそう発言する者がいれば、権力闘争における対抗意識の発露として、道義を隠れみのにそう発言する者もいる。ベアトリスはこれから、後者の最右翼ともいうべき人物と対面することになっていた。そのために十日以上もかけてグラディスに戻ってきたのだが、わざわざ不愉快な面会に臨むのは、それ相応の避けがたい理由があるのだった。
「ふん、相変わらず美しいな」
 応接間の扉を女中に開けさせて入ってきた男が、長椅子に掛けたベアトリスを視界に認めると吐き捨てるように言った。夢で聞いたノアの言葉とは違い、わずかほども敬愛の念は込められていない。その来客は、名をヴァルデマル・ローセンダールといった。羽織った丈の長い上衣ジュストコールは仕立ての良さを物語る光沢ときらびやかな薔薇ばら模様の刺繍ししゅうに彩られ、衣服ひとつで属する階級が分かる豪奢ごうしゃな装いで身をよろい、ベアトリスをめつけている。この中年を過ぎた男が、ローセンダール本家の家長であり、ベアトリスがもっとも嫌悪する忌敵いみがたきだった。
 そうした内心とは裏腹に、ベアトリスは涼し気な笑顔でヴァルデマルに挨拶した。
「ご機嫌麗しゅう、伯父御おじご様」
「……エーリクはどうした?」
「父は体調がすぐれませんので」
「ふん、まあ丁度いい。お前に対する用向きで、わざわざこうして来てやったのだからな」
「あら、そうでしたの」
 話を故意にはぐらかすベアトリスに、ヴァルデマルの目つきが険しさを増した。
「無駄話は好かん」
「それは同意いたしますわ」
「……人払いをせよ!」
 ヴァルデマルは高圧的な声を上げた。壁際に控えていたベアトリスの給仕きゅうじたちがざわめく。
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