173 / 281
ノルドグレーン分断
雪の牢獄 1
しおりを挟む
ベアトリス・ローセンダールが滞在する交易都市ランバンデッドに、ミットファレットからの伝令使が到着した。ニーダールがグスタフソン連隊を奇襲する前日の夜のことだった。まだ雪は降っておらず、冷たく乾いた夜の空には降るような星々が輝いている。
グスタフソン連隊が撤退を決めた当日に出発した伝令使は、軍隊が統制を保ちつつ七日で移動する距離を半分以下の時間で駆けてきた。そうしてベアトリスのもとに届けられたのは、エディットが予定どおりの行動を取った、という情報だけだった。その報告に安心したベアトリスは、引き続きランバンデッド行政の組織改編に精励した。
山あいに位置するランバンデッドでは、翌日の明け方から雪が降り出した。
ベアトリスは気鬱な瞳で、窓際の揺り椅子に座っていた。この部屋は、三ヶ月前にリードホルムの王ノアが泊まっていた部屋だ。いまも長椅子やテーブルには客室としての面影が残っているが、運び込まれた広幅の執務机がつよく事務的な空気を作り出していた。
窓外には豊富な雪解け水を湛えたランバンデッド湖が広がっている。晩秋の湖水はまだそれほど冷えておらず、湖面は風に波打ち落ちた雪はすぐに溶けて姿をなくす。その向こうに見えるはずのノーラントの山稜は白くけぶり、空との境目がわからない。
「いつまで降るのかしらね……」
ベアトリスは憂鬱そうにつぶやいた。
「四日は降り続く、ってルーデルスが言ってましたよ。あいつ山育ちだから天気の予言よく当たるんです」
「……山間部出身者をバカにするのはやめなさい」
「えー、バカにしてないですよ?」
アリサが能天気にもたらした情報は、ベアトリスをいっそう憂鬱にさせた。
もともと活動的だったベアトリスにとって、ノーラントの長い冬はあまり好ましい時間ではなかった。とは言っても毎年かならず到来する季節であり、その時間を無為のうちに過ごすベアトリスではない。
冬季は主として、所領の管理者たちから提出された帳簿の写しや、その監査報告書などに目を通す時間に当てていた。こうした報告書類は土地土地の弁護士に依頼して作成されたものだ。また以前は、学者、研究者などを呼んで冬のあいだ集中的に教えを請う、といったこともやっていたが、ランバンデッドの開発を始めて以降はそんな時間も取れなくなっていた。
とはいえこの憂鬱は、予定外に幽囚の身となったことに起因している。例年であれば、せいぜい初雪がちらつく程度で終わる時期のはずだったのだ。
ミットファレット撤退の報が届いてから三日間は、ベアトリスは――グスタフソン連隊がおかれた危機と相反して――静かな時間を過ごさざるを得なかった。四日目になって雪はようやく止んだが、その頃にはランバンデッドはベアトリスの脚が埋まるほどの雪にうずもれていた。こうなるとランバンデッドの住民はみな仕事を中断し、除雪作業員となることを余儀なくされる。建物の出入口とそれに続く街路が雪に埋もれてしまえば、仕事どころか命さえ危ういのだ。
「主公様、グラディスからの報せです」
「グラディスから……?」
グスタフソン連隊が撤退を決めた当日に出発した伝令使は、軍隊が統制を保ちつつ七日で移動する距離を半分以下の時間で駆けてきた。そうしてベアトリスのもとに届けられたのは、エディットが予定どおりの行動を取った、という情報だけだった。その報告に安心したベアトリスは、引き続きランバンデッド行政の組織改編に精励した。
山あいに位置するランバンデッドでは、翌日の明け方から雪が降り出した。
ベアトリスは気鬱な瞳で、窓際の揺り椅子に座っていた。この部屋は、三ヶ月前にリードホルムの王ノアが泊まっていた部屋だ。いまも長椅子やテーブルには客室としての面影が残っているが、運び込まれた広幅の執務机がつよく事務的な空気を作り出していた。
窓外には豊富な雪解け水を湛えたランバンデッド湖が広がっている。晩秋の湖水はまだそれほど冷えておらず、湖面は風に波打ち落ちた雪はすぐに溶けて姿をなくす。その向こうに見えるはずのノーラントの山稜は白くけぶり、空との境目がわからない。
「いつまで降るのかしらね……」
ベアトリスは憂鬱そうにつぶやいた。
「四日は降り続く、ってルーデルスが言ってましたよ。あいつ山育ちだから天気の予言よく当たるんです」
「……山間部出身者をバカにするのはやめなさい」
「えー、バカにしてないですよ?」
アリサが能天気にもたらした情報は、ベアトリスをいっそう憂鬱にさせた。
もともと活動的だったベアトリスにとって、ノーラントの長い冬はあまり好ましい時間ではなかった。とは言っても毎年かならず到来する季節であり、その時間を無為のうちに過ごすベアトリスではない。
冬季は主として、所領の管理者たちから提出された帳簿の写しや、その監査報告書などに目を通す時間に当てていた。こうした報告書類は土地土地の弁護士に依頼して作成されたものだ。また以前は、学者、研究者などを呼んで冬のあいだ集中的に教えを請う、といったこともやっていたが、ランバンデッドの開発を始めて以降はそんな時間も取れなくなっていた。
とはいえこの憂鬱は、予定外に幽囚の身となったことに起因している。例年であれば、せいぜい初雪がちらつく程度で終わる時期のはずだったのだ。
ミットファレット撤退の報が届いてから三日間は、ベアトリスは――グスタフソン連隊がおかれた危機と相反して――静かな時間を過ごさざるを得なかった。四日目になって雪はようやく止んだが、その頃にはランバンデッドはベアトリスの脚が埋まるほどの雪にうずもれていた。こうなるとランバンデッドの住民はみな仕事を中断し、除雪作業員となることを余儀なくされる。建物の出入口とそれに続く街路が雪に埋もれてしまえば、仕事どころか命さえ危ういのだ。
「主公様、グラディスからの報せです」
「グラディスから……?」
0
あなたにおすすめの小説
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
婚約者の幼馴染って、つまりは赤の他人でしょう?そんなにその人が大切なら、自分のお金で養えよ。貴方との婚約、破棄してあげるから、他
猿喰 森繁
恋愛
完結した短編まとめました。
大体1万文字以内なので、空いた時間に気楽に読んでもらえると嬉しいです。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
【完結】番である私の旦那様
桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族!
黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。
バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。
オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。
気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。
でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!)
大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです!
神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。
前半は転移する前の私生活から始まります。
十年間虐げられたお針子令嬢、冷徹侯爵に狂おしいほど愛される。
er
恋愛
十年前に両親を亡くしたセレスティーナは、後見人の叔父に財産を奪われ、物置部屋で使用人同然の扱いを受けていた。義妹ミレイユのために毎日ドレスを縫わされる日々——でも彼女には『星霜の記憶』という、物の過去と未来を視る特別な力があった。隠されていた舞踏会の招待状を見つけて決死の潜入を果たすと、冷徹で美しいヴィルフォール侯爵と運命の再会! 義妹のドレスが破れて大恥、叔父も悪事を暴かれて追放されるはめに。失われた伝説の刺繍技術を復活させたセレスティーナは宮廷筆頭職人に抜擢され、「ずっと君を探していた」と侯爵に溺愛される——
【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない
朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる