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フィスカルボの諍乱
決闘 7
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主演俳優が退場したあとの決闘場には、ベアトリスたちの手から落ちた銃がそのまま残されていた。それぞれ銃把には精緻な浮上彫の彫刻が施されているが、その豪華さが虚栄でしかないことを、銃じたいが物語っているようだ。アルバレスとラーゲルフェルトはそれらを拾い上げ、それぞれにあつらえて作られた保管用の角型かばんにしまった。
荷物を馬の背にくくりつけながら、ラーゲルフェルトがアルバレスに振り返った。
「……てっきり僕は、隊長さんはなにか策を講じてるもんだと思ってましたが」
片膝をついてぼんやりと地面を見下ろしていたアルバレスが立ち上がった。彼の足もとの枯れ葉の上には、ベアトリスの左腕から流れ出た血の痕がまだ残っている。
「心外ですね。私がなにか策謀めいたものをめぐらせたことなど、ただの一度もありませんよ」
「その割には、ずいぶん落ち着いてたもんですね」
「そういう性分なもので」
アルバレスがもえぎ色の瞳を細め、わざとらしく涼やかな笑顔を作る。
「そうしたはかりごとは、あなたこそ身上としているところでしょうに」
「印象論で人を語るのは感心しませんなあ」
「まあ、証拠がない以上、たしかに印象論ではありますがね。謀は密なるを以てよしとす……」
とはいえアルバレスはこの点に関し、心にひっかかるものがないではなかった。たとえば、ラーゲルフェルトがずいぶん遅く決闘場に現れたことなどだが、まだそれらを明確な言葉にはできていない。
「……たとえば、オットソンの銃に誰かが細工でもしていて、それが暴発する……なんてことを期待していたんですがね」
「そんな小細工の技術、私は持ち合わせていませんよ」
「なんであれ僕は、決闘の回避が最善手だと思ってたんです。事故なら後腐れなくお流れになるでしょう」
「決闘そのものが水泡に帰す、と……しかしそれでは、オットソンにまつわる火種は、今後もくすぶり続けるでしょうね」
「じゃあ決闘の結果、あんたの『主公様』が死んだとしても?」
「……まあ、いいのではないですか? 現にこうして勝ったのだから。薔薇の女王ベアトリス・ローセンダールに相応しい逸話も増えたことですし」
「それが、いいことなのかどうかもねえ……」
アルバレスはあきらかに質問をはぐらかしたが、ラーゲルフェルトはそれ以上追求しなかった。彼らがベアトリスに仕える思惑は、それぞれに異なる。
ラーゲルフェルトは、ベアトリスの死だけは是が非でも回避したかった。それは彼がベアトリスに対して、ノルドグレーンを変革するだけの力を持った存在となってほしい、と願っていたからである。グラディス・ローセンダール家はベアトリスによってしか維持できず、彼女の存在が消えた途端に分裂し、その領土も財産も対抗勢力たちに食い尽くされるだろう。生きてさえいれば、時間はかかっても、ヴァルデマルさえ上回る力を得ることができる――ラーゲルフェルトはそう確信していた。
その点、アルバレスはまた違った思想をもって、ベアトリスを守り立てているらしい。どこか享楽的に、変動する世界とベアトリスを眺めているようなアルバレスの真意を、ラーゲルフェルトはずっと掴めずにいた。
「とまれ帰るとしましょう。とりあえずは閉幕です」
「ああ、久々にゆっくり眠れそうだなあ」
こうしてフィスカルボの諍乱は終息した。イェルケル・オットソンはあきらめがついたのか、これ以後ベアトリスへの債務を誠実に履行するようになった。その変節がオットソンの自発的行為なのか、エクレフの勧めによるのかは、ベアトリスには知らされていない。
