簒奪女王と隔絶の果て

紺乃 安

文字の大きさ
92 / 281
ノア王の心裏

欺瞞の空音 1

しおりを挟む
 サロンに差し込む陽光が弱まってきていた。窓辺を飾る紫色のリラの花も、鮮やかさを落とし始めている。テーブルの上の花茶も焼き菓子もすっかり冷めてしまっているが、ベアトリスたちの話題は尽きない。フランシス・エーベルゴードが持つノア王の過去にまつわる記憶は、ベアトリスにとって、熱とともに消え去った花茶の香りよりも遥かにきつけられるものだった。
「……あとでノア本人から聞いたが、当時の『留学』生活の実態としては……さすがに外出の自由はなかったものの、まず留学と言えるだけの教育は受けられたそうだ。逗留とうりゅう先の議員が、できる限り手を尽くしてくれたらしい」
「なんという議員です? 名前を知っておきたいですわ」
「今はもう引退して、さりとて議会への影響力はまだ維持していると聞いたが……名はなんといったかな……」
「もう。肝心なところが抜けてんだから」
「勘弁してくれ。政治など興味のない子供のみぎりに、一度聞いただけなんだよ」
「いえ、ノア様をお迎えしていたほどの議員、調べればすぐに判明することでしょう」
「すまないね」
「そういえば、あたしも幽閉中は実のところ、外出以外のわがままはそこそこ聞いてもらえたね」
「制度の卑陋ひろうさに対して、内実はずいぶん……」
 難しい顔をして腕組みをしていたフランシスが、何かに思い当たったように、そうだ、と顔を上げた。
「……思えば、私がその幽閉先からダニエラを連れ出したときなども、拍子抜けするほどあっさりとできたものだった。その場所というのが、悪名高きソレンスタム教団の施設だったというのにな」
「ソレンスタムに……」
 近年ではリードホルムでも勢力を拡大するソレンスタム教団は、ベアトリスにとって厄介な存在だった。表向きは、神の福音の代行者であると称して布教活動を行い、仕事を求めて都市に出てきた労働者層を中心に信徒を増やしている。他方で、信徒へ過度に寄進を迫ったり、人身売買への関与や議会議員の買収など、あきらかな腐敗も見て取れる。だが、なまじ民衆の支持が厚いだけに、ベアトリスどころかヴァルデマルでさえも、迂闊うかつに手出しができない勢力となりつつあった。
「まさかその議員様が、あたしの脱走まで手引きしてくれたって言うの?」
「いや……それはさすがに買いかぶり過ぎというものだろうが……」
「ええ。ソレンスタムにそれほどの影響力をもつ議員など、ノルドグレーンにはおそらく存在しませんわ。では誰が、という問いに答えることもできませんが」
「私が救出を企んでいることなど、ノルドグレーンでは誰も知らなかったはずだ。にもかかわらず、ダニエラが幽閉されていた塔は数日にわたって、見張りがほとんどいない状態が続いた」
「そんなことが……?」
「妙に静かだったのが、あたしは不気味に感じてたけどね」
「そうだ、当時義父ちち上……ノルデンフェルト侯爵は、守護斎姫さいきの任期を終えた君を帰還させろ、と頻繁にノルドグレーンに催促していたそうだね」
「知ってるよ。それが無視され続けたのにごうやして、名うての盗賊に大金を積んでまで、あたしの救出を頼んだんだからね。で、なぜかあたしと一緒に帰ってきたのがダーリンだったもんで、親父はしばらく事態が飲み込めなかったみたいだよ」
「あとから聞いたことだが、侯爵が王家を無視して救出に動いたという話は、リードホルム内では意外なほど知れ渡っていたようだ。とすれば、その情報がノルドグレーンまで流れていても不思議はあるまい」
「つまりノルドグレーン内の誰かが、ノルデンフェルト侯爵の手の者がダニエラさんを救い出しやすいように、手引をして……」
「そこに運良く居合わせた私が、ダニエラを連れ出す漁夫の利を得た、と」
「よくできた話だねえ」
「まあ、想像の域は出ないがね」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

