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フィスカルボの諍乱
夕凪 1
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港湾都市フィスカルボの目抜き通りは、朝に水揚げされた魚や野菜を市場で仕入れた人々や交易商、仕立て屋や大工の奉公人、子どもたちから生業のわからぬ者たちまでが雑多に往来し、街の繁栄ぶりを物語る賑わいようだ。その通りの中間に位置し港を見下ろせる噴水広場は、フィスカルボ商業区画の一等地である。スヴァルトラスト・ヴァードシュースは噴水広場に面して品格のある建物を構え、とくに取引を成功させて懐具合のよい商人や、資産家御用達の宿として名を知られた老舗宿だ。
その店の裏手側の戸口でオラシオ・アルバレスが、折目高い身なりをした従業員と立ち話をしている。
「……私どもは、お客様に安心してお泊まりいただけるよう、常に細心の注意を払っております。酒場の用心棒から給仕係まで、不審な者を見かけたという報告はありません」
「なるほど。スヴァルトラストの名を信頼しましょう」
「ありがとうございます。ではお部屋はいつもどおり、大鷲の間でよろしいですか?」
「それから、隣と階下の部屋も」
「かしこまりました」
郊外のフォルサンド邸から市街地に宿を移すにあたり、アルバレスはベアトリス・ローセンダールの身辺警護責任者として、神経質にならざるを得ない。周辺で変わったことはなかったか――たとえば、見慣れぬ風体の者たちが遠巻きに宿を見張っていたり、誰が泊まっているか尋ねてくる者がいなかったか――など、前もって確認しておくべき事項は多かった。その点で、スヴァルトラスト・ヴァードシュースの、宿泊客の身の安全に対する――支払う金額にもよるが――高水準の配慮は、たとえベアトリスがこの宿のオーナーでなかったとしても、選ぶ価値のあるものだ。
昼過ぎ、スヴァルトラストの併設酒場で、ベアトリスたちが遅い昼食をとっている。他に客はおらず、話題が暗殺や陰謀でも、気兼ねすることなく話せそうだ。
「エクレフがスカーフを持ってオットソンと話してくれるなら、スヴァルトラストの最高級ディナーを毎日ふるまってもいいわ」
酒場の厨房はまだ夕食用の食材を仕入れておらず、ありあわせの食材で作らせた料理だったが、ベアトリスは上機嫌だ。その理由は、フィスカルボの混乱に展望が開けたことと、前日の夕食と比べて遥かに上等な料理の味と、一体どちらが勝っているだろうか。
「いくら所有者でも、きっちり全額補填しないと従業員が労働争議を起こしますよ。エクレフは、体に見合った量の倍は食べるそうです」
「いいんじゃないかしら?」
「そうですよラーゲル。けちくさいことを言ってないで、このさい巧遅ではなく拙速に解決を急ぐべきです」
アルバレスの視線の先にあった魚介のテリーヌに、ラーゲルフェルトが素早くフォークを突き立てた。
「しかし何ですな……はじめっからここに泊まってれば楽だったかな、って気もしますね。暗殺者が来ても、他の客が騒いで状況が混乱してるうちに、人混みにまぎれて楽に逃げ出せたと思うんですよ」
「確かに混乱のさなかなら、その機会も多そうだけれど……」
その店の裏手側の戸口でオラシオ・アルバレスが、折目高い身なりをした従業員と立ち話をしている。
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「なるほど。スヴァルトラストの名を信頼しましょう」
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「それから、隣と階下の部屋も」
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