ずいぶん血が流れたわりに、以前と変わらぬ状況に戻っただけとも言える。じっさいフィスカルボの大衆にとっては、ベアトリスの去来によって変わったことなどなにもない。だが、この一週間ほどのあいだに起きたベアトリスとオットソンの心理的変化は、のちにフィスカルボの町を巨大な変化の渦に巻き込む契機となるのだった。
荷物を馬の背にくくりつけながら、ラーゲルフェルトがアルバレスに振り返った。
「……てっきり僕は、隊長さんはなにか策を講じてるもんだと思ってましたが」
片膝をついてぼんやりと地面を見下ろしていたアルバレスが立ち上がった。彼の足もとの枯れ葉の上には、ベアトリスの左腕から流れ出た血の痕がまだ残っている。
「心外ですね。私がなにか策謀めいたものをめぐらせたことなど、ただの一度もありませんよ」
「その割には、ずいぶん落ち着いてたもんですね」
「そういう性分なもので」
アルバレスがもえぎ色の瞳を細め、わざとらしく涼やかな笑顔を作る。
「そうしたはかりごとは、あなたこそ身上としているところでしょうに」
「印象論で人を語るのは感心しませんなあ」
「まあ、証拠がない以上、たしかに印象論ではありますがね。謀は密なるを以てよしとす……」
とはいえアルバレスはこの点に関し、心にひっかかるものがないではなかった。たとえば、ラーゲルフェルトがずいぶん遅く決闘場に現れたことなどだが、まだそれらを明確な言葉にはできていない。
「……たとえば、オットソンの銃に誰かが細工でもしていて、それが暴発する……なんてことを期待していたんですがね」
「そんな小細工の技術、私は持ち合わせていませんよ」
「なんであれ僕は、決闘の回避が最善手だと思ってたんです。事故なら後腐れなくお流れになるでしょう」
「決闘そのものが水泡に帰す、と……しかしそれでは、オットソンにまつわる火種は、今後もくすぶり続けるでしょうね」
「じゃあ決闘の結果、あんたの『主公様』が死んだとしても?」
「……まあ、いいのではないですか? 現にこうして勝ったのだから。薔薇の女王ベアトリス・ローセンダールに相応しい逸話も増えたことですし」
「それが、いいことなのかどうかもねえ……」
アルバレスはあきらかに質問をはぐらかしたが、ラーゲルフェルトはそれ以上追求しなかった。彼らがベアトリスに仕える思惑は、それぞれに異なる。
ラーゲルフェルトは、ベアトリスの死だけは是が非でも回避したかった。それは彼がベアトリスに対して、ノルドグレーンを変革するだけの力を持った存在となってほしい、と願っていたからである。グラディス・ローセンダール家はベアトリスによってしか維持できず、彼女の存在が消えた途端に分裂し、その領土も財産も対抗勢力たちに食い尽くされるだろう。生きてさえいれば、時間はかかっても、ヴァルデマルさえ上回る力を得ることができる――ラーゲルフェルトはそう確信していた。
その点、アルバレスはまた違った思想をもって、ベアトリスを守り立てているらしい。どこか享楽的に、変動する世界とベアトリスを眺めているようなアルバレスの真意を、ラーゲルフェルトはずっと掴めずにいた。
「とまれ帰るとしましょう。とりあえずは閉幕です」
「ああ、久々にゆっくり眠れそうだなあ」
こうしてフィスカルボの諍乱は終息した。イェルケル・オットソンはあきらめがついたのか、これ以後ベアトリスへの債務を誠実に履行するようになった。その変節がオットソンの自発的行為なのか、エクレフの勧めによるのかは、ベアトリスには知らされていない。
ずいぶん血が流れたわりに、以前と変わらぬ状況に戻っただけとも言える。じっさいフィスカルボの大衆にとっては、ベアトリスの去来によって変わったことなどなにもない。だが、この一週間ほどのあいだに起きたベアトリスとオットソンの心理的変化は、のちにフィスカルボの町を巨大な変化の渦に巻き込む契機となるのだった。
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