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ノルドグレーン分断
戦端 5
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「だめだ。指揮官がニーダールだということは分かったが、本人も下士官も取り逃がしたようだ」
「ニーダール……三十年前の公国騎士叙勲者ね。最近は名を聞かなかったけれど」
「よく覚えているな、そんな昔のことを」
「……仕事で調べたのよ」
「すまん。……どんな奴だ?」
「ヴァルデマルの飼い犬」
グスタフソンは声を上げて愉快そうに笑った。
「猟犬をやるには歳を取りすぎた老犬だったな。おまけにそそくさと尻尾を巻いて逃げていったあたり、忠犬でもなかったようだが」
「鼻先になにか餌を吊り下げられて戦場に出てきたのてしょうけど、マスケット銃の音に驚いて我に返ったのかしらね」
「違いない」
「その餌がなんだったのか、は知りたかったわね」
「少なくとも……一般兵が真相を知らぬという事実だけを見ても、大義名分のない挙兵だとは言い得るだろう」
「徴募された兵たちも、戦う相手が同国人だなどとは思いもしなかったでしょうね」
「ああ。我らがグラディス・ローセンダール家の軍だと知った兵士のひとりは、ローセンダール家の内輪揉めにつきあわされたのか、と憤慨しておったわ」
ノルドグレーンの社交界やベアトリスの周辺以外では、ヴァルデマル・ローセンダールと分家のベアトリス――グラディス・ローセンダール家の対立はさほど知られていない。
この時代、多くの民衆は共同体の外部やそれらを包括する「国家」をほとんど意識することなく生き、死んでゆく。多くの者は生まれついた土地や家に定められた仕事に従事して生涯を終え、その生き方には、土地の領主よりも遠い存在が入り込む余地はないのだ。
グラディスの町は現在、ほとんど不在のベアトリスに代わって、彼女の父エーリクが実質上の領主を務めていた。
「しかし、まさかヘル・ローセンダールがご不在だったとは……」
「あなたの顔見知りがいて助かったわ。私はグラディスは初めてなんだから」
「ヘル・ローセンダールとは、彼が伯爵と呼ばれていた頃からの付き合いだ。執事や使用人とも金石の交わりよ」
「はいはい」
ヘル・ローセンダール――ベアトリスの父エーリクは今、賓客として首都ベステルオースに滞在している。スティンヴァーゲン大通りにあるヴァルデマルの邸宅に新たな庭園が完成し、その披露宴だという。さいわいグスタフソンの顔を知る者は幾人か残っており、事情を話すと城塞の門は無事開かれた。ローセンダール家の留守を預かる執事らは別棟や倉庫を開放し、さらに街の宿から教会まで手当り次第に声をかけ、3000のグスタフソン連隊を受け入れたのだった。
「留守に押し入った上に手間をかけさせたのは申し訳ないが、まあ事情が事情だからな。大目に見てもらおう」
「そうね……ベアトリスの危機と言ってもいいのだから」
エディットは不安げにうなずいた。
「どうした?」
「いえ……例えば、その執事や使用人が買収されていて、あなたを門前払いにしていたら、と思うとね」
「この雪の中、補給のあてもなく野営することになる、か……まあ安心してくれ、グラディス・ローセンダール家に限ってそれはない。知った顔ばかりで職務を回しているからな」
「良くも悪くも、ね。外部からもっと人を登用していれば、勢力はもっと広がっていたはずよ」
「まあそう言うな。主公様はまだお若い。広がってゆくのはこれからさ」
「ニーダール……三十年前の公国騎士叙勲者ね。最近は名を聞かなかったけれど」
「よく覚えているな、そんな昔のことを」
「……仕事で調べたのよ」
「すまん。……どんな奴だ?」
「ヴァルデマルの飼い犬」
グスタフソンは声を上げて愉快そうに笑った。
「猟犬をやるには歳を取りすぎた老犬だったな。おまけにそそくさと尻尾を巻いて逃げていったあたり、忠犬でもなかったようだが」
「鼻先になにか餌を吊り下げられて戦場に出てきたのてしょうけど、マスケット銃の音に驚いて我に返ったのかしらね」
「違いない」
「その餌がなんだったのか、は知りたかったわね」
「少なくとも……一般兵が真相を知らぬという事実だけを見ても、大義名分のない挙兵だとは言い得るだろう」
「徴募された兵たちも、戦う相手が同国人だなどとは思いもしなかったでしょうね」
「ああ。我らがグラディス・ローセンダール家の軍だと知った兵士のひとりは、ローセンダール家の内輪揉めにつきあわされたのか、と憤慨しておったわ」
ノルドグレーンの社交界やベアトリスの周辺以外では、ヴァルデマル・ローセンダールと分家のベアトリス――グラディス・ローセンダール家の対立はさほど知られていない。
この時代、多くの民衆は共同体の外部やそれらを包括する「国家」をほとんど意識することなく生き、死んでゆく。多くの者は生まれついた土地や家に定められた仕事に従事して生涯を終え、その生き方には、土地の領主よりも遠い存在が入り込む余地はないのだ。
グラディスの町は現在、ほとんど不在のベアトリスに代わって、彼女の父エーリクが実質上の領主を務めていた。
「しかし、まさかヘル・ローセンダールがご不在だったとは……」
「あなたの顔見知りがいて助かったわ。私はグラディスは初めてなんだから」
「ヘル・ローセンダールとは、彼が伯爵と呼ばれていた頃からの付き合いだ。執事や使用人とも金石の交わりよ」
「はいはい」
ヘル・ローセンダール――ベアトリスの父エーリクは今、賓客として首都ベステルオースに滞在している。スティンヴァーゲン大通りにあるヴァルデマルの邸宅に新たな庭園が完成し、その披露宴だという。さいわいグスタフソンの顔を知る者は幾人か残っており、事情を話すと城塞の門は無事開かれた。ローセンダール家の留守を預かる執事らは別棟や倉庫を開放し、さらに街の宿から教会まで手当り次第に声をかけ、3000のグスタフソン連隊を受け入れたのだった。
「留守に押し入った上に手間をかけさせたのは申し訳ないが、まあ事情が事情だからな。大目に見てもらおう」
「そうね……ベアトリスの危機と言ってもいいのだから」
エディットは不安げにうなずいた。
「どうした?」
「いえ……例えば、その執事や使用人が買収されていて、あなたを門前払いにしていたら、と思うとね」
「この雪の中、補給のあてもなく野営することになる、か……まあ安心してくれ、グラディス・ローセンダール家に限ってそれはない。知った顔ばかりで職務を回しているからな」
「良くも悪くも、ね。外部からもっと人を登用していれば、勢力はもっと広がっていたはずよ」
「まあそう言うな。主公様はまだお若い。広がってゆくのはこれからさ」
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