簒奪女王と隔絶の果て

紺乃 安

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フィスカルボの諍乱

矛盾の人 6

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「平等、福音、自由……いやあ、遠い理想ですなあ」
 ラーゲルフェルトはわざとらしく言って背伸びをし、癖の強いブラウンの髪をかきむしった。
「ヴァルデマルには人語を解する知性すらない……か。ノルシュトレームもずいぶんな遁辞とんじを考えたものね」
「いちど、さる地方の定期刊行紙に請われてヴァルデマル絡みの論考を書いたときなんて、あやつ絡みの仕事で得た汚い金など、といって原稿料を僕に投げてよこしましたからね」
「意外に潔癖けっぺきなのね」
「そうなんです。顔に似合わず」
 少なくともラーゲルフェルトの見立てでは、ヴァルデマルに比べればベアトリスのほうが、老哲学者にはずいぶん好意的に評価されているということだった。

 こうした――ベアトリスにとって意外な――経緯で、ラーゲルフェルトはベアトリスの麾下きかに招き入れられた。彼に期待していた能力は組織運営における調停者、とくにベアトリスの不在時に、状況判断を一任できる感性と知性だった。
 環境によって構築されたものらしい遵法じゅんぽう意識と、生得的かは知れぬがずば抜けた知性を兼ね備えたラーゲルフェルトは、ベアトリスの期待以上の働きをしてくれている。グラディスとフィスカルボを任せたあとで気づいたことだが、彼はどうやら、統制や治安維持のため権謀術数けんぼうじゅっすう主義的な対応を国民に対して行う内務省や、言行不一致な者たちが虚実きょじつ入り混じった交渉を続ける外務省といった集団とも、渡り合える性質の知性も併せ持っているようだった。彼の名を知ったのは法務省の官吏かんりとしてだが、謀略ぼうりゃくに満ちた世界のほうが適任ではないかとさえ、今のベアトリスは考えていた。

 青々と棘を伸ばすアカマツの針状葉しんじょうようが、夕日に照らされ赤く輝き、地面に巨大な蝶の群れのような陰を作っている。一台の馬車がグラディスとフィスカルボの中間の村、トレインスレット郊外の廃址はいしに停まった。崩れた石壁や雑草に覆われた石段が、過ぎ去った時の無情さと往時おうじの繁栄を想起させる。
 まだ日は落ちていないがすでに初夜に近く、あとひと月もすれば、ノルドグレーン中北部は日の沈まない白夜の季節に入る。停まった馬車から、ベアトリス・ローセンダールとオラシオ・アルバレスが降り立った。高低差の大きい二つの人影を見定めたように、崩れた城壁の陰から一人の男が姿を現した。
「まだ無事なようですね」
 警戒した様子もなく、アルバレスが人影に呼びかける。
「やあ、どうもどうもお二人さん」
「久し振りね、ラーゲルフェルト」
 軽い調子で挨拶を返した男は、ステファン・ラーゲルフェルトだった。
「やあどうも隊長さん。ちゃんと来てくれましたね」
「やめてくださいますか、その呼び方は」
「じゃあオラシオくん、でいいかい」
「……前者で」
 ラーゲルフェルトはアルバレスを「隊長さん」と呼ぶ。彼がベアトリスを守る親衛隊の隊長であるからだが、他にもさまざまな「隊長」は存在する。
「……して、わざわざ私の同行を書き添えてくる以上、さぞ物騒な事態なのでしょうね」
「今回はちょっと、肝が冷えましたよ僕は」
 ラーゲルフェルトはツグミの巣のような頭髪を掻きながら言った。彼が仮住まいを構えるフィスカルボではなく、わざわざ郊外の廃墟で密会する――ラーゲルフェルトは最近街を歩いていて、しばしば明らかに不穏な人影と視線を感じることあった。つまり尾行、監視されているのだろう。そうした問題が起きたときのため、ラーゲルフェルトはあらかじめこの廃址を見つけ、密会場所として報告書で指定していたのだ。
「衝突は、避けられそうにないかしら」
「まあ僕は避けたかったんですけども、たぶん無理ですねえ」
「相変わらず軽く言ってくれるわね」
「口調くらいは軽くないと、誰も近づきませんよ、この危険な男には」
「言ってくれるじゃないか君は」
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