『処刑されるたびに12歳に戻る悪役令嬢、7回目の人生は「何もせず寝て過ごす」ことに決めたら、なぜか周囲が勝手に勘違いして聖女扱いされています

六角
恋愛
公爵令嬢リリアーナは、18歳の誕生日に必ず断罪・処刑されては12歳に戻るという地獄のループを6回も繰り返していた。 真面目に努力しても、剣を極めても、裏社会を支配しても、結局は殺される運命。 心折れた彼女は、7回目の人生でついに決意する。 「もう頑張らない。どうせ死ぬなら、今回はひたすら寝て過ごそう」と。 しかし、安眠を求めて「うるさい」と敵を黙らせれば『王者の覇気』と恐れられ、寝ぼけて放った魔法は『神の奇跡』と崇められ、枕への異常なこだわりは『深遠なる儀式』と誤解されてしまう。 気がつけば、ストーカー気味のヤンデレ王子、パン屋の元ヒロイン、狂犬の如きライバル令嬢、元部下の暗殺者、そして不眠症の魔王までもが彼女の信者となり、リリアーナは意図せずして国を、そして世界を救う「最強の聖女」へと祭り上げられていく。 「お願いだから、私を寝かせて!」 睡眠欲だけで運命(システム)さえもねじ伏せる、無気力悪役令嬢の痛快勘違いサクセス(?)ストーリー!

3回目の人生は、悪役令嬢を辞めて引きこもります~一歩も出ずに国を救ったら、なぜか「聖女」として崇められ最強の男たちが部屋を包囲してくる件~

放浪人
恋愛
公爵令嬢エリザベートは、1度目は悪役令嬢として断罪され処刑、2度目は改心して聖女となり国に尽くしたが過労死……という悲惨な最期を遂げた。 記憶を持ったまま3度目の人生が始まった瞬間、彼女は固く決意する。 「もう絶対に働きません! 今世は部屋から一歩も出ず、睡眠と趣味に命をかけます!」 最強の拒絶結界『絶対領域』で部屋に籠城し、婚約破棄イベントも夜会も全て無視して惰眠を貪ろうとするエリザベート。 しかし、彼女の「働きたくない」一心からの行動――適当な農業アドバイスや、安眠妨害への容赦ない迎撃――が、周囲には「国を憂う深慮遠謀」「慈愛に満ちた奇跡」として超好意的に解釈されてしまう!? ヤンデレ化した元婚約者の王太子、物理で愛を語る脳筋騎士団長、効率厨の隣国王子、さらには古代の引きこもり少年までをも巻き込み、事態は国家規模の大騒動へ。 部屋ごと空を飛んで戦場を浄化し、パジャマ姿で古代兵器を操り、地下牢をスイートルームに変えながら、エリザベートは究極の安眠を手に入れることができるのか? 塩対応すればするほど愛され、逃げれば逃げるほど伝説になる、最強引きこもり令嬢の勘違いドタバタ溺愛ファンタジー、ここに完結!

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

転生皇女セラフィナ

秋月真鳥
恋愛
公爵家のメイド・クラリッサは、幼い主君アルベルトを庇って十五歳で命を落とした。 目覚めたとき、彼女は皇女セラフィナとして生まれ変わっていた——死の、わずか翌日に。 赤ん坊の身体に十五歳の記憶を持ったまま、セラフィナは新しい人生を歩み始める。 皇帝に溺愛され、優しい母に抱かれ、兄に慈しまれる日々。 前世で冷遇されていた彼女にとって、家族の愛は眩しすぎるほどだった。 しかし、セラフィナの心は前世の主・アルベルトへの想いに揺れ続ける。 一歳のお披露目で再会した彼は、痩せ細り、クラリッサの死を今も引きずっていた。 「わたしは生涯結婚もしなければ子どもを持つこともない。わたしにはそんな幸福は許されない」 そう語るアルベルトの姿に、セラフィナは決意する。 言葉も満足に話せない。自由に動くこともできない。前世の記憶を明かすこともできない。 それでも、彼を救いたい。彼に幸せになってほしい。 転生した皇女が、小さな身体で挑む、長い長い物語が始まる。 ※ノベルアップ+、小説家になろうでも掲載しています。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

処理中です...