簒奪女王と隔絶の果て

ノルドグレーン分断

心の枷 ３

　エイデシュテットはジュニエスの戦いのあとに行方ゆくえをくらませ、三年経った今もその消息は杳ようとして知れない。
「今リードホルムでこの男が見つかったなら、いかにノア様といえど宥恕ゆうじょなさらないでしょうね……」
　ベアトリスは、半年ほど前の初春に起きた小さな事件を思い出した。今もヘルストランドに残る旧エイデシュテット邸をベアトリスに譲渡することを、ノアは強く拒んでいた。そのことについてトマス・ブリクストは、ノアの個人的な領分であるから立ち入るな、とベアトリスに忠告していた。
　私が思っていたよりもずっと、ノア様の恨みは深いのかもしれないわ――ベアトリスは手紙を読み進めた。
　よほど急いで筆写したのか、ところどころに誤字が目立つ。アウグスティン暗殺者に対する賞金の八倍もの大金を積んだだけあって、エディットの協力者はかなり危険な橋を渡ったのだろう。
＜監獄かんごく破りの襲撃から生き延びた看守かんしゅの証言により、アウグスティン大公の暗殺者――か、その主たる協力者――の名は『リースベット』であることが判明した。これはたんなる同名でなく、四年前に行方不明になった、ノア大公の実妹じつまいその人である。リースベット王女の肖像画から描き起こした人相書きを目撃者に見せ、人違いでないことは確認済みである＞
「なんですって……！」
　ベアトリスは思わず声を上げた。
　四人いる前王ヴィルヘルムの実子の中で、リースベット王女は最も名を知られていない存在だった。リードホルム王位の継承権は男子が女子に優先する。もしもリードホルム王家にノアやアウグスティンといった男子が生まれていなければ、王女たるリースベットやノアの実姉じっしフリーダの存在も、ノルドグレーン側からもそれなりに注視されていたことだろう。リースベットは八年ほど前にリードホルム城を出奔しゅっぽんし、以後その行方については調べられてもいなかった。
　ベアトリスはノルデンフェルト邸で会ったフランシス・エーベルゴードの言葉を思い出していた。身分を偽ったままリードホルム地下監獄に囚われていた彼を救い出し、その帰途に会遇かいぐうしたノアと親しげに話していたという女山賊――それはリースベットのことだったのだ。そしてエル・シールケルのアウロラとバックマンが話していた「先代の首領リース」もまた同じ人物だ。ここ半年ほどベアトリスをやきもきさせていた女の影が、思わぬかたちで全貌ぜんぼうをあらわした。
　事ここに至って、彼ら彼女らが口をつぐんでいた理由も理解できた。王座を巡ってノアと競合関係にあったアウグスティンの暗殺者となれば、うかつにその名を出すことはできないだろう。
　リースベットは、どれほど憎悪が深かったのか、肉親であるアウグスティンを殺めてしまったという。あるいは――ふと、ベアトリスの脳裏に不穏な予測が浮かんだ。ランバンデッドの夜、ノアはエル・シールケルに酬むくいねばならない、と言っていた。その負い目はエル・シールケルという集団に対するものでなく、アウグスティンの暗殺という「大仕事」を達成したリースベット個人に対しての、悔恨かいこんの情だとしたら――。