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フィスカルボの諍乱
決闘 5
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「三、二、一……」
緊張の糸が引きちぎれそうなほど張り詰める。悲痛な顔でわがことのように歯を食いしばるアリサからは、歯ぎしりする音が聞こえてきそうだ。
「はじめ!」
ノルシュトレームが最後の言葉を叫ぶ。ベアトリスとオットソンは同時に振り向き、互いに銃を向けた。
ベアトリスは息を止め、左手首の上に銃を握った右手を添え、オットソンの胴体に狙いを定めた。
ベアトリスのからだに見えない糸で結び付けられているかのように、オットソンの銃口はベアトリスの胸の中心を捉えている。
ベアトリスが銃を構える右肩の向こうから、一台の馬車がやってくるのが見える。
ベアトリスの背後からこちらに向かってくる馬車に、オットソンは見覚えがあった。
――あれはおれの家の馬車だ。乗っているのは誰だ? まさか遅れていたエクレフの野郎が、おれの妻か誰かでも連れて、今頃のこのこやってきたのか? それがどうしたというんだ? 答えろ。
オットソンは引き金を引いた。ふたつの銃声がギルヤの森にたちこめる霧を揺らす。
ベアトリスは短く声を上げ、左の上腕を押さえて膝をついた。オットソンのはなった銃弾がベアトリスの左上腕の外側を貫き、白樺の幹が流れ弾を受け止めた。
オットソンは左胸を強く押されたように、うしろに倒れた。上衣の下に着込んだ少薄片の鎧が銃弾を受け止め、その衝撃がオットソンの上体を弾き飛ばしたのだ。
「主公様!」
アリサが悲鳴のような声を上げて駆け寄る。ベアトリスの左腕をかすめるように貫いた弾丸は、にぶい刃で肉を切り裂いたように、彼女の上腕に大きな傷を作っていた。薔薇のような赤い血があふれ出す傷口を右手で押さえ、苦痛に歪んだ表情のベアトリスがゆっくりと顔を上げる。
「どうやら……勝ったのかしらね……」
「オットソンは倒れています。主公様の勝ちです!」
血の赤色が、青いドレスの左袖を深紫色に染める。アリサは迷いなくドレスの左腕を裂き、酒精を含ませた布を傷口に当てた。ベアトリスが苦痛に押し殺したうめき声を上げる。
ノルシュトレームが深いため息をつき、膝から崩れるように椅子についた。
「イェルケル!」
ベアトリスの背後から近づいてきていた馬車が停まり、汗で髪をぬらしたエクレフが、オットソンの名を叫びながら飛び出してきた。左肩を押さえて呆然と空を見上げていたオットソンに駆け寄り、上体をささえて抱き起こす。
「エクレフ……馬鹿野郎め。なぜ今ごろ来た。よりによって」
「おお、無事なのだな!」
「お前が来なければ……」
「言うな。もういいだろう」
エクレフの言葉に従ったかのように、オットソンはそれ以上の悪態はつかなかった。
エクレフが乗っているかもしれない馬車を見て、オットソンは銃口をそらした。ほとんど憎悪に取り憑かれているかのようだったオットソンに、しかしまだ別の正気は残っていたのだろう。お前が来なければ勝っていた――とは、オットソンは言い切らずに、言葉を飲み込んだのだ。
オットソンはエクレフとシベリウスの肩を借りて馬車に乗り、ベアトリスにはなにも言わず、霧の決闘場から姿を消した。
緊張の糸が引きちぎれそうなほど張り詰める。悲痛な顔でわがことのように歯を食いしばるアリサからは、歯ぎしりする音が聞こえてきそうだ。
「はじめ!」
ノルシュトレームが最後の言葉を叫ぶ。ベアトリスとオットソンは同時に振り向き、互いに銃を向けた。
ベアトリスは息を止め、左手首の上に銃を握った右手を添え、オットソンの胴体に狙いを定めた。
ベアトリスのからだに見えない糸で結び付けられているかのように、オットソンの銃口はベアトリスの胸の中心を捉えている。
ベアトリスが銃を構える右肩の向こうから、一台の馬車がやってくるのが見える。
ベアトリスの背後からこちらに向かってくる馬車に、オットソンは見覚えがあった。
――あれはおれの家の馬車だ。乗っているのは誰だ? まさか遅れていたエクレフの野郎が、おれの妻か誰かでも連れて、今頃のこのこやってきたのか? それがどうしたというんだ? 答えろ。
オットソンは引き金を引いた。ふたつの銃声がギルヤの森にたちこめる霧を揺らす。
ベアトリスは短く声を上げ、左の上腕を押さえて膝をついた。オットソンのはなった銃弾がベアトリスの左上腕の外側を貫き、白樺の幹が流れ弾を受け止めた。
オットソンは左胸を強く押されたように、うしろに倒れた。上衣の下に着込んだ少薄片の鎧が銃弾を受け止め、その衝撃がオットソンの上体を弾き飛ばしたのだ。
「主公様!」
アリサが悲鳴のような声を上げて駆け寄る。ベアトリスの左腕をかすめるように貫いた弾丸は、にぶい刃で肉を切り裂いたように、彼女の上腕に大きな傷を作っていた。薔薇のような赤い血があふれ出す傷口を右手で押さえ、苦痛に歪んだ表情のベアトリスがゆっくりと顔を上げる。
「どうやら……勝ったのかしらね……」
「オットソンは倒れています。主公様の勝ちです!」
血の赤色が、青いドレスの左袖を深紫色に染める。アリサは迷いなくドレスの左腕を裂き、酒精を含ませた布を傷口に当てた。ベアトリスが苦痛に押し殺したうめき声を上げる。
ノルシュトレームが深いため息をつき、膝から崩れるように椅子についた。
「イェルケル!」
ベアトリスの背後から近づいてきていた馬車が停まり、汗で髪をぬらしたエクレフが、オットソンの名を叫びながら飛び出してきた。左肩を押さえて呆然と空を見上げていたオットソンに駆け寄り、上体をささえて抱き起こす。
「エクレフ……馬鹿野郎め。なぜ今ごろ来た。よりによって」
「おお、無事なのだな!」
「お前が来なければ……」
「言うな。もういいだろう」
エクレフの言葉に従ったかのように、オットソンはそれ以上の悪態はつかなかった。
エクレフが乗っているかもしれない馬車を見て、オットソンは銃口をそらした。ほとんど憎悪に取り憑かれているかのようだったオットソンに、しかしまだ別の正気は残っていたのだろう。お前が来なければ勝っていた――とは、オットソンは言い切らずに、言葉を飲み込んだのだ。
オットソンはエクレフとシベリウスの肩を借りて馬車に乗り、ベアトリスにはなにも言わず、霧の決闘場から姿を消した。
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