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ノア王の心裏
王の旧友、王の過去 4
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「……ベアトリス・ローセンダールだね?」
ふいに左側から、女の声がした。ベアトリスとアリサ、ルーデルスが同時に振り向く。扉の横には若い女が一人、腕組みをして壁に背をもたせかけ、床の巾木にかかとを乗せて立っていた。ベアトリスを値踏みするように見つめ、そばかすの少し残る顔は不敵な笑みを浮かべている。
「噂は聞いてるわ。あんたがノア王のお気に入り」
「ちょっと! 主公様に挨拶もなく……」
「……貴女は、さきほど三階から見ていらした方ですね」
アリサの抗議に割って入るように、ルーデルスが尋ねた。山育ちで目の良いルーデルスほど明瞭に見えていたわけではないが、ベアトリスも思い起こすと、たしかに玄関先でちらりと見た顔のようだ。着ているふだん着のドレスは華美ではないが仕立てもよく、すくなくとも使用人のものではない。
「よく見えてたもんだね! さすがは親衛隊、ってとこか」
「それじゃ、あなたは……」
「あたしはダニエラ。ダニエラ・ノルデンフェルト・エーベルゴードだ。ちょっと長いがよろしくな」
ダニエラは挑発するようにちらりとアリサを一瞥し、みぞおちのあたりに左手を当てて大仰に頭を下げた。
「あんたぐらいのやり手なら、あたしの名前は知ってんだろ?」
「ええ、それは……」
ダニエラ・ノルデンフェルト、最後の守護斎姫――複雑な立場にあったこの人物に、ベアトリスはどう接したものか迷っていた。あるいはダニエラは、彼女を六年ものあいだ拘禁したノルドグレーンという国を代表する一人として、ベアトリスを恨んでさえいるかもしれない。こんかいノルデンフェルト家を訪れた主目的である、一時労働者の受け入れ事業の成否について、ダニエラの存在は数少ない不安要素でもあったのだ。
「あたしの親父、うっとおしかったろ?」
まごついているベアトリスを見て、ダニエラはくすりと鼻で笑った。
「けどあの中年はあんなもんさ。大した害はないよ。適当に流してな。そういうのは慣れてんだろ?」
「ええ、まあ……」
ダニエラの洒脱な言いように、意外そうな顔をするベアトリス。
――このひとは、私にずいぶん気を使ってくれている。
ベアトリスがそう思って言葉を返そうとすると、玄関のほうから男女のにぎやかな声が聞こえてきた。
「……おや、ダーリンが帰ってきたね」
「だ、ダーリン!?」
意外な単語におどろくアリサをよそに、ダニエラはついてこい、というように人差し指を動かした。
「フランシスはあんたに会いたがってたんだ。ひょっとしたらあたしの親父と話すより、あんたが得るものは大きいかもよ」
ダニエラはそう説明しながら、台所へ、とか包丁は研いであるか、などという声が聞こえる玄関へ歩いていった。
玄関口では、巨大な魚のしっぽがはみ出した白樺のバスケットを抱えた女中と、日焼け顔の青年が楽しげに右往左往している。青年は簡素なチュニックから日焼けした腕を出し、精悍な漁民のようでもあるが、どことなく立ち居ふるまいには気品がただよう。青年はベアトリスたちを見とめたようで、そちらに視線を止めた。ダニエラはそのまま青年に歩み寄ると、唇に軽くキスをした。
「えーっ!?」
声を上げておどろくアリサをよそに、ダニエラは青年の肩に手を回した。その白い手を、青年の一回り大きな手が包む。
ふいに左側から、女の声がした。ベアトリスとアリサ、ルーデルスが同時に振り向く。扉の横には若い女が一人、腕組みをして壁に背をもたせかけ、床の巾木にかかとを乗せて立っていた。ベアトリスを値踏みするように見つめ、そばかすの少し残る顔は不敵な笑みを浮かべている。
「噂は聞いてるわ。あんたがノア王のお気に入り」
「ちょっと! 主公様に挨拶もなく……」
「……貴女は、さきほど三階から見ていらした方ですね」
アリサの抗議に割って入るように、ルーデルスが尋ねた。山育ちで目の良いルーデルスほど明瞭に見えていたわけではないが、ベアトリスも思い起こすと、たしかに玄関先でちらりと見た顔のようだ。着ているふだん着のドレスは華美ではないが仕立てもよく、すくなくとも使用人のものではない。
「よく見えてたもんだね! さすがは親衛隊、ってとこか」
「それじゃ、あなたは……」
「あたしはダニエラ。ダニエラ・ノルデンフェルト・エーベルゴードだ。ちょっと長いがよろしくな」
ダニエラは挑発するようにちらりとアリサを一瞥し、みぞおちのあたりに左手を当てて大仰に頭を下げた。
「あんたぐらいのやり手なら、あたしの名前は知ってんだろ?」
「ええ、それは……」
ダニエラ・ノルデンフェルト、最後の守護斎姫――複雑な立場にあったこの人物に、ベアトリスはどう接したものか迷っていた。あるいはダニエラは、彼女を六年ものあいだ拘禁したノルドグレーンという国を代表する一人として、ベアトリスを恨んでさえいるかもしれない。こんかいノルデンフェルト家を訪れた主目的である、一時労働者の受け入れ事業の成否について、ダニエラの存在は数少ない不安要素でもあったのだ。
「あたしの親父、うっとおしかったろ?」
まごついているベアトリスを見て、ダニエラはくすりと鼻で笑った。
「けどあの中年はあんなもんさ。大した害はないよ。適当に流してな。そういうのは慣れてんだろ?」
「ええ、まあ……」
ダニエラの洒脱な言いように、意外そうな顔をするベアトリス。
――このひとは、私にずいぶん気を使ってくれている。
ベアトリスがそう思って言葉を返そうとすると、玄関のほうから男女のにぎやかな声が聞こえてきた。
「……おや、ダーリンが帰ってきたね」
「だ、ダーリン!?」
意外な単語におどろくアリサをよそに、ダニエラはついてこい、というように人差し指を動かした。
「フランシスはあんたに会いたがってたんだ。ひょっとしたらあたしの親父と話すより、あんたが得るものは大きいかもよ」
ダニエラはそう説明しながら、台所へ、とか包丁は研いであるか、などという声が聞こえる玄関へ歩いていった。
玄関口では、巨大な魚のしっぽがはみ出した白樺のバスケットを抱えた女中と、日焼け顔の青年が楽しげに右往左往している。青年は簡素なチュニックから日焼けした腕を出し、精悍な漁民のようでもあるが、どことなく立ち居ふるまいには気品がただよう。青年はベアトリスたちを見とめたようで、そちらに視線を止めた。ダニエラはそのまま青年に歩み寄ると、唇に軽くキスをした。
「えーっ!?」
声を上げておどろくアリサをよそに、ダニエラは青年の肩に手を回した。その白い手を、青年の一回り大きな手が包む。